12.夢と現実の境目
イーディスがじっと見つめればアンクレットが言いづらそうに首を掻いた。
「リガロの父親とは従兄弟でさ、ザイル様とも顔がよく似ているって言われてたんだぞ。それに剣の才能も、受け継いだのは息子じゃなくて甥っ子の方だったってな。高濃度の魔に触れるとさ、自分が一番見たくない光景が何度も繰り返されるようになるんだ。目をつむれば、悪夢のように広がっていく。そしていつからか、夢と現実の境目が分からなくなっていくんだ。俺も、魔獣に足を食われてから悪夢を見続けた。けど、俺の場合、現実と何も差がなかった。だから俺の精神は魔に犯されることはなかった。嬢ちゃんも、同じなんだろ」
「私は、アンクレットさんとは少し違います」
「?」
「私にとって魔道書の中での生活は悪夢なんかじゃありませんでした。戻らなくてもいいかなと思うほどには楽しかったんです。この屋敷には私の思い出が沢山詰まっています。でも、この世界の彼と私の出会った彼は違うから。起こらなかったことを考えなくて良いように、隠すんです。もちろん私は楽しみますが」
隠すのは見せたくないからであって見たくないからではない。むしろ一番のお気に入りである海の絵は、マリア達が戻った後で自分の寝室に飾るつもりではある。なんなら額縁を加工して、上に他の絵を飾ることで目隠しを作ることも考えているほど。恥ずかしさはないと胸を張る。アンクレットは驚いたようにパチパチと瞬きをし、なるほどなと息を吐いた。
「向き合って、克服したのか。嬢ちゃんは強いな。俺なんてもう何十年も経っているのに未だに夢を見る。夢の中で泣きそうな顔で『お前の力が俺にあれば幸せになれたのに』って言われる度、フライド家の象徴とも言える髪をかきむしって、目を潰したくなる。でも髪を剃っても何も変わらなかったし、目を潰したところで記憶に刻まれた目を逸らしたい記憶はなくならないんだよ。……結局さ、どんなに辛くとも向き合うしかないんだよなぁ」
向き合う、か。己の過去と向き合おうとしているアンクレットには言えないが、イーディスは本当に彼らと向き合えていたのか疑わしいものだ。キースとマリアはともかく、あちらのリガロに対してはただ拒絶しただけに思う。それに、イーディスがこちらに戻ってきたのはキースに背中を押されたからだ。魔に囚われた状態と魔法道具に囚われた状態で起こることが違う可能性もある。もしくはイーディスが異世界転生者だから、この世界の知識をある程度外から持ち込んだ状態だったから何か他のトリガーが作動したとか。口に手を当てて考え込めば、アンクレットが「よし!」と何かを決意したように頬を叩いた。
「模様替え手伝ってやるよ。俺ならもう全部見た後だし、今さら何も変わらないだろ」
「いいんですか?」
「手伝うからさ、出して欲しいものがあるんだ」
「私が想像出来るものですか?」
「フライド家の、リガロの持っていた剣を出して欲しい」
「リガロ、様の?」
「フライド家の男児は五歳になると剣を贈られるんだ。リガロの場合は退魔石が埋め込まれてたみたいだけど、本当はそこにフライド家に相応しい騎士になるようにって願いを込めてブルーサファイアを入れるんだ。俺も、小さい頃もらったんだ。フライド家の俺が死んだ時に一緒に棺桶に入れられてから触ってないけどな。……でももう一度フライド家と向き合いたくなったんだ。それに従兄弟とも」
あの剣にはそんな意味が込められていたのか。同じものをイーディスもザイルから受け取ったことがある。退魔石を通じてイーディスから魔を取り除くにしても、それは剣でなくても構わなかったはずだ。それもリガロの剣と全く同じ形のものを。こちらに戻ってきた今となってはその理由を知る術はない。だが同じものを出すだけならすぐに出来るだろう。何度も目にし、そして振るってきたのだから。
「それならすぐ出せますよ」
イーディスは魔道書に手を伸ばす。けれどそれは魔道書に届く前にアンクレットの手によって遮られた。
「模様替えが終わってからでいい。後、このことは他の奴らには内緒にしてくれ」
「はい。剣のことは誰にも」
「それもなんだが、リガロに関わる話を振ったことも。知られると、すげえ怒られるから」
「怒られる? 誰に?」
「過保護な奴らに。魔に触れた者の性質といってしまえばそれまでだが、やりすぎもよくないだろうに」
「それは一体どういう?」
魔に触れれば過保護になるのか。初耳だ。もっと情報が欲しいと彼に迫ろうとした。
「食事もらってきたぞ! 一緒に食べよう」
けれどバッカスの帰還により、この話はお開きとなった。
彼が持ってきてくれたバスケットの中身は温かいスープにパン、サラダにわざわざ焼いてくれたのだろうお肉まで入っている。すぐに冷めないうちに食事を取りたいイーディスだが、ダイニングルームに向かおうとしてピタリと足が止まった。なにせ手を入れたのは主に三階。ダイニングは絵を回収した以外、ノータッチなのだ。その状態でバッカスを連れて行って良いのか。だが他に代わりになるような部屋が……。イーディスは必死で思考を巡らせる。するとアンクレットはバスケットを手に、スタスタと歩き出し、とある部屋で足を止めた。
「ここなんていいんじゃないか」
アンクレットが選んだ部屋はイーディスとキースが仕事をしていた部屋だった。その部屋ならイーディスが想像したものは数少ない。残っているのは棚や椅子、机といった家具だけだ。イーディスは心の中でアンクレットにお礼を告げ、三人で遅めの夕食を摂ることにした。




