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聖傑  作者: 如月誠
第三章 母の愛編
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第四十四話 三人目

 ミシ、ミシ……とひび割れる――乾いた音。耳障りな軋みが、胸の辺りに小さく響いてくる。

 背中を貫く、一瞬の衝撃。

 ただ、それもまた弱々しいものだった。


 死への覚悟。しかし、恐れていた痛みは一向にやってこない。


「…………?」


 響里は恐る恐る、その瞳を開けてみた。

 眼下に映る鬼の手。胸を突き刺すはずだった指先が、何故か止まっているのだ。距離にして数センチ手前。僅かばかりの隙間が開いている。


「あれ……?」


 銀城栄介が直前になって攻撃を止めたのではない。むしろ、強引に鬼の手は押し込もうと力を加えてくる。

 凝視してみて、ようやく響里は理解した。薄い透明な板のようなものが、空間に出現している。光の障壁……と呼べばいいのか、それが響里を寸でのところで守ってくれているようだった。

 輝きを増した障壁が、鬼の手を勢いよく弾き返した。浄化作用でもあるかのように、穢れた鬼の手はあっけなく消滅してしまう。


「な……!?」


 銀城栄介の血走った目が、愕然と見開かれる。


「小僧! 貴様、何をした!?」


 問われたところで、身に覚えのない響里。結界のようなものを張る能力が聖傑に備わっているのだろうか。思考を巡らしてみるが、そんな経験は一度もない。

 ――と。ふと思い出した響里は、慌てて学生服のボタンを外した。


「…………!」


 瞬間、卵から雛が孵るように、発光がより激しくなった。そのまま学生服を投げ捨てる。シャツの肩辺りに乗っていたのは、プラスチック製の玩具。特撮ヒーローが着けているものを模した子供用の小さな変身ベルトだった。


「響里くん、それって……」


 我に返ったように呟く陽ノ下が、ふらついた足取りで響里に近付く。響里は指先でそっとベルトに触れながら、彼女に向けて深く頷く。


「ここに来る前に、陽ノ下さんのお母さんから預かったんだ。必要になるからって。でも、なんで変身ベルトって思ったけど……」

「お母さんから……」


 陽ノ下は複雑な表情を浮かべる。


「誕生日プレゼントだよ、アタシが小さい頃に貰ったやつだけど。お母さん、まだ持ってたんだ」

「大事に保管してあったみたいだよ。押入れに仕舞ってたらしいんだけど、埃も被ってない。日頃からちゃんと手入れをしてたんだろうね」

「こんなものをいつまでも……」


 苦々しく唇を噛み締める陽ノ下。そんな嫌悪に満ちた視線を変身ベルトに向ける彼女を、響里は気の毒そうに見つめる。僅かな沈黙。

 そこへ、芝原がやってきた。彼はヘヤバンドを外して、頭を搔きながら呆れた調子で言った。


「お前なぁ……。なんちゅー場所に隠してんだよ」


 苦笑する響里。確かに、小物とはいえ学生服の下に隠していると戦い辛かった。固定もできず、服の圧迫だけで我慢しながら戦っていたのだ。


「いや、かさばるからどうしようかと思って。考えたらここしかなかった。カバンもなかったし」

「お前ってしっかりしてるかと思えば、スゲー突飛なこと思いつくよな……」

「そ、そうかな?」

「いや、だから面白れーやつだなってこと。異界で戦っていけんのも、そんなぶっとんだ思考を持ってるからだと思うわ」

「褒めてるの、それ……?」


 妙な納得をされ、複雑な気持ちになる響里。

 肩のあたりに違和感が走ったのはそのときだった。発光し続けていた変身ベルトのバックル部分に亀裂が走ったのだ。


「あっ」


 半分から真っ二つに割れ、ベルトは地面に落ちた。蛍のように、光は弱まって次第に消滅。こういった玩具の一番のウリでもある回転式の羽が飛び出し、細かな部品まで散乱してしまう。


「あー……」


 原形をとどめない変身ベルトを見て、響里は気まずそうに陽ノ下に目線を移した。


「陽ノ下さんに会ったら渡してくれって頼まれたんだけど……。ごめん、壊しちゃった……」

「ううん、いいよ別に」


 陽ノ下は力なく笑みを浮かべた。大してショックを受けてないらしく、どこか安堵した様子でかぶりを振る。


「でも、これが響里くんを守ってくれたんだよね……」

「うん。でも、なんで……」


 首を捻る響里。改めて考えれば、理解できない現象だ。

 何の変哲もない変身ベルト。きっと当時、大量に生産されて全国に販売されたものに違いない。その内の一つであり、特別な力を持つ物ではないはずだ。

 それが、どうして。結界を張るなんて奇跡が起きたのか。


「ぬ、ぐぅ……」


 呻き。消えかけていた緊張感が急激に戻される。三人が身構える――その前方。銀城栄介に異変が起きていた。


「オオオ……。それは……、どうしてそんな物が……!」


 頭を抱えていた。巨躯の鬼が、突如苦しみだしていた。予期しない攻撃を受けたわけではない。警戒する響里たちだが、銀城栄介の明確な動揺に、困惑が走る。


「お、おい。どうしたんだ……?」

「分からない。何が起きた……?」


 銀城栄介が剛腕を振るう。その苦しみから逃れるように暴れ始めた。次々と柱や壁を壊し、そして背後にあった仁王像まで殴って粉砕してしまう。


「――!?」


 響里が驚愕に目を見開いた。

 無残に下半身のみとなった仁王像のその断面に、異物が乗っていたのだ。


「なん……で……」


 響里の横で、陽ノ下が手で口を覆う。


 ヒーローものの変身ベルトだった。


 響里が思わず床に落ちていた変身ベルトと見比べる。似てはいるが、違う。きっと、新たなシリーズとして売り出された別の商品だろう。

 何故、あんなところに。古めかしいデザインではあるが、状態は良さそうだった。そもそも仁王像の中身は空洞だったのか、まるで大事に保管されてきたかのように美しい光を放っている。


「ああ、そうか」


 いや、それこそ。まるであれを隠すためだけに仁王像を造ったようではないか。


「ようやく意味が分かったよ。陽ノ下さんのお母さんが言っていた意味が」


 パチパチと、脳内でピースが繋がる感覚。響里の言葉に、陽ノ下はやや遅れて反応した。


「……え?」

「銀城栄介って人は、そこまで酷い人間じゃないんじゃないかってさ」

「は!?」

「ちょ、おい! 響里!?」


 思うままに口走った響里に対し、陽ノ下どころか芝原まで声を荒げた。


「な、なに言ってんの!?」

「これを渡されたとき、陽ノ下さんのお母さんは言ってたんだ」


 響里はしゃがんで、壊れた変身ベルトの欠片を拾い上げる。

 そして、訥々と話し始めた。

 陽ノ下紗枝から聞かされた、父の想いを。


「銀城栄介は、毎年、陽ノ下さんへの誕生日プレゼントに何がいいか悩んでいたらしいんだ。女の子の好みも分からない、こっそり探るのも恥ずかしい。だから、毎回同じものを贈ろうとしていたって。でも、誕生日間際になって、やっぱり止めたんだって」

「そんなの嘘! 私がアイツのことを嫌ってるから、仲を取り持つためにお母さんはそんな作り話を――!」

「違う」


 困惑が混じった陽ノ下の怒声を、響里は破片をつまんだまま遮断する。


「現に、銀城栄介からお母さん宛に送られた手紙があるらしい。毎年、その一枚だけだけど。陽ノ下さんにいつか見せるために取っておいてあるみたいだよ」


 毎年増えていく、悩みに悩んで結局渡し損ねた変身ベルト。現在に至るまで銀城栄介は、誰にも見つからないよう自室の奥に封印してあるらしい。

 だから銀城栄介の中では、変身ベルトというのは唯一の大切な思い出。娘との繋がりだ。だからこそ、この異界では聖なる物として不浄な鬼の手を焼き払ったのかもしれない。

 あの仁王像に隠してあった変身ベルトも、異界でありながら断ち切れない銀城栄介の本心が表現されたものなのだろう。


「そんな人が町の人を不用意に怖がらせたり、陽ノ下さんたちに酷いことをするだろうか」

「いやいや、不器用すぎだろ……」


 と、呆れたように芝原が、もがき苦しむ銀城栄介を見つめる。


「そんなの信じられないでしょ! 響里くんは何も知らないから、そんな他人事のように言えるんだよ!」


 耳を塞いで、陽ノ下は頭を振り乱す。


「陽ノ下さん……」

「だってずっと私は……。ううん、お母さんにしたって苦しめられてきたんだよ、アイツに!」


 真実を知ったところで簡単には受け入れられない当然の話だろう。

 彼女の言う通り、響里も客観的な事実を言っているだけに過ぎない。陽ノ下がどんな人生を歩んできたか知らない。忌避され、それでも町の人に受け入れてもらおうと、奮闘してきた日々。そういった努力もあるのだ。


「現に今だって――!」

「ここは異界。あれも銀城栄介という人間を構成する、側面の一つ。その狂暴性が増長されているに過ぎないんだ」


 響里は強張った陽ノ下の顔をしっかりと見据える。誤解のままでは、誰も救われない。この異界を本当の意味で消し去ることは出来ないのだ。


「君への愛情は偽物じゃない。それも確かに存在するんだ」


 そう告げた瞬間、地面が揺れた。

 銀城栄介が膝をついたのだ。狂気に歪んだ鬼の顔が一変、銀城栄介の人間としての部分が垣間見えた。父としての顔を僅かに見せる。


「み、澪……」

「――!」


 絞り出すような声には、ほんの僅かにだが温かさが含まれていた。

 肩を震わせた陽ノ下に、その醜く変化した手を、銀城栄介は伸ばそうとする。


「す、すまなかった……。これまで、本当にすまなかった……」

「や、やめて……!」


 さらに強く呻く父の姿。男としての野生的な部分と父性の愛とがぶつかり合っているようだった。エゴに満たされたこの異界で、理性を取り戻す――その離れ業に、響里は敵ながら感嘆を覚えた。


「やめてよ! 何を今さら、アタシは絶対にアンタを許しなんか――!!」

「儂はどうしようもない男だ……。お前たちが苦しんでいると知っていながら何をすることも出来なかった。組を解散する……そんな勇気もなかったのだ。儂にとっては、組員も大事な家族……。路頭に、迷う真似はどうしても出来なかったのだ……」

「そんな言い訳……!」


 葛藤。

 嗚咽にも似た叫びを上げ、陽ノ下はうずくまってしまう。


「どうすりゃいいってのさ……」

「怖いんだよね、受け入れるのが」

「ッ!?」


 ハッと顔を上げる陽ノ下。彼女を見下ろし、敢えて冷淡に響里は突き離す。


「楽だから。憎んでいる方が、自分を正当化できるから」

「私は怖くなんか――!」

「だったら乗り越えるしかない。陽ノ下さんの感情を、ありったけの力を、あの人にぶつけなきゃ君は変われない」

「綺麗事じゃんか! 響里くん、いい加減に――!」

「お、おい、やめろって!」


 掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ろうとする陽ノ下を、慌てて芝原が制止させる。

 ――と。


「やれやれ。しょうがないねぇ」


 これまで様子を窺っていたのか、傷だらけのダリアが肩をすくめた。


「ダリア……さん?」


 ダリアの表情は実に穏やかだった。

 息の荒い陽ノ下を、ダリアは無言でしばらく見つめていた。やがて、ゆっくりと呼吸した彼女は、響里に向けてこう言った。


「アタシもなれるのかね、その聖傑ってやつに」

「…………え?」


 思わず目を丸くする響里。


「私にも英傑になる資格があるのかってことさ。アンタが見せたサムライの嬢ちゃん、それにウォルター。二人とも英傑としてアンタらに力を貸したんだろ? そうして聖傑の力を得た。違うかい?」

「そ、そうですけど……」


 悪い冗談かとも思えたが、ダリアの眼差しは真剣だった。響里が返答に窮していると、ダリアはポカンと佇む陽ノ下に視線を移して白い歯を見せた。


「アタシもその子の為に一肌脱ごうって言ってんのさ。そうすれば、この子も強くなれて万事解決、そうだろ?」

「待って下さい、そんな勝手な――!」


 非難しようとした響里の叫びが、銀城栄介の咆哮によってかき消された。

 銀城栄介がゆっくりと立ち上がる。憤怒に満ちたその顔。息を吐くだけで、空間が凍り付く。筋肉がさらに膨らんだのか、胸や腕がさらに一回り大きくなった気がする。


「ウガァァァアアアアアアアアア!」


 更なる咆哮が、爆風を呼び込む。

 もう、父としての面影はなかった。かろうじて見せた理性も、跡形もなく消えて銀鬼に戻っている。それどころか自我さえも失って、より凶暴化したように思えた。


「おい不味いぜ、こいつは!」


 反射的に銃を構える芝原。その横で、ダリアは軽く鼻を鳴らした。


「おあつらえ向きじゃないか。これで選択肢はなくなったようなもんだろ」

「ダリアさん、本気ですか? 英傑になって融合するってことは……」

「死ぬんだろ?」


 実にあっけらかんと言って、ダリアは口角を吊り上げた。


「どのみち、この鬼をぶっ倒しても世界は崩壊するんだろ? なら、死は決定事項……。自分が納得する死に方を選ぶ、ただそれだけのことさ」


 意外だった。

 詳細な説明は事態が切迫していたために省いていたが、ダリアは異界のシステムについて察しがついていたようだ。豪快な性格に見えて、怜悧。

 しかし……だ。聖傑になるにしても、とある決定的な部分が陽ノ下と彼女には足らない。響里が即座に指摘する。


「でも、ダリアさんが陽ノ下さんの英傑として融合するには“絆”が必要なんです。なりたいからと言ってなれるもんじゃない。心が通じ合っていないと、聖傑に至ることも……」


 絆を得るには相応の時間が必要だ。響里にしても芝原にしても、英傑への理解があった。だが、二人は初対面もいいところ。性格も人間性も、精神の奥深くに根差す支柱……。二人の間には何もないに等しい。

 しかし。


「絆ならあるさ」


 そう、ダリアは確信めいたように静かに笑う。

 陽ノ下の傍に寄るダリア。そっと手を握る。包み込むように優しく。


「あ、あの……」


 突然のことに困惑している陽ノ下に、ダリアは慈愛に満ちた瞳を向ける。


「いいかい? 親ってのは、子どものためなら全てを捧げてもいいって思っているのさ。生まれてきたことに、ありったけの感謝を抱く。ありがとうってね。特に母親はお腹の中で、その鼓動を感じて来たから尚更ね」


 かつて子を失った過去。どれだけの時間、絶望に苛まれてきたのか。

 乗り越えた訳じゃない。立ち直れたわけじゃない。陽ノ下を自分の子の代わりにしようとしているのでは、決してない。

 ――陽ノ下を、純粋に愛おしく感じている。


「ダリア……さん」


 陽ノ下が、初めてその人の名を呼ぶ。

 それこそが、鍵。


「私がもうひとりの母親になってあげるよ。わたしを使って大切なものを守り抜きな」


 陽ノ下が瞳を閉じる。ゆっくりと深呼吸を挟む。覚悟を決める、そのために。


「さあ、どうする!? 時間はないよ、さっさと決断しな!」


 最終確認。

 答えは分かり切っていようが、関係ない。

 決断を迫る、その行為こそが重要。



 うっすらと瞳を開けた陽ノ下は。

 いつもの快活な笑みで、力強く頷いた。



「私は戦うよ。だから力を貸して、ダリアさん!」


 瞬間、ダリアの全身が眩い光に包まれた。

 そして、炎のように紅蓮の渦を巻いて陽ノ下の身体に流れ込む。その勢いは正にダリアの豪傑さを表したかのように。燃え上がる光が、陽ノ下に力を与える。


 また一人、聖傑が誕生する。






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