第四十三話 銀鬼
ダリアの車で市街地を爆走し、シルバー地区へと突入した響里たち。
さすがに戦闘は専門外なメイロウ婆とは別れ、三人は眼前にそびえ立つ社に突っ込む。異質な冷気。張り詰めた空気が漂う本殿の内部には、二つの人影があった。
その手前、小さな背中の少女を視界にとらえた響里が叫ぶ。
「陽ノ下さん!」
呼ばれた瞬間、全身をビクリと震わせた少女が振り返る。
「響里くん……?」
「無事か、陽ノ下!?」
「し、芝原も……。どう……して……」
呆然と呟く陽ノ下。怯えた様子の彼女は、床にへたり込んではいるが、外傷らしきものは見当たらない。最後に監視カメラで見た時刻からかなり時間が経ってしまったが、とりあえず最悪な事態にはならなかったようだ。
「心配させやがって、こんのバカ! 一人で暴走しやがって!!」
「なぁによ、なんでよ。なんでそんなひどいこと言うのさ……!」
震える声と共に、涙をぽろぽろと流す陽ノ下。クラスメイトの顔に安堵したのか、堪えていたものが爆発したらしい。
「バカって言う方がバカなんだよぉ……」
「お前のやったことがどんだけ危険なのか分かってねぇから、バカだっつーんだよ! ったく、ちょっとは周囲のことも考えやがれ!」
うぅ……と反論の余地もなく、セーラー服の袖で涙を拭う陽ノ下。怒りが収まりそうにない友達想いの芝原を、響里は優しく宥めつつ頬を少し緩める。と、後ろに控えていたダリアが傍に寄って耳打ちする。
「あれが、アンタらが捜していた嬢ちゃんかい」
「はい」
「…………」
何かもの言いたげなダリアだったが、そっと瞳を閉じて薄く息を吐いた。陽ノ下を実の娘と重ねているのかもしれない。
「偶然……と、片づけるには出来過ぎてる運命だね」
「……力、貸してくれますね?」
「ここまで来て、何を今更」
ふん、と鼻を鳴らし、ダリアが前へ躍り出る。
「あれが銀城栄介……か」
両手で拳を突き合わせるダリア。彼女の視線の先を追い、響里も聖傑の力を呼び起こす。身体の強化に伴う、白光が響里を包む。勢い良く太刀を抜く――同時。英傑である源咲夜が音もなく、響里の背後に姿を現す。
『我が主、気をつけられよ。彼の物は既に人を超越している怪物ゆえ』
無言で頷く響里。眼前に捉える銀城栄介は、正しく鬼そのもの。
角を生やし、猛り狂った顔。異常なまでに発達した筋肉は人間の数倍にも及ぶ。童話で語り継がれる鬼という存在を余すことなく再現したと言っていい。
それが、銀城栄介の天権として得た力。己の理想像を具現化した姿なのだろう。
「これは……宮井よりも強敵、だろうね。咲夜さん……頼むよ」
『我が主に尽くすことが私の本懐。ふふ……、燃えてきました』
茶目っ気交じりにそう言って、響里の中に溶け込んでいく咲夜。その戦意が響里の魂と混じり、聖傑としての力をさらに引き出す。その万能感を感じながら、響里は一呼吸。太刀を強く握りしめる。
「きょ、響里くん……?」
突如現れた幽霊のような女性と響里のやり取りに、驚きを隠せない陽ノ下。異界すら初体験の彼女には一から説明してあげたいが、そんな余裕もない。
彼女を庇うように前に立ち、戦闘態勢を取る。
そこへ。
「――驚くよな」
腰を抜かす陽ノ下に同調するような声をかけたのは、芝原だった。
「何もかもワケわっかんねーってな事態に、響里もなんだかスゲーみたいな?」
「芝原……語彙力、低……」
「おま……、こんなときによく突っ込めるな……」
「でも、うん。言いたいこと……分かる。芝原も、なんでそんな落ち着いてんのさ……」
「ま、俺も同じ目に遭ったってこと」
芝原が勝気に微笑むその直後。淡い緑の光が、彼の足元から噴き上がる。何もない空間に出現したシルバーのガバメントを手に取り、響里の隣に並ぶ。
「な、なん――」
陽ノ下の呆然とした呟きが、前方から放たれた爆風の砲弾によってかき消された。
耳をつんざく、銀城栄介の咆哮。精神力を根こそぎ奪いかねないその威力に、響里たちも思わずたじろぐ。
「ほう。真の力を解放した儂を前にして、その気概。誉めてやるわ、小童ども」
口を裂けんばかりに開く銀城栄介。大きな牙を剥き出しながら笑う。
「なるほどのぉ。お前らが、近頃儂のシマで暴れておったネズミか」
「……どうしてそれを」
響里の呻きが漏れる。
望月雄太郎との交戦を把握している。あの研究所のどこかに隠れて見ていたのか。頭の中でもたげた疑問に、銀城栄介は事も無げに答えた。
「儂は神ぞ。この空、この大地は儂の神経のようなもの。どこにいようと、起きる事象は全てこの肉体を通して伝わってくるわ」
「んな……ッ」
「おいおい、天権ってのはそんなことまで可能なのかよ……」
頬を引きつらせる芝原が、響里に訊ねるように呟く。
半信半疑としか言いようのない響里は、「バカな」とだけ弱々しく首を振る。少なくとも宮井の場合、何も知らなかったはずだ。
さらに、銀城栄介は衝撃的な内容を告げる。
「“聖傑”……確か、そんなことを言っておったか。そうか、やはりアヤツの言う通りになったのぉ」
「――!?」
今度こそ呼吸が止まりそうになった。
聖傑の存在が認知されている。しかも、こんなにも早く。
聖傑は、いわば偶発的に生まれた奇跡のようなものだ。絆を結ぶ英傑にしても、天権が生み出した創造物とはいえ、端から規定されていたわけではない。
自らの異界で得体のしれない力を持った者がいる――知りえる情報としては、その程度だろう。
「……今、あなたは言いましたよね?」
天権もまた、自らの願いによって生み出された者だ。
ならば、聖傑のことをそもそも知っている人間から与えられた、と考えるのが妥当だ。
「アヤツっていうのは、提供者……ですか?」
世界を創造する力を提供する――その協力者によって。
「提供者……? ハハハ、アヤツは自らをそう名乗りはしなかったがな。そうじゃ、“聖傑には気を付けろ”と軽く釘を刺されたが、まさかこんな小童どもだったとは」
「誰ですか、そいつは」
「言って何になる? 今から殺されるお主らが」
「止めるんだよ! こんな馬鹿げたことをするのはもうやめろってな!」
冷静に答えようとした響里よりも先に、芝原が怒鳴る。
「こんな紛いモンの為に、大勢の人が苦しんでんだよ! いい年超えてこんなヒデェ遊びに夢中になるオッサンも許せねぇけどな、その提供者って奴も一発ぶん殴ってやんなきゃいけねぇんだよ!」
「グアッハッハ! そうか、儂の全国統一を遊びとのたまうか! こいつは愉快!」
銀城栄介は、額に手をやり豪快に笑う。が、直後。表情を失くした銀城栄介が、その剛腕を勢いよく地面に叩きつけた。衝撃によって床が陥没し、亀裂が響里たちのところにまで伸びる。
「なら止めてみよ。天権として得たこの力で儂は極道界の頂点に立つ。小童共、威勢の良さは褒めてやるが、楽に死ねると思うなよ」
鋭い眼光が、響里たちを射抜く。殺気混じりの低い声音が、空間を揺さぶる。
「それが……天権としてのあなたの願いですか」
自身の胸元を強く握りしめる響里。そして、静かに唸りを上げた直後、黄金に近い白い光が、響里から放たれる。
「なら、その願いごと打ち砕かないと何も終わらない……。本当の意味で何も解決しない……ッ!」
ほくそ笑む銀城栄介が、足元の刀掛けに手を伸ばす。木刀が飾られていたが、それは今の鬼と化した銀城栄介には小さすぎる。だが、指で柄を摘まんで掲げた瞬間、巨大化。形も変え、あまりに無骨な金棒が風を切る。
「来るがいい、小童共!」
最初に飛び出したのはダリアだった。
小細工無用、と真正面から飛び掛かる。快足を飛ばし、地を蹴った彼女は咆哮を上げながら拳をぶつけようとした。
耳をつんざく破裂音が響く。
ダリアの渾身の拳が、いとも簡単に銀城栄介の手のひらで受け止められていた。逃げる場を失った衝撃波が荒れ狂う。
「中々によい拳じゃ、“女帝ダリア”よ」
「光栄だね、神であるアンタに知ってもらえているとは」
「マフィア共の小競り合いなんぞ、儂にとっては蛙の鳴き声のように静かなもの。しかし、お主の組だけは違ったからの。天に挑む資格を得た唯一の女……。儂の耳にもしっかりと届いておった……よ!」
突如、ダリアの身体が後方に吹っ飛ばされる。銀城栄介が何かをしたわけではない。――否。僅かにダリアの拳を受け止めていた彼の左腕が振動し、風を放ったのだ。
「――くぅ!」
ダリアが壁へと吸い込まれる、その寸前。彼女の下を潜り抜けるように響里が床を滑空する。ダリアとのすれ違いざま、彼女の背中に強引に掌底を当てることで少しでも衝撃を和らげるという無茶をしつつ、響里はそのまま銀城栄介に向かう。
「おおおぉぉぉおおおお!」
英傑“咲夜”の魂の力を宿した一閃。
振り上げた刀身に宿る光を目にして、さすがに危険と判断したのか銀城栄介が金棒で応戦。羽虫を叩き潰すごとく力任せに振るう。
響里はその一撃に全力を込めていた。あのミーアレントで宮井を倒したとき以来の、力の解放。銀城栄介の金棒が独自の魔力のようなものが込められていたとしても、真っ二つにする確信があった。
が、その予想を覆したのは、光の剣閃をも勝る圧倒的な質量。聖傑としての凝縮した力は金棒に傷一つ付かず、そのまま叩き伏せられる。
「――ぐふッ!」
ゴムボールのように跳ねた響里が、血飛沫をまき散らす。銀城栄介は、頼りなく宙を舞う響里の首を掴む。
「それが聖傑の恩恵とやらか。儂も少しばかり焦ったが、そもそもの鍛え方が足らんわ!」
「ご……あ……!」
響里が声にならない喘ぎを漏らす。鬼の握力が容赦なく響里の首をへし折ろうと指先が食い込んでいく。
「響里!」
銀城栄介の真横。音もなく接近した芝原がガバメントのトリガーを引く。
「いっけぇぇぇえええ!」
風が圧縮された弾丸は脇腹に命中。膨れ上がった肉体を抉り、爆発が吹き荒れた。
爆風を浴びる最中、命中したというその安堵感に浸ろうとした彼の目に、思いがけないものが飛んできた。響里の背中だ。煙を引き裂いて弾丸のように放たれた響里と衝突。もつれるように二人は地面を転がった。
「がーはっはっは! ぬるい、ぬるいのぉ!」
爆煙の中でこだまするのは、銀城栄介の哄笑。彼の屈強な肉体には弾痕すら付着していなかった。埃を払うかのように手を振るい、無傷を証明した鬼が、声高に叫ぶ。
「どうした、こんなものか! 儂を倒すと息巻いておったのに、この程度とは。幻滅したぞ!」
半ば怒りさえも含みながら、不満げな銀城栄介の声が荒れた本殿に響き渡る。三人の一斉攻撃に、結果として巨鬼は一歩も動いてはいない。天権として有り余る力の一端を使ったのみに過ぎないのだ。
「面白くない。やはり本物の戦を経験していないガキは根性が足らんようじゃな。鉄砲玉のように自らの命を投げ出す気概、昔はそういう輩ばかりじゃったぞ!」
強者の余裕故か、喝すら入れながら傲然と笑みを続ける。絶対的な力に酔いしれるように、金棒を肩に担ぎ周囲に視線を這わせる。
すると。
「――ん?」
壁際にもたれているのは、ヘアバンドの少年のみだった。邪魔だとばかりに放り捨てた太刀の少年の姿は無い。僅かに眉間を寄せた銀城栄介。ただならぬ気配は直後にやってきた。
銀城栄介の正面。まるで雷撃のような光が地面を奔る。神々しささえも纏い、燐光すらも置き去りにして響里が駆けていた。
「そうだな。あなたの言う通りだったよ!」
地面を削りながら低く構えた太刀が、再度、黄金色の光を放つ。但し。その輝きは、直前のものとは段違いの力強さを纏っている。稲妻の鳴き声すら奏でるほどに。
「俺は心のどこかで聖傑は無敵だと思っていた。だが、それは慢心。俺の魂をもっと燃やさなきゃ、この先戦っていけないんだって気付かされたよ!」
勢いよく、跳躍。響里は、自身の内部に混在する彼女に発破をかける。
「いくよ、咲夜さん!」
その覚悟に呼応するように、刀身に雷がほとばしる。
銀城栄介の表情が驚愕に満ちる。
可視化された膨大なエネルギーが実際の太刀よりも長い刃と化した。
「うぁあぁあああああああああああ!」
全力の振り下ろしが、咄嗟にかざした金棒を易々と両断する。
そして、鮮血。銀城栄介の肩口から勢いよく赤い飛沫が噴いた。
「ぬ、ぐぉぉおおおおおお!」
巨躯が大きくよろめいた。
しかし、手応えを感じながら響里の表情は険しさを保っていた。銀城栄介の肉体があまりに厚いために、一撃としては浅い。致命傷とまではいかないために、銀城栄介も倒れなかった。
だが、だからこその二の矢。
銀城栄介の懐に踏み込んだのは、ダリアだった。
「一つ訂正し忘れていたよ」
厳かに語りながら、弓のように拳を引く。
「さっき言ったアタシの二つ名、大事なトコが抜けていたよ」
空気が爆ぜる。火薬が爆発するように彼女の拳に小さな灯が幾つも灯る。
「“炎獅子の女帝ダリア”。アンタが最悪な神様だとして、唯一感謝すべき恩恵だ。――その身に味わいな!」
天権の能力について事前に聞かされたダリアは、それこそ煮えたぎる想いだった。この都市に住む命は全て造形物。自分の人生も、愛したものさえも銀城栄介の用意された玩具でしかない。他人に規定された生き物に価値があるのか――絶望を感じながらもダリアは裂帛の気合を込めてぶつける。
娘を愛している――その想いだけは本物なのだから。
灼熱の拳が、銀城栄介の腹部を捉える。溶炉の中で融解するか鉄のような熱が容赦なくあの鎧のような肉体を抉った。
今度こそ、銀城栄介の全身が仁王像を破壊して壁へと突き刺さる。
本殿が大きく揺れた。そもそもの構造があまりに強くないのだろう。激突の衝撃があまりに強すぎて屋根の一部が崩落する。土台部分もへし折れたのか、足元がずれた感覚が及ぶ。
「ぐぶぉ……!」
ダリアの拳は内腑まで破壊したのだろう。膝をついた銀城栄介が、大量の血を吐き出していた。だが、そこに浮き出るものは苦悶の相ではない。明らかな満足感。赤く滴った唇が大きく開かれる。
「が、は、は……。いいぞ、いいぞ。面白いのぉ……。久しぶりに味わう痛みじゃ。過去に置いてきた痛み……これこそ戦じゃ……」
かすれた声に懐古を混ぜながら、静かに笑う。
(なんだ……?)
これまで以上に全力を使い果たした響里に、強い疲労感が襲っていた。ただ、響里が感じているのは違和感。むしろ、悪寒だ。聖傑の消耗とは別の――淀んだ瘴気が辺りを包んでいる。
脳が警告を発している。
前方の銀城栄介から放たれている不穏な空気が、間近に掴んだ勝利を一瞬で引き離していく。
「獄炎・百鬼蛮行」
そうして紡がれた言葉は呪詛のようにこだまする。銀城栄介が緩やかに、その太い幹のような腕を地面に密着させた。
瘴気の濃度がより増した。銀城栄介の周囲に、青白い灯火が宿る。際限のない増殖。幻のように頼りなく揺れるが、決して消えることなく。そして、炎が歪に形を変える。
それは、手だった。
細長く伸びた指先。尖った爪。醜悪な鬼の手が無数に顕現したのだ。
「言っておくが、抗う間もないぞ。存分に喰らい、そのまま死ぬがよいわ!」
一斉に発射される鬼の手。それこそ、一本それぞれに意思が宿っているかのように、軌道もばらばらに響里とダリアに襲い掛かる。
「――なっ!?」
予測不可能な動きに、ダリアは困惑。やぶれかぶれにはたき落とそうと試みるが、あっけなく空を切る。崩れた体勢の隙を狙い、鬼の手がここぞとばかりにダリアを斬り裂いていく。
「がぁあああああああ!」
焼かれた熱に無残な悲鳴を上げるダリア。その呻きすらも奪うように鬼の手によって口を塞がれ、さらに追撃してきた別の手が身体を掴みにかかる。
「ダリアさん!」
本殿の内壁をぶち破り、外へと吹き飛ぶダリア。轟音が直後に鳴った。爆弾としての性質もあるのか、爆炎の熱風が逆流してくる。
「――くッ!?」
気が逸れたその刹那。響里の四方を鬼の手が囲む。
逃げ場はない。対処しようと太刀を構えるも、既に遅い。
背中の衝撃を皮切りに、小型の爆弾である鬼の手が響里の全身を破壊していく。
「うぁぁああああああああああ!」
為す術なく、爆破されていく響里。痛覚すらも感じる暇もなく、響里の意識が飛びそうになる。
そして。
一つの鬼の手が、響里の胸元に照準を合わせた。心臓を狙い、炎を纏った指先を立てる。
「響里くん!!」
陽ノ下の悲痛な叫びが、かろうじて響里の耳に届く。
ぐしゃりと、何かが生々しい音を立てたのは、その直後だった。




