マーリンとの別離
その日の夕食にフランソワは現れなかった。
ジェラールとウィリアムが居るので、食卓は賑やかだ。
マーリンとお祖父さまは、まだ仕事から戻ってきていない。
タム皇国との関係がどんどん悪化しているという噂もある。政情不安のせいで王宮に釘付けになっているのだろう。
自分の部屋に戻って、青いセーターをそっと撫でる。
以前の私はどんな気持ちだったんだろう?
バルコニーに出て、夜空の満月を見上げながら考えているとノックの音がした。
ドアを開けるとマーリンが立っている。
バルコニーへの扉が開いているのを見て
「風邪を引くぞ」
と私の頬を撫でる。
私はこの人がこんなに好きなのに・・・どうして、胸が苦しいんだろう?
そう思った瞬間に涙が溢れだしていた。
マーリンが心配そうに私を見つめて、背中を撫でる。
「何があった?」
と聞かれて、上手く答えられない。
ひっくひっくとしゃくり上げながら
「・・・良く分からない。でも、覚えていないことが多すぎて・・・。ごめん・・・」
とマーリンを見上げると、彼は困ったように微笑んだ。
私は強い力でマーリンに抱きしめられた。
「スズ。愛してる。でも・・・お前の幸せが俺の幸せだから・・・」
とマーリンは耳元で囁き、私の目の前に透明な液体の入った小瓶をぶら下げた。
「これなに?」
と尋ねると
「惚れ薬の解毒薬だ。欲しいんだろ?」
と悪戯っぽく微笑む。
ああ、この人はどうしてこんなに優しいんだろうか?
私はマーリンに抱きついて号泣した。
「私は・・うう・・セルジュが・・ひく・・マーリンが大好きだよ!・・・謝って済む問題じゃないけど・・・ごめんなさい・・・」
と嗚咽しながら告げると
「知ってる。でも、スズにとってフランソワはやっぱり特別なんだ。それも・・・ちゃんと分かってるから。・・・最初から分かってたから大丈夫だ」
とマーリンが頭を撫でながら、私の顔を覗き込む。
彼の茶色い瞳は優しさに満ち溢れている。私は申し訳なさに益々涙が溢れた。
「スズとフランソワは俺が酷い状態だった時、俺の心を救ってくれた。二人とも俺にとって大切な人たちなんだよ」
私は何も言葉が出て来なかった。
「・・・それに、ミリーが俺と一緒に居てくれる。だから、大丈夫。俺は一人じゃないよ」
と言うと、タム皇国から付いて来てくれたネズミさんがマーリンの胸ポケットから顔を出した。
ミリーさんという名前だったのね。
私はもう彼女の言葉は分からないけど「マーリンのことは私に任せて!」というようにちっちゃな指でサムズアップをしてくれる。
私は泣き笑いしながら、両手で小瓶を受け取った。
マーリンは私の額に口付けると「おやすみ」と微笑みながら、部屋から出て行った。
私は小瓶を握り締めると、覚悟を決めて一気に飲み干した。
*マーリン視点です。
スズが解毒薬を受け取ってくれて、ホッとした。
惚れ薬が欲しいと言い出した時はどうしようかと思った。
どうせ惚れ薬なんて飲んでも、結局フランソワに戻って行くんだろう、とは思っていて、解毒薬も事前に準備済みだった。
子供の頃からスズを見ているが驚くほど頑固で、諦めが悪い。
どんなにスズに惚れても、彼女の眼中には全く入らない。それはもう分かっていた。
それだけ一途な想いを持ち続けるスズに対して、フランソワの態度は酷いものだった。
あいつのせいでどれだけスズが泣いたか知れない。
許せないのはフランソワもスズを憎からず思っているのは明らかなのに、それを絶対スズに伝えないことだ。
可哀想に、スズはずっと自分は振られたままだと信じていた。
そこにスズの一途な気持ちに胡坐をかく男の傲慢さも垣間見えて余計に腹が立っていた。
惚れ薬もあいつには自業自得だと思ってしまった部分が正直ある。
いずれスズには解毒薬を渡すつもりだったし、フランソワがスズに気持ちを伝える起爆剤になればいいと思っていたが、想像以上に上手くいったようで安心した。
当然だが、惚れ薬は対象となる相手がいないと効果がない。一時的でも他の誰かに惚れられるよりは、俺に惚れて貰った方が良いと判断した。
正直言うと、こういうことでもなければ、スズへの気持ちは一生隠し通すつもりだった。
彼女が友情以上の愛情を俺に持っていないことは明らかだったし、近くで彼女が幸せになるのを見守って行こうと決めていたんだ。
でも・・・まあ、気持ちをはっきり伝えられて、ある意味すっきりはしたかもな。
二人には幸せになって欲しいから・・・と夜空を見上げると満月が出ていた。
満月の周囲に幾重にも光の輪が出来ていて、驚くほど空が明るい。
「・・・大丈夫?」
小さな声が聞こえた。ネズミのミリーだ。
ミリーは、俺が記憶を失って監禁されていた時から一緒に居てくれた。
自分が誰なのか、どこにいるのか分からず不安で堪らなかった時、ネズミのミリーが話しかけてくれて、どれだけ救われたか分からない。
「絶対にあの悪者二人組のことは信用しちゃダメよ!あと、あなたが動物の言葉が分かるってことも人に知られない方が良いわ」
初めて会った時のミリーの言葉を思い出す。
実はその後もミリーはずっと俺について来てくれたんだ。彼女は隠れるのがとても上手だから。
公爵邸にも、魔法学院にも、タム皇国に誘拐された時も、ずっとミリーがいてくれた。
「あなたが心配で放っておけないのよ」
という彼女にどれだけ感謝してもしきれない。
スズへの気持ちも彼女が一番分かってくれている。
自分の気持ちを一番率直に吐き出せたのはミリーに対してだったから。
彼女はいつも優しく俺の言葉を受け止めてくれた。
今も、彼女の言葉には思いやりが溢れている。
「大丈夫だよ」
と俺がニッコリ微笑むと
「私ね、今日ほどあなたが誇らしいと思ったことはないわ。誰もが自分が傷つかないようにするものでしょ。あなたはスズの幸せのために敢えて自分が傷つく道を選んだのよね。とても勇敢だと思う」
とミリーが言った。
その言葉に思わず涙が溢れそうになった。もう100歳をとっくに超えてるのに、情けないな。
ミリーは月を見上げて
「月がとても綺麗ね」
と言う。
「そうだな。綺麗だな」
と俺は指でミリーの頭を撫でながら呟いた。




