秋の気配と二人の距離
琴美の引越し騒動から三週間ほどが経ち、俺も隣の家に琴美が居るという環境に慣れ始めていた十月の中旬。
あの一件以来、俺と琴美の距離感は少し変わった気がしていた。
「おはよう涼君、あれ? 明日香ちゃんは?」
「明日香は今日は日直らしくてさ、少し早めに出て行ったよ」
「そうだったんだ、それじゃあ行こっか」
そう言って颯爽と学園への道を歩き始める琴美。
あの引越し騒動以来、俺達はほぼ毎日の様に一緒に学園へ通っている。少し前までは絶対に考えられない状況だ。そして俺はこの状況を嬉しく思いながらも、未だに緊張から会話が続かない事をもどかしく思っていた。
でも琴美はそんな状況になっても、自分から話を振ってきてくれる。おそらく俺に気を遣ってくれているんだろうけど、好きな女の子にフォローをされているかと思うと、男としてはちょっと情けなくなる。
「今日もいい天気だよね」
「そうだな、暑さももうほとんど感じないし、ちょうどいい感じだよな」
周りを見ると少し前まで青々とした葉を付けていた木々が、薄い紅色をつけ始めたりしている。
「本当だよね、私は今くらいの時期が一番好きだなあ、外で本を読むにもちょうどいいし。涼君はどう?」
「そうだなあ、俺もこれくらいの時期が一番好きかな。暑くもないし、寒くもないし、食べ物も美味しいし」
「ふふっ、涼君らしいね」
そう言って琴美は優しげに微笑んだ。
引越しを済ませて以降、琴美はかなり俺に話し掛けて来る様になっていた。以前は学園内で話す事もほとんど無かったけど、今では休み時間の度に俺のところへやって来ては話をしているくらいだ。そこまでの変化が起こった切っ掛けに、あの公園での出来事が関係している事は間違いないだろう。
しかしあの日の話はお互いに一度も口にはしていない。それでも今の琴美の様子を見ていると、もしかしたら琴美も俺の事を――なんて事を考えてしまったりもする。でもそれは高確率で俺の早とちりの勘違いだろう。だけど琴美が実際に俺の事をどう思っていようと、あの時の俺が言った言葉に偽りはない。俺はあの時に言った言葉通りに、琴美を大切にするだけだ。今はそれでいいと思う。
そういえばあの一件のあとで琴美から聞いた話だけど、琴美がこの街に残る条件ってやつは、俺達の家の隣に住む――というもの以外にもう一つ出されていたらしい。そして俺はその条件を何度も琴美に聞いてみたんだけど、それだけはついに教えてもらえなかった。だから次に琴音さんと会う機会があれば、俺はその時にこっそりとその内容を聞いてみようと思っている。
「ねえ涼君、突然なんだけど、今度のお休みに一緒に山へ紅葉でも見に行かない?」
「えっ!? 琴美と一緒にか?」
「うん。それで良かったら、明日香ちゃんも一緒に連れて行こうよ」
満面の笑みを浮かべながらそう言う琴美。
そしてその言葉を聞いた俺は、二人っきりじゃないんだ――と思って少しだけガッカリしてしまった。
「そうだな、明日香も喜ぶだろうし、みんなで行こうか」
「うん! 約束だからね?」
琴美は嬉しそうにしながら更に足取りを軽やかにして通学路を進んで行く。
二人っきりってシチュエーションじゃなかったのは残念だけど、これはこれで楽しみだ。
× × × ×
琴美と山へ紅葉を見に行く約束をした数日後の休日、俺達は地元の駅から電車に乗って三十分ほどの場所にある駅へと着いた。俺達はここから約十五分ほど歩き、目的の山の麓へ向かう事になる。
「楽しみだね、由梨ちゃん」
「うん!」
「由梨、楽しみなのは分かるけど、はしゃぎ過ぎて他の人に迷惑をかけない様にするんだぞ?」
「分かってます、兄さんは心配性ですね」
拓海さんの言葉を聞き、明日香と一緒に手を繋いで山の麓へ向けて走って行く由梨ちゃん、いつもながら仲の良い二人だ。
そんな由梨ちゃんと明日香を見ながら、拓海さんは優しげな表情を浮かべている。そして琴美はと言うと、先に走って行った二人を見ながらにこやかな笑顔を浮かべ、それに続く様に歩き始めた。
今回の紅葉見学は、当初俺と明日香と琴美の三人で行く予定だった。しかし明日香が『由梨ちゃんも誘いたい』と言ったので、俺が拓海さんに連絡をして誘ったところ、ちょうど良く拓海さんもその日は予定が空いていたらしく、こうして一緒に来る事になったわけだ。
「あっ、そうだ涼太君、今更だとは思うけど、本当に良かったのかい?」
「何がですか?」
ちょっと申し訳なさそうにしながらそう聞いてくる拓海さんだが、俺はその言葉の意図が分からずにそのまま首を傾げた。
「本当は彼女と二人っきりのデートだったのに、僕達が邪魔しちゃったんじゃないか――って事さ」
「ななな何を言ってるんですか!?」
「どうかしたの? 涼君」
明日香達の後ろを歩いていた琴美が、俺の声に驚いた表情でこちらを振り返った。
「な、なんでもないよ!」
俺は琴美がこちらへ戻って来ない様にと、琴美の方へ右手の平を突き出してその動きを止め、なんでもない事を伝えた。するとそれを見た琴美は小首を傾げたあと、再び明日香達が居る方へ振り返って歩き始めた。
そしてそれを見た俺はほっとし、再び拓海さんと一緒にゆっくりと山の方へ向かって歩き始めた。
「もう、勘弁して下さいよ拓海さん。琴美とはそんな関係じゃないんですから」
「そうなのかい? 僕はてっきり二人は恋人同士なんだと思ってたんだけど……本当に違うのかい?」
疑わしいと言った感じでそう聞いてくる拓海さんだが、どうして俺達を見てそんな風に思ったんだろうか。
「違いますよ、琴美とは幼馴染ってだけですから」
「そっか、でも涼太君は姫野さんの事が好きなんだろ?」
「えっ!? それはその……誰かに聞いたんですか?」
「いいや、誰にも聞いてないよ」
――誰にも聞いてなくてどうしてそんな事が分かるんだ? もしかして拓海さんには超能力的なものでもあるのか? サクラみたいな存在も居るんだし、あり得ないとは言えないよな……。
「涼太君、『どうして好きな事がバレたんだろう?』って思ってない?」
「やっぱり拓海さんはエスパー!?」
「はははっ、まさか、僕にそんな超能力的なものは無いよ」
「そ、それじゃあどうして俺が琴美を好きな事が分かったんですか?」
「そういうのはね、涼太君を見てたら誰にでも分かるよ」
拓海さんはそう言って微笑むと、突然歩く速度を速めて琴美の方へ向かって行った。そして琴美とのすれ違い様に足を止めて何かを話すと、そのあとすぐに明日香達の方へ早足で向かって行った。
「涼君、篠原さんと何を話してたの? なんだか楽しそうにしてたけど」
「えっ!? あ、いや……別に大した事じゃないよ」
拓海さんと入れ替わる様に俺のもとへやって来た琴美だが、どうも俺と拓海さんのしていた話の内容が気になるみたいで、俺の顔を覗き込む様にしてそう聞いてきた。そして俺はそんな琴美の視線に目を合わせると全てを見透かされそうな気がして、思わず視線を逸らしてしまった。
「あっ! 目を逸らした! 私に言えない様な事でも話してたの?」
「本当に何もないって」
「涼君って昔っから嘘をつくのが下手だよね」
「な、何で嘘だって思うんだよ?」
「それはね、涼君は嘘をつく時によくやる癖があるからでーす♪」
そんな癖があるとは初耳だ、これは後学の為にも是非知っておくべきだろう。
「何だよその癖って?」
「教えてあげませーん♪ それは私だけの秘密なのでーす♪」
可愛らしくそんな事を言いながら、琴美は足取りも軽くスキップでもするかの様に前へ進んで行く。
「な、なあっ! そんな事を言わずに教えてくれよ!」
「ダメでーす♪ 涼君には教えてあげませーん♪」
琴美を追い駆けながらそう言うと、琴美は楽しげにそう言いながら俺から逃げ始めた。そして逃げる琴美を追う俺は、先を歩いていた拓海さんを追い越し、更に先を行っていた明日香と由梨ちゃんを追い越した。
こうして俺と琴美の鬼ごっこは山の麓に着くまで続き、俺は山へ登る前にかなりの体力を削る事になった。




