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31: 鴉の墓参り

鴉渡視点の話です。









――香波濠は今頃どうしているだろうか。

 俺は、ふいにそう思った。

 が、今は、もっと違う事を考えるべきなのではないかと頭を振り、延々と続く石の階段を登って行く。

 しかし、暑い。

――今年の暑さで香波濠は、体調を崩していたりしないだろうか。

 確か、香波濠は夏休みは寮で過ごすと言っていた。大丈夫だろうか。もし、香波濠が寮の廊下で倒れたりしても、夏休み中は残っている生徒も少ない。すぐに気付かれずに、そのままなんて事には……


「ま、待ってよ! 神徒ってば!!」


 後ろからの甲高い怒鳴り声に、俺の思考は中断された。

 延々と続く階段を登っていたら、いつの間にか、日花を随分後ろに置いていてしまったらしい。


「……辛いなら、無理はするな」


 小さいとは言っても、目的地は山の天辺だ。この長い石階段は、小柄であまり運動をしない日花には酷だろう。長の別荘に戻って休んだ方がいいのではないだろうか。熱中症も心配だ。


「神徒が行くなら、あたしも行くのっ」


 ぜぇぜぇと荒い息と共に、日花が駆け上がって俺の隣に到着した。

 日傘を差した日花が苦しそうに、膝に手を着いている。何か仰ぐ物はないかと思ったが、生憎、俺の両手にあるのは水と柄杓の入った手桶に、菊など墓前に供える花束だけだ。


「はぁ、はぁ、なんで神徒はそんなに涼しい顔してるのよ」


 じとり、と日傘の影から上目使いに睨まれる。俺だって、一応汗は掻いているが、普段からサッカー部で鍛えているからか、ちょっとキツイ程度だ。


「本州に比べれば、この島はまだ涼しい」


「そりゃ、そーだけどっ」


 納得いかないとばかりに日花がぼやく。

 俺が再び、階段を登り始めると、背後から非難の悲鳴が上がった。それに一度だけ振り返って「無理するな」と再度言ったが、足音がついて来る。

 このやり取りも、もう今年で何回目だろうか。

 夏の度、こうして俺はこの石階段を登る。

 いつも俺は一人でこの石階段を登り始める。が、気づけば後ろから日花がついて来ている。

 今よりもっと幼かった日花に、危ないからついて来るなと言っても、ずっと俺の後を登って来た。

 そうしていつの間にか、夏の恒例行事となってしまった。

 カツン、カツン、と終わりの数段を登り終えると、頬を生ぬるい風が撫でた。

 階段が終わると、広い広場がある。ここも石畳で出来ていて、ちょっとした公園の様だ。

 一年ぶりに訪れるここを見渡す。周りに植えられた木々も綺麗にされており、雑草など見当たらない。ちゃんと管理されている様子だ。

 広場を真っ直ぐ通り抜け、更に一段高い見晴台の様なスペースへ上がる。

 ここからは、この島の全てが見渡せた。

 鴉一族の長が所有する離島。夏の避暑地として利用されるこの島の全貌が一望出来る。


「相変わらず、いい眺めよね」


 俺は結構な時間、眺めていたらしい。気づけば、まだ息の荒い日花が俺の隣に追いついていた。随分、慌てて来たらしい。高い位置で編み込んであった髪が乱れていた。

 その事を指摘すると、日花が唇を尖らせた。


「じゃあ、神徒が直してよ!」


「無理だ」

 

 俺に編み込みなどという技能はない。


「ポニーテールとかでいいいから! ほら、早くっ!」


 日花が編み込んであった髪を解き、持っていた籠バックからヘアゴムを渡してくる。仕方なく、俺はそれを受け取った。

 編み込んだいたせいでややうねっている髪を纏める。

 そういえば、と思い出す。日花が幼稚園に行っていた頃も、こんな無茶を言われたものだ。一つ年上の俺が先に小学校に入学したのが気に入らないとよくごねて泣いていた。

 ぱらり、と日に照らされた艶やかな髪が零れ落ちる。

 鴉の濡れ羽色とはこの事だ、と一族内で湛えられているこの黒髪は日花の自慢だ。毎日手入れは欠かさないのだと、以前言っていた。

――香波濠の髪も、こんな触り心地なのだろうか。

 いや、きっと違う。

 日花の髪はしっかりとした太い髪だけれども、香波濠の髪はふわりとした柔らかそうな髪に見えた。

 黒い絹、という言葉がふいに浮ぶ。

 香波濠の髪を例えるのに、しっくり来るいい言葉だ。

 頼んだら、あの黒髪に触らせてはくれないだろうか。……駄目だ。同じ男に髪を触らせてくれなどと、承諾するとは思えない。むしろ、香波濠を怯えさせる気がした。

 そこまで思って、ハッとする。

 俺はまた、香波濠の事を考えていた。

 今日は友人を思うより、もっと偲ばなければならない人がいるのに。

 その為に、俺は今年もここに来たというのに。


「あ、うちの別荘達があんな小さく見える」


 日花が俺達の泊まっている別荘ばかりがある集落を指さした。

 この島にある建物は大まかに三つ。一つは、鴉一族それぞれの家に用意された別荘達。二つは、鴉一族に仕える人間達の暮らす家。三つ目は一族の為の施設だ。


「ん~案外、建物少ないのよねぇ」


「代々の長達が、この島の自然を気に入っていたらしいな」


「まぁ、そうよね。ここは海も綺麗だし、植物もイキイキしてる……それに何より、翼を持たない下等な生き物が少ないのがいいわね」


 日花がくすくすと嬉しそうに笑う。

 鴉の一族が、この離島に集うのは、そういった理由が多い。少数の仕え人と同族の人間だけ。その空間が何よりも、鴉の者達には心地いいのだ。


「終わった。行くぞ」


 ポニーテールの根本をしっかりとヘアゴムで括り終え、俺は再び広場に戻り、その片隅にポツンとある小さな石柱の前へ辿り着く。

 石柱には、何も刻まれていない。ただの細長く四角い石柱だ。

 今年も俺はそれに持ってきた花束を供える。供える、といっても花瓶も何もないので、そのまま石畳みの上に置くだけだが。

 水桶から柄杓で石柱に水を掛け、両手を合せる。


「神徒のお兄さん、今年も来てあげたわよ」


 石柱に話し掛けながら、日花も柄杓で水を掛ける。


「鴉を裏切った者に、長の娘であるあたしが墓参りに来てあげるなんて、光栄な事なんだからね」


 ふふん、と笑いながらも日花は両手を合せた。

 そう、本来ならば、長の娘たる日花がここに来るなど、これまでの鴉の歴史ではあり得ない事だった。


「神徒のお兄さんだから、特別なんだからね」


「…ああ」


 しばらく俺達は無言で両手を合せていた。

 俺が三歳の頃、兄は死んだ。

 過ごした時間はわずか。覚えている記憶など微かだ。それでも俺はこの歳の離れた優しい兄が好きだった。誰かれ隔てなく優しく接する兄を誇らしく思っていた。

 しかし、兄は一族を裏切った。

 兄は鴉にとって犯してはならない掟を破ってしまったのだ。

 だから、この島にある一族の墓地には名も刻まれず、人が滅多に訪れないここに墓がある。骨を葬った時以外、両親さえ訪れていない。一族内でもその存在はなかった事とされている。この島に名もなく葬る事が、鴉の一族の裏切り者への慈愛と言えた。

 だから俺は、昔からこっそりと墓参りをしているのだが、気づけば日花がついて来ている。時には、日花に止めろと言われたが、頷かなかった。やがて日花も諦めて、ついて来るというのがここ数年のパターンだ。


「また、来年も来る」


 俺は合わせていた両手を離し、水桶を持って墓石から背を向けた。

 いつの間にか、辺りは茜色に染まっていた。


「神徒! 早く帰るわよ」


 日花はそそくさと階段を降り始める。毎年の事ながら、行きより帰りの方が歩調が速い。日花からしてみれば、こんな鴉の裏切り者達の眠る場所など、一刻も早く立ち去りたい忌々しい場所でしかないのだろう。

 何故、兄は鴉の掟を破ったのか。

 当時三歳だった俺は、何も知らされていなかった。あの夏、突然に兄が死んだとだけ伝えられた。両親や長に聞いても詳しい事情は教えて貰えなかった。ただ、皆言うのは『お前は兄の様にはなってはいけない』と、それだけだ。

 一族を裏切るなど、俺は考えた事さえない。

 だからこそ、あの優しかった兄が、一族を裏切った事が理解出来ない。

――俺が毎年兄の墓に参るのは、その釈然としない、咀嚼出来ない思いがあるからかもしれない。


「神徒!! 置いて行っちゃうわよっ」


 焦れた様に叫ぶ日花を追って、階段を下り始める。数段下りた所で日花がくるり、とこちらを見上げた。


「……神徒は、私達を裏切ったりしないわよね?」


 日花にしては珍しい、伺うような口調。つぶらな黒い目が、俺をじっと見据えている。


「……ああ」


 このやりとりも毎年の事。

 墓参りの帰り道、日花は必ずこの問いを俺にする。

 確認するように、戒めるように、懇願するように……俺に、念を押す。俺としては、一度たりとも一族を裏切るなど考えた事さえないので、心外な問いだが日花が安心するならと毎年頷いている。

 しかし、一つだけ例年と違う事がある。

この問いが投げかけられるのは、階段を下り終える直前だった筈だ。

 こんなに階段を下りてすぐではなかった。


「絶対に、絶対、裏切ったりしない?」


 日花の俺への確認も、こんなに執拗ではなかった。


「日花、どうしたんだ? 何かあったのか?」


 なんだか様子もおかしい。日花のそばにまで下りていって顔を覗き込む。が、日花は首を振るだけだった。


「……何もないよ。ただ、ちょっと、この頃、神徒が」


「俺?」


「そうだよ! 何かあったの神徒の方でしょ! せっかく別荘に来てるのに、あたしといるのに、なんだかボーッとしちゃって! 話し掛けても上の空だし、妙に元気ないしっ」


 指摘されたのは、身に覚えのある事ばかりだ。

 普段、あまり感情が表に出ない俺は、上手く誤魔化せているつもりだったが、長い間一緒に過ごしていた日花にはお見通しだったらしい。


「何かあったとしたら神徒の方だよ!? ホント夏休み始まってから、なんか変!!」


 夏休み始まってから、という言葉に言葉に詰まった。

 実際、夏休みが始まりこの離島に訪れてから、俺はいくつかの現象に悩まされていた。なんだか力が出ない。食事もおいしく感じない。日花に指摘された様に、どことなくボーッとする。

 それらの中でも、俺を一番困らせている現象は、俺自身の思考だった。

――なぜだか、無性に香波濠に会いたくなる。

 この思考が発現したのは、離島に着いてから三日目。夏休み開始と同時に学園からここに来たので、香波濠と別れてから三日目だ。

 ふと気づくと、香波濠の事を考えているのだ。

 顔が見たい。声を聞きたい。会話がしたい。なぜ、俺は香波濠のケイタイ番号やメールアドレスを聞かなかったのか。もしくは俺の番号を渡さなかったのか。

 香波濠は今何をしているだろうか。また倒れていたりしないだろうか。本州は暑いだろうに、香波濠の手はやっぱり冷たいままだろうか。本当にそんなので大丈夫だろうか。

 それと、以前香波濠に聞かれた質問が気持ちを陰らせる。

 『好きな人はいるか?』とはどういう意味だったんだろうか。真剣な表情だった。なぜ、俺と鶴織にそれを聞いたのだろうか。そして、香波濠には好きな人がいないと言っていたが、それは本当だろうか。

 気づけば、何度も何度も何度も何度も、香波濠と過ごした時間を反芻してしまう。

 眠れば夢で、香波濠に会う。

 夢の中では、夏休みなんかじゃなくて、普通の授業のある日の昼休みだった。二人で他愛のない話をして、一緒に食堂で食事をする。二度しか見た事のない、柔らかな微笑で香波濠が俺を見上げてくる。それに応えながら俺は食事をする。現実では何を食べてもおいしく感じないのに、夢の中で食べた料理はとてつもなくおいしかった。

 目が覚め、あれが夢と分かると途端、気分が落ち込んだ。

――香波濠に会えない夏休みなど、無くなればいい。

生まれて初めて、こんな事さえ思ってしまう程、香波濠に会いたくて堪らない。


「神徒!! 聞いているのっ」


「……済まない」


 香波濠の事ばかり考えてしまう、など言える筈もなかった。

 たとえ同性の友人であろうと、日花は俺の中で日花以上の存在を作るのを嫌っていた。中等部の頃、俺に告白してきた女子マネージャーは危うく焼かれる所だったし、俺に親友と呼べる存在が出来そうになると不機嫌だった。

 日花といるのに、頭の中では 香波濠の事ばかり考えてしまう、など言ってしまえば、即座に日花は香波濠を殺そうとするだろう。

 日花に無駄に人を殺して欲しくはない。

 そして、香波濠が殺されてしまったら、二度と会えない。それだけは回避しなくてはならなかった。

 

「なんだか、顔色も悪いみたい!! すぐ医者を手配させるわっ」


 日花は慌てて持っていた籠バックからケイタイを取り出し、離島の仕え人の医者へと連絡を入れて何やら指示を出している。


「神徒、ほらこっち入るといいよ」


 電話を終えた日花が日傘を差し出してくる。さっきの激昂した様子は鳴りを潜めて、ただただ俺を心配しているらしい。

 俺は日傘を受け取って、日花と相合傘をしながら別荘へと戻った。

別荘に戻ると医者が俺を待ち構えていた。

 医者は俺にいくつか質問し、それに答えると夏バテだと言い、いくつかビタミン剤などを処方してくれた。

――夏バテとは、こんなに苦しいものなのか。

 今までなった事がなかったら解らなかったが、気力に食欲に思考までも左右されてしまうなど、まだまだ俺も軟弱らしい。

二週間分の錠剤を見ながら、ため息が零れた。

 これを全部飲んでも、まだ、香波濠には会えない。

 あと数日すればサッカー部の合宿で北海道に向かわなければならない。それが終わったらまた、この離島での夏休みが待っている。

 夏なんて、早く終わればいい。

 俺はまた香波濠を思って、重いため息を吐いた。

 




いやぁ、夏バテって怖いですね(棒)


多分、鴉渡が攻略キャラの中で一番

己の機微に疎いというか…

三日目から夏バテwとか

お前はどこぞの乙女か!といった感じです。






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