4.教会(2)
「それでは、目を閉じて……、心をおちつけて……、手の中の石に意識を向けて……」
神父様の言葉に従い目を閉じて。ゆっくりと呼吸を整えて、両手の中にある精霊石に意識を向ける。
……そうして、しばらくの間、手のひらに意識を向けて。何度か呼吸を繰り返すうちに、手のひらの中の精霊石から、静かな意思の鼓動を感じとる。
やがて、その精霊石からぼんやりとした光のようなものを感じ取って。その光が、舞い踊るように動き始めるのを感じ取る。遠くから聞こえるプリィの「はわわ」という声に少しだけクスリとして、再び精霊石へと意識を向ける。
「そうです……、そのまま、精霊に意識を向けて……、光、鼓動、声と、精霊の意思に近づくのです……」
神父様の言葉にそっと耳を傾けながら、さらに地精石へと意識を向ける。精霊石から手のひらからへと伝わる、ほんのりとした熱。やがて雑音が、気配が、五感が、いろんなものが消え去って、私と精霊だけになる。
何かが聞こえたような気がして耳をすます。
規則正しい健やかな寝息のような「声」が聞こえる。
光が飛び去っては集まり、私の周りで踊る。
楽しいような、眠いような、そんな不思議な感覚が伝わってくる。
……なんとなく、まどろみの夢の中で遊んでいるようねと、そんなことを思う。
「――神の信徒フェディリーノ・アドルナートがミラナに答えし精霊に問う。契約に際し汝の名を明らかにされたし」
私と精霊の二人だけの世界に、神父様の声がそっと届く。どこか遠くから聞こえる声。でも、精霊は「スヤァ、スヤァ」と、まどろむような感情のままに寝息のような声をあげるだけで……
「スヤァですね。わかりました、これから貴方のことをそう呼びます、地精スヤァ」
……そんな神父様の声に、思わず吹き出しそうになる。それ、名前じゃなくて寝息! そう叫びたくなったところで、精霊が急速に遠ざかるのを感じて、あわてて心を落ち着かせる。
「ミラナ、心を乱してはいけません」
続いて聞こえてきたあんまりな言葉に文句を言いたくなりながらも心をおちつけて。心を乱したからだろう、遠ざかってしまった精霊の気配を必死に手繰りよせる。そうして、もう一度精霊の気配を色濃く感じ取れるようになったところで、再び神父様の声が聞こえる。
「ミラナ、地精スヤァ、互いが一対の存在として受け入れ、ここに契約を結ぶ。よろしいですか」
(はい)
神父様の声に、精霊に向かって話しかけるように賛意を示す。
(スヤァ。……ウム……むにゃあ)
精霊からは、あいかわらず寝息のような声。でも同時に、確かに意思を伝えるための「何か」がつながったと、そんなことを感じる。
「ミラナ、地精スヤァ、互いの意思を確認し、ここにフェディリーノ・アドルナートが互いの意思を確認し、ここに契約を結ぶ。……無事、契約は結ばれました。ミスミラナ、お疲れさまデシタ。目を開けてダイジョブです」
そう締めるように言う神父様。そっと目を開けると、さっきまでの不思議な気配は消え去って、いつもの感覚が戻ってくる。
手に持っていた精霊石のネックレスを首にかけて、目を閉じる。ふと、ほんの少しだけ精霊――スヤァ――のことを考える。それだけで、自分の周りを踊るように飛び回る彼の気配を感じとれるようになったことを確認して、改めて彼と契約したと実感する。
――本当にこんなので良かったのだろうかと、そんな疑問も持ちながら。
◇
「お疲れさま。転換炉の地精とは思えないくらいに穏やかな精霊だね」
ねぎらうようなエフィムの言葉。さっきまでの、まるで異世界にいるかのような感覚が残っているからか、その言葉に頷きそうになったところで何かが引っかかる。少し考えて、彼に返事をする。
「……あれは『穏やか』とは言わないと思うわ」
あれはどう考えても「寝ぼけていた」と言うべきよねと思いながら、エフィムに言い返して。ふと、彼にはあの会話は聞こえていなかったかも知れないと思い至る。
「そうだったんですか?」
「マア、確かに『穏やか』というよりは『まどろんでた』という感じデシタ」
私の予想を裏付けるように、神父様に質問をするエフィム。その質問にあっさり頷く神父様に、私も頷く。でも、神父様の言葉には続きがあって……
「デモ、ちゃんとケイヤクできたのです。スヤァ殿にもハッキリと意識ガアッタ、間違いナイデスヨ」
そんな神父様の言葉に、再び目を閉じて、精霊へと意識を向ける。
(スヤァ……、スヤァ……)
元気に私の周りを飛び回りながら、寝息のような音をたてるスヤァ。その様子に、オットトがどこか笑いをこらえているのを感じる。
(そうね、確かにこれだけ元気に飛び回っていて「寝息」はないわね)
わざと、スヤァにも伝わるように、心の中でつぶやく。それでも変わらずスヤァスヤァと寝息のような何かを伝えてくるスヤァ。その様子に、そっと肩をすくめる。
……火山地精、この前「力尽きて眠りにつくまで利用される」なんて聞いたけど、単に放っておくといつまでも寝ている性格なだけかも知れないわねとか、そんなことをふと思いながら。
◇
「で、契約してドウですか? 何か変わりましたか?」
「……そうね。今までよりも精霊に話しやすくなったように感じるわ」
神父様の質問に少しだけ考えてから、返事をする。
「ソウデスネ。個人差はアリマスが、精霊との距離が近くなる人は多いみたいですね。――あと、契約をするとキョリをコエマス」
神父様の言葉に首を傾げる。えっと、「距離を超える」、つまり契約した精霊とは、どれだけ離れていても対話ができるとか、そんな意味かしら。
「例えばそうだね、ミラナの精霊石を僕が持ったとする。そのまま僕がどこかに行っても、ミラナはスヤァと話ができるし、どの辺りにいるのかもわかる。……まあ、場所については感覚だからね。だいたいの方向と距離がわかっても『この場所にいる』とまでは、なかなか言えないと思うけど」
彼の話を聞いて、この前の通信機のことを思い出す。あれと同じようなことがスヤァにもできると、そんな感じかしら。
「それでも、距離を超えて話すことはできるのは便利だよ。だから、夫婦で互いの精霊石を交換したり、国王が特定の精霊と契約をしたりと、その土地土地でいろんな風習があって、いろんな使われ方をしていたりするんだけど。……グロウ・ゴラッドも昔は『冬の王国』の一部だったんだし、そういう話は残ってないの?」
「残念だけど。……でもそうね、マムあたりなら知ってたかもしれないわね」
エフィムの話に返事をしながら思う。マムは昔のことも良く知っているし、デュチリ・ダチャの中にちょっとした書庫ができるくらいには本を集めるのが好きな人だけど。でも、そのほとんどが交易屋から手に入れた本だと、そんな話を聞いた気がする。……確か、組織間の抗争と冬の寒さでほとんどの本は失われたとか、そんな話だったと思う。
そうやって考えると、もしかしてエフィムの方が辺境の歴史に詳しいのかしら、それはちょっと悔しいわねと、そんなところを思ったところで。神父様が、それまでの話の流れをぶった切るように話しかけてくる。
「ソウソウ。ミスタエイフィムとミスミラナ、精霊石の交換はしないのですか? 便利、オモイマスヨ」
少しからかい混じりの神父様に、ああ、きっとこれはそういう意味ねと思いながら。ほんの少しだけ本気も混じっているような気がするその言葉にエフィムが妙に慌てるのを、ちょっとだけ他人事のように感じながら眺めてた。
◇
「……そもそも、夫婦でもないのに、交換?」
「夫婦というか、エット、ソンナカンケイ、聞きました。……違いますか?」
精霊石の交換を否定するエフィムに、あっさり返す神父様。その言葉に、今度は意外そうな顔をするエフィムに「あっ!」という声を上げるプリィ。「そういえばこの前、大部屋で……」と言いかけたところで、今度はリジィが慌てだす。
……そのリジィの、気まずいような、「ある言葉」を避けるようなうろたえ方に、なんとなく、彼が「どんな言葉を伏せているか」を察する。
そのまま、ちらりと神父様を見る。そうね、こっちは別に思うところは無いみたい。後でプリィに話を聞こうと、そう思いつつ、少し言葉を選んで、神父様に返事をする。
「どうなのかしらね? ただ、彼には成功してもらわないと困るのは事実だし……。第一、私には夫婦というのが何なのか、よくわからないのよ」
私の言葉に、少しだけ首を傾げる神父様。ああ、神父様のこの反応はきっと、似たような考え方をする人を知っていそうねと、そう思いつつも説明する。
――別に、エフィムに限った話でもない。今まで私が関係してきた人たちの中に、結ばれたい、夫婦になりたいと思った人なんて一人もいない。それはきっと、多くの専属娼婦が思うこと。
といって、誰かと一緒になることに価値がないと思っている訳でもない。
「共に生きたい、そう思える相手と一緒に生きていくことができれば幸せだと、私も思う。けど、それが特別な相手だとは思えない。そうね、信用できて、自分に必要で、でも自分の思い通りにならないくらいにはしっかりした人の中から、誰か一人選べばいいんじゃないかしら?」
でもそれ、夫婦ではなく別の関係じゃないかと思うけどと、そんな最後の言葉だけ飲み込んで、神父様に説明する。
「……愛情とか、そういうのは?」
そんな私の価値観に何か思うところがあったのだろう、リジィが横から話しかけてくる。その質問にエフィムも興味津々なのを感じながら、ばっさりと切り捨てる。
「そんなのはただの感情ね。どうとでもなるし、どうとでもするわ」
彼の言う「愛情」は多分、単なる感情の類で一種の相性のようなもの。……そうね、確かに一緒にいるだけで幸せのように思える人はいる。でも、そんなのに頼ってたら失敗するし、失敗すれば何かを失う。失い続ければどんな感情も冷めておしまい。そんな人と生きていくのは御免としか言いようがない。
「……夢がないなぁ」
「イヤイヤ、結構フツウ、オモイマス。タカノゾミで、ちょっとトシヨリ、オモイマスガ」
私の返事に慨嘆するエフィム。そんなエフィムとはうらはらに肯定的な神父様の言葉。その言葉に頷きかけたところで、最後の余計な言葉が耳に入る。頷くのをやめて、少し呆れる。
……何かしら、年寄りって。ちょっとぶん殴ってもいいかしら。そう思いつつも、なんとか感情を表に出さずに心を鎮める。
なんとなくだけど、神父様もそれを狙ってた気がする。神父様が何かを言って、その言葉に何かを言う。そのやりとりを繰り返すうちに笑い話にされてしまう、そんな予感がするのは気のせいかしら?
まあ、反応しなければそのうち言わなくなるだろうし、とりあえずは反応しないようにしようと、そんな決意を心の片隅へと置いておいた。
◇
「デハ、最後に、このオソナエを、皆でノミマショウ!」
一通り話が終わって。最後の神父様のその言葉に少し笑う。……まあ、精霊には無用の長物だし捨てるよりは良いと思うけど、なら最初から酒盃に注がなくても良いわよね。きっと始めからそうするつもりだったのだろう、どれだけ楽しみにしてたのだろうと、その張りのある声を聞いて思う。
皆と一緒に、祭壇の上に並べられた酒盃を一つ手に取って。ほんの少しだけ入ったお酒を、クイッと喉に流す。蒸留酒特有の喉の熱さと、鼻に抜ける香草ゴルディニスの薬のような香り。その飲み慣れた味に、どうしたらこれが上等な酒なんて言えるのだろうと、そんなことを思ったところで、ふと気付く。
――壁を超えた時から変わった空気。帝国の地精の空気のなかに、少しなつかしい冬精の空気が交じるのを。
この感覚はきっと、精霊の声が聞こえる人の感覚だと、そんなことを思いつつも、それでも思う。――精霊の声が聞こえない人も、どこかでこの「空気の違い」を味わっているのかしら、と。
「『酒は旅して美味くなる』、一つの真理デス」
神父様の言葉に、今度は素直に頷いて。ゴルディクライヌに宿る冬の、その中に込められた冬精への親しみに、ほんの少しだけいい気分になるのを楽しむ。
まったくこの人も、まともなことだけ言えばいいのにと、そんなことを思いながら。




