減点方式という生き方
僕の知り合いに、極度に自分に自信がない人がいる。「私は何をやってもダメ。ほんとに何事にも才能がなくて、ほんとうにどうしようもない」と、自分を卑下する。そんなに自分を低くみていると、何事に対してもやる気が出ないのではと思う。実際にその人は、しばしば仕事でやる気のない態度を示す。
その人は、自分自身に対して厳しいのと同じように、他人にも厳しい。「あの人は、〜というミスをした」「あの人の説明ではわからない」など、相手の能力が不足していることに愚痴をこぼしたり、不満をあらわしたりする。そして、相手が犯したミスをしっかりと覚えている。
僕は、この人がどうしてそのような態度を示すのかが疑問だった。その疑問を抱きつつ、その人とコミュニケーションをとり、いくつかわかったことがある。
その人は、物事や人を評価するときに「減点方式」を採用している。減点採用は、簡単にいえば引き算の採点方法である。評価対象(もの、人)は、評価の開始時にはMAXの点数が与えられている。そこから、欠点、問題点などのデメリット、減点箇所を探し、それらが見つかるごとに開始時の値から減点し、評価される。満点は、一切のマイナスポイントがないものとなる。
減点方式に加点はない。見るべき視点は、「悪いところ」だけだ。その人は、他人を評価するときにもその「減点方式」を採用する。たとえば、「あの人は、〜ができない」「あの人は、〜する能力に欠けている」「あの人は、〜のセンスがない」など。それらのマイナス部分が、愚痴となってコミュニケーションのなかで表現される。さらに、人間は完璧な存在ではないから、このような愚痴が尽きることはない。
その減点方式は、他人だけに向けられたものではない。その人自身にも向けられる。だから、「私は、ケアレスミスが多い」「私は、頭が悪い」「見た目がいけていない」などの減点箇所が、その人には目立って仕方がない。減点方式は引き算しかできないからだ。その捉え方だと、他人も自分も悪いところだけしか見つけることができないことになる。その結果として、他人への不信感とともに、自分に自信がもてない。
これと対照的といえるのが「加点方式」の人間だ。そのタイプの人は、自分が成長すれば、加点ポイントがつく。「かつての私よりも、〜ができるようになった」という成長点を評価する。かりに悪い癖がついても、加点はされないだけで問題点とはならない。このタイプは、減点方式を採用する人に比べて、「積極的」「ポジティブ」「前向き」の人間といえる。
とはいえ、このどちらかのタイプが正しいということはない。たしかにこの説明だと前者の減点方式の人間は、生きにくい人生を送っているように思える。ただ、減点方式の人間は、ある意味では「注意深い」人間であり、問題が生じないように用意周到であるしっかり者の傾向も持ち合わせている。後者の加点方式の人間は、「楽観的」といえる。自分が原因のミスを犯しても、問題点を直視しない、反省もしないかもしれない。そのため、同じミスを何度か繰り返してしまう傾向がある。
要するに、どちらの世界観・価値観が正しいということはない。そして、自己卑下や自信家となる事実が私の外部にあるわけでもない。「私は、スタイルが悪い」と卑下する人も、「私は、〜ができるように成長したぞ」と自信家の人も、それを裏付ける事実がどこか外部に存在しているわけではない。ただ、加点式や原点式のようにあなたが世界を捉えているということがそうさせている。言い換えれば、捉え方を変えることで、あなたにとっての世界が変わる。




