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三、



『……ツカサ……ツカマエタ』

ごぼごぼと際限なく水を吐き出しながら、父の形をしたものが言う。

『ゴトー、恨メシイ……憎イ……』

「何だと?」

ゴトーとは後桐、司の名字だ。

『……ゴトーノ息子……殺ス』

どうやら父の不始末であるらしい。

掴まれた足首が締めつけられる。父の似姿はぼろぼろと崩れて、泥と水草の塊になった。

振り払おうとした足に水草が殺到する。あっという間に胴体を這い上がって、首に巻きつく。

「ぐぇっ」

絞められた。縄のように絡まった水草が喉に食い込む。

引き剥がそうとしてもほどけない。視界が歪む。

(死ぬ!)

そう思った瞬間、ぶちぶちっ!と繊維の千切れる音がした。空気が喉に流れ込んでくる。

鬼が水草を引き千切っていた。泥の塊を踏みつけて砕く。

「これは土人形。司、逃げて」

父親でないことは分かったけれど、目の前の非常識な事態をどうしていいのか分からない。

何かの間違いか悪い夢なんだろうか。

ぽつりと首筋に冷たいものが落ちて、司ははっと我を取り戻した。

ばたばたと大粒の雫が地面を叩き始める。先程までの日差しはどこへやら、空は分厚い雲に覆われていた。

どざぁぁぁぁぁぁ……。

土砂降りが襲ってきた。バケツをひっくり返したような酷い雨。

辺りが暗くなる。雨のせいではない。早送りのように太陽が傾いている。

夕焼けを過ぎて黄昏がやって来た。空も地面も川も、みんな薄闇の紫に染まる。

盛り上がった川面が岸に押し寄せた。ぼたぼたと滴る水が大きな水溜りを作る。

その中から、影が現れた。

もう何が起きても驚かない、と司は思った。これに比べれば、他の事はきっと大したことでない。

影法師が固まって捩じくれたような化け物だ。ゆうに3メートルの背丈はある。手足は太く、鈎爪と歪んだ角、長い尾。魚のような目が司を睨みつけ、牙の生えた口から生臭い息を漏らした。

司の前に鬼が立つ。

「司、逃げて」

「逃げろって、お前は?」

「……大丈夫」

振り向きもせず鬼は答えた。一歩ずつ化け物に近付く。

『邪魔立テスルカ、小童ァ』

怖気立つような罅割れた声が響く。化け物の声だと気付くのに半秒掛かった。

「お前が、司殿に近付く厄か」

鬼は化け物に言った。

「我は淦金の谷の焔鬼。我が恩人たる司殿に害を成すなら許しはせぬ」

化け物は鼻で笑った。

『童ガ戯ケタ事ヲ!』

鬼に向かって拳が打ち下ろされる。小さな鬼など紙のようにくしゃりと潰されてしまいそうな勢いだ。

地面にぶつかって、ずしんと足元が揺れる。鬼は拳の間合いから飛び退いていた。

「おいっ!」

無茶だ逃げろ、と言おうとした。その時気付いた。

立ち上がった鬼の髪が伸びている。額の両脇に角が見える。横顔には牙。赤銅色の瞳は爛々と輝いている。

手足には筋肉が浮かび、爪は鋭い。肉を切り裂き、骨なら捻じ切りそうだった。

鬼はまさしく鬼だった。

司は呆然と眺めた。ただ、恐ろしいとは思わなかった。

「司は……守る」

鬼は化け物に飛び掛った。

爪で切りつける。やすやすと躱される。化け物が鬼に殴りかかる。その腕を掻い潜る。

化け物の腹に一直線の傷ができた。血の代わりに黒い何かが溢れ出る。

鬼が尻尾で殴り飛ばされる。軽々と吹き飛んで、地面に転がった。

飛び起きて土を蹴る。次の瞬間、鬼はコートを囲むフェンスを掴んでいた。

片手で柵を引っこ抜く。派手な音を立てて金網が破れ、橙の火花が散る。

鉄製の支柱を二つにへし折る。捻じり切って引き裂き、二本の鉄パイプに変える。

それを構えて殴りかかった。

化け物は鬼を捕まえようと手を伸ばすが、鉄パイプに払われる。爪とパイプがぶつかる嫌な音がした。

鬼はいくらか化け物に当てているが、まるで堪えていない。

今でこそ互角に見えるが、長引けば体力面で鬼が不利だろう。

司は考えた。どうしよう、どうするべきだろう。

決まっている。

鬼が捕まった。振り上げた鉄パイプを化け物に掴まれた。

捻り上げられ、奪われる。放り捨てられたパイプは、くるくると舞って暗い空の何処かに消えた。

化け物が鬼の襟首を握る。力任せに投げ捨てる。鬼の手からもう一本のパイプもすっぽ抜けて、遠くでどぼんと川に落ちた。

鬼は背中から地面に叩きつけられた。跳ねた泥を浴びつつ苦悶の表情で呻く。

化け物の足が鬼を踏みつける。動けない。爪を立てて滅多矢鱈に引掻くが、化け物は気にも止めない。

司は後退った。化け物から離れるようにコートを出る。走り出す。逃げ出した。

全身に雨が打ちつける。歯軋りする。血が上って頬と目頭が熱い。

後ろからゲラゲラと不快な笑い声が聞こえて来た。

『逃ゲロ逃ゲロ!怯エロ喚ケ、ゴトーヲ呼ベ!親子マトメテ食ッテヤル!』

鬼を蹴転がして司を追おうとした化け物に、痛みが走る。

「……行かせない」

鬼が踵に食らいついていた。腱に牙を突き立てて、蹴りつけられても放さない。

煙る雨の向こうに司が遠ざかるのを、鬼は安堵したように眺めた。

(クソ!チクショウ!ふざけやがって、化け物め!)

司は走った。走りながら喉の奥で叫んだ。

理不尽だ。何もかも。鬼や化け物が現れることも、命を狙われることも、無力に守られていることも。

全て我慢ならない。喧嘩だ。これは負けられない喧嘩だと、不良としての司の経験が言っている。

(クソあの野郎、ぶっ殺す!絶対にぶっ殺す!)

歩道を駆け戻り、階段を上る。堤の上から振り返る。

鬼が化け物を捕まえている。追って来てない。

辺りを見回した。誰もいない。人っ子一人見当たらない。街が丸ごと息を潜めているような不気味な静寂。

司は橋に向かった。二車線ある道路にも、今は一台の車もない。

真ん中辺りに、捩れた鉄の棒が落ちていた。へし折れた支柱だ。

司は逃げていなかった。放り捨てられたパイプが橋の上に落ちるのを見ていた。

それを拾って、司は欄干によじ登る。すぐ下には鬼と化け物。地面までは目算で6メートル。まぁ死にはするまい。

鬼が先に司に気付いた。次いで化け物も。見上げた化け物の真ん丸い目に、微かな驚愕が見えた気がした。

震えを押し殺して笑いながら、鉄パイプの先端を下に向け。

飛び降りた。

多分何か叫んだはずだが、司自身には聞こえなかった。

躱すか或いは迎撃しようとした化け物。その足首を鬼の牙が食い千切る。

バランスを崩してよろめいた化け物の顔面ど真ん中に、鉄パイプが突き立った。

ぎゃぁぁぁあああああああああっっっ!!

耳を劈く悲鳴。化け物ともつれ合って、司はぬかるみに落ちた。

肩と手足を強かにぶつけ、全身の骨と筋肉が軋む。

けれど生きている。まだ動ける。

痛む腕で身を起こす間に、鬼が化け物に飛びついた。頭を踏みつけ、鉄パイプを引き抜く。もう一度突き刺す。

地響きのような咆哮を上げて、化け物が暴れる。鬼が弾かれ地面に転がった。

司が鉄パイプに縋りつく。体重を乗せて突き立てる。

「往生しろやぁっ!」

両手で捻りながら深く抉る。渾身の力で押し込んだ。

化け物に殴られた。上半身を丸ごと持っていかれそうな重い拳だ。

尻尾で背中を打たれる。衝撃で息が詰まった。

眩暈がして腕が千切れそうに痛んだが、鉄パイプは放さなかった。

がりっ、と腕に伝わる感触が変わった。貫通したようだ。

『ゴドオオオオオォォォォォォ!!』

化け物が叫ぶ。地の底から響くような怨嗟の声。ごぼごぼとどす黒い液体を吐き出している。

更に深く突き刺して地面に縫い止める。ぐっと先端が土にめり込んで、化け物はその場に繋がれた。

(やった!)

化け物を倒した。そう思った瞬間、化け物の爪が司を引っ掛けた。

『ゴォ゛ォ゛ドォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛!!』

引き寄せられる。目の前に牙の並んだ口。

恐怖よりも先に直感が動いた。両手で化け物の頭を掴む。

「うっせえええボケええ!」

勢いの乗ったヘッドバット。頭蓋に伝わる衝撃。

狙いすました頭突きの一撃が、化け物の鼻っ柱を叩き潰した。

意味をなさない音で化け物が喚く。汚らしい飛沫を散らして真っ黒い舌が司の頭に絡みつこうとしたのを、

「司を放せ!」

鬼の爪が切り飛ばした。

絶叫が轟く。耳鳴りがして音が消える。

急に重みが無くなった。ふわりと浮いた気がする。遠くに地面が見えた。

飛んでいる?いや、投げ捨てられたのだと分かった。

司は緩やかに放物線の頂点に至り、それから落ちた。

どぼんっ!!

冷たい群青色の中を沈む。白い泡が薄灰色の水面に向かってのぼっていく。

雨粒の波紋が遠ざかって見えなくなる頃、ようやく司は川に飲まれたと知った。

緞帳が下りるように、すうっと意識が遠のいた。



――蝉の声が聞こえる。空は抜けるような青、山は濃い緑。

その風景には見覚えがあった。父の田舎の川や山だ。

田んぼを囲む畦と、麦藁帽子虫取り網。小さな頃の記憶そのまま。

隣に子供が居た。俯いて、泣いているのかぽたりと雫が落ちる。

虫篭の中でからりと音がする。綺麗な青い小石があった。

子供の目の前に差し出すと、子供はじっと石を眺めた。もう泣いていない。

子供の手に握らせる。子供は嬉しそうににっこりと笑う。

思い出した。

青いような緑のようなその小石を、司は子供にやったのだ。

手を引かれる間も啜り泣いていた子供に、綺麗だと思って拾ったその石を。

子供は泣き止んだ。だからそれきり忘れていた。けれど子供はずっと大切に思っていた。

青い小石と、優しい人間の思い出を。

確か子供の名は、ほのか。

――



最初に温度を知覚した。

体は震えるほど寒い。なのに、左手だけが温かくて柔らかいものに包まれている。

それが心地よくて、もう少しまどろんでいたいと思った。

首が痛い、腕が痛い、肩が痛い。背中が痛い、腰が痛い、脇腹も足も頭や喉や鼻も。

痛みに夢の残滓から引き戻されながら、司は瞼を開いた。

不安げに覗き込む鬼がいた。角も牙も無くなっている。髪も短い。赤銅色の瞳が見下ろしている。

司は川岸に横たえられていた。鬼が水底から引き上げたのだろう。二人とも頭までびっしょりだ。

左手に視線をやれば、鬼の両手にそっと包まれていた。

寝そべったまま、司は尋ねる。

「お前、名前何だっけ?」

「ほのか」

鬼の返事に、司は数秒黙り込んだ。

「……そうか」

ふと首を起こせば、ぬかるんだ地面に突き立つ鉄パイプが見えた。

けれど化け物はいない。影も形もない。行方を知りたいとも思わない。

「じゃあ帰るぞ」

痛む体をのそりと起こす。

いつの間にか雨は止んでいた。


ひどい恰好の二人は、商店街の路地裏をこっそりと歩いた。

見慣れた看板の明かりに誘われるように、ガラス戸を叩く。

「凛兄い、タオル貸して」

「どーしたんだよツカちゃん、その恰好」

店主の凛太郎が驚いた顔で出迎えた。

「急に土砂降られてよ」

「急だあ?それにしたって酷いもんじゃねえか」

立ち尽くす二人に、凛太郎が大きなタオルを貸してくれる。温かいコーヒーも淹れてくれた。

「いくらバカだって風邪引いちまうだろーが。今日はちっと寒いんだから。

 全く、五月なんだからもうちょっと暖かくてもいいだろうになあ」

司とほのかは顔を見合わせた。

どうやら、夏の幻は終わったらしい。



翌日父が帰ってきた。

「ただいま司、元気にしてたー?お父さん心配してたんだよー。お家は大丈夫だったでしょ?」

ぶん殴った。グーで。

「痛いじゃないか司!どうしたの?お化けが出た?」

言葉にならなかった。深呼吸してようやく怒鳴りつけられるくらいに落ち着く。

「おおよっ!お化けだと?出まくったわこのドアホ!!

 気色悪い髪の毛と泥のゾンビと何か変な黒いのがな!首絞められて殺されかけたわ!

 何が家なら安全だ、思いっきり化け物屋敷だったっつーの!」

「あれぇ?おかしいなぁ。今回祓ったのは水妖だけなのに」

襟首掴まれて締め上げられても、父は涼しい顔で答えた。

「つーかてめえ、あの電話は何なんだよ。

 捕まったとかどーとか言っといて、へらへら帰ってきやがってよお」

「え?電話?知らないよ。お父さんは司に家にいなさいって掛けたきりだよ」

襟を絞める司の手に力が篭もる。

「ざけてんじゃねーぞ、あ?あの電話のせいで化け物とドツキ合ってんだぞ!」

「だって本当に知らないものー!お父さん、ずっと山奥にいたんだから」

多分術だったんじゃないかな?と父は言った。

「きっとお父さんの振りして司を捕まえようとしたんだよ」

「じゃあてめえの偽物も、無意味に夏だったのもそれか?」

「偽物?」

泥と水草でできた人形だったと、横からほのかが補足した。

「へぇー。あの水妖、土人形使えたのかー。弱ってた割には頑張るねー」

父が感心したように頷く。

「司を人質にするつもりだったんだろうね。隠れてるお父さんを呼び出すために」

今度こんなことがあったら迷わず父の居場所を教えよう、と司は決めた。

いっそ山奥とやらから帰って来なければよかったのに。とすら思う。

しかし、対照的に何故か父は嬉しそうだ。

「でもまさか、司がお化けをやっつけてくれるとは思わなかったなぁ。司も立派になったんだね。

 どうかな、これを機にお父さんのお仕事勉強してみない?楽しいよ?」

話を逸らすなとまた締め上げる。

「何で化け物がやられたって分かんだよ?」

「そりゃあ分かるよ、祟られてるのはお父さんだし」

意味が分からない。けれど、分からない方が多分正しいのだ。

「お父さんをしつこく追いかけて来てた気配がね、急にいなくなったから。だから分かったんだよ」

やはり理解しなくて正解だった。けれど父はそれで通じた気でいるようだ。

「結局あの化け物は何だったんだよ。てめえを殺すっつってたぞジジイ」

父は苦笑いで俯いた。

「うーん、困ったヒトだったんだよねー。昔水害で沢山人が死んだところがあってね、そこで群れになってたものなんだ。

 あんまり人を引き摺り込むから祠を建てて供養したんだけど、工事で移すことになってね。業者が御鎮めもせずそのまま祠だけ動かしちゃってさ。

 見事にみーんな祟られて、それでお父さんが呼ばれたんだ。祟りは祓ったけど、本体はどこかへ行っちゃって祠に戻せなかった」

そして邪魔をしたお父さんも祟られた。

と父は言った。

「夏だったのは多分、最初の水害が8月に起きたからじゃないかな。彼らの時間はそこで止まってるんだ」

司は、化け物が父を恨んでいた理由を理解した。

とばっちりは真っ平だが、それでも、かつてはあの化け物も可哀想な存在だったのかも知れない。

「そっちは分かったとしてだ。じゃ家に出た髪の毛は何だ」

父は首を傾げる。

「それがよく分からないなあ。髪の毛に恨まれる覚えはないけど?」

分かったものではない。

「それにお家に出るはずは無いよ、だって入れないようにしてるもの。本当にお家に出たの?」

司は露骨に眉をしかめた。

「出たよ!俺の部屋だ、押入れから湧いて出やがったんだ!」

「押入れ?……もしかして」

父がはっとした顔で司を見た。

司の部屋に移動する。何ともない普通の部屋と普通の押入れだ。

父は押入れを開けて上の段にのぼり、隅の天井板を下から叩く。かたん、とずれた。

板を持ち上げて頭と片腕を突っ込んだ父が、屋根裏の奥から四角い箱を取り出す。

そんなものがそこにあることを、司は今まで知らなかった。

不思議と埃をかぶっていない古い木箱を、父は部屋の真ん中でそっと開けた。

つやつやした黒い縄が紫の絹に包まれて収まっている。白い紙の飾りで五箇所束ねられていた。

「何だこれ」

「神様だよ」

「はぁ?」

「家の守り神様だよ。この縄はご先祖様の髪でできていてね、この家とお父さんや司を守ってくれてるんだよ」

(どこぞのちゃんちゃんこかよ)

とは思ったけれど、口には出さなかった。

「つかよ、何で守り神に襲われなきゃなんねーんだよ。引き摺り込まれかけたんだぞ俺は」

「きっと守ってくれようとしたんだよ。屋根裏に匿うとか。神様の側が一番安全だからね」

「ざけんな」

率直に、冷たく言い捨てた。

まじまじと神である髪を眺めているほのかをさて置き、父に詰め寄る。

「結局何もかもてめえのせいだろ。化け物も、髪の毛も、俺が殺されかけたのも!

 てめえ一人で逃げて俺には一っ言の説明もなかったせいだよな?

 商売ならてめえのケツはてめえで拭けや!息子巻き込むんじゃねえ!」

父はすっかりうなだれて縮こまってしまった。

「ごめんよ司……お父さん悪かったと思ってるんだよ。

 もうお仕事で失敗しないようにするから許してよう……」

信用ならない。けれどこの父にどれだけ言っても無駄だと、司は物心ついた頃から知ってしまっている。

「でもね、司がお化けを祓えるようになるのはいいことだと思うんだ。ほら、偶々怖いお化けに会うかもしれないし。

 だからね、司もお父さんみたいに……」

「反省してんのかアホンダラ!」

怒鳴られてしょげ返る父。けれど一つだけ気になることがあったらしい。顔色を伺うように尋ねる。

「あのね司、お父さんも一つ聞いていい?」

「あん?」

内容は分かっていた。

「その鬼の女の子は一体誰なのかな?」

司は小さな溜息をついた。

神様の箱を父に渡し、父とほのかの襟首を掴んで廊下に放り出す。

何で怒るのー?と縋りつく父を無視して、

「お前がちゃんと言っとけ」

と説明をほのかに丸投げし、司はとっとと不貞寝した。



あれ以来ほのかは後桐家にいる。

「司殿のお父君の寛容な御心により、司殿にお仕えするお許しを頂きました。

 これからは司殿の守り鬼として精一杯お仕えしたく思います。

 不束者では御座いますが、何卒よろしくお願い致します」

「良かったねー司、こんないい子が式鬼になってくれて。

 これで司も立派な陰陽師だよー」

何を説明してどう納得したのか知らないが、そんな意味不明の流れでほのかは後桐家に住むことになった。

掃除や洗濯をしてくれるのは有り難いが、困ったのは司に付いて離れないことだ。

生活力の無い父に代わって家事をしていた司は、楽になったのか気苦労が増えたのか。

どこへ行くにも後を追って来るのが鬱陶しい。文句をつけても、それが役目だと言い張って聞かない。

学校にだけは来るなと言い含めることに成功した司は、今凛太郎の店でぐったりと突っ伏している。

「どーしたツカちゃん、悩み事?」

「まぁちょっと」

「ふーん」

凛太郎の店では一人きりになれる。それ故に、最近では毎日帰りに寄っては孤独な時間を満喫していた。

ところが、敵もこの最後の砦を知っている。

司が入り浸っていることを聞くや、わざわざ店まで迎えに来るようになった。

夕方、日が沈みかけた頃、そろりと遠慮がちに顔を覗かせる姿が常連に加わる。

ほのかだ。司を見つけると、隅っこの席に座って待ち始める。

こうなるともう一人ではないわけだから、ここにいる理由もなく司は渋々腰を上げる。

財布を出した時、凛太郎が司に尋ねた。

「あの子、ツカちゃんの彼女?」

「ちげーよ」

小銭を投げ置いて、司はほのかと店を出た。




  了  ――



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