土の中にあるもの
ラファイエット侯爵が自宅へ戻ったのは、翌朝早くのことだった。
私はいつもの場所で、せっせと洗濯をしていた。今日は館のランドリーメイドたちも一緒である。侯爵様の大きなマントを、三人がかりで揉み洗いしていた。
「リ、リナさん、本当に大丈夫なの? 前に洗ったときは、どんどん色が落ちちゃって、これ以上落ちたら、あ、あたしたち……」
「大丈夫ですよ。この青色は藍という植物の染料で、初洗いの時はどうしてもすごく落ちるものなんです。だから今回はそんなに心配しなくても。それに酢酸も入れてるから……ほら、水が青くなってないでしょ?」
「で、でも……きっとこのマント、あたしの年俸くらい高価なものよぉ……?」
「少々の色落ちは仕方ないわ。染物の服なら当たり前。ランドリーメイドの腕ではなく、洗えと言った侯爵様の責任よ。これで怒るほど、彼は理不尽な方ではないと思うの」
「でもぉ」
「いざとなったら私ひとりがやったことにして。さあ、おひさまがてっぺんに着く前に、全部干してしまいましょう!」
山ほどの洗濯物を抱えて、干場へ移動する。
そこへ唐突に、立ちふさがったのがラファイエット様だった。普通なら、館の主が通るような場所ではない。私は洗濯籠を持ったまま一礼した。
「おかえりなさいませ侯爵様。洗濯場に何のご用事で?」
「……いや……リナに会いに。ロイに聞いたら、たぶんここだろうというから」
わ、私に? ……なんだろう。昨日の、お嬢様がむしった花の弁済請求書かしら。頭の中で五体投地の謝罪を準備していると、ラファイエット様がぼそりと言った。
「昨日は、すまなかったな」
「えっ? な、なにがです?」
「そのときの感情に任せて、ベルメール嬢を怒鳴ってしまった。俺が抜けたあと、リナはベルメール嬢の機嫌を取らされたのではないか」
な――なんという、ツッコミどころの多い――もとい優しいことをおっしゃるの?
こらえきれなくて、私は思わず吹き出してしまった。
まずラファイエット様は昨日、全然怒鳴ってない。感情に任せたようになどちっとも見えなかった。そしてベル嬢に八つ当たりされたのは事実だけど、それを彼が謝る謂われはない。なにより、私はそれに慣れきっていて、謝罪どころか慰めもいらない。
「平気です、気にしておりません」
にっこり笑ってそう返すが、侯爵はまだ悲しそうな顔をしていた。
「それと、花を摘んでしまって。その命を刈り取ってしまって、すまなかった」
いったい何をおっしゃっているのか分からない。花を摘んだのはお嬢様で、私はその従者だ。謝るならば私のほうである。そう主張すると、侯爵は困ったように眉を垂らした。
「だって、俺よりもリナのほうが傷ついているようだった。持ち主である公爵だって、リナのように泣きなどしなかった」
「あっ、あれはただ――びっくりしただけで。もう大丈夫です、なんてことありませんよ」
そう、こういうことは、フィンドル伯爵家でもたびたびあったことだ。月光華ほど珍しいものは無かったけど、たわむれに花を摘むなんて、当たり前のこと。
ある意味、庭師こそがその執行者だ。雇い主任意の場所に、今そこにある生態系を壊して均し、邪魔な切り株を除いて、別の場所から木を運び込む。植物からしたらたまったものじゃないだろう。庭師の父を手伝いながら、もし自分がこの木だったら、この草だったら――そう考えると、悲しくて泣いてしまったことがある。
父は腕利きの庭師ではあるが、私とは違う感性の職人だった。木を切ることに罪悪感などは無い、それでも私に寄り添ってくれた。
私が四歳の時、家の前にあった、大きな花が枯れた。父が毎日一所懸命に世話をして、毎年大輪の花を咲かせていたものだった。古くなった根を掘り起こす父に、私はおおいにショックを受けた。カラカラにしおれた花を手に、水たまりができるほど泣きじゃくった。
「お花のお墓をつくってあげたい」
そういった私を、父は笑ったりしなかった。
「リナにとって、花は人と同じなのだな」
「……ほかのひとは笑ったわ。私のこと、あたまがおかしいって。お父さんもそう思う?」
「まさか、思うものか。リナの優しさはお母さん譲りだ。俺はおまえが大好きだし、父としても庭師としても誇りに思うよ」
父は私を抱きしめた。なお泣き続ける私の背中を、父は大きな手で、ドンと叩いた。
「ああ、墓を作ろう。その、真ん中のところについている粒を取って。この花壇を一度掘り返し、土を柔らかくフカフカにして、指の長さほど深いところに埋めてやろう。三日に一度、清めの水を捧げて、もう少ししたら墓石代わりに竿を建てよう」
私は首をかしげながらも、潰れた花を弔った。そして父に言われた通りの手順で、毎日、花の墓参りをし、霊を慰めた。
それから……四か月ほどのちのこと。
「お父さん! 芽が出た! お花のお墓から、お花の赤ちゃんが出てきた!」
大騒ぎする私に、父は「ほお、そいつは驚いたな」とおどけて見せたのだ。
あれから私は少しだけ、考えかたが変わった。草木にも人と同じく命がある――だけど、人と同じように生きているわけではないんだって。
一口に「植物」といったって、多種多様だ。動物に自らを食わせることで、種を遠くへ撒く種もあるし、枝を折らないと根が腐ってしまうものもある。きれいに見えて毒があるものもあれば、酷い匂いのする薬草もある。みんな違ってて、見た目だけじゃわからない。そこにたまらない面白さといとおしさを感じるんだ。
「どうしたリナ? 何か、楽しそうな顔をしている」
ラファイエット様の声で、はっと現実に戻る。いけない私ったら、人前で空想に耽ってたわ。
「い、いいえ別に……あっ、私に用事ってそれだけです?」
尋ねてみると、彼は何か、困ったような顔になった。ちらちらと後ろのランドリーメイドを気にしている。どうやら人払いがしたいらしい。
私は洗濯物をメイドに託し、侯爵様と一緒に館へ入ることにした。お部屋で話をするのかと思いきや、館に入り、人気が無くなってすぐ、侯爵は私の腕を掴んで止めた。
「お詫びとして、君に贈り物を持ってきた。受け取ってほしい」




