ちぎられたもの
日も暮れた頃、私たちは植物園を一通り見て回り終わっていた。
「遅くなっちゃいましたね」
私が言うと、ラファイエット様も「ちょっとまずいかも」っていう顔をした。
ベルメールお嬢様、花以外なんにもない東屋に置いてけぼりにしちゃったからなあ、きっと怒ってるぞ……。
侯爵様と二人、急ぎ気味で戻る。といっても足の長さに差があるので、彼は早歩き程度、私は駆け足。
やがて園の中心地、お嬢様と分かれたあたりにやってきた。白い東屋の前に、スーツの紳士が立っていた。ラファイエット家の執事(に擬態したチンピラ公爵令息)、ロイだ。
「ロイ……さん、あなたも来てたんですか」
「そりゃ来ますよ。僕は護衛も兼ねてますからね」
と言いつつ、全くやる気のない様子。そりゃそうだろう、侯爵はロイよりも三周りは大きな戦士だ。いやロイも決してチビではなく、むしろ平均以上はありそうなんだけど。
「僕はお二人の邪魔をしないよう、距離を取ってついてたんですよ」
二人って……お嬢様と侯爵、ではないわね。半眼になった私にロイはどこ吹く風、「じゃあ、僕はこれで」と、またどこかへ去っていった。
「お嬢様は――あ、いた」
探すまでもなく、すぐに見つけた。
東屋の中、簡易的なベンチに腰掛け、壁にもたれかかって、目を閉じている。お嬢様はすやすやと、安らかに居眠りをしていた。
「お嬢様、お嬢様」
私が揺り動かすと、お嬢様の目がパチッと開いた。
そして開口一番、
「遅い! 一体いつまで待たせるのよ!」
「す、すみません!」
「使用人のクセに主をほったらかしてどこほっつき歩いてたの! わたくしを退屈で死なせる気!?」
「本当に申し訳ありません、心からお詫び申し上げます――」
「俺が悪かったんだベルメール。ついリナを引っ張りまわしてしまった」
侯爵がお嬢様の手を取り、謝ると、多少は機嫌が紛れたらしい。お嬢様は顔をほころばせた。
「い、いえ……ロイさんが来て、話し相手になってくれましたし。他にも退屈を紛らわせるものはありましたし」
「うん? 何をして過ごしていたのだ?」
「はい。侯爵様に差し上げようと思って、これを摘んでおりましたの!」
そう言って、お嬢様が差し出したものを見て……私は悲鳴を上げた。
お嬢様の手の中にあったのは、美しい花束だった。
この東屋の周辺で、目についたものを摘んだのだろう。
土から抜いては一晩も生きていられない花、これから実をつけるところだったもの、そして中には……ああ。……あの……一年のうち一晩しか咲かない、月光華も。根のずっと上で、無造作にちぎり取られていた……。
ああ……。……ああ、なんてことを。お嬢様……なんで……。
誇張ではなく眩暈がして、全身から力が抜ける。私は地面に膝をついた。
お嬢様は、そんな私に気が付くわけもなくて。やはり呆然としているラファイエット様に、花束をぐいぐい押し付けた。
「こんなに長居してしまうほど、侯爵様はお花がお好きなんでしょう? わたくしも大好きなんです、きれいなお花が!」
……お嬢様。花は、きれいなだけではないんです。生きているものです。そして個性があります。花瓶に活けて鑑賞するために作られたものならば、それもまた本望でしょう。だけど土の上でしか生きていけないものをちぎっては、人が首を斬られるも同然。あなたは……今あなたの手の中には。
私のいとし子の死体が握られているのです。
……ぽたり、と、乾いた土が小さく濡れた。私が零した涙だと、気が付いたけど、拭う気にはならなかった。
侯爵は、無言だった。
彼はなんといっていいか分からないとき、こうして完全に黙り込んでしまう。いつもなら、空気を読まずにひとりでしゃべり倒すお嬢様だけど、今日は息を呑んでいた。
お嬢様を見下ろす、侯爵の顔は、私からは見えない。
「ベルメール」
長い沈黙ののち、彼はぼそりと、低い声で囁いた。「はいっ」と緊張した声を返すお嬢様。
その手を、彼は静かにつかんだ。
「ここに咲いている花は……この植物園の、商品だ。……勝手にちぎるのは、泥棒と同じ、だ」
「えっ? ……あ、ああ……そう、ですね。では園の管理者に、あとでお金を払いましょう」
「ここの所有者は公爵。一般公開しているとはいえ、もともと公爵が個人の趣味で、世界中から苗を集め育てた貴重なものだ。俺は今回、少し無理を言って貸し切りにさせてもらった」
「……あ……あーっとぉ……」
お嬢様は空中に目を泳がせ、必死で言い訳を探していた。
いつもならここで、私が助け船を出す。なんなら私が勝手に採って、お嬢様に無理やり持たせたと庇うだろう。
だけど今は、体に力が入らない。
怒りよりも悲しみのほうが先にたつ。口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうで、私は動けなかった。
ラファイエット様は、それ以上お嬢様を怒りはしなかった。
「もういい。公爵には俺が弁償と謝罪をしておく」
「……はい……」
さすがに堪えたのか、お嬢様は俯いていた。




