七 それぞれの朝、それぞれの思い①
夜明け前、東の空がうっすら白み始めた頃。
丹雀の館の、白木の扉がかすかに開いた。
童子結いのぬばたまの黒髪も少しよれ、げっそり憔悴はしていたもののまなざしの力は変わらず強い、少女。
燕雀の頭・つばくろだ。
彼女は大きく息を吐き、扉の隙間から身体を滑らせるように出て来ると、体重をかけるようにして重い扉を閉め、閂を差した。
気配を察し、彼女に長く仕えている従者・薙と呼ばれている男が女主を出迎える。
「元締め」
あらゆる感情がこもった囁くような呼びかけに、つばくろは振り向く。
そして、半ば連れ合いのような長い付き合いの従者へ、ニヤッと彼女は会心の笑みを向けた。
「成功だよ、薙。いや……成功以上、かもな。形代の少女を含め、当面、誰の命も失われないだろうよ」
驚きと困惑が入り混じったように細い目を見張る薙へ、つばくろはふと真顔になった。
「大白鳥神の澱みから生まれた業は、思いもかけぬ形で凍結した。アレはしばらく何も出来まい。だが……消えた訳でもない。アレを抱えた子供たちが今後どうするか、妾ら燕雀も見守ってゆかねばならん」
そこまで言うと、つばくろはがっくりと座り込んだ。
「でもま、詳しい話は後だ。さすがに疲れたし眠い。まずは休ませておくれよ。……そうそう」
思い出したように、つばくろは薙を見上げて言った。
「鶺鴒の姫も、この館の何処かにいる筈さ。おそらくは昨日、初めて妾と出会った濡縁の、何処かだろうよ。早めに見付けて介抱して差し上げるよう、館の者に伝えておくれ」
ええ!とでもいうような声を上げ、薙は、顔色を変えて踵を返した。
ヒトを死へと誘う業を纏ってしまったであろうなずなは、たとえこの世へ帰ってきていたとしても衰弱している筈。
あらましだけとはいえこの儀を知っている薙が、慌てるのも当然だ。
離れてゆく薙の背中をぼんやり見ていたつばくろだったが、そのままずるずると身を横たえ、まぶたを閉じた。
(さて)
かすかに口角を上げ、つばくろは思う。
(厄介だけど……面白いことになってきたじゃないか。縹の御子は二人の『運命の女』を、これからどうやって幸せにするつもりかねえ)
王族の業すら捻じ曲げるとんでもない御子の、まずは現でのお手並みを拝見……、と。
やや意地悪くそう思い、つばくろはそのまま、気絶するように眠り込んだ。
そのしばらく後。
禁中で縹の御子が目を開いた。
それに気付いた女房やそば付きの童たちが、小さな叫び声をあげる。
「御子さま!」
「御子さま、お目覚めですか?」
ハッとしたように突然半身を起こす御子を、周囲の者があわてて制する。
「紅姫は? 紅姫のご容体は?」
肩を押されて寝床へ戻されながらも、必死に御子は問う。
「ご安心を。まだ目覚めてはいらっしゃいませんが、顔色も良く呼吸も穏やかであらっしゃいます」
紅姫の乳母である椋鳥の局が、優しい声でそう言った。
心からの安堵がこもった言の葉だ。
御子の身体から余分な力みが抜けた。
「あ、では……」
問おうとし、彼は口をつぐんだ。
『なずな』は形代として魂呼びの儀に臨んでいた。
元気であったにせよ不調であったにせよ、今現在、禁中の何処かにいるとは思えない。
「はい?」
物問いたげに首を傾げる椋鳥へ、首を振って御子はごまかした。
ほどなくして紅姫も目を覚ました。
御子は強引に起き上がって紅姫の枕元へいざり、互いに顔を見合わせて泣き笑いした。
ずっと紅姫についていらっしゃった大王もそばにいる者たちも、その様子を見て泣いたり笑ったりし、病を抜け出した二人を寿いだ。




