第12話 転生大魔法使いは嫌がらせを受ける
魔術練習場での件があってから、なぜかラヴィニアは三期生のセルジュ・ナイトレイに気に入られたようで、昼休みや放課後によく顔を合わせるようになった。
顔を合わせるだけならまだしも、彼はラヴィニアを見つけると必ず声を掛けてくる。
『ラヴィニア、一緒に昼食をとらないか?』
『ラヴィニア、寝不足か? 目元に隈がある』
『ラヴィニア、困ったことはないか? 何かあればいつでも頼ってくれ』
なぜこれほど気に入られたのか、ラヴィニアにはさっぱりだ。
けれどもっと不思議なのは、そんな彼を拒絶できない自分である。
セルジュから香るグリーンフローラルの香りは、どこか懐かしさを感じさせて記憶を疼かせる。
ただ、そのせいでどうにも問題が起きているようだと、ラヴィニアは薄々気づき始めていた。
というのも、セルジュはこの学園でトップの実力者であり、栄誉ある『ファーリス』の称号を持ち、さらには年に一回夜空に輝く神秘的な蒼い月を彷彿とさせるような冷たい美貌の持ち主であるため、生徒たちからの人気が凄まじいのだ。
もはや彼を信奉していると言っても過言ではない集団もいるくらいに。
そんな憧れの君が、突然入学したばかりの一期生……それも魔術の成績がすでに落ちこぼれの域に達している女を構い出したら、どうなるか。
(こうなるのね)
ラヴィニアは汚水塗れになった教科書をロッカーの中から取りだした。
魔術学園は『単位制』といって、授業の出席率や試験の成績によってもらえる単位があり、その単位が卒業するために必要な数を達していないと留年する仕組みになっている。
学年共通の授業の比率が多いとはいえ、個人で選択する授業もあり、移動教室が多い。
そのため生徒たちには個人ロッカーが与えられ、廊下に並ぶそこに各自教科書や荷物などをしまっている。
普段はロッカーには鍵を掛けているが、魔術を防ぐような仕掛けはしていない。
(誰かがロッカーの中に土を生成して、別の誰かが水を流し込んだのね。魔力の気配が二つある。はーっ、手の込んだこと)
そのとき、柱の陰からくすくすと忍び笑う声が聞こえてきて、「うーん」となんとも微妙な顔で眉根を寄せた。
(人間はこれだから……なんで穏やかに暮らせないのかしら)
これまで人に裏切られ、愛する者を殺され、今世の親には売られ、自身を実験台にされてきたラヴィニアは、右の碧眼を曇らせると表情を消した。
怒りはない。これは呆れと諦念に近い感情だ。
彼らの『おもしろくない』という気持ちも理解できないわけではない。
「ラヴィニア。あなたいつまでそんなところで教科書を探しているの。次の教室は遠いのだから早く行くわよ」
「はいごめんなさい!」
エメリーヌに声を掛けられたラヴィニアは、我に返って先ほどまで瞳に宿していた冷たい光を一瞬で消した。
まだ人を心から信用することはできないけれど、親切にしてくれるエメリーヌには心配をかけたくない。
ラヴィニアは魔法でロッカーの中を一瞬で綺麗にすると、必要な教科書などを胸に抱えた。ロッカーには魔法で結界を張り、これ以上変なことをされないよう対策する。
エメリーヌと共に廊下を進みながら、ぼんやりと呟いた。
「どうしようかなぁ」
「次の古代言語学? 大丈夫よ。この学園に入学した者でも、古代文字まで予習してきている生徒は少ないわ。みんな同じスタートラインよ」
「うーん」
エメリーヌはやっぱり優しいわ、としみじみしながら目的の教室に辿り着く。
古代言語学は一期生のみ必修で、二期生からは選択制になる授業だ。
必要な単位数も少なく、そこまで成績に影響しない授業だが、生徒たちにとっては興味深い科目の一つである。
なぜなら古代言語とは、精霊語のことだからだ。
かつての魔法使いたちが精霊と契約する際に使用した、今は失われた言語とも言われている。
『魔法』は、魔術師たちにとってのロマンだ。
だからこそ魔術師の卵である学園の生徒たちの中にも、憧れを持つ者は多い。
「――えー、そんな古代言語ですがー、皆さんも知ってのとおり、いまだに全ての解読が完了していない未知なる言語です。そのためー、いまだどの魔術師にも、精霊と話せた者はー、あー、いません」
なんとも間延びした喋り方をするのは、古代言語学を受け持つアイヒャルトだ。
小さな丸い眼鏡をかけた彼は老眼らしく、小声で教科書の文字が小さいと文句を垂れているのが何度か聞こえてきた。
「あー、ではー、さっそく古代言語というものがどういうものか、触れてみましょう」
アイヒャルトが一つの文を板書すると、アシュレイを指名し、読めるかと訊ねた。
さすがのアシュレイも古代文字は読めなかったようで、気まずそうに「わかりません」と答える。
アシュレイの次に指名された生徒も、首を横に振って読めない意思表示をした。
「誰も読めませんか? 一語でもいいんですけどねー。じゃ~、最後にそこの君ー」
そこの君、で三番目に指名されたのはラヴィニアである。
ラヴィニアは内心で「ふっ」と笑った。
(わたしにとって精霊語は朝飯前よ! 間延び先生、人選をミスったわね!)
正直に言って、今日が古代言語学の初めての授業なのだから、生徒が読めないのは当たり前なのだ。
それを読ませようとするアイヒャルトは控えめに言って性格が悪いと思う。
アイヒャルトの鼻を折ってやろうと、意気揚々と答えた。
「『我、汝の声を聴く者。汝、この声を聞き届ける者』」
「は……………………せ、正解……」
「ありがとうございます」
ふふん、と内心ご満悦に胸を張っていたら、なぜか強い視線を感じて周囲を見回す。クラスメイトの視線が自分に集中していた。
そこには純粋な驚きやすごいと称賛するような色が滲んでいて、ラヴィニアのほうがびっくりした。
ラヴィニアにとって精霊語は読めて当然のものだったので、基礎中の基礎の文を読んだだけでこれほど注目を浴びるとは思っていなかったのである。
一部からは悔しそうな目を向けられたが、それは読めなかったアシュレイや柱の陰からくすくすと笑っていた者たちだった。
(な、なるほど!? そっか、その手があったのね……!?)
ラヴィニアはそんな彼らを見て閃いた。
彼らがラヴィニアに嫌がらせをするのは、要するに出来損ないのラヴィニアが天才との呼び声高いセルジュに構われているのが納得できないからだ。
ここ数週間でセルジュ・ナイトレイという男がどういう人間なのか、ラヴィニアも少しだけ知った。
彼は興味のないものにはとことん興味がなく、一緒にいるメンバーはいつも固定されており、そのメンバー以外と会話しているところをあまり見ない。
そのメンバーというのが彼と同じファーリスの面々で、クールなところがより一層近寄りがたい雰囲気をつくるからか、信奉者からは絶対神のような扱いを受けている。
誰も彼には近づけない、触れない――触ってはいけない。
そんな不文律があるのが、セルジュ・ナイトレイだ。
逆に言えば、彼に話しかけられても文句を言わせないほどラヴィニアの成績がよければ、嫌がらせを受けることもないだろう。
今、精霊語を読んだだけで尊敬の眼差しを向けられたように、自分が彼と同じような立場になればいいわけである。
(わたしってば天才じゃない!?)
このとき、そもそも話しかけないでほしいと言えばいいのでは?と突っ込んでくれる者がいなかったのは、ラヴィニアにとって幸だったのか不幸だったのか。
とりあえず、確実にセルジュにとっては〝幸〟であり、嫌がらせのせいでラヴィニアが距離を取ったらセルジュに報復される運命しかない生徒たちにとっても、ラヴィニアの単純思考は〝幸〟だったに違いない。
「――というわけで、わたしに魔術を教えてほしいの。エメリーヌ」
「どういうわけ?」




