第6話 魔獣災害と、若き英雄たち
その報せが届いたのは、冬の足音が聞こえ始めた寒い朝だった。
公爵邸の執務室。
急報を持ってきた伝令の騎士が、息を切らして跪いている。
「ほ、報告します! 北の国境付近で大規模な魔獣災害が発生! 魔獣の群れが防衛線を突破し、市街地へ向かっています!」
グレイド様が眉をひそめ、地図を広げた。
その手つきは昔と変わらず素早いが、指先には皺が刻まれ、かつてほどの力強さはなくなっている。
「規模は?」
「推定五千! 指揮官クラスの大型魔獣も複数確認されています!」
「……厄介だな」
グレイド様が立ち上がった。
白髪交じりの髪をかき上げ、私を見る。
「私が出る。騎士団の主力を率いて迎撃する」
「グレイド様……」
私は不安げに夫を見つめた。
彼はもう、若くない。
かつてのように最前線で剣を振るえば、体に無理がくる。
でも、公爵家の当主として、領民を見殺しにはできない。その責任感の強さを、私は誰よりも知っている。
「装備の準備を。……エルマ、君はここで待機だ」
「はい。どうか、ご無事で」
私が頷き、彼が執務室を出ようとした、その時だった。
「待ってください、父上!」
凛とした声が響き、扉が開かれた。
入ってきたのは、二人の青年だった。
背が高く、鍛え上げられた体躯。
アレンとレンだ。
15歳になった彼らは、もう立派な青年の顔つきをしていた。
「僕たちに行かせてください」
アレンが一歩前に出て、グレイド様を真っ直ぐに見据えた。
レンもその隣に立ち、深く頷く。
「お前たちに? これは訓練ではないぞ。命のやり取りだ」
「わかっています。だからこそです」
アレンが拳を握りしめた。
「父上は、もう十分に戦ってこられました。これからは、僕たちがこの国を、この家を守る番です」
「ポチも一緒です。僕らの連携なら、どんな魔獣の群れだって止められます」
窓の外で、巨大な漆黒の竜――ポチが『グルルッ』と低く吼えた。
その姿は、亡きヴェルドアを彷彿とさせるほど逞しく、力強い。
グレイド様はしばらく無言で二人を見つめていた。
その瞳には、厳しさと、そして隠しきれない寂しさが揺れていた。
親として、子供を死地に送り出す恐怖。
騎士として、次世代に席を譲る葛藤。
やがて、彼は腰に差していた剣を抜いた。
彼が長年愛用してきた、白銀の宝剣だ。
「……受け取れ」
グレイド様は剣を鞘ごと外し、アレンに差し出した。
「これは公爵家の守り刀であり、私の魂だ。これを託す意味、わかるな?」
「はい。……必ず、守り抜いてみせます」
アレンが剣を受け取る。
その手が震えていないことを確認して、グレイド様は満足げに口角を上げた。
「行け! 私の自慢の息子たちよ! 公爵家の力を見せつけてこい!」
「はいっ!!」
双子は敬礼し、踵を返した。
去り際、二人は私の前で立ち止まった。
「ママ。行ってきます」
「心配しないで。すぐ帰ってくるから」
二人は屈託のない笑顔を見せた。
かつて、小竜を助けるために泥だらけになっていた幼い面影が重なる。
あの子たちは、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
涙が出そうになるのを堪えて、私は精一杯の笑顔を作った。
「ええ。いってらっしゃい。……夕食は、あなたたちの好きなシチューを作って待っているわ」
「やった! 楽しみにしてる!」
二人はポチの背に飛び乗り、空へと舞い上がっていった。
あっという間に小さくなっていく背中。
それは、もう私が守らなくてもいい、頼もしい英雄の背中だった。
双子が見えなくなると、グレイド様がふらりとよろめき、椅子に座り込んだ。
強がっていた糸が切れたように、肩を落とす。
「……行ってしまったな」
「ええ」
「寂しいものだな。子供が親を超えていくというのは」
彼がポツリと溢した本音に、私は胸が締め付けられた。
最強の騎士団長だった彼にとって、剣を託すことは、自身の時代の終わりを認めることでもあったはずだ。
私は彼のそばに寄り、その白髪混じりの頭を抱き寄せた。
「寂しくありませんよ」
「エルマ?」
「だって、私がいますもの。あなたが剣を置いても、騎士団長じゃなくなっても、私の夫であることには変わりありません」
私が囁くと、彼は顔を上げ、驚いたように私を見た。
そして、ふっと表情を緩ませ、私の腰に手を回した。
「……そうだな。君がいれば、それでいい」
彼は私の胸に顔を埋めた。
老いて、弱くなった夫。
でも、私にとっては、世界で一番愛しい人だ。
窓の外では、雪がちらつき始めていた。
北の空は暗い。
あそこでは今頃、あの子たちが命がけで戦っている。
私の「孫の手」の魂は、あの子たちの心に受け継がれている。
グレイド様の剣も、あの子たちの手に託された。
そして、ヴェルドアの魂も、ポチの中に生きている。
全部、繋がっているのだ。
私たちが歩んできた道は、決して途切れることなく、未来へと続いている。
「祈りましょう、グレイド様。あの子たちの勝利を」
「ああ。……無事に帰ってこい」
私たちは手を取り合い、静かになった屋敷で、遠い空を見つめ続けた。
不安がないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上に誇らしさが胸を満たしていた。
私たちの愛の結晶が、今まさに伝説になろうとしているのだから。




