第5話 魂の継承
その日は、あいにくの雨だった。
しとしとと降る霧雨が、公爵邸の庭園を静かに濡らしている。
庭園の中央には、白百合で飾られた祭壇が設けられていた。
その中心に安置されているのは、巨大な棺ではない。
ヴェルドアが生前愛用していた、特注の鞍と手綱、そして私が最初に使ったデッキブラシ。
彼の遺品たちだ。
最強の黒竜、ヴェルドアの葬儀。
それは公爵家主催でありながら、実質的な国葬に等しい規模で執り行われていた。
「ドラグニール帝国より、弔問の使者が到着されました!」
「王家より、国王陛下直々の献花です!」
次々と告げられる来賓の名。
黒い喪服に身を包んだ人々が、長い列を作って献花台へと進んでいく。
かつては「生物兵器」として恐れられた彼が、こんなにも多くの人に惜しまれて旅立つなんて。
私は喪主の妻として、祭壇の脇に立っていた。
隣にはグレイド様がいる。
彼は微動だにせず、弔問客一人一人に丁寧に頭を下げていた。
その横顔は彫像のように美しいけれど、どこか血の通わない冷たさがあった。
無理をしているのだ。
半身を失ったような痛みを、必死に押し殺している。
私はそっと、彼の手を握った。
氷のように冷たい手。
私が握り返すと、彼は一瞬だけこちらを見て、力なく微笑んだ。
「……大丈夫だ、エルマ」
「はい。知っています」
言葉は少なくていい。
ただ、ここにいること。
それが今の私にできる、唯一の支えだった。
祭壇の最前列には、双子のアレンとレンが立っていた。
彼らの間には、ポチが座っている。
いつもなら落ち着きのない彼らだが、今日は石像のように動かない。
涙も見せない。
ただじっと、遺品を見つめている。
『……あいつら、泣かねぇな』
足元で、始祖竜のおじいちゃんが呟いた。
彼もまた、黒いリボンを首に巻いている。
「約束したそうです。ヴェルドアとの約束だから、笑顔で見送るって」
『ふむ。健気なことよ』
おじいちゃんは杖をついて、祭壇の前へと歩み出た。
ざわめきが静まる。
伝説の始祖竜が弔辞を述べるとあって、誰もが固唾を呑んで注目した。
『ヴェルドアは、よき竜じゃった』
しゃがれた声が、雨音に混じって響く。
『短気で、食いしん坊で、世話の焼ける孫のような存在じゃった。だが、誰よりも強く、誰よりも優しかった』
おじいちゃんはポチの方を見た。
『竜の魂は消えぬ。肉体が滅びても、その魔力は大地に還り、あるいは……近しい者の魂に宿る』
ポチが、ハッとしたように顔を上げた。
その瞳が、金色に輝いたように見えたのは気のせいだろうか。
『悲しむでない。あやつは形を変えて、お主らのそばにおる。……空を見上げれば、いつでも風の中に気配を感じられるはずじゃ』
おじいちゃんの言葉が終わると同時に、雲の切れ間から一筋の光が差し込んだ。
雨が上がる。
まるで、ヴェルドアが「湿っぽいのは終わりだ!」と言っているかのようだった。
葬儀が終わり、参列者たちが去っていく。
静寂が戻った庭園で、私たちは祭壇を片付け始めた。
「ママ、パパ」
アレンとレンが近づいてきた。
ポチも一緒だ。
「これ、ヴェルドアにあげる」
アレンが差し出したのは、彼らが小竜を世話する時に使っていた、手作りの首輪だった。
不格好だけれど、愛情のこもった品だ。
「……いいのか?」
「うん。天国で、新しい友達ができるかもしれないから」
レンがはにかむ。
なんて優しい子たちなのだろう。
その時、私はポチの異変に気づいた。
いつもは赤褐色の鱗が、夕日に照らされて黒く光っている。
泥汚れではない。
鱗そのものの色が、深い漆黒へと変化し始めているのだ。
「あら? ポチ、色が……」
「あ、本当だ!」
双子も気づいてポチを覗き込む。
ポチは不思議そうに自分の体を見回し、そして『グルルッ』と低く唸った。
その声の響きが、ヴェルドアのそれに少し似ていた。
「……魂の継承か」
グレイド様が呟いた。
彼はポチの頭を撫で、どこか懐かしむような目で微笑んだ。
「ヴェルドアの魔力が、ポチに受け継がれたのかもしれないな」
「そんなこと、あるんですか?」
「竜の世界では稀にあるそうだ。強い絆で結ばれた幼体に、老いた竜が力を託すことが」
ポチが、アレンとレンの顔を交互に舐めた。
その仕草は、まるで「俺が守ってやるから安心しろ」と言っているようだった。
「ヴェルドア……」
双子がポチに抱きつく。
今度こそ、彼らの目から涙が溢れた。
悲しみの涙ではない。
再会の喜びと、安堵の涙だ。
私も目頭が熱くなった。
ヴェルドアは、本当に最後まで面倒見のいい相棒だ。
自分の命が尽きてもなお、こうして子供たちを守る力を残してくれたのだから。
「……ありがとう、相棒」
グレイド様が空を見上げて言った。
その頬を、一筋の涙が伝う。
それは、彼が初めて見せた、喪失を受け入れた後の、癒やしの涙だった。
私は彼の手を両手で包み込んだ。
「行きましょう、グレイド様。私たちには、まだやるべきことがたくさんあります」
「……ああ。そうだな」
彼は涙を拭い、私に向き直った。
その瞳には、かつての冷徹な光ではなく、温かく力強い、夫としての光が宿っていた。
「未来を育てよう。ヴェルドアが託してくれた、この希望の種を」
私たちは双子とポチを連れて、屋敷へと戻った。
背後には、夕焼けに染まる空と、いつまでも消えない虹がかかっていた。
一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。
けれど、私たちの絆は変わらない。
形を変え、色を変えながら、永遠に続いていくのだ。
***
そして、時は流れた。
数年後。
公爵邸の庭園には、立派な青年の姿があった。
15歳になったアレンとレン。
そして、彼らの背丈を遥かに超える巨体へと成長した、漆黒の竜――ポチ。
彼らは竜騎士団の制服に身を包み、初陣の日を迎えていた。
その背中は、かつてのヴェルドアとグレイド様のように、頼もしく、そして輝いていた。




