第2話 言葉なき連携
乾いた風が、訓練場の砂埃を巻き上げた。
向かい合うのは、大人と子供。
そして、巨大な飛竜と、まだ若く小さな竜。
体格差は歴然だった。
古参騎士が駆る飛竜は、歴戦の傷跡が残る猛者だ。対するポチは、双子を背に乗せてやっと一人前の大きさ。
正面からぶつかれば、ひとたまりもないだろう。
「手加減はせんぞ、小僧ども!」
騎士が声を張り上げる。
彼は手綱を握り、大声で飛竜に命令を下した。
「飛べ! 上空からプレスだ!」
飛竜が重い翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。
その影が、双子とポチを覆い隠す。
「危ない!」
私は思わず叫びそうになり、手すりを強く握りしめた。
上空からの圧殺攻撃。
竜騎士の定石だが、ポチの体格では防ぎきれない。
けれど、隣のグレイド様は動じなかった。
彼の手が、私の震える手に重ねられる。
「見ろ、エルマ。彼らは動じていない」
ハッとして視線を戻す。
双子は、空を見上げていなかった。
アレンとレンは、ポチの首元に身を伏せ、じっと「前」を見ていた。
そして、レンがポチの右肩をポンと叩く。
それだけの合図。
言葉はない。
瞬間。
ポチが弾かれたように走り出した。
空へ逃げるのではない。
あえて騎士の懐――飛竜が飛び立った直後の、無防備な死角へと潜り込むように。
「なっ!?」
上空の騎士が狼狽える。
獲物が真下に消えたのだ。
急降下しようにも、ポチのスピードが速すぎて照準が合わない。
「右だ! 右へ旋回!」
騎士が叫ぶ。
飛竜が命令に従い、体を捻る。
その「命令」と「動作」の間にある、わずかなタイムラグ。
双子は見逃さなかった。
アレンが膝で合図を送る。
ポチが急停止し、その場で鋭角にターンを決めた。
遠心力で振り落とされそうになるのを、双子は互いの体を支え合って耐える。
そして、飛竜が旋回を終えるよりも早く、ポチが跳躍した。
『グルアッ!』
ポチが飛竜の脇腹を蹴りつける。
ダメージを与えるためではない。
バランスを崩させるための、計算された一撃だ。
「うおっ!?」
空中で体勢を崩した飛竜が、大きく高度を下げる。
騎士が慌てて手綱を引くが、立て直しが遅れる。
その隙に、双子はすでに次の位置へと移動していた。
騎士の背後だ。
「……速い」
私は息を呑んだ。
言葉がない分、判断から行動までの速度が桁違いだ。
「右へ行け」と叫ぶ時間すら、彼らにとっては無駄なのだ。
ただ触れ合い、意思を通わせるだけで、彼らは風のように戦場を駆ける。
それは、私が知っている「竜騎士」の戦い方ではなかった。
もっと野性的で、それでいて洗練された、新しい時代の戦術。
「……くそっ! ちょこまかと!」
騎士が焦りの色を浮かべ始めた。
彼が命令を叫べば叫ぶほど、双子は冷静にその隙を突いてくる。
言葉が弱点になっているのだ。
「焼き払え! ブレスだ!」
騎士が最後の手段に出た。
訓練用の模擬戦でブレスを使うなんて、正気ではない。
飛竜が口を開け、魔力を溜め始める。
「やめさせないと!」
「待て。……来るぞ」
グレイド様の目が光った。
双子は逃げなかった。
ポチも怯まない。
三つの心が、完全に同調する。
レンがポチの首を抱きしめる。
アレンが木剣を構える。
ポチが、地を蹴る。
真正面からの突撃。
ブレスが放たれる直前、ポチは飛竜の懐に飛び込んだ。
そして、アレンの木剣が、騎士の喉元――寸前でピタリと止まる。
シン、と静寂が落ちた。
飛竜の口元で、ブレスの火種がシュウと消える。
主人が「死」を突きつけられたことを悟り、攻撃を中断したのだ。
「……そこまで!」
審判役の副団長が叫んだ。
アレンが木剣を引き、ポチの背中で姿勢を正す。
レンもほっと息を吐き、ポチの首を労うように撫でた。
「参りました……」
古参騎士が、震える声で言った。
彼は木剣を取り落とし、呆然と双子を見つめている。
信じられない、という顔だ。
言葉も通じない子供たちに、手玉に取られたことが。
ワァァァァッ!
観衆の騎士たちから、どよめきと歓声が上がった。
最初は冷ややかな目で見ていた彼らも、今の鮮やかな連携には言葉を失い、そして称賛せざるを得なかったのだ。
「……すごい」
私はへなへなと座り込みそうになった。
心臓が痛い。
でも、それ以上に胸が熱い。
あの子たちは、証明したのだ。
言葉がなくても、いや、言葉がないからこそ、誰よりも深く通じ合えることを。
私の「通訳」という能力がなくても、彼らは立派な竜騎士なのだと。
「見事だ」
グレイド様が満足げに頷いた。
その横顔を見て、私はふと思った。
この人も、こうして戦ってきたのだろうか。
冷徹と呼ばれ、孤独な戦場を駆け抜けながら、誰よりも竜を愛し、信頼して。
「……あなたに似てきましたね」
「いや。私以上だ」
彼は誇らしげに言った。
「私は言葉で命令し、君は言葉を訳した。だが彼らは、言葉そのものを超えた。……新しい時代の騎士だ」
グレイド様は私の肩を抱き、訓練場へと降りていった。
私も続く。
双子が私たちに気づき、泥だらけの顔で笑った。
「パパ! ママ! 見た!?」
「一本取ったよ!」
駆け寄ってくる小さな英雄たち。
ポチも誇らしげに鼻を鳴らしている。
私は二人を抱きしめた。
泥の匂いと、汗の匂い。
それは、頼もしい成長の匂いだった。
「ええ、見たわ。とってもかっこよかった」
「よくやった。だが、無茶はいかんぞ」
グレイド様が厳しくも優しい言葉をかける。
騎士団の空気が、変わり始めていた。
彼らを見る目に、侮蔑の色はない。
あるのは、未知の才能への驚嘆と、期待だ。
私たちは、新しい風が吹くのを感じていた。
この子たちが作る未来は、きっと私たちが想像するよりもずっと、自由で優しいものになる。
そう確信した時だった。
ドサッ。
不穏な音が響いた。
振り返ると、訓練場の隅で観戦していたはずのヴェルドアが、地面に倒れ伏していた。
「ヴェルドア!?」
私は悲鳴を上げて駆け寄った。
巨体が動かない。
荒い呼吸だけが、苦しげに繰り返されている。
『……わりぃ。ちょっと、めまいがな……』
脳内に響く声は、弱々しかった。
最強の黒竜が、立ち上がれない。
その鱗の色が、以前よりもくすんで見えたのは、気のせいではなかったのだ。
私の胸に、冷たい不安が走った。
双子の成長という光の裏で、確実に忍び寄っていた影。
「老い」という、抗えない運命が、そこにあった。




