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【最終章開始!】婚約破棄された私、魔獣と話せるスキルで暴れる竜を通訳したら、冷徹騎士団長様に「俺の恋心も通訳してくれ」と溺愛されています  作者: 月雅
第4章

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第4話 父の教え、母の我慢



 風が強くなってきた。

 灰色の雲が、遠くの山々を覆い隠すように垂れ込めている。


 私は居間の窓辺に立ち、落ち着かない気持ちで爪を噛んでいた。

 視線の先にあるのは、庭園の向こう、演習場の隅にある雑木林だ。


『……さむい……』

『なんか食わせろ……いやだ、人間は嫌いだ……でも腹減った……』


 風に乗って、微かな、けれど切実な声が届く。

 小竜の声だ。

 昨日よりも弱々しい。

 体力が尽きかけているのだ。


「……あの子、寒がってる」


 独り言が漏れる。

 小竜はまだ幼い。鱗も薄く、体温調節が未熟だ。

 この季節の風は、弱った体には毒になる。

 それに、怪我の熱もあるはずだ。


「毛布を持って行ってあげなきゃ。それに、消化の良いスープも」


 私は反射的に動こうとした。

 双子たちが持って行ったのは、硬い干し肉とパンだけだ。

 今の小竜には噛み砕く体力すらないかもしれない。

 私が教えてあげれば。

 「寒がってるから温めて」「お肉を柔らかくしてあげて」と一言伝えれば、すぐに解決するのに。


 ガシッ。


 部屋を出ようとした私の腕が、背後から掴まれた。

 大きな手。

 グレイド様だ。


「どこへ行くつもりだ、エルマ」

「演習場です。あの子、寒がってるんです。スープを届けないと死んじゃいます!」

「アレンとレンが行っているはずだ」

「でも、あの子たちには聞こえないんですよ!? 小竜が何を欲しがっているか、わかるはずがないじゃないですか!」


 私は声を荒らげた。

 母親としての焦りが、理性を上回ろうとしていた。

 子供たちに失敗させたくない。

 悲しい思いをさせたくない。

 それが「過保護」だとわかっていても、体が勝手に動いてしまう。


 グレイド様はため息をつき、私を強引に引き寄せた。

 そして、ソファに座らせると、自分も隣に腰を下ろした。


「座りなさい。そして、見るな」

「グレイド様!」

「今、手を出せば、彼らの努力は水の泡になる。今朝、私が彼らに何と言ったか、知りたいか?」


 彼の真剣な眼差しに、私は口を閉じた。

 今朝の稽古。

 あの時、彼は息子たちに何を伝えたのだろう。


「私はこう言った。『母さんは特別だ。真似をするな』と」


 ドキリとした。

 それは、ある意味で残酷な事実の宣告だ。

 あなたたちには才能がない、と言っているのと同じではないか。


「『お前たちには魔獣の声は聞こえない。それは変えられない事実だ』とはっきり伝えた」

「そんな……あの子たち、ショックを受けたでしょう」

「ああ。泣きそうな顔をしていたよ」


 グレイド様は苦笑し、遠い目をした。


「だが、私は続けた。『だからこそ、お前たちにはお前たちのやり方がある』とね」

「やり方?」

「声が聞こえないなら、見ればいい。触れればいい。相手の様子を観察し、何を求めているか想像し、試行錯誤する。それが、普通の人間が他者と理解し合うための、唯一にして最強の方法だ」


 見る。触れる。想像する。

 それは、私が「通訳スキル」に頼りすぎて、疎かにしていたことかもしれない。

 言葉がわかるからといって、心が通じているとは限らない。

 逆に、言葉がなくても、伝わる思いはある。


「彼らは今、その『普通のやり方』を学んでいる最中だ。答え合わせを先に見てしまったら、考える力が育たない」


 グレイド様は私の手を握りしめた。


「エルマ。君の能力は素晴らしい。だが、それに頼り切った解決法しか知らない人間になってほしくはないんだ、あいつらには」


 父としての、厳しくも温かい願い。

 私は胸が熱くなった。

 彼は、私よりもずっと深く、子供たちの未来を考えてくれていたのだ。


「……わかりました。我慢します」


 私はソファの背もたれに体を預け、目を閉じた。

 耳を塞ぐことはできないけれど、心を鬼にすることはできる。


 窓の外では、風鳴りが一層激しくなっていた。


 ***


 演習場の隅。

 アレンとレンは、小竜の前にしゃがみ込んでいた。


 私には見えないけれど、グレイド様の言葉を聞いた今なら、彼らが何をしているか想像できる。

 きっと、必死に観察しているはずだ。


 ――小竜はどうしてる?

 ――震えてる。

 ――お肉を食べないね。

 ――口が痛いのかな?


 そんな会話が聞こえてくるようだ。


『……うぅ……さむい……』


 小竜の声が響く。

 届いて。

 お願い、気づいて。

 私は心の中で祈った。


 数十分後。

 双子がバタバタと屋敷に戻ってきた。

 その顔は泥だらけだったけれど、目は輝いていた。


「ママ! 毛布ちょうだい!」

「あと、温かいミルクも!」


 アレンが叫びながらキッチンへ飛び込んでいく。

 レンが私のところへ来て、息を切らしながら報告した。


「あの子ね、ブルブル震えてたの! だからきっと、寒いんだと思う!」

「あとね、お肉を鼻先に持っていっても、プイッてするの。でもお腹はグーって鳴ってたから、硬いのが嫌なのかも!」


 正解だ。

 彼らは、自分たちの目で、答えに辿り着いたのだ。


「……そう。よく気がついたわね」


 私は涙が出そうになるのを堪えて、レンの頭を撫でた。


「毛布は客室にあるわ。ミルクは人肌に温めてね」

「うん! 行ってきます!」


 双子は再び嵐の中へと駆けていった。

 その背中は、昨日よりもずっと頼もしく見えた。


 グレイド様が、満足げに頷いている。


「見ろ。彼らはやったぞ」

「ええ。あなたの言った通りでした」


 私は夫を見上げた。

 この人は、いつだって私を導いてくれる。

 私が感情的になりそうな時、冷静な視点で正しい道を示してくれる。

 共同養育者として、これほど信頼できる相手はいない。


「惚れ直しましたか?」

「……調子に乗らないでください」


 憎まれ口を叩きながらも、私は彼の腕に頭を預けた。

 夫の体温が心地よい。


 でも、安心するのはまだ早かった。


 ゴロゴロ……ピッシャーン!


 突然、閃光が走り、轟音が屋敷を揺らした。

 雷だ。

 予報よりも早く、嵐の前触れが到達したらしい。


『ギョエエエエエッ!』


 小竜の悲鳴が聞こえた。

 寒さや空腹よりも、もっと原始的な恐怖。

 雷鳴にパニックを起こしている。


『怖い! 嫌だ! 隠れなきゃ! 逃げなきゃ!』


 錯乱した思考が流れ込んでくる。

 まずい。

 野生動物がパニックになれば、何をしでかすかわからない。

 檻を壊して逃げ出すか、あるいは近づく者に無差別に攻撃を加えるか。


「グレイド様! 小竜が!」

「ああ、聞こえた。雷だ」


 グレイド様も表情を引き締めた。

 彼は立ち上がり、窓の外を睨む。


「双子は今、向かっている最中だ。鉢合わせれば危険かもしれん」

「行きますか?」

「……いや」


 彼は迷った末に、首を振った。


「彼らを信じると決めた。それに、ヴェルドアがついている」


 そうだった。

 あそこには、最強の保父がいる。

 ヴェルドアなら、最悪の事態は防いでくれるはずだ。


 でも、親としての不安は消えない。

 外はもう暗い。

 雨粒が窓を叩き始めている。


 今夜は長い夜になりそうだ。

 子供たちの冒険は、最大の試練を迎えようとしていた。


 私は祈るように手を組み、嵐の闇を見つめ続けた。

 どうか、あの子たちの勇気が、恐怖に打ち勝ちますように。


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