第1話 双子の悩みと最強の保父
穏やかな春の陽気が、公爵邸の庭園に降り注いでいる。
芝生の上では、二つの小さな影が歓声を上げて走り回っていた。
「まてー! べるどあー!」
「おじいちゃん、そこじゃなくてこっち!」
5歳になった双子の息子たち、アレンとレンだ。
彼らが追いかけているのは、巨大な黒竜と、猫サイズの小さな竜。
かつて世界を震撼させた最強生物たちが、今や我が家のベビーシッターとして君臨している。
『ほらほら、こっちだぞチビども! 追いつけるもんなら追いついてみろ!』
ヴェルドアがわざとゆっくりと尻尾を振って、子供たちを挑発する。
始祖竜のおじいちゃんは、日向ぼっこをしながら杖を振って審判の真似事だ。
「……平和ですね」
私はテラスで紅茶を飲みながら、目を細めた。
あの「大共鳴」騒動から数年。
世界は落ち着きを取り戻し、私たち家族も平穏な日々を送っている。
夫のグレイド様は騎士団の仕事で留守だが、夕方には帰ってくるだろう。
幸せな光景だ。
けれど、私の心には小さな棘が刺さったままだった。
「あら、奥様。坊ちゃまたちは今日も元気ですわね」
庭の手入れをしていた侍女が、にこやかに話しかけてきた。
「ええ。元気すぎて困るくらいよ」
「ふふっ。でも、さすがはエルマ様のお子様たちです。あんなに自然に竜と触れ合えるなんて」
侍女は感心したように頷き、そして期待に満ちた目で言った。
「きっと坊ちゃまたちも、もうすぐ『お声』が聞こえるようになるのでしょうね。将来は最強の竜騎士になられること間違いなしですわ」
悪気のない、純粋な称賛。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、庭を走っていたアレンとレンの足が、ぴたりと止まったのが見えた。
「……うん。そうだね」
兄のアレンが、背を向けたまま小さく呟く。
弟のレンは、何も言わずに俯いて、足元の草をむしり始めた。
胸が痛んだ。
侍女は気づかずに立ち去ったけれど、私は見てしまった。
子供たちの小さな背中にかかる、見えない重圧を。
***
夕食の時間。
食卓には賑やかな料理が並び、グレイド様も帰宅して席についていた。
「パパ、おかえりなさい!」
「ああ。今日は何をしていたんだ?」
グレイド様が優しく尋ねると、双子は顔を見合わせて口ごもった。
「えっとね、ヴェルドアと追いかけっこした」
「おじいちゃんにお菓子あげた」
当たり障りのない報告。
いつもなら「竜がこう言ってたよ!」と報告があってもおかしくない場面だ。
けれど、彼らは決して「竜とおしゃべりした」とは言わない。
言えないのだ。
私にはわかっていた。
この子たちには、魔獣の声が聞こえていない。
私のような「通訳」の力は、遺伝しなかったのだ。
それは決して悪いことではない。
普通の人間として生きられるなら、その方が幸せかもしれない。
でも、周囲はそう見てくれない。
「救世の巫女」と呼ばれた母を持つ息子たちに、過剰な期待を寄せている。
「……ねえ、あなた」
子供たちが寝室へ行った後、私はグレイド様に相談を持ちかけた。
「あの子たち、最近元気がなくて。周りからの『期待』を気にしているみたいなんです」
「声のことか」
「はい。使用人たちも、貴族の方々も、会うたびに聞くんです。『竜の声は聞こえますか』って。あの子たち、聞こえない自分はダメなんだって思ってしまっているようで」
私はため息をついた。
私の力が、あの子たちを苦しめている。
いっそ、私に力がなければよかったのに。
グレイド様は静かにワイングラスを置いた。
そして、私の手を強く握った。
「エルマ。自分を責めるな」
「でも……」
「才能など、あってもなくても関係ない。彼らは私の、そして君の大切な息子たちだ。それだけで十分価値がある」
彼の言葉は力強く、迷いがなかった。
「声が聞こえなくても、彼らは竜と仲良くやっている。ヴェルドアも始祖殿も、彼らを愛している。それが全てだろう?」
「そう、ですね。頭ではわかっているんです。でも、親心としては、あの子たちが傷つくのを見たくなくて」
過保護かもしれない。
でも、あの小さな背中が寂しそうにしているのを見ると、どうしても守ってあげたくなる。
通訳してあげれば、彼らも楽になれるかもしれない。
ヴェルドアが何を考えているか教えてあげれば、自信が持てるかもしれない。
「焦ることはない。彼らはまだ5歳だ。これから自分で答えを見つけていくさ」
グレイド様は優しく微笑み、私の肩を抱いた。
その温かさに、少しだけ救われた気がした。
***
翌日。
私は気晴らしにと、子供たちを連れて竜騎士団の演習場へ出かけることにした。
もちろん、ヴェルドアも一緒だ。
演習場は広大で、騎士たちが飛竜に乗って訓練をしている。
その迫力に、双子の目が輝いた。
「すっげー! かっこいい!」
「はやいー!」
やっぱり男の子だ。
竜や騎士への憧れは強いらしい。
「アレン、レン。危ないからフェンスの側を離れちゃダメよ」
「はーい!」
元気よく返事をして、二人は演習場の隅にある雑木林の方へと駆けていった。
そこなら飛竜も来ないし、安全だろう。
私はベンチに座り、ヴェルドアの背中に寄りかかって見守ることにした。
『あいつら、また変なとこ行ってんな』
ヴェルドアが欠伸交じりに言う。
「探検ごっこよ。男の子だもの」
『ふーん。ま、俺がついてるから大丈夫だろ』
ヴェルドアは片目を開けて、子供たちの様子を監視してくれている。
最強の保父がいる限り、物理的な危険はない。
しばらくして。
雑木林の方から、ガサガサという音が聞こえた。
そして、アレンとレンが手招きし合って、何やら地面を覗き込んでいるのが見えた。
「……?」
何か見つけたのかしら。
カブトムシか、トカゲか。
私は少し気になって、そちらへ歩み寄ろうとした。
けれど、ヴェルドアが低い声で制した。
『待て、エルマ。行くな』
「え? どうして?」
『……あいつらが、自分たちで見つけたんだ。大人が手出ししない方がいいもんもある』
ヴェルドアの瞳が、意味深に光っている。
何かを知っている目だ。
でも、危険なものではないらしい。
私は足を止めた。
遠目に見る双子の表情は、真剣そのものだった。
遊びの顔じゃない。
何か、重大な使命を帯びたような、緊張と興奮が入り混じった顔。
アレンが口に指を当てて「シーッ」という仕草をし、レンがこくりと頷く。
二人は顔を見合わせ、そして藪の中にある「何か」に向かって、そっと手を伸ばしていた。
彼らは何を見つけたのだろう。
私の知らないところで、子供たちの小さな冒険が始まろうとしていた。
その冒険が、やがて私たち夫婦に新たな試練と気づきをもたらすことになるなんて、この時の私はまだ知らなかった。
風が吹き抜け、演習場の砂塵を巻き上げる。
私は胸のざわめきを抑えながら、ただ静かに子供たちの背中を見つめていた。
どうか、あの子たちが傷つきませんように。
そう祈ることしか、今の私にはできなかった。




