90.タッツェルヴルム
「出た……。ヨハンの喋る守護霊体……、愛の詩の騎士……」
リーゼは幾分、眉をひそめながら呟くように言う。
「んん~、リーゼちゃん、相変わらず世界一可愛いねぇ」
「…………」
リーゼの存在に気付いた愛の詩の騎士はニコリと微笑む。
一方のリーゼは愛の詩の騎士は反応に困ったような微妙な顔をする。
そして、ぼそっと呟く。
「……なんでこの守護霊体、喋るのよ……」
通常、守護霊体は言葉を発しない。
通常と述べたのは例外があるからだ。
それがリーゼのローレライのように代々継承されるケースだ。
そうでない術者オリジナルの守護霊体は言葉を話さないというわけだ。
にもかかわらず、ヨハンの愛の詩の騎士はまるで自分に意思があるかのように、流暢に言葉を口にするのだ。
「本来、霊の審判者の魔力で生み出された守護霊体には意思なんかないはずなんだけどなぁ……」
「その通りさ~、愛しのリーゼ、僕の意思は……」
と、愛の詩の騎士の言葉を遮るように、
「さぁ、リーゼ、次のガイストの封印を解くよ」
「あ……うん……。と言っても、私は何も……」
リーゼは視線を泳がせる。
「…………さぁ、いくよ」
ヨハンはリーゼの様子に触れることなく、革のアタッシュケースから淡々と瓶を取り出す。
そして解呪を始める。
解呪は順調に進み、瓶が光を放ちながら割れた。
光の中から、細長い姿をしたガイストが現れた。
それは8体中、6体目のガイスト〝タッツェルヴルム〟であった。
「シャァアア!!」
タッツェルヴルムがヨハンを威嚇するように牙をむき出しにする。
その頭部は猫のようであった。
つまり蛇のような細長い身体に、猫の上半身がくっついているような奇妙な姿をしている。
その不気味な姿を見ながら、リーゼは顔を強張らせ呟く。
「タッツェルヴルム……、今までの5体とは比べ物にならない……」
「そうだね……、ここからが本番かもしれないね……」
ヨハンは一層の覚悟をもって、タッツェルヴルムの姿を見据える。
「シャァアア!!」
タッツェルヴルムの猫のような頭部から、蛇のように長い舌がチロリと覗く。
次の瞬間、その姿がブレた。
「速い……!」
タッツェルヴルムはヨハンの懐を狙う。
細長い身体をしならせ、死角から紫色の毒々しい爪を突き立ててくる。
「させないよ」
愛の詩の騎士が割り込み、その爪を長剣で弾く。
しかし、タッツェルヴルムは体勢を崩すことなく、即座に身を翻して距離を取った。
「シャアア!」
再びタッツェルヴルムが突進する。
今度は直線的な動きではなく、地面を蛇行しながら幻惑的な動きで愛の詩の騎士に迫る。
「まるで、気まぐれな淑女の心模様のようだねぇ……」
愛の詩の騎士は優雅に剣を構え、その攻撃を捌いていく。
だが、タッツェルヴルムの猛攻は止まらない。
爪による連撃、毒液の吐き出し、そして長い尾による薙ぎ払い。
「くっ……!」
愛の詩の騎士の鎧に、ついにタッツェルヴルムの爪が深く食い込んだ。
紫色の毒が瘴気のように鎧の隙間から立ち上る。
「ヨハン、援護を!」
「分かっている!霊晶砲!」
ヨハンがすかさず霊素の弾丸を撃ち込む。
しかし、タッツェルヴルムはその俊敏さでひらりと回避する。
「ああ……、この胸の痛み……。届かぬ想いを抱えたまま、毒に蝕まれていくようだ……」
膝をつきそうになるのを堪え、愛の詩の騎士は苦悶の表情で天を仰ぐ。
「なんと悲しき恋物語……。愛する人を守るためのこの剣が、今はこんなにも重いとは……」
その呟きは、いつしかポエミーに変化していく。
「ああ、似ている。汝が牙は、我が心を蝕む失恋の痛みに。触れることさえ叶わぬ、愛しき人の幻影に、私はまた恋をする……」
よくわからない詩の内容とは裏腹に、愛の詩の騎士の身体から放たれる魔力が変質していく。
騎士のオーラは、情熱の赤と絶望の黒が入り混じったような禍々しい輝きを放ち始めた。
「ギャウ!?」
その尋常ならざる気配に、タッツェルヴルムは初めて警戒の色を見せる。
「悲劇とは……常に甘美なものである……」
ぬらりと立ち上がった愛の詩の騎士の瞳は、燃えるような紅に染まっていた。
次の瞬間、愛の詩の騎士の姿が掻き消える。
彼はタッツェルヴルムの頭上に現れていた。その長剣には、燃え盛るような赤黒いオーラが渦を巻いている。
「悲恋の鎮魂歌」
振り下ろされた一閃は、冗談のような速度で、タッツェルヴルムは断末魔の叫びをあげる間もなく、情熱的な光の中に飲み込まれ、霧散していった。
静寂が戻った中で、愛の詩の騎士は剣を鞘に納め、
「この戦いが終わったら……故郷の妹に……」
そう言い残し霧散する。
が、再び……ヨハンは魔力を練り、愛の詩の騎士をすぐに具現化する。
「やぁ、ヨハン。久しぶりだね」
「冗談はよせ。愛の詩の騎士……無駄に魔力消費するなよ」
ヨハンは愛の詩の騎士に苦言を呈す。
「ん……君の望んだことだろう?」
「……」
愛の詩の騎士のあっけらかんとした態度にヨハンは眉をひそめる。
「さて……次……7体目だ……」
だが、すぐに気持ちを切り替える。
「ヨハン、本当に大丈夫なの?」
そんな兄にリーゼは心配そうに声をかける。
「大丈夫かどうかじゃない……やるしかないんだよ」
ヨハンは革のアタッシュケースに手を伸ばす。




