40.一人の破魔師として
父が叫ぶ。
「な、何をしている!? け、慶三っ!」
その瞬間、界はまるでスローモーションのように感じられた。
「私カラ……瑠美ヲ…………瑠美ヲ奪ウナ……!」
(え……? え? 青海さんが赤ちゃんを……)
「慶三っ……!!」
父が青海を取り押さえる。
青海は赤子から引きはがされる。
だが、
(…………ダメだ。くそ……間に合わなかった……)
生まれたばかりの赤子から血が滲み出ていた。
「慶三……! お前っ……! 禁忌を……」
「瑠美ヲ奪ウナ……私カラ瑠美ヲ奪ウナ……。ズルイ……彰彦ダケズルイ……」
「っ……!? お前、まさか……」
父は唇を噛みしめる。
【ん……? 妙だな……、そこいらの凡破魔師ごときに儀式直後の赤子を傷つけられるだろうか?】
(……?)
この場で唯一平静を保ち、事態を客観視しているドウマ。
本来であれば儀式直後の赤子には強力な結界が張られており、通常の破魔師には傷つけることができないはずであったのだ。
しかし、界には、そのドウマの言葉の意図を理解している余裕がなかった。
「彰彦さん! 赤ちゃんから……!」
母が叫び、皆の視線が血塗られた赤子へ向かう。
「っ……!」
赤子からゆっくりとエネルギー体のようなものが抜け出てくる。
そして、そのエネルギー体は人の形へと姿を変貌させていく。
長髪に神秘的な青い瞳を持つ青年。
純白の法衣に紫紺の羽織をまとい、背には聖なる光輪が浮かんでいた。
その青年が誰とはなく問いかける。
「…………約束が……違うのではないですか? 我が怒りを鎮める赤子が壊れている……」
その言葉を聞き、父は息を呑むように呟く。
「……聖乱テンシ……様……」
「約束が違うのではないか? と聞いているのですが?」
(っ……!)
その瞬間、聖乱テンシが凄まじいプレッシャーを放つ。
「はぅうう……何が、どうなっているのですか?」
暁はその場にへたり込み、恐怖から失禁する。
だが、
「赤ちゃんを……赤ちゃんを助けなきゃ……!」
そう言ったのは母であった。
母はあろうことか聖乱テンシを無視して、今しがた青海に刺傷された赤子の元へと駆けていく。
「…………この僕を無視するとはどういうことでしょう……?」
聖乱テンシは携えていた剣を一振りする。
軽く振るったその一振りは儀式の間を一撃で破壊するほどの衝撃をもたらす。
が、
「…………貴様ら……」
想定した結果を得ることができず、聖乱テンシは苛立ちを示す。
母と聖乱テンシの間には二人の男が立っていた。
「界……お前……」
二人の男のうちの一人は父であった。
その父はもう一人の男の果敢な行動に驚いていた。
「界……わかってるのか? 相手は八柱の慰霊の一角だぞ?」
「父ちゃん、それはお互い様でしょ……」
などと会話を交わす。
その間に、母はまるで父を信じていたかのように、聖乱テンシを全く見ることもなく、赤子への治癒妖術を開始していた。
「助産師さん、妊婦を……瑠美をお願いできますか!?」
「は、はい……!」
勇気ある者は両親だけではなかった。
(……それにしても……母さん……他人の子供を守るために……。結局、前世と同じだ……)
界の心はざわつく。
(だけど……)
だけど、前世と大きく違うことがある。
それは……、
(……俺がいる。相手が八柱の慰霊だろうが、なんだろうが、俺が絶対に二人を守ってみせる)
そう覚悟した時のことであった。
「ぐぁあああああああああ!!」
「「「っ……!?」」」
突然の叫び声に界達は驚く。
叫び声をあげたのは青海であった。
青海の身体から仄暗い炎があがる。
「ああぁあ゛あああ゛ああ!!」
そして、その炎の中から、聖乱テンシとは別の人形が姿を現す。
そこには、黒の狩衣に紫の炎をまとい、長い漆黒の髪を背後で結い、鋭い眼光で不敵な笑みを浮かべる男がいた。
(え……? 誰……?)
その場にいた全員が硬直する。ただ、一人を除いて。
【シビョウぅ…………貴様ぁああ! よくもおめおめと儂様の前に姿を現しおったなぁああ!】
(え……? シビョウ……?)
かつてない程のドウマの明らかな怒りに接し、界の頭はぐちゃぐちゃになる。
【界、気をつけろ……! 奴は……!】
と、ドウマが言いかけた時には、遅かった。
「あっ……!」
シビョウと呼ばれた者は、へたり込む暁を捕らえ、
「きゃぁあああ、やめるのです! おじさん! なんなのです!?」
そして、一瞬にして、その場から立ち去ってしまった。
(っ……、くそ……、何がどうなってるんだ……)
はっきり言って、界はどうしていいか分からなくなっていた。
(「ド、ドウマ、聖乱テンシを説得することはできないだろうか?」)
【依代のない慰霊はその怒り、怨念を鎮めることができない……それこそただの悪霊だ。つまり、まず無理だろう……】
「……くっ」
その時であった。
「界……、暁ちゃんを頼む……」
「え……?」
それは父から、暁を追って、救ってくれという意図の言葉であった。
(っ……! そんなこと……)
頭では理解できた。
だが、それは即ち、自分が両親から離れることを意味していた。
「なぁ、界……、六歳の子にこんなことを頼むなんて、私はろくでもない親だな……」
「っ……そんなことない……」
父にとっても苦渋の決断であることは簡単にわかる。
「でも父ちゃん、俺……、俺は今日、この日この時に父ちゃんと母さんを守るために……」
「界……、界は時々、不思議なことを言うよな……。まるで未来から我々を助けに来てくれたかのように……」
「そ、それは……」
「今は、そんなことどうでもいい。私は思うのだ。例え、その悲願を捨てたとしても、今日、この日この時、界は暁ちゃんを助けるべきだって」
「っ……!」
「界、これは父親としての私から息子である界への指示、ましてや命令などでは決してない。〝一人の破魔師として〟の頼みだ」
その瞬間、界はもう走り出していた。
ここで迷うコンマ数秒は、ここに戻ってくるまでのコンマ数秒を遅らせることになる。
(諦めたわけじゃない……! 絶対、諦めたわけじゃねえからな……!)




