30.ねじ伏せる
「レ、裂牙ぁ」
生理的な恐怖を覚えた狒々は、ターゲットの幼子に襲い掛かる。
その鋭い牙で界を噛み殺そうとする。
だが、
「……ダデ?」
狒々が嚙み砕いたのは空気であった。
そこにいたはずのターゲットは無くなっていた。
「雷術〝迅雷躰〟」
「……ダ!?」
ぼそりと呟かれた技名が耳に入り、狒々は振り返る。
そこには、黒い電弧をまとった界がいた。
「イ、一瞬デ……!?」
狒々は界の動きが全く可視できておらず、焦燥にかられる。
そして、
「ゴ、轟天衝……!」
床が損傷する程、強く地面を蹴り、界への突進を試みる。
しかし、
「風術〝風縛〟」
「……ナ、ナンデ?」
界までの距離、50センチというところで、身体が完全に停止してしまう。
風圧が狒々の進行を妨げていた。
【流石に壁っぽい技のセンスはいいな……】
(…………そ、そうかな……)
狒々が自身の攻撃を完封され、生理的な恐怖を感じていたとき……、
界もまた必死であった。
(……ドウマによると、俺が微量だと思っていた魔力は普通からすると、めちゃくちゃ多いらしい。ただ……、魔力を多く持っていることと、その魔力を使うことは全くの別物だ。俺の妖術はまだまだ拙い。要するにMPだけ大量にあっても、それを有効に使えなければ宝の持ち腐れだ)
「ウボォオオオ! アサネトオデノ邪魔ヲスルナ! アサネトオデノ!!」
(う、うわ、なんかあいつ興奮してるよ! やばくないか……!)
「猛爪乱舞!!」
狒々はその鋭く長い爪を凄まじい勢いで振り回し、逃げ道を塞ぐように、界に接近してきていた。
と、
【田介……】
(「お……?」)
ドウマが語り掛けてきた。
【お前の妖術は確かにまだまだ成長の余地がある。磨けば、より研ぎ澄まされた妖術を扱えるようになるだろうし、今はまだお前より洗練された妖術を使える者も多いだろう】
(「……うん」)
【だがな……お前は誰かが一生を懸けて、積み上げ磨き上げてきた技を……ねじ伏せることができる】
(「……!?」)
その時、界の身体中を熱い何かが駆け巡る感覚がした。
界はその感覚が何かを知っている。
(「……ど、ドウマ……これって……」)
【あぁ……儂様の持つ〝術ノ書〟だ】
〝術ノ書〟、それは妖術を扱うための教科書である。
通常であれば本の形をした術ノ書に触れることで、その技の情報をインプットできる。
しかし、ドウマは以前、ドウマならば、本なしでも術の情報を注入できる旨の発言をしていたのだ。
界は今まさにドウマにより術ノ書を注入されたのだと理解する。
(「だけど、俺……一発でできるかな……? 妖術の時も響術の時だって……最初の挑戦では失敗した……」)
【何を言うかと思えば、そんなことか……? 最初の挑戦では失敗しただと……? お前は初めて儂様の魔力を止めた時のことを忘れたのか?】
(「……!」)
【お前は生まれた直後に、世界で最も難しいことをやってのけた。それから今までずっと、それを継続してきた。つまり、お前は本番に強い。だから……できる……。儂様を信じろ】
(「……!」)
【儂様が心配しているのは、むしろ別のことだ。己の力を正しく理解することは重要だ。だが、天狗になるなよ。慢心は必ず身を滅ぼす】
(「…………肝に銘じる」)
「ウボォオオオ! アサネ、オデノ! アサネ、オデノ!! 邪魔モノ、潰ス!」
「人違いだろ? アサネじゃなくて、雨さんだ」
「っ、…………界くん……」
そうして、界は右手を前に出し、手の平を狒々に向ける。
闇が広がり、そこだけ時間が止まっているかのようであった。界の手の平から黒い煙が立ち上り、周囲の空間が歪み始める。
次の瞬間、黒蓮の花が開き、紫黒の光を放ちながら、冥界の炎がゆっくりと姿を現す。
【魔力なき者には扱うことすら叶わぬ、奥義……。それは多少、拙くとも、地道な修練により積み上げた匠の技を非情にもねじ伏せる】
「闇炎術〝黒蓮冥火〟」
ただただ暗い……暗黒の炎が狒々を包み込む。
「ガァアアアアア……! コンナ小童ニ……コノオデサマガ負ケルワケ……オデノ……オデノアサ……、ア……」
その瞬間、炎の火力が上昇する。
「ゃメぇえええええええ…………」
そして狒々は塵となる。
「なんだ……、ちゃんと言えるじゃん? 雨って……」
【……ははっ……、なんと強引な……。というか、アゃメになってなかったか?】
「細かいことは気にしない」
次話、顛末【一部、雨視点】




