28.狒々【一部、雨視点】
「篝火堂院長! 緊急事態です! 寂護院に霊魔が……!」
扉を開けながら界は叫んでいた。
(……っ)
しかし、院長室に入ってすぐ、界の言葉を「なんと!」と聞いてくれるような人影はなかった。
(っ……篝火堂院長……、不在なのか!? くそっ、とんだ無駄骨……)
そんな考えが界の脳裏をよぎった時、
「う……ぅ……」
薄暗い部屋の奥からうめき声が聞こえた。
「っ……! えっ……!?」
界は部屋の奥で人が倒れているのを発見する。
「だ、大丈夫ですか!?」
界は急いでその人に駆け寄る。
倒れていたのは女性であった。
恐らく整った顔立ちをしているのだが、ひどく損傷し、巫女服の白衣は赤く染まっていた。
「…………君は……白神くんだね?」
「……!」
(俺のことを知っている。ってことは、この人が篝火堂院長……?)
その通りであった。
「…………不覚をうった」
篝火堂は悔しそうに唇を噛みしめながら、息も絶え絶えに続ける。
「奴は……狒々は強すぎる……」
(ま、まさかクラス5〝力級〟の篝火堂院長がやられたってことか……?)
「奴に……なんとか……封印術をかけたが、それもいつまで持つか……」
「っ……!」
(封印術をかけた……? ってことは、さっきまでの狒々は弱体化してたってことか……? それがもうすぐ解ける? つまり……雨さんが危ない……!)
「がはっ……ごほっ……ごほっ……白神くん……君は早く逃げるんだ……」
篝火堂は血を吐きながら言う。
「っ……」
(……雨さんのところへ戻らなきゃ……。だけど、篝火堂院長も早く治療しないと……きっと……死んでしまう)
界の脳裏に〝トリアージ(選別)〟という言葉が過る。
(……どちらかを選ばないと…………いけないのか……)
◇◇◇
「氷術〝大氷塊!」
「グベェ……!」
狒々が後方に激しく転倒する。
それもそのはずだ。私の大氷塊をまともに受けて、無事でいられるはずがない。
「ンダぁ……痛エダぁ」
「っ……!」
狒々は頭を搔きながら起き上がる。
さっきからそうだ。
狒々は私の氷術を受けて、大きなダメージを受けている。
私は戦況を有利に進めている。
そのはずなのに……立ち上がる。
「ン……? ナンカ身体、軽クナッタ」
「え……? どういう……? っ……!」
気が付くと、私のすぐ近くの床が抉れていた。
狒々が床に拳を叩きつけている?
避けれた……? いや、狒々が外しただけ……?
あまりの速度に思考が追い付けない。
「〝氷壁〟」
ほとんど本能的に出していた氷の壁。
氷壁が次の瞬間には激しい音と共に粉砕される。
「っ……!」
氷壁を破壊した者はすでに腕をテイクバックしているのが視界をかすめる。
……っ氷壁!
「きゃぁああああ!!」
…………。
気が付くと、自分の出した氷壁ごと、後方に吹き飛ばされていた。
……一体……な、なにがどうなって?
優位に戦いを進めていた……と思っていた。
なのに、狒々の速度が突然、上がった。
今までが……今までが全然、本気じゃなかったってこと……?
「アサネぇ……モウ……オ遊ビイラナイ……」
「っ……」
狒々は、明らかに先程までとは違う禍々しい魔力を放っている。
「……ごめん、界くん……一人じゃ厳しいかも……。早く篝火堂院長を……」
篝火堂院長はクラス5〝力級〟でお父さんと同じ階級……。
お父さん……。
『雨……大丈夫、どんな強い霊魔が来たって、お父さんが必ず守るからな』
強くて優しいお父さん。クラス5のお父さん。
私のかっこいいお父さん。いつも助けてくれるお父さん。
篝火堂院長はそんなお父さんと同じ階級。とても強い。
だから、篝火堂院長は必ず私たちを助けてくれる。
「カガリビドウ?」
「っ……?」
なんで? なんで狒々がこの言葉に反応するの?
「カガリビドウ……ソイツナラ殺シタケド?」
「っっっ……!」
な、何を言っているの……?
「コノ施設デぇ一番偉ソウナ奴。交尾ノ邪魔ニナリソウ。ダカラ殺シタ」
「そんなはず……! そんなはず……ない……!」
「ナンデ?」
「篝火堂院長はクラス5……お父さんと同じクラス5……。だからお前なんかに負けるわけ……」
「クラスファイブ……? 知ランシ、デモ殺シタシ」
「っっ……」
「サぁ、アサネ……ソロソロ交尾シヨ」
「……ひっ……」
あ、脚に力が……。
なんで……?
「コウビ♪ コウビ♪ コウビ♪」
狒々が近づいてくる。
動かなきゃ…………動かなきゃいけないのに……。
どうして……?
どうして身体が動いてくれないの……?
「アサネ♪ アサネ♪」
「っ……!」
どうして、こんな時に……。
思い出したくないのに……。
『……雨ちゃん、君が生まれた時に、お母さんが亡くなったんだよ……でもそれは君のせいじゃない』
『雨ちゃん、七歳の誕生日おめでとう! でも、悪霊がアサネだったのは本当に不幸中の幸いだったわよね』
『この悪抜けが……七年分の恩返しくらいしろよな?』
……どうしてアサネのせいで、私は……私ばっかり、こんな目に合わなきゃいけないの?
「ンダ……交尾スッベ」
狒々が私に手を伸ばす。
「……っっ……いや……」
私は思わず、目を瞑る。
「汚い手で触るなよ」
え……?
「グベェエエエ!!」
私に伸ばしていた狒々の腕が黒い炎に包まれている。
やっぱり……やっぱり嘘だったんだ。
来てくれたんだね……篝火堂院ちょ…………。
「遅れてごめん……、大丈夫? 雨さん……」
「え……? …………界くん?」




