25.退所
「それじゃあ、まずは雨さんから……」
「はい」
栗田に指名され、雨が前に出る。
「では、水術〝五月雨〟に氷属性を混ぜます」
「はい、雨さんがこの二か月、主に取り組んできた水と氷の〝融和〟。その成果を是非、見せてください」
「わかりました」
雨はそう言うと、目を閉じて、ふぅーと息を吐く。
手の平を前に突き出し、そして、
「氷術〝霞雪〟」
術名を宣言する。
雨の前方に向かって、雪の礫が正に五月雨に放たれる。
「…………素晴らしい」
栗田は拍手をしながら更に続ける。
「雨さんはこの二か月で、それまで無意識にやっていた響術を完全に自分のものにしましたね。私は今までこんなにも力強い意志のようなものを感じる氷術を見たことがありません。大人の破魔師を含めてです。雨さんはきっと本当に素晴らしい氷術使いになりますよ」
横で見ていた界も思う。
(すごい……。雨さんの高度な魔力の融和は、もはや水属性の妖術を元にしていることすら忘れさせる。〝氷術〟と呼ぶにふさわしいレベルにまで昇華させている。本当にすごい……)
「あ、ありがとうございます」
雨は少し照れくさそうにぺこりと頭を下げる。
「それじゃあ、次は界くん……」
「あい」
今度は界が前に出る。
「それじゃあ、界くん、見せる技は自分で選択してくれて構わないよ」
「あい」
(…………この二か月、いろいろな響術を試した。だけど、やっぱり原点はあの術だった。ドウマが皆の前で見せたあの妖術……)
界は手の平を前に出し、上に向ける。
(ドウマが貸してくれる闇の魔力。まだどこか自分の未熟さを見透かされているような、そんな感覚がする。だけど、誠意をもって向き合えば、応えてくれる。その闇の魔力を、小さくとも確かな炎の揺らめきに注ぎ込むイメージ……)
「炎術〝蛍火〟」
界の手の平に炎が灯る。
寂然と燃ゆる闇の炎。
淡く脈動するその焔が、静寂の中で確かな存在を誇示している。
「おぉ……」
栗田が小さく感嘆の声をあげる。
「すごいですよ……! 界くん! たった二か月で響術の〝変質〟をマスターするなんて……本当にすごいことです」
「あ、ありがとうございます」
栗田は手放しに称賛してくれたが、
(「…………だけど、ドウマにはまだまだ及ばないとわかる。雨さんにも……」)
界は悔しさから、ついドウマにそんなことを零していた。
【はー……腹立つなぁ】
(「ん……? どうした……?」)
【田介、お前なぁ……。お前は自属性とも違う……他人の魔力を扱うことがいかに……、……いや何でもない……】
(「……?」)
ドウマはなぜか不貞腐れるように黙ってしまった。
「界くん、雨さん……本当に成長しましたね。たった二か月で……。そして、私にとっては宝物のような二か月でした」
(……ん?)
栗田の発言に、界は少し嫌な予感がする。
そして、その予感は的中する。
「今日が私の訓練の最終日です」
「「……!」」
界は……そして、雨も驚く。
「え……? な、なんでですか?」
界が栗田に尋ねる。
「実は……異動が決まってしまってね。寂護院から離れなくてはいけなくなった」
(……!)
「栗田先生、もしかして……僕達のせいで……」
「違う。私の選んだ道だ」
栗田は界を真っすぐと見つめてそう言う。
(……! …………やっぱりそうだ……。左遷だ……)
栗田は否定したが、実際に、界と雨の訓練を独断で行っていたことが問題視されてしまったのだ。
そして、左遷されることとなった。
なんとなくそれを察した界は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「今後は私の代わりに来る教官と兵藤の二人が君達を担当することになると思う」
「……はい」
(……ん? あの名前不明のいつも栗田先生と兵藤の後ろにいる人はどうなるんだろ?)
「界くん、雨さん、もしも寂護院でなにかあれば……院長の篝火堂先生を頼ってください」
(……院長?)
「篝火堂先生はクラス5〝力級〟の破魔師です。きっと貴方たちを助けてくれます」
「力級……お父さんと同じ……」
「そうだね、雨さん。銀山さんと同じ力級だ。だから頼りになるってのはよーくわかるだろ?」
「……はい」
雨は素直に頷く。
「二人は院長室の場所はわかりますかね?」
「……わかりません。というかその院長が栗田先生を……!」
界は少し不満そうに言う。
「界くん……君…………本当に5歳?」
「へ……?」
「……そうだね……篝火堂先生だから、この程度で済ませてくれた……とだけ……」
(つまり、篝火堂院長だったから、左遷だけで済ませてくれたって意味だよな……。……納得いかない部分もあるけど、大人には大人の事情があることも少しは分かる……)
「……?」
雨は二人が話している意味が分かっていない様子であった。
「はい! というわけで、院長室の場所を教えるね」
そうして、栗田は院長室の場所を教えてくれた。
「それじゃあ、最後に界くんと雨さんの二人にこれをあげよう」
「……?」
栗田が差し出したのは毬であった。
「これは……普通の毬だ……。寂護院だ。こんなものしかあげることができなくてな。特別なものじゃなくてごめんね」
栗田はそう言って、目尻に皺を作って微笑む。
「いえ……、ありがとうございます……」
界はなんだかちょっと涙しそうになる。
◇
そうして、栗田は寂護院を去った。
栗田がいなくなったことで響術の訓練ができなくなってしまった。
仕方がないので、界は部屋で別の訓練をすることにした。
栗田の代わりに来た教官は、悪い人ではないのだろう。
しかし、事なかれ主義であった。
栗田のように兵藤の雨に対する差別的な行動を制止するようなこともなかった。
栗田は教官が二人になると言っていたが、結局、名前不明の人はやはりいた。
界は実はこの人が篝火堂院長だったりして……などとちょっと思ったが、真偽は不明であった。
それからしばらくして、雨の退所が決まった。
雨の寂護院最後の夜――。
界は自室にいた。
(…………明日で雨さんが退所か……。おめでたいことなんだけど、やっぱりちょっと寂しいな……)
「……」
(…………別れの挨拶くらいはしなきゃな)
そうして、界は雨の部屋へ行くことにした。
「「あっ……」」
界が雨の部屋へ向かおうとする廊下で、二人はばったり遭遇する。
「あ、えーと、界くん? どこか行くの?」
「あ……雨さんの部屋に行こうかと思ってた」
「そう……、実は私も……界くんの部屋に……」
「「……」」
「あのさ、界くん……、もしよかったら一緒にやらない……?」
そう言って、雨は手に持っていた毬を界に見せる。
栗田からもらった毬だ。
「……うん」
「よかった。それじゃあ、静寂の間……行こうか」
「うん」
(…………そういえば、初めて雨さんと話した時も毬渡しの時だったな)
そんなことを思い、界は少しセンチメンタルな気分になりながら、静寂の間へ向かった。
そこで、事変が起きた。
兵藤が死んでいた。
濡れ衣系の胸糞展開にはなりません。




