第60話 決着の行方
ギルベルトが教えてくれたクロノス商会を閉じるという話は、アンテーゼ領で苦しみ続けていたコーヒー農家を救う為の手段となった。
現在コーヒーの生産農家はクロノス商会との取引に不満を抱いている。ここ最近出荷量が増えたとはいえ、大量に残ったコーヒー豆を安く買い漁られた上、一年以上もの間ほとんど買い取って貰えなかったことで、生産農家はどこも赤字続きとなっているのだ。
たとえ名前を変えたからと言って、また同じ事が繰り返されないとの保証もない。
だから私たちはここで罠を仕掛けた。現在ラクディア商会とアンテーゼ領の生産農家との交流は至って良好だ、そこで生産農家との間で念密な打ち合わせをした。
まず事前にラクディア商会との間で、現行のクロノス商会との契約がなんらかの理由で無くなった場合、コーヒー農園の90%を商会が買い取るという内容の契約を交わしておく。叔父たちは恐らく事前に生産農家との約束を取り付けておくだろうが、保有している農園の面積までは調べるはずもないので、そのまま契約を進めるだろう。
例えクロノス商会を閉じる前に新しい商会との契約を持ち出したとしても、一旦は現行の契約を破棄しなければ生産農家としては二重契約となってしまう。
どちらにせよ叔父たちは、新しい商会と契約するには現行の契約を一度破棄してからでないと、新たな契約は結べないのだ。
そして生産農家との契約を交わすスタッフはギルベルトか、それに近い幹部クラスのスタッフが直接出向くはず。だけど既にクロノス商会のスタッフは全員こちらの味方に付いている。再契約時に確認漏れがあったとしても不思議ではないだろう。
もっとも、叔父かヴァーレが直接領地に赴けばバレるかもしれないが、その可能性は低い。アンテーゼ領の向うにはあの岩山の道を通らなければならないのだから。
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なんだこれは……。
内密に進めていた新しい商会の準備が整い、先日生産農家との再契約が成立した。最大の山場を越えた事でクロノス商会を閉じる事をスタッフ全員に公表し、残れるスタッフと辞めてもらうスタッフを発表したのが昨日だ。
そして今日、クロノス商会に所属するスタッフが全員退社を希望してきたのだ。
「ふん、どうせ役立たず共だ、新しくスタッフを準備すればいい」
「ですが、新しくスタッフを入れたとしても直ぐに機能はしません。せめて一ヶ月程は研修が必要となってきます」
幸いクロノス商会はまだ閉じる前だ、今のうちに新しいスタッフを入れて、現状のスタッフの元で研修さえすればなんとななるのではないか。
「かまわん、この先一週間分の出荷準備は整っていると言うではないか。人手が足りなければ屋敷のメイドやロベリアの店から一時的に連れて来ればよい。その間に何処かの商会から優秀なスタッフでも引き抜けば問題あるまい。
そもそも現状の資金では、例え一ヶ月としても二つの商会を同時に維持する事など出来るはずもなかろう」
確かに現在は黒字ではあるが、一度に大量のコーヒー豆を買い取った事で資金が心許ない。そして今回新たに立ち上げた商会の諸経費に資金を多く使ってしまったのだ。
建屋や機材はそのままだとしても、看板や書類関係に記載されている商会名の変更に、商業ギルドへの登録料と預け金など、最初に投資する費用は中々バカにならないのだ。そしてクロノス商会を閉じる事によって商業ギルドに預けている預け金が戻って来る。
預け金とは起業時に商業ギルドに預けるお金で、商会や店が倒産などした場合、スタッフへの賃金や未払いの借金などにあてられる言わば保険だ。もし倒産ではなく普通に閉じた場合は、事前に預けていた預け金は戻って来る仕組みになっている。
もし仮に商業ギルドに所属せず独断で経営していた場合、様々な支援が受けられなくなる。例えば求人の告知や運転資金の補助、その他商業ギルドに所属している商会からの割引などが無く、デメリットとなるケースが多いのだ。
それにこの預け金は商会や店の規模によって異なっており、小さな店程度ならさほど難しくない金額となる。クロノス商会の場合、開業当時は伯爵領の後押しもあった事から多くの資金を預けている。
今回新たに商会を立ち上げれたのも、この資金があったからこそといっても良い。逆に今すぐクロノス商会を閉じなければ、新しい商会の運営も行き詰まってしまうのだ。
「分かりました。ですがせめて三日間だけいただけますか? 本日中にメイドと店の方のスタッフを選定し、必要な最低限の研修だけを行います。
同時にクロノス商会は三日後に閉じるよう準備をしておきますので」
「いいだろう」
正直三日間で何ができるだろうか、だかここで泣き言を言っていても仕方がない。これを乗り切れば勝機は見えてくるのだから。
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「お嬢様、クロノス商会が事業を終了しました」
「分かったわ、予定通り用意した建屋で営業を始めて。すでに物資は入ってきているのだから」
私はルーカスからの報告を受け、これからの方針を話し合った。
数日前クロノス商会が生産農家との契約を破棄した事によって、ラクディア商会でもコーヒーを取り扱える事となった。
いずれ今回買い取ったコーヒー農園は生産者に返すつもりだが、しばらくはラクディア商会の元で農園を管理してもらう事になっている。
そしてクロノス商会で働いていたスタッフは、明日からローズマリー商会で用意した建屋にて今まで通りの仕事をしてもらう事になる。
叔父のせいで販売店とのお繋がりがめちゃくちゃになってしまったが、以前取引していた商店や、私がパーティーで知り合った貴族との関係で、すでにいくつもの取引が完了している。
「それでコーヒーの件はまだ気づいていないの?」
「はい、例の件でそれどころでは無いようです」
ルーカスが言う例の件とはロベリアの店の事である。
三日前、ロベリアの店である出来事が起こった。
恐らくヴァーレであろう人物が、なんらかの理由でロベリアの店を訪ねたそうだ。そこで分かった事だが、どうも店を開く時に商業ギルドに借金をしていたらしく、それが開店当時より全く支払いが出来ていこないことが分かった。更に驚くことに家賃の支払いもずっと止まっていたという。
さすがに商業ギルドに対しての未払いは問題があり、噂は瞬く間に広がった。
現在叔父たちも慌てて対応していると言う話まで私の元に届いている。
今の叔父たちは新しい商会の経営どころではなく、自身の身を守るために必死になっているはずだ。なぜならロベリアはクロノス商会の名前ではなく父親の名前で借金を組んでしまっていたのだ。
そして借用の条件として現在叔父が暮らしている屋敷が抵当(借金などの保証にあてる事)に入ってしまっている。だけどあの屋敷は叔父の持ち物ではなく伯爵家の持ち物だ、つまり契約偽証となっているのだ。
幸い屋敷の持ち主が誰かまでは気づかれていないが、もし借金が返せず破産などになってしまえば偽証罪で拘束される事になる。
それも私が爵位を継承するまでの間、つまりタイムリミットはあと五ヶ月しかない。現状叔父たちが私に勝つ見込みはほぼゼロに近いだろう。
もともとこちらの方が生産量も出荷量も多い上、叔父たちにはコーヒーの出荷が十分の一にまで減っており、そして残りの十分の九がこちら側に移っている。
更に前々から仕掛けていた菓子パンのフランチャイズ計画も順調に進んでおり、二ヶ月後には小麦が収穫され、順次出荷されていく事だろう。
本来ならここで大きく差を広げるつもりでいたのだが、それも必要なくなってしまった。
現在ロベリアの店はまだ営業はしているが、すでに食材が入らなくなってしまっており、もう今日明日辺りで潰れてもおかしくはない。
そしてそこで出てくる新たな問題が、スタッフへの賃金未払いと店を閉じるための資金。あそこの店は貸家であるため現状復帰が義務づけられている。多分いろいろ建物内を改装しているだろうから、現状復帰にもお金が掛かるだろう。
開店前に商業ギルドへどれだけ預け金を納めてるかは知らないが、商会規模ではなくただの店舗なので、それ程多くの資金は預けていないはず。
恐らく全てを賄えるほどの資金はないだろう。
「まさかこのような結末になろうとは」
「まぁロベリアらしいと言えばそうなのだけど、叔父とヴァーレにとっては災難よね」
叔父もまさか身内から苦しめられるとは思ってもいなかっただろう。初めからロベリアを切るつもりだったかは知らないが、あのおバカを放置していた事は最大のミスと言ってよい。
まぁ、少しばかり同情はするけどね。
「お嬢様! 申し訳ございません、一号店に来ていただけますか」
私とルーカスが話し合いっていると突然リリアナが慌てて飛び込んできた。なんだか前にも同じような事があったわね。
何となく前回の記憶が蘇るがエリクはあれから立派に成長した。私が恐れる展開にはなっていないとは思うが、急ぎ一号店へと向かった。
「俺たちがワザワザ戻ってきてやるって言ってるんだ、それなのに何故断るんだ」
「何度も言っているではありませんか、この店に貴方たちの居場所はもうないんです。今は新しいスタッフも来てくれているし、これ以上雇う余裕なんてありません」
私が一号店に着いた時すでにエスニアが対応してくれているようで、彼女は声を荒げながら二人の男性と対峙していた。
そしてこの二人の男性は私にも見覚えがある人物だった。
私が出て行こうとした時、調理場からエリクが出て行く姿が見える。
「お久しぶりですクラウスさん、ダニエルさん」
エスニアが対峙していたのは、以前この一号店で料理スタッフだった二人。現在はロベリアの店に引き抜かれ、向こうでうちの商品に似たケーキを作っている。
「おぉ、お前か。なぁあんたからも店長に言ってくれよ、もう一度この店で働けるようによ」
「残念ですが、お二人を雇い入れる事は出来ません。どうぞお引き取りください」
「なっ、テメェ」
「おい、調子のってんじゃねぇぞ」
「お二人はこの店を自らの意思で辞め、更に契約書に示された情報漏洩までおこなった。ここで何と言おうとこれ以上お二人を信用する事は出来ません。
それにあの店はまだ閉店していないのではないですか? 調理人である貴方たちが真っ先に逃げ出すなんてあってはならない事ですよ」
ここに来てエリクは本当に成長した。今では立派に調理長としてスタッフをまとめているのだ。この様子じゃ私が出て行くまでもなく解決しそうな勢いとなっている。
「逃げてきた訳じゃねぇよ、あの店では俺たちの実力が発揮できなかっただけなんだよ。今は反省して、これからはあんたの下でちゃんと働くからもう一度ここで雇ってくれよ」
「実力が発揮できなかった? それではこの店でなら実力が発揮できるとでもいいたいのですか? 正直あの店売られている商品は、この店で作っていた只のコピーばかりだった。
種類も開店当時からほとんど変わらず、新しい商品が出たかと思うと、とてもお客様に出せるレベルには至っていなかった。あの程度のケーキしか作れないのによく実力がどうのと言えますね。
それにお二人はあの店に引き抜きをされたんですよね? それなのに戻りたい等とよくそんな都合の良い事が言えますね」
「あれは材料が悪かっただけなんだよ、それに好きであの店に雇われた訳じゃねぇ。ただどうしても力を貸してくれと言われただけで」
「理由はどうあれ、あなた方は私たちを裏切った。それ以上の理由が必要ですか?」
流石に裏切ったという思いはあるのだろう、二人は何も言えないまま黙り込んでしまった。
エリクの成長した姿も見れたし、これ以上店で騒ぎ立てられても困る。私は自らを登場させる事によって幕引きを行う事にした。
「クラウス、ダニエル、今すぐここから立ち去りなさい。そして自分たちが居るべき店にもどりなさい」
私の言葉にこれ以上何を言って無駄と感じたのか、二人は渋々といった様子で店を後にしていった。
「皆様お騒がせいたしました。今回のお詫びといたしまして次回ご使用いただける無料券をお配りさせていただきます。引きつづきお食事をお楽しみください」
私の言葉の後にスタッフがお客様へと無料券を配っていった。
「お嬢様、お騒がせしました」
「何を言っているのよ、カッコよかったわよエリク。エスニアも惚れ直したんじゃない?」
隣でエスニアがジト目で見てくるが、今更自分の気持ちを隠しても仕方がないでしょ。それにしてもエリクは想像以上に成長した、これでこの店は二人に任せても大丈夫だろう。
クラウスたちの騒ぎがあった翌日、ロベリアの店であるプリンセスブルーロベリアは、誰に見送られることもなく静かに店を閉じた。




