96 魔法技術の頂と麓
病院は、嫌いだ。
医者って問診とかするから。「どこがつらいですか?」という質問のせいでつらくなる。
しかし生死に関わるとなると我は通せない。家に引きこもり魔法大学から取り寄せた80年分の論文の山を読み漁っていた俺は、ヒヨリに再三言われ、仕方なく東京魔法医院に脱影病の予防接種を受けに行った。
脱影病、あるいはシェイド・シンドロームと呼ばれる病は、30年前に世界的に猛威を振るった伝染病だ。
人影を介して接触感染するこの病はヨーロッパが発生源と言われているが、実際のところは定かではない。ヨーロッパ陣営はアジアからの旅行者によって持ち込まれたと主張しているし。
とにかく脱影病は当時かなりの死者を出した。キノコパンデミックほどではないが、都市がロックダウンし、非常事態宣言が発令されるぐらいの危険な伝染病だった。
脱影病は、感染後に十日ほどの潜伏期間を経て発症する。発症すると、発症者の影が意思を持って動き出し、影の持ち主から魔力を吸い上げ成長する。
これといった体調不良は起きないのだが、発症期間中を通して魔力最大値が削れていき、魔力回復速度の低下や詠唱魔法使用時の暴走、魔法過敏症などの症状を呈する。
感染者の魔力保有量が3.0Kを下回っている場合、ほぼ確実に魔力最大値減少により魔法的死を迎え塵になって消滅する。
魔力コントロールができれば簡単に影の中に潜り込んだ病原体を追い出し自力で治せるし、コントロールができなくても、魔力を5Kも持っていれば脱影病が末期に移行し影が分裂し逃げ出すまで耐えられる。
耐えきってしまえば免疫がついて二度と感染しないし、減少した魔力は魔力鍛錬で戻せる。
が、ほんの五年前のアメリカでの局地的再流行では、3.1Kの魔力保有者での魔法的死を迎えている。二度目の流行は、一度目の流行より病原体が凶悪化していた。
俺は魔力保有量が6.6Kだから、脱影病に感染しても大丈夫だ。
しかし、もし三度目の流行が起き、脱影病の凶悪性が更に増していた場合、大丈夫とは言い切れない。6.6Kを削り切るほど凶悪化していれば、俺は魔法的死によって蘇生魔法が通用しない絶対死を迎える。
だからこそ予防接種が必要なのだ。
脱影病の致死性が高かったのは昔の話。
現在は脱影病の病原を弱体化させた「弱化影」が各国各地の病院に保管されていて、それを使い予防接種を行える。弱化影に感染すると0.5Kの魔力最大値減少を起こす代わりに、完治後に免疫がつき、二度と脱影病に罹らなくなる。
病院で脱影病予防接種を受けた俺は、七日七晩の安静を言いつけられた。
できれば魔法を使わず、出歩かないのが望ましいとの事なので、大人しく自宅に引き籠る。弱化された病の症状は大人しいもので、俺が形作る影が力無くゆらゆら揺れるだけで、元株のように元気に影がはしゃぎ回ったりはしない。
暇な安静期間を有効活用し、俺はキュアノスをアップグレードした。
今回のアップグレードは、魔王式の無詠唱機構に山上式を取り入れた複合式になる。
今まで全手動でやっていた魔力入力が、半自動でできるようになるはずだ。全自動化は今のところ理論段階すら思いつかない。
山上式は魔王式の幾何学集合グレムリンとは原理が違った。
素材こそ似通っているが、魔王グレムリンの構造に、山上式で使われている機構の大部分は存在しない。
これは山上式が前時代の電化製品に着想を得ているからだと推察される。
思うに、魔法文明には電気技術が無かったか、あったとしても未熟だったのではないだろうか?
地球人類はグレムリン災害によって電気を失った。しかし、魔法文明にはグレムリン使用を前提としたさざれ石魔法があるぐらいだし、グレムリンの存在を前提とした文明だったはず。
すると、魔法文明は電気文明から魔法文明に変遷したのではなく、電気文明を経験していない、と考えた方が妥当ではなかろうか。
論拠の一つとして、魔法文明には雷魔法が存在しない。
近い魔法はあるのだが、「雷のようなものを出す魔法」であり、雷を出しているわけではない。魔法言語にも「雷」「電気」といった単語は登場しない。
だから、電化製品を雛型にした山上式幾何学集合グレムリンは魔王式幾何学集合グレムリンと毛色が違う。
同じジャンルの、別部門だ。
山上式の欠点は加工技術の未熟さからくる全体構造の大型化だが、俺の器用さがあれば超絶小型化を行う事ができる。
預かったキュアノスの旧式無詠唱機構を分解して取り出し、代わりに七層構造の空隙にキッチリと魔王式&山上式複合幾何学集合グレムリンを組み込む。
高強度グレムリンと幽霊グレムリンが製造可能になっているおかげで、素材は足りた。
融解再凝固グレムリンの高品質化で基礎効率が向上した。
オーパーツと化していた正十二面体フラクタルも新しく製造し組み込んだ。
なお、参考にさせてもらった山上氏には、技術料の手付として俺のロストテクノロジーの中でも需要が高いらしい正十二面体フラクタルを五つ送り付けておいた。彼とは今後仲良くやっていきたい。書面越しに。
かくして、魔法文明と電気文明のマリアージュとも呼ぶべき2111年モデル最新型キュアノスは完成した。
山上式? 80年の進歩? 甘い、甘いぜ。
80年経っても俺の器用さは唯一無二。80年ぶんの技術進歩をありがたく全て吸収し、俺はその先へ行く。
善性と知性を等価交換したカス入間が俺を操り導き出した魔王式理論と山上式理論を融合させる事で、キュアノスの幾何学集合グレムリン性能は「二桁までの四則計算ができるよ!」から「簡単な微分と積分ができるよ!」レベルにまで進化した。
小学3年生から高校2年生への超進化だ。
オクタメテオライトが使っていた金と銀の魔法は、このキュアノスの機構では圧倒的性能不足で使えない。が、あの魔法の五~六段階下ぐらいの魔法なら使えるはず。
ワンチャン、入間がオクタメテオライト魔法を模倣しようとする過程で生まれた劣化副産物である銀の拳とか金の触手なら使えるかも知れない。
人智を超えた魔王グレムリンの全貌、その頂の凄まじい高さが視認できるぐらいの技術水準に這い上がる事ができた。これはデカい。
この調子で順調にいけば、あと100~150年ぐらいで魔王グレムリンを完全解析できるかも知れない。
俺は2111年モデルのキュアノスに気持ちをエンチャントしてヒヨリに返却し、祭壇に祀ったオクタメテオライトの破片に祈りを捧げた。
神様仏様、オクタメテオライト様。御身を賭して邪知暴虐の魔法使いをボコって下さったのみならず、超高等魔法(入間、談)のお手本を見せて下さり感謝いたします。
不肖、大利賢師。これからも精進して参ります。どうか今後も見守り下さいますよう……
「おい、大利。魔力吹き込み口の数が10倍に増えてるぞ。使い方が分からん」
祈りを捧げていると、新型キュアノスを見つめるヒヨリが困惑しきって聞いてきたので、礼拝を中断して解説をしてやる。
とはいっても、そんな具体的なアドバイスはできないんだけど。結局は使って覚えてもらうしかない。
「実際使って覚えるのが早いと思う。けどレクチャーするなら……デフォルトの回路配置は、あの、アレ、一番単純な黒ビームあっただろ? アレにしてある。一番手前の吹き込み口から魔力を注げば発動する」
「それは分かる。他の九つの魔力吹き込みはどう使えばいい? ワケが分からんぞ」
「電卓ってさあ、0~9の数字とか、足し引き掛け割りの記号あるだろ? 一番表面にあるのが答えを出して魔法を出力する記号で、キュアノス多層構造の中層にある七つの吹き込み口が……なんだ? なんて言うんだろう。魔法の要素を入力するアレ。電卓の0~9の数字に相当する。分かるか?」
「…………………………………………………………。わか……る。魔力コントロールによる同時並列入力を受け付けて、それを保持する機構……?」
「そう! それ! そういう事!」
ヒヨリはキュアノスのコア部分を睨みながら眉根を寄せ難しい顔で悩んだが、自信が無さそうに出した答えは100点満点だった。
なんだ、やっぱり魔力コントロールができるとこういうの見て分かるんだな。入間の理論は正しかった。悔しいが。
「前のバージョンのキュアノスを使いこんでいなかったら、こんなの何も分からなかったぞ。今までずっと四則計算しか使って来なかったのにいきなり高校数学をやらされる気分だ」
「理解完璧か? それで合ってる。それで話を続けると残り二つの吹き込み口がだな……」
俺は設計思想と運用原理を懇切丁寧にヒヨリに説明したが、いかんせん感覚が違う。
俺が魔力コントロールができれば、もっと使い手に寄り添った分かりやすい説明ができただろう。
しかし俺は技術畑で、ヒヨリは現場畑。一定の共通認識はあるものの、ビタリとハマる説明をするのは難しい。特にこのキュアノスのレベルの複雑な機構になれば。
俺はヒヨリと額を突き合わせ認識をすり合わせながら、どうにかこうにか新型キュアノスの使い方を説明した。
「……で、手動入力が済んだらイコール入力すれば後は自動で魔法が組み立てられて発動するから。簡単だろ?」
「どこが!? 取り扱い説明だけで頭が痛くなってきた……!」
「いやいや、ヒヨリは魔力コントロール上手いだろ。慣れれば使いこなせるって。
あ、それと魔力式通信機ってあるじゃん? 原理的にはアレの通信を妨害できる。通信に割り込むのもできるかも知れん」
新型キュアノスの用法の一つを紹介すると、ヒヨリはドン引きした。
「ハ、ハッキング機能をつけたのか!? ダメだろ!」
「いやいや、できるだけ! そういう事ができる、たぶんできるってだけだから! ヒヨリだって俺を軽く1万回は殺せるけど、殺さないだろ? それと同じ。やらなきゃセーフ」
「大利、言葉。あまり悪い例えを使うなよ。しかし……うーん……大利はやはり規格外だな。論文一つを参考にこうまで様変わりするものか?」
「いやそこは、」
俺は「入間との共同研究のおかげで」と言いかけ、ヒヨリの機嫌を損ねないために言葉を急転換させた。
「あー、そこはオクタメテオライトのお陰だな」
「魔石の……? 入間が何かガタガタやっていたという話は蜘蛛の魔女から聞いているが」
「オクタメテオライトはなんか勝手にすっげぇ高等魔法使って入間ボコったんだよな。それがお手本になったのはある。でも、ユラウト・クナス? だっけ? そんな感じで叫んだ入間にぶっ壊された」
「…………? 誰かがオクタメテオライトで高等な魔法を増幅して使い、入間に抵抗したという事か?」
「いや、他に誰もいなかった……はず?」
俺目線だと、工房に入ってきた入間が突然苦しみだしたように見えた。
それからオクタメテオライトがいきなり綺麗な黄金の波動を出して、工房を入間ごと滅茶苦茶にした。入間は詠唱を封印され、続く銀色の気絶波動? みたいな魔法で入間は生まれたての小鹿みたいになった。
で、最後はユラウト・クナス! って叫んでオクタメテオライトを破壊していた。
改めて思い返すとちょっとワケ分からんな。
でもオクタメテオライトが悪い魔法使いをボコってくれたのは分かる。やはり我が工房の守り神であった。ありがたや、ありがたや。
俺は改めてオクタメテオライト様の無残な御姿をお労しく思い祈ったのだが、ヒヨリは考え深げに言った。
「ユラウトは分からんが、クナスは魔法語で『偉大な女性』を指す言葉だ。クナスは王よりも高い地位にある女性に対する尊称として使われる」
「ほう。それなら……どういう事だ?」
「さあ……?」
二人揃って首を傾げた。
入間はオクタメテオライトについて何を思い、何を知っていたのだろう? あいつ情報を抱え落ちして消滅しやがったな。ほんとカス。
「入間はオクタメテオライトを偉大な女性? 魔女? だと思ったって事か?」
「入間にそんな性癖が!? いや、有り得るな。あのゴミは魔女と見れば誰彼構わず、あー、手に入れて手を出そうとする奴だった」
「魔石に欲情してたのか。こっわ。ド変態かよ。しかも好きな子をぶっ壊すドSって事? 終わってんなアイツ」
俺達はぞ~っとして話を打ち切った。
入間の変態性癖なんて知りたくなかった。怖い。
オクタメテオライトが勝手に魔法を使ったように見えたが、ヒヨリの言う通り誰かがどこかに隠れていて、俺を助けるために魔法を使ってくれたのかも知れない。
あるいは、魔王がアメリカにいながら共振? によって世界中の甲類魔物を呼び寄せたように、どこかの誰かが超々遠隔魔法を使ったとか。
ただの魔石に過ぎないオクタメテオライトが自力で勝手に魔法を使ったと考えるより、そちらの方が理にかなっている。
ふむ。謎だ。よく分からん!
魔王グレムリンや無名叙事詩は謎めいているが、魔石もよく分からない存在だ。
いつか「魔石とは何か?」が分かる時は来るのだろうか。
魔王グレムリンの解析や無詠唱機構の研究が進んでいるように、いずれ魔石についても研究が進み、謎が明らかにされると信じたい。





