65 魔法文字
アメリカからの事情説明は謎を明らかにしたが、深まる謎もある。
さて何から聞いていこうかと考えていた目玉の魔女は、キリッとした真面目な表情のまま尻尾の興奮を隠せていない大日向に苦笑し、まず魔法文字から聞く事にした。
『アメリカは魔法文字を発見したそうですね。それはどんなものですか? どうやって発見を?』
『日本のものと同じです。何か別の方法を使ったわけではありません』
『何か誤解があるようです。日本は、魔法文字を発見していません』
『え? そんなまさか。ハリティを製造したのは日本の魔法杖職人ですよね? 元々魔法文字のためのものだったのでは……?』
首を傾げるコンラッドの袖を鼠が引き、耳打ちする。
しかしコンラッドは首を横に振った。
『いや、駆け引きは要らない。彼女達を信じよう。グレン、君のサングラスを彼女へ』
『お前が言うなら……どうぞ、このサングラスを。遮光レンズになっています』
ワケも分からずサングラスを受け取った目玉の魔女だが、単眼ではサイズが合わない。
目玉の魔女とグレンの間に気まずい沈黙が降りたので、青の魔女が横から手を伸ばし、検分してから代わりにかけた。かなり強い遮光効果のあるサングラスで、視界が相当暗くなる。
青の魔女は頷き、一度サングラスを外した。
『魔法文字を見つけるために必要なのは遮光板ともう一つ。今、メビウス輪グレムリンはありますか?』
『え、ええ。安西さん、祭具を一つ借りてきてもらえるかしら』
目玉の魔女の言葉に儀仗兵の一人が敬礼し、足早にしかし音を立てず礼儀を保ち退室する。
儀仗兵が必要な道具を取りに行っている間、コンラッドは秘密にしていたそうな渋面を作るグレンの肩を叩き、すらすらと説明した。
『メビウスの輪の形に加工したグレムリンを使って呪文を唱えると、輪の中が黄金色に光るでしょう? 遮光板で光を遮れば、輪の中に呪文の書き文字が表示されているのが見えますよ。呪文の発音に合わせて一文字ずつ切り替わりながら表示されていきます』
目玉の魔女と青の魔女は「なるほど、そんな方法が」と感心したが、大日向教授は頭を抱えてがっくり項垂れてしまった。耳がペタリと伏せられ、尻尾が萎れる。
「そんなぁ。そんな簡単な……ちょっと考えれば思いついたはずなのに……なんで誰も……ううっ、これがコロンブスの卵……」
大日向教授は目と鼻の先にあった魔法文字を三年近く見過ごしていた自分に自己嫌悪に陥っていた。
人類史では稀に起こる話だった。簡潔明瞭で簡単に思える大発明に何百年もかかる事がある。簡単に発見できそうな事が、なかなか発見されない事がある。
例えば騎乗能力を劇的に上げ人類の歴史すら変えたと言われる鐙も、単純かつ極めて有用な物であるにも関わらず、中国で発明され広まるまで騎乗文化があるどの地域でも知られていなかった。
思考の穴とも呼ぶべき考え逃しは、いつの世もどこでもあるものだ。
儀仗兵はすぐに祭具、つまりメビウスの輪の形に加工されたグレムリンを持ってきた。
大日向教授は気を取り直し、遮光サングラスをかけ豊穣魔法迂回詠唱を唱える。
するとメビウスの輪の内側が黄金色に光った。
大日向教授は見た。
発光のせいで見えなかった、輪の内側に表示される魔法文字を。
発音に対応し、次々と表示される文字が切り替わっているのを理解した大日向教授は今すぐ研究室にこもり詳細に調べたくなったが、状況が状況である。通訳を放り出すわけにもいかない。
名残惜しいがサングラスを外してメビウスの輪グレムリンをテーブルに置いた。
「魔法文字を確認しました。間違いありません」
『確認できましたか? その魔法文字を特殊な金属合金で記し、書いた呪文と同じ呪文を唱える事でコントロールが可能になります。変異者……魔女や魔法使いが行っている魔力コントロールの疑似的な再現に近い』
コンラッドは魔法文字には豊富な修辞記号があると語った。
修辞記号によって文章に追加の意味を持たせたり、意味を限定したりできる。
例えば「剣で斬る」という呪文があるとする。剣を出し、相手を斬る魔法だ。
これを修辞記号で修飾すると「大剣で斬る」「小剣で斬る」「剣で浅く斬る」「剣で深く斬る」など文章の意図するところが変わり、文章変化に応じて魔法をカスタマイズできる。
ただ、修辞記号による修飾はあくまでも修飾に過ぎない。「剣で斬る」を「斧で叩き割る」に変えるような、本来の意味を全く変えてしまう変更はできない。変更が効くのは本来の意味を損なわない範囲のみ。
アメリカではこの魔法文字を活用し、魔力追加消費による魔法の威力上昇や効果時間延長、効果範囲限定、対象指定などを行っている。
魔女や魔法使いは得手不得手はあれど、魔力コントロールによって同じ事ができる。しかし魔法文字が使えれば「文字通り」一般人でも疑似的な魔力コントロールが可能になるのだ。
魔女や魔法使いであっても、魔法文字でコントロールできる部分は魔法文字でコントロールし、魔法文字でコントロールしきれない部分に魔力コントロールを集中する事ができるので、魔法文字の恩恵は極めて大きい。
『魔法文字はただ書き記しても効果がありません。厳密に成分を配合した合金が必要です。つまり銀61%、白金23%、金10%、鉄2.6%、銅1.4%、チタン1.1%、グレムリン0.9%の合金ですね。この合金で文字を記す必要があります』
『ま、待って下さい。今成分をメモします。もう一度……?』
『銀61%、白金23%、金10%、鉄2.6%、銅1.4%、チタン1.1%、グレムリン0.9%。シャンタク座流星群が魔石を降らせた、そしてその魔石には岩石と金属の混合物が付着していたでしょう? あの金属と同じ成分です』
「…………」
メモを取っていた大日向教授が再び萎れた。
今度は目玉の魔女と青の魔女も天を仰ぐ。
何故そこに着目できなかったのか?
全ての魔石はシャンタク座流星群によって地球に降り注いだ隕石である。
多くの魔石は、岩石と金属の混合物に覆われていた。
だが誰もが魔石に目が行き、邪魔な付着物にも何か意味があるとは思いもしなかった。
魔法大学には魔石に付着していた岩石と金属の混合物が保管されている。
しかし、これまで天文学的側面からの調査しか行われていなかった。
魔女や魔法使いも、何の意味も効果も無い魔石原石にくっついている汚れ程度にしか思っていなかった。
東京が誇る伝説的魔法杖職人でさえ、魔石付着物には何の注意も払わず捨てていた。
自分達の見落としに凹む日本代表たちを、コンラッドは優しく慰めた。
『技術交流も今回の訪日の目的の一つですから。まだこちらから出せる技術はあります。でも、日本も大変素晴らしい技術をお持ちだ。是非学び合いたい』
『魔法文字が実在するのは分かった。本当に今言った合金で特殊効果が発揮されるのか?』
友好的なコンラッドの言葉を、青の魔女は疑ってかかった。
まだ、友好的な外面と食いつきやすい餌をぶら下げて自分達を罠にかけようとしている可能性を捨てていない。
青の魔女は腹芸が上手くない。疑心が伝わったアメリカ使節のうち、グレンはヒゲをピクピクさせて不愉快そうに顔を顰めたが、コンラッドは愛想よく答えた。
『実際にここでお見せしましょうか? ちょうど今、魔法文字を刻んだ腕甲をつけています』
『室内で使える魔法か? どんな魔法だ?』
『強化魔法です。オーラを纏うので見て分かりやすい。本来一人を対象にする魔法ですが、魔法文字を使えば複数人に対象を拡大できます』
『分かった、見せて欲しい。ただ、私達にはかけないでくれ。そちらの二人だけにかけてもらえるか』
青の魔女は目玉の魔女と大日向教授を促して席を立たせ、壁際まで下がってアメリカ使節二人から距離を取る。
露骨に自分達を信用せず警戒するその様子に、グレンは尻尾をピンと立てて怒った。
『いくら何でも失礼ではないですか? こちらが何か一つでも非礼を働きましたか? なぜそれほど身構えるのですか? まるで我々が襲い掛かるとでも思っているかのように見えます』
『え、ええ。申し訳ありません。ただ我々は……その、お気を悪くさせるつもりは決して無いのです』
目玉の魔女がしどろもどろに謝罪するが、グレンは不機嫌なままだ。
コンラッドは納得していないネズミを宥めた。
『グレン、抑えて。彼女たちには彼女たちの文化と事情があるんだよ。我々は地獄の魔女の口伝にしか日本の事情を知らないだろう?』
『甘いぞコンラッド! 事情があったとしてもだ、外交の場でそれをこうまで表に出すとはどういう了見だ? こちらが無償で物資を渡し、技術も渡しているというのに。せめて外面だけでも友好を作るのが礼儀というものではないのか』
目玉の魔女は大日向の同時通訳を聞いていて心が痛くなった。
全くその通りだった。
心から仲良くなろうとして、贈り物をして、親切にしているのに、身に覚えのない疑いをかけられ警戒されたら悲しい。仲良くする気も失せてしまう。
目玉の魔女は謝って席に戻ろうとしたが、青の魔女に睨まれ、服を引っ張り壁際に戻された。
コンラッドはグレンをなんとか説得し、自分達は日本の面々と反対サイドの壁際まで下がった。
そして袖をまくって腕に嵌めた腕甲と、そこに刻まれた銀色の魔法文字を掲げて見せる。
大日向教授はすぐにそれがシローレーカーを持つ文字だと分かった。
シローレーカーはインドで使われている文字、デーヴァナーガリーが持つ特徴である。一連の文章を構成する文字を全て横の直線で繋げているのだ。
しかし、似ているのはシローレーカーだけで、文字そのものはデーヴァナーガリーとは似ても似つかない。強いて言えば楔形文字に近いが、楔形文字と同じ文字は一つとしてない。地球の言語とは別物だ。
『この文字が魔法文字です。今からこの文章と同じ文章の魔法を唱えます。発音に対応して文字が光っていきます。では、いいですか? 唱えますね。
共に立ち向かおう。命尽きるまで――――』
その雷鳴に似た発音不可音がコンラッドの口から発せられた瞬間、事態は目まぐるしく動いた。
まず目玉の魔女と青の魔女が血相を変え、同時に杖を抜き放った。
目玉の魔女は恐怖、青の魔女は憎悪に突き動かされ、同時にコンラッドに攻撃呪文を唱えようとする。
反射で動いた目玉の魔女はハッとしてすぐ杖の切っ先を下げ詠唱を中断したが、青の魔女は止まらない。
殺意を漲らせ呪文を唱える。
「君よ、氷河に――――」
キュアノスの魔法圧縮を起動し、魔力を滾らせる青の魔女の口を、慌てて後ろから飛びついた大日向教授が止める。詠唱は中断された。
『You not granted an audience!』
異常を見て素早くグレンがコンラッドの前に立ち呪文を唱える。見た目には何の変化も無かったが、グレンは後足でコンラッドを蹴って下がらせ、自分は両手を広げ仁王立ちして背後を庇う姿勢を取った。
青の魔女は背後から組みつく大日向を乱暴に振り払えず、もがきながら憤怒も露わに叫ぶ。
「止めるな、アレは入間の傀儡魔法だ! 同じ呪文だッ! 君よ――――もがもが……目玉やれ! 早く! 早く!! 唱えさせるんじゃない!!!」
「待って青さん、待って下さい! 基幹単語が同じなだけです! 落ち着いて!」
「慧ちゃんは離れて下がって! 早く! 君よ――――もがもご……慧ちゃん手が邪魔! 何をやっている目玉!? 操られたいのか!?」
「いいえ、きっと大丈夫。私は未来視を信じるわ」
「傀儡魔法の詠唱文は私も知ってます、アレは別の呪文です! 大丈夫ですから落ち着いて!」
青の魔女の抑えに目玉の魔女も加わったが、青の魔女の殺意が収まるまで数分かかった。
儀仗兵が青の魔女に「攻撃しろ」と言われ、大日向教授と目玉の魔女からは「攻撃するな」と言われ、板挟みになって困る一幕も挟みつつ、なんとか混乱は収まる。
まだ興奮している青の魔女は、大日向教授に宥められながら着席した。
「同系統の魔法の使い手なんだろう? 信用できない。せめて別の使者を立てさせるべきだ」
「大丈夫ですよ。未来視さんを信じましょう。それにいざとなったら青さんが助けてくれるでしょう? 青さんは操られないんですから」
「慧ちゃんが操られるのは見たくない。目玉も」
目玉の魔女は自分も青の魔女の守護対象に入っている事にちょっと感動した。
入間クーデター以降青梅市だけに執着していたあの青の魔女が、変わったものだ。昔の明るい頃に戻ってきている。
過去の入間クーデターで、入間の傀儡魔法は猛威を振るった。
しかし傀儡魔法は心停止した者には効かない。普通、心停止とは死を意味する。
ところが青の魔女は心臓を持たないため、心停止条件に該当し、傀儡魔法を無効化。入間の天敵である事が土壇場で判明した青の魔女は最凶の魔法使いを一騎打ちの末に破っている。
日本サイドが見せた狂態を、コンラッドは両手を上げホールドアップして静かに見守っていた。
グレンが何度も『ありえない』『交渉決裂だ』『帰国しよう』と言うのを宥め、自らも着席する。
グレンも頭が痛そうに首を横に振りながら、渋々着席した。
コンラッドは今しがた殺されかかったとは思えないにこやかさで、気遣いすら見せ言う。
『何を話されていたのかは分かりませんが、イルマ、という言葉は聞こえました。入間の魔法使いの話は地獄の魔女から聞いています。恐らく私が入間の魔法使いと同種族だとも。邪悪な魔法使いだったそうですね。同族が失礼しました』
『おい……!』
コンラッドが頭を下げ、グレンが慌てて下がった頭を上げさせる。
アメリカは何一つ謝罪の必要などない。
むしろ謝るべきは日本側だ。
アメリカは、終始礼儀正しく丁寧だった。
暴力などもっての外であるべき外交の場で殺されかかってもなお、弱腰とすら取られかねない丁寧な物腰を崩さない。
コンラッドの冷静かつ礼儀正しく罪を被り交渉を不利にする姿勢を見た青の魔女は、流石に頭が冷えた。
もしも。もしも自分が荒瀧組の被害者から「お前は荒瀧組組長と同族だから」という理由で殺されそうになったら、理不尽さに怒るだろう。
だがコンラッドはソレをされて、冷静だった。日本が見せた醜態を交渉カードに使ってくるどころか、謝罪すらしてきた。入間のような善人を取り繕っているだけの邪悪だったら有り得ない事だ。
いたたまれなくなる。穴があったら入りたいぐらいだ。
自分が交渉の場にいない方がきっと良かった。場をかき乱し雰囲気を最悪にしただけで、護衛の意味など無かった。
青の魔女は消え入るような声で謝罪した。
『大変申し訳ありませんでした……』
『いいえ。こちらこそ、配慮が行き届かず申し訳ない』
『もう何もしません。誓って。喋りもしません。黙っています』
『いえいえ、お気になさらず。貴女は迅速果断な素晴らしい女性です。今回は確かに良くなかった、しかし貴女のその気質は戦場ではおおいに頼れるものとして発揮されるに違いありません。心強く思います』
『は。恐縮です……』
『大丈夫ですよ、私は気にしていません。リラックスして下さい』
コンラッドはにこやかにウインクしてきた。
それがなんだか吸血の魔法使いに似ていて、気が抜ける。
わだかまりはできたが、未来視の魔法使いが視た最悪の未来は回避された。
そしてようやく日米の胸襟を開いた外交が始まった。
【身代わり魔法詠唱文】
英:You not granted an audience
日:拝謁叶うと思うな
直訳:お前を王には会わせない





