64 黒船来航
「いいか? 殺すなよ。絶対殺すなよ。フリじゃないぞ。何があっても殺すな」
「分かった、分かった」
しつこく念押しをしてくる未来視の魔法使いに、青の魔女はうんざりして答えた。
黒船来航当日。港区の商館を急遽改造して作られた迎賓館で、東京魔女集会は最後の打ち合わせをしていた。
アメリカ国旗を掲げる黒船は四隻やってくる。江戸末期、嘉永6年に来航した黒船と同程度の船だとすれば、乗組員は600~1000名。大多数は水夫で、実際に国交に携わる要人は2~10名程度と目される。
対して、日本は10名で出迎える(もちろん表に出ない料理人やホテルマンなどを入れればもっと多い)。
魔女集会を代表して、目玉の魔女。
通訳として、大日向慧。
護衛として、青の魔女。
残り7名は各地の警備隊から選抜された儀仗兵だ。全員正装で、魔法杖を持ち、御守りをつけ、蜘蛛糸と鉄鋼羊ウールで織られた軍服に身を包んでいる。
目玉の魔女は流石に国家代表は自分には荷が重いと言い、未来視の魔法使いに代表を任せようとしたのだが、未来視の魔法使いに万が一があっては大事である。未来視の魔法使いが裏に控え、目玉の魔女が表に出る形が一番良い。
目玉の魔女は吸血の魔法使いがいない事を心底惜しみながら、今は気休めの胃薬を飲み青い顔で迎賓館控室の隅の椅子に腰かけている。
「大日向くん。頼むぞ、いざという時は青の魔女を止めてくれ。使節を殺したら酷い事になる」
「大丈夫です。任せて下さい」
オコジョ耳にオコジョ尻尾の少女がこの場の誰よりしっかりした様子で頷き、未来視の魔法使いは安堵する。自分より大日向教授が信頼されている様子なのを見て、青の魔女はモヤモヤした気持ちになった。
青の魔女は、もちろん必要とあれば殺しを厭わない。例え相手がアメリカ合衆国国家代表使節であってもだ。
しかし未来視が視た未来では、終始和やかに進む会談の途中で、唐突に青の魔女が使節を殺すらしい。殺してしまうと、黒船で待機していたアメリカ側の魔女や魔法使いが全員出てきて、日米戦争が勃発する。
不可解な未来だった。
青の魔女は決して無差別殺人鬼ではない。人を殺める時は相応の理由がある。物腰柔らかだという友好使節が青の魔女に突然の殺人を決意させる何かをするとは考えにくい。
だが、実際にそれは起こるのだ。
会談そのものを中止する案もあったが、青の魔女が殺しを即決する何かの正体を突き止めるためにも、決行する運びとなっている。
来航直前になっても何の知らせも無いが、黒船は東京湾に入る前と入った後に汽笛を鳴らしている。奇襲・強襲の意図は見られない。
ここまで接近しているのに先ぶれが無いという事は、水面を走ったり、使い魔を飛ばしたり、自身が空を飛んだりできる魔女魔法使いはいないようだ。
一同が迎賓館控室で最後の打ち合わせを続けていると、伝令が入室してきて敬礼し、緊張を滲ませ言った。
「報告します。黒船からボートが降ろされ、あちらの伝令が船舶四隻の接岸許可を求めてきました。アメリカ合衆国の友好使節であるとの事です」
「来たか。予定通り、第一から第四埠頭に案内してくれ」
「了解」
伝令は再び敬礼して去る。
未来視の魔法使いは最後に再び青の魔女に「絶対に殺すな」と念押しし、迎賓館から通りを一つ挟んだ待機所に移動する。青の魔女は大日向教授に頷き、胃のあたりをおさえて顔色を悪くしている目玉の魔女を励まし、アメリカの使節を出迎えに埠頭に向かった。
黒船からタラップで降りてきたのは、一人の男と一人の二足歩行巨大鼠だった。
二人とも人間ではあり得ない魔力量を隠そうともしていない。魔法使いだ。
生々しくリアルな人間サイズ直立歩行の鼠といった風貌の一人はカッチリしたスーツを着ていて、サングラスをかけている。男性のようだ。
もう一人の男は、一目見た瞬間に青の魔女の神経を酷く逆撫でした。隣で目玉の魔女も息を飲んだのが聞こえる。
二十歳前後に見えるその男は、金髪碧眼の非常に整った顔立ちをしていた。顔が良く優しい女子の理想の美男子をイメージすればこうなる、という美の神が手掛けたが如き容貌だ。そして、耳は長く尖ったいわゆるエルフ耳だった。
金髪碧眼のエルフ耳男には悪い思い出しかない。外見年齢は子供と大人の差があるが、顔立ちもどこか似ている。入間の魔法使いと同種族なのだろう。
青の魔女は今すぐ本国へ叩き返してやりたくなったが、ぐっと堪える。
種族で性格は決まらない。荒瀧組の組長は自分と同族だったが、自分とまるで違った。未来視が「大丈夫だ、殺すな」とあれほど言うのなら、入間と同種族なだけで本当に友好的な使節なのだろう。
未来視は友好を装っていた入間の魔法使いにまんまと騙された経歴があるので、完全には信じられないが。
青の魔女は不審を隠しきれない目でエルフ男を見てしまったが、エルフ男の方は自分を初めて見る男がよくする目で見てきた。
つまり、見惚れたのを隠し切れていなかった。
しかしエルフ男はすぐに我に返り、目玉の魔女と青の魔女を見比べた後、少し迷って青の魔女に手を差し伸べた。
『初めまして。僕はアメリカ合衆国国防省魔王対策部隊総隊長、コンラッド・ウィリアムズ。お会いできて光栄です、青の魔女。貴女の話は地獄の魔女から聞いています』
『お会いできて光栄です。青の魔女です』
青の魔女は一部聞き取れない英語があったが、とりあえず練習してきた定型文で返答し、差し出された手を取り握手した。
地獄の魔女、という単語が聞こえたので、青の魔女はアメリカの事情のいくらかを理解できた。
地獄の魔女は苦難に喘ぐ人々を助けるために旅に出た。もう三年近く前になる。旅の果てにアメリカに流れ着き、彼らに東京魔女集会について語ったのだろう。
奇縁ではあるが、地獄の魔女の情報があったのならば納得がいく。どこに生存者のコミュニティがあるのか分からなければ、遥々太平洋を越えピンポイントで東京に来るのはおかしい。前文明の首都だからといってそこに生存者がいる保証はどこにもない。
握手で手を握られっぱなしのまま青の魔女が納得していると、大日向教授が控え目に話に入って来た。コンラッドと名乗った魔法使いは手を離し、大日向教授と軽く握手をする。
『初めまして。私は大日向慧、通訳です。こちらは青の魔女、護衛と警備を担当する者です。そして彼女が目玉の魔女、日本の生存者コミュニティ代表です』「目玉の魔女さん、挨拶を」
「え、ええ。えーっと……」『お会いできて光栄です。目玉の魔女です』
『はい。こちらこそお会いできて嬉しいです。アメリカ合衆国国防省魔王対策部隊総隊長、コンラッド・ウィリアムズです。皆さんとても英語がお上手ですね』
コンラッドはにっこりと微笑んだ。黙って直立不動の姿勢を取っていた儀仗隊のうち女性二人が高い顔面偏差値に耐えきれず目を逸らし、両隣の儀仗兵にこっそり足先を踏まれた。
『グレン、通訳の必要は無さそうだよ』
「ヨカッタ。ワタシの日本語、上手でナイ。あなたに通訳オネガイしますでイイですか?」
コンラッドに言われ、スーツにサングラスの鼠人間は大日向教授に伺いを立てる。外国鈍りがかなり出ているが意味が完璧に伝わる上手な日本語を聞き、大日向教授は笑顔で頷いた。
『大丈夫ですよ。お任せ下さい』
『有り難う。私はグレン・グレイリング。国防省魔王対策部隊斥候隊長です。既にお察しと思われますが、変異者です。お見知り置きを』
『変異者というのは元々静電気体質だった人という認識でよろしいですか?』
『? ああ、失礼しました。その通りです。こちらでは魔女と魔法使いでしたね。そちらに合わせて喋るようにします』
大日向教授とグレンは数分ひそひそ早口で話し合い、グレムリン災害後に新しくできた語彙についてすり合わせてから離れた。
同時通訳の準備が整ったので、一行は儀仗兵の先導で迎賓館に向かう。
歩道にはカラーコーンと紐で仕切りが作られ、押し合いへし合いしてアメリカの使節を見物しようとする野次馬達を警備隊が厳しく監視している。
コンラッドとグレンは愛想よく民衆に手を振って応えた。コンラッドが手を振れば女性から黄色い声が上がり、グレンが手を振ると民衆の一部から熱狂的な声が上がる。
一同は何事もなく迎賓館に到着し、防音性に優れた小会議室で早速会談を行う事になった。
テーブルを挟んでアメリカ代表と日本代表が向かい合い、簡単な社交儀礼的挨拶のあと会談が始まる。
『地獄の魔女から東京魔女集会について聞いています。大変な実力者が揃っている大規模生存者コミュニティなのだそうですね。話には聞いていましたが、実際にこうして訪れると話以上だとよく分かりました。是非、皆さんのお力をお借りしたい』
『コンラッド。話の前に……』
『ああそうだった。我々の友好を示すため、贈り物を用意しました。手付というわけでは無いので遠慮なく受け取って下さい』
コンラッドの言葉と共に、グレンの腹袋からにょきっと巨大な箱が出てきた。グレンは蓋を開け、中に詰まった銀色のインゴットを見せる。
『銀が5トン。プラチナが2トンあります。何かと入用でしょうから。お役立て下さい』
『? はい。ありがとうございます』
『…………?』
目玉の魔女はまるで素晴らしい物であるかのように貴金属を贈られ困惑するが、礼儀として礼を言った。
グレンも反応が薄い日本側に困惑したが、ひとまず贈呈は済んだ。日本からも魔法杖、黄金鷹入りのケージと埋め込み用グレムリン、ダイダラボッチの外皮で作られたコート、望む夢を見られる魔法の入眠剤が返される。
アメリカ使節は特に魔法杖に大きな興味を示した様子だった。だが、ひとまず贈答品交換はおいておき、アメリカ側からの事情説明が行われた。
アメリカはグレムリン災害で大統領が生き残った。しかし、住宅都市開発長官を務めていた要人が魔法使いに覚醒していたため、そちらが新大統領に就任。強力なリーダーシップを発揮し、ニューヨークやワシントンDCを中心とした東海岸の生存者をアメリカ大陸中央のグレートプレーンズに移動させる民族大移動を主導した。
グレートプレーンズはアメリカきっての巨大穀倉地帯であり、人口450万の巨大生存圏を維持できた。
軍属の魔女が二人いて、そのうち一人が生身で高速飛行できる種族だったため、アメリカ全土に伝令が走った。合衆国大統領の名の下に88名もの魔女と魔法使いが集結し、安定した巨大生存者コミュニティが形成されるに至ったのである。
特にグレートプレーンズの一画、テキサス州には油田もある。
人類は電気を失ったが、石油資源の重要性は依然として高い。
電気を使わない古い技術の復興が急速に進み、造船所では蒸気船が作られ、線路には蒸気機関車が走った。
いくつかの州は新政府に従うのを拒み独立したし、暴動も何度か起きたが、概ねアメリカは団結し、「グレートアメリカ・アゲイン」を標語に凄まじい勢いで崩壊した世界を立て直していっていた。
そんな偉大なアメリカを破壊する災厄は、一年半前に現れた。
そのAA級魔物――――日本でいう所の甲1類魔物は異常に強く、異常な行動を見せた。
動物のように本能に従い行動するのではなく、人間並の高すぎる知性を見せ魔女と魔法使いを襲ったのである。
魔力を隠し潜伏してからの奇襲、他の魔物を使った陽動など「作戦」を使いこなす。
しかも、魔女や魔法使いを打倒すると、彼らを吸収し強大化した。魔石も貪欲に収集する習性を見せ、ただでさえ強大なAA級魔物はあっという間に手に負えない強さになった。
魔力量、耐久力、攻撃力、速度、どれか一つだけでも脅威であるのに、全てを兼ね備えてしまった怪物だ。
アメリカ合衆国でも杖が開発されており、超越者たちはいつしか「魔王」と呼ばれるようになったAA級魔物特異個体を相手に杖を振るい果敢に戦った。しかし、戦線はじわじわと押されていく。
魔王は、魔石・魔女魔法使いの吸収に執着を見せる。魔石を囮にした大規模軍事作戦で痛打を与えた事もあったが、魔王はたった数日で完全に復活した。
魔石を奪われ、超越者達を吸収され、アメリカの戦力が削られ、削られた分魔王が強くなっていく。
魔石と超越者が消えれば、アメリカは魔物に対抗する手段を失い滅亡する。
魔王は魔石と超越者を執拗に狙う代わりに、普通の人間には興味を示さない。そこが救いと言えば救いではあったが、人間だけが生き残っても魔王以外の魔物にすり潰され、いずれにせよ滅びる。
絶望的な撤退戦を繰り返すアメリカを救ったのは、アラスカとカナダを経由し陸地伝いに北からやってきた日本の魔女だった。
つまり、地獄の魔女だ。
孤立した世界各地の生存者コミュニティを助けながら旅をしていた地獄の魔女は、各地の超越者たちから学んだ豊富な魔法を持っていた。三つの口で同時に唱えられる広域殲滅魔法は、相乗効果で絶大な破壊力を誇った。
地獄の魔女は、魔王との戦いで一人で三人分以上の働きをした。
しかし何より素晴らしかったのは、彼女が持つ杖「メビウス連環錫杖ハリティ」である。
ハリティのお陰で、アメリカも魔法文字の発見に至った。
アメリカ軍は魔法文字の活用法を開発し、飛躍的に戦力を向上。魔王を逆に押し返し始める。魔石や超越者吸収を徹底回避する作戦を確立したのも大きい。
魔王は形勢不利を理解すると、ロッキー山脈に姿を消した。
そしてその後に起きたのが、甲類魔物異常である。
魔王はどうやってか、自分が持つ黒グレムリンを他の魔物に感染させる事ができた。体内に黒グレムリンを発生させた魔物は、魔王と同じ時間加速能力を得る。
そして、黒グレムリンの大きさがその魔物が持っている本来のグレムリンの大きさを超えると、魔王に支配される。
魔王は世界中の強大な魔物に黒グレムリンを感染させ、自分の居る場所に呼び寄せた。
アメリカの終焉の時が来た。
強大な魔物の軍勢を引きつれ再び姿を現した魔王は、瞬く間にアメリカの生存者コミュニティを破壊した。魔石を根こそぎ奪い、逃げ遅れた魔女と魔法使いを取り込んだ。
生き残りは命からがら魔王から逃げ、キューバに亡命政府を置いている。
現在、アメリカは魔王が支配する魔物の楽園だ。
魔王は魔石と超越者の吸収に異常な執着を見せる。アメリカを平らげて収まる訳が無い。
座して待てばまだまだどんどん強大化していくだろう。
これはアメリカだけの危機ではない。
世界の危機なのだ。
亡命政府は地獄の魔女の話から、希望を日本に見出した。
未来視の魔法。魔法杖。地獄の魔女より更に強いという、竜の魔女と青の魔女。
日本の協力が得られれば、まだ魔王討伐は有り得る。
魔王を倒せなければ世界が終わるのだから、日本にとっても他人事ではない。
だから何としてでもアメリカは日本の力を借りたい。
そのために、アメリカは虎の子の蒸気船を出し、二度目の黒船来航を敢行したのだ。
アメリカの事情を聞いた日本側の面々は絶句した。
甲類魔物の謎は解けた。
しかし「世界が滅びかねない」という最悪の想像が「世界が滅びる」という最悪の上方修正を受けた。
それだけでもショックなのに、不安要素も不可解な要素も多すぎる。
分かった以上に分からない事が増えた。
会談は内容こそ不穏だが、態度は物腰柔らかで和やかだ。ここからどうすれば青の魔女が使者を殺す状況になるのか分からない。
贈り物の意図も分からない。銀とプラチナを何に役立てるというのか?
「アメリカ『も』魔法文字の発見に至った」とはどういう意味なのか? 日本はまだ魔法文字を発見していない。日本でもアメリカでもない第三国が魔法文字を既に発見しているという事か?
「……何から聞けばいいのかしら。聞きたい事が多すぎるわ」
目玉の魔女の呟きに、青の魔女は頷く。
魔法文字の話が出てから平静を装いながら尻尾をぶんぶん動かしっぱなしの大日向教授も、神妙に頷く。
まだまだ会談は長引きそうだった。





