97.3 ツバキのせんせい
真韓民国での九死に一生から数ヵ月。
老紳士にバチンされた経験を元に半ば独学で魔力封印を習得したツバキは、中国北方は大興安嶺山脈にて甲3類魔物の群れを相手に無双していた。
鬱蒼とした木々が生い茂る山林は太古の昔から変わらぬ緑をたたえ、その上空では宙を駆ける首無し馬の群れが混乱状態に陥っている。
「ミミミ! バチン! バチン! バッチン!」
黒く焼け焦げた木のてっぺんに片手で掴まったツバキは、もう一方の手を首無し馬たちに突き出している。
ツバキの手が向けられた首無し馬は例外なく四脚に纏う黒雲を喪失し、ジタバタもがきながら墜落していく。
「ミーッミッミッ! バチバチ、バチン!」
ツバキは面白くなってしまって、混乱している首無し馬たちを一方的に墜としていく。
十数頭の甲3類魔物の群れは、本来こんなに簡単に対処できるモノでは無かった。
何しろ一頭一頭がツバキを上回る魔力の持ち主。一頭ずつ群れから誘い出し、1対1の状況を作って仕留める作業を繰り返し、それでようやく……という相手だ。
相手もそれが分かっている。だから、ナメている。
魔物にとって魔力差は実力差。ツバキが大魔力の持ち主だったなら、首無し馬は実力差を理解しとっくに逃げ散っていただろう。
ところがツバキが自分達より魔力的に弱く感じられるため、恐怖ではなく怒りや混乱に支配されている。
コオロギに噛まれても、怒ったりびっくりしたりするだけだ。恐怖から逃げ出す者はない。
ツバキは首無し馬たちにとってのコオロギだった。ゆえに逃げない。狩りやすい。
さしたる苦労もなく、空を駆ける首無し馬たちは皆地に墜ちた。
なんとか再び宙を踏もうと泥にまみれて奮闘している人食いの魔物たちに、ツバキは朗々と魔法を唱える。
「火精は全てを二種類に分類する。燃やすものと、がんばって燃やすものだ」
呪文の完成と共に大地に亀裂が走り、焔が幾筋も間欠泉のように噴き出した。
天高く噴き上がった焔は弧を描き、灼熱のドームを編み上げていく。
紅蓮の半球に閉じ込められた首無し馬たちは暴れ、逃げ出そうとする。
だがツバキはそれを許さない。炎に巻かれ魔法圏外に飛び出した首無し馬は、深淵金ハンマーでぶん殴って中に叩き返す。
フヨウが「デス・サウナ」と揶揄する焔の範囲魔法は、ほどなくして甲類魔物の群れを丸ごと黒焦げ焼死体に変えてのけた。
「ミ。疲れた」
敵を一掃したツバキは、煙がくすぶる黒焦げの大地に両手足を投げ出し寝転ぶ。地面に残った致死的な高熱の余韻が心地よく、大あくびが出た。
ツバキの魔力は魔人としては平均的である。最も得意とする焔魔法であっても、甲3類魔物をまとめて焼き殺す火力を出せば一度でガス欠に陥る。潤沢な魔力を持つ超越者と違い魔人は継戦能力が低く、ツバキもまた例外ではない。
魔力回復のためにしばらく雲を眺めながらウトウトしていたツバキは、ハッとして跳び起きた。
ハンマーに手をかけながら、木立の奥を睨む。
近づいて来る巨大な二つの魔力の気配の主は、隠れる様子もなく堂々とツバキの前に姿を現した。
「む? 終わっておったか。派手にやりおったな」
黄褐色の道服に身を包んだ老人は、白髭の生えた顎に手をやりながら感心した風に戦場跡を見回した。すごい魔力と服の上からでも分かる鍛え上げられた重金属のような筋肉に、ツバキはミミミと思った。
「取り逃しは……無いようですね」
焼死体の数を数え頷いた水色の髪の魔女もまた、すごい魔力だった。
白衣を着て、蛇が絡みつく意匠の独特な形の杖を持ち、青い目でじっと見てくる。ツバキはミーミと思った。
疲れているところに怖いのが二人も現れミ゛~となったが、ツバキは賢い。
蜘蛛の魔女からは挨拶をちゃんとしようねと教わったし、花の魔女は挨拶は牽制になると教えてくれた。オーリも挨拶できて偉いと褒めてくれた。
ツバキは先制してペコリと会釈し、挨拶をかます。
「こんにちは。私ツバキ。魔人」
「はいこんにちは。私は二代目聖女、フローレンスです。お見知りおきを」
「ふうむ……日本語訛りがありおる。日本の魔人か?」
「彼は武仙、日本の方なら豪腕の魔法使いの方が通りがいいかも知れませんね。ともあれ私の護衛です。村で魔物駆除を請け負った魔人というのは貴女ですか?」
問われ、ツバキは頷いた。
中国北方の山奥の村で生産されているという特別な香油の噂を聞いたのが一ヵ月前。野を越え山越えやってきたツバキは、村の近くに住み着いた魔物の群れのせいで畑に近づけなくなり、油の生産が止まってしまっていると知った。
そこで魔物退治を請け負ったのが今朝のこと。一度ダメになってしまった畑で香油を再生産できるようになるのは当分先の事だけれど、魔物を倒したら倉庫にある僅かばかり残った秘蔵の香油を味見させてくれるし畑もくれるという話で、ツバキのやる気は高かった。
「フロレンスも香油食べに来た? ライバル?」
「いいえ。私達は医療活動をしています。鄂温克村は近々包括的自治区統合指定制度によって町に昇格しますので、新世界保健機関憲章に則り医療施設配備のために視察を」
「ミ……?」
ちょっと難しい話をされて、ツバキはよく分からなくなってしまった。
考えるのは苦手だ。特に日本語以外で話されると、リスニングの怪しさもあって頭がこんがらがってしまう。
「よく分かんないけど、ダメ。あの村、私の縄張りする。勝手したらダメ」
「ダメという事はありませんよ。医療の普及と充実は全てに優先されます」
「ミ! 横取りよくない。私、村を虐める魔物やっつけた。私が頑張ったから、私が縄張りする。縄張り横取りダメ」
「何を言っているんです。そもそも貴女は村長でも村議会の者でも無いでしょう。村の死傷者増加原因を取り除いてくれた事には感謝しますが、一体なんの権限があって……」
「ミー! 話難しくしないで!」
なんだか難しい話で煙に巻かれそうになっている気がして、ツバキは火を吹き怒った。
フヨウがたまにやるやつだ。難しい言葉を並べ立ててきて、ワケも分からず頷くと、不利な約束を結ばされているのだ。
自分より強いやつが二人も、自分の縄張りにやってきて手を出そうとしている。
縄張りを取られてしまう! という危機感で頭がいっぱいのツバキは、虚勢を張って追い払おうとミーミー鳴いて火を吹いた。
ヒートアップする魔人に困り顔の聖女フローレンスに、老武人が静かに進言した。
「聖女様。この手合いは言葉より拳で御座います」
「おや。そうですか? では……」
「御身はお控え下され。ここは儂が」
メラリと戦意を滾らせ拳を打ち合わせた聖女を少し焦った様子で手で制した豪腕の魔法使いは、ツバキに握りこぶしに手のひらを当てる包拳礼をとり言った。
「お主の言う通り、難しい話は無しとしよう。儂とお主で戦い、敗者が勝者の言う事を聞く。如何か」
「…………ミ! いいよ!」
提案に少し考えたツバキは、躊躇のあと頷いた。
今、ツバキの魔力はかなり減っている。しかも豪腕の魔法使いは強そうだ。しかし魔力バチンはとても強い。魔力差を覆してあまりあるポテンシャルがある。
相手の魔力をバチンして、魔法が使えなくなったところを深淵金でボコボコに殴れば勝てる!
勝利の道筋を見出したツバキはフスーッと鼻から煙を吐き、少しの距離をとって豪腕の魔法使いと対峙する。
「魔法で治せない負傷はさせないように。では、はじめ」
聖女フローレンスの戦いの合図にしては穏やかな一言を皮切りに、二人の勝負は始まった。
「ミミミ! バチン!」
「むっ!?」
もちろん、ツバキは速攻を仕掛けた。
何よりも早く手を突き出し、地面を滑るようなぬるりとした動きで急接近してくる豪腕の魔法使いの魔力を封じる。
これほどの圧倒的魔力差がある相手にバチンをするのは初めてで、上手くかかるかだけが不安要素だった。
しかし上手くいった。
ツバキは勝ち誇り高笑いした。
「ミーッミッミッ! 勝ち勝ち山の狸さん! 私の勝ち!」
「ぬるいわ、小童!」
「ミ゛!?」
豪腕の魔法使いは欠片も止まらなかった。
魔力を封じるだけで混乱状態に陥ったこれまでの魔物とは全く違う。
強化魔法を唱える隙も無かったはずなのに、魔法が込められているとしか思えない破壊的な威力の拳がツバキの腹に突き刺さる。
反射的にハンマーで殴り返したものの何かの武術で受け流され、ツバキは半泣きでよろめき尻もちをついた。
空気を吸おうと喘ぎ、咳き込み、お腹を触って穴が空いていないか確かめる。
涙目で見上げれば、眼前に豪腕の魔法使いの拳が突き付けられていた。
呆気ない敗北だった。
「ミミミ、殴った! 魔力バチンしたのに! ミーッ!」
「何を言うておる? 当然じゃろう。魔力が封じられようと四肢は動く。それは相手を殴り合いに引きずり込む技術であろうが」
「ミ? ……そうかも。まいったする」
素直に納得しコロンと仰向けに転がり腹見せ降参ポーズをとるツバキに、豪腕の魔法使いは苦笑いした。ツバキの一撃で外れた指をゴキリと音を立て嵌め直し、敗者を助け起こす。
老いてなお、豪腕。
ツバキは自分を打ち倒した凄い魔法使いの戦い方に学ぶべきものを見出した。
青の魔女のような卓越したセンス頼りの誰にも真似できない戦い方とは違う。
豪腕の魔法使いには技があり、型があった。
ほんの一合の打ち合いで、ツバキにはそれが理解できた。
ツバキは老武人をキラキラした目で見ておねだりした。
「縄張り諦める。代わりにおじーちゃん、強いの教えて。今やったスゴイゾの殴り方」
「弟子はもう取っておらん」
豪腕の魔法使いの答えは素っ気なかった。
だがツバキは諦めない。
ツバキ・スゴイゾは一番すごいのだ。今は一番強くなくても、どんどん勉強して、どんどん強くなって、一番になるのだ。
ツバキは一生懸命頭を振り絞り、交換条件を捻り出す。
「じゃ、お返しにバチン教えてあげる」
「バチン? この魔力封じの秘伝を授けてくれるのか?」
「ミ。そうそれ。教えてもらって、教えてあげる。交換こ!」
「ふむ……」
豪腕の魔法使いは長い白髭を指先で梳きながら思案気にする。
ちらりと老人が孫ほどの年齢の聖女にお伺いを立てるような目線を向けると、頷きが返る。
「よかろう。お主に儂の武術を伝授する。代わりに封印術を教えて頂こうか」
「ミミミ。よろしく、先生!」
二人は握手を交わし、交渉がまとまった。
見た目は少女と老人。
実年齢は同い年。
かくして中国の山村の外れの森の中で、焔の魔人と老師による、ひと時の師弟関係が成立した。





