177 ルーシの女王
オクタメテオライトもそうだが、ルーシ王国のクォデネンツの魔物除け結界は目に見えなかった。空間が歪んでるとか結界の殻が色づいて見えるとか、そういうのは無い。
ただ境界線は分かりやすい。
俺の身長の倍ぐらいの高さの石杭が地面から等間隔に突き出し縄で繋げられていて、明確に内と外が分けられているのだ。
境界の外にも広大な麦畑があり、果樹が植えられていて、整備された用水路も流れている。倉庫や建物はほとんど境界の内側。安全意識とクォデネンツ結界への信頼が窺える。
冷静に考えてみれば、半径10kmの絶対安全圏に60万人分の居住区と農耕地を全部詰め込めるはずもない。生活の糧がいくらか結界の外にハミ出して当然で、ハミ出るとしたらそれは家ではなく畑だ。
ルーシ王国の国民と思しき畑仕事をしている人々は、でっかい播種機を馬に牽かせて植え付けしていたり、でっかいザルをつけたショベルカーみたいな絡繰り装置で地面を掬って土に混ざるグレムリンを除去していたり、収穫前の作物に豊穣魔法をかけていたり、誰も彼もが汗を拭い忙しそうに働いている。
俺達が歩いていてもほとんど見向きもされなかった。たまに物珍しそうに目線を寄こす人もいたが、特に話しかけられたりはしない。
仕事中に私語しない勤勉な人ばかりで助かる。大利ポイント+1だ。
そういう景色の農道を歩き到着したルーシ王国の国境検問所は高速道路の料金所のようで、見た目は他国と大差ない。
一方、手続きは毛色が違った。
ヨレヨレの軍服を着て気だるげに立っていた検問のおじさんは、俺達の顔を見ると、というかヒヨリの顔を見るとハッとして詰所に引っ込み、似顔絵が描かれた紙を持って出てきた。
「確認させて頂きたいのですが、青の魔女様ですか?」
「そうだ。女王陛下との約束を果たしに来た」
「証明書はお持ちですか」
「ああ」
ヒヨリから超越者証明書を受け取ったおじさんはじっくり検分し、似顔絵とヒヨリの顔を何度も見比べてから恭しく一礼した。
「ようこそルーシ王国へ、青の魔女様。指定魔道具をお預かりします」
「ん。ほら、大利も」
「あ、預けるのか? チェックじゃなくて?」
当たり前の顔をしてキュアノスを預けたヒヨリに促され、俺はオクタメテオライトを反射的に背中に隠した。
なんで預けるんだよ。
今までの国は登記だけとか登記+通行税とかそういう感じだっただろ。
どうして預ける必要が?
「別にいいだろ、杖の一本や二本持ち込んでも。通行税払ったら持ち込みOK制度とかない?」
「ない。私も好きで預けるわけじゃない。これがルーシ王国の法律だ。ほら、子供みたいな事してないで大人しく渡せ」
「い、いやだ……! 借りパクされたらどーすんだよ!」
押収品の着服とか刑事ドラマで観た事あるし。知らん奴に預けるのは不安過ぎる。
せっかく再誕したオクタメテオライトが万が一にでもポッケナイナイされたらブチ切れるぞ。相手が女王だろうが魔女だろうがドラゴンだろうが何がなんでも取り返しにいく。
そしてボコられる。
いいのかヒヨリ、俺が我を忘れて突っ込んでいってボコられても。よくないだろ!!
意地でも渡さない構えを取る俺に呆れたヒヨリの説明によると、本当なら竜炉彫七層型青魔杖キュアノスや守護神杖オクタメテオライトを素通ししている他の国の方がおかしいらしい。
かつてヒヨリは最初期型のキュアノスを指して言った。
これは核兵器のようなものだと。
最新型のキュアノスの性能は初期型の比にならない。
ヒヨリがその気になれば街どころか小国を消し飛ばせるであろう、麗しきバケモン兵器だ。
そんな超兵器を書類一枚で国に持ち込ませる方がおかしい。
核爆弾を税関に持ち込んだら絶対に通してもらえない。当たり前だ。
ルーシ王国の対応は至極当然である。
国を滅ぼせる超兵器を持って国内をウロつくな。預からせてもらう。
と、こういう話。
それはそう。一応話のスジは通っている。
「でも今までの国は持ち込みOKだったじゃん」
「ああ、まあ。そこは……歴史の話になるが。簡単に言えば昔バカがいたんだよ」
ヒヨリは「その話いつ終わるんです?」という顔をしながら待ってくれている検問おじさんを横目で見ながら続けた。すみませんね。
ヒヨリ先生の講義によれば、昔マジで預かった魔法杖を借りパクしたカスがいたらしい。
隣国からの使節としてやってきた超越者の杖を預かり、武装解除状態の超越者をブッ殺し、奪った杖を使って侵略戦争をしかけた。
卑劣な電撃戦で隣国の併呑に成功した国は、結局事態を知った周辺諸国に袋叩きにされ地図から消えたのだが、イヤな故事が残ってしまった。
強力な武器を預けると、奪われるかも知れない。
かといって自国に武器を置いてきて丸腰で他国へ行けば、それはそれでブッ殺されるかも知れない。
だから国際的な慣習としてどれだけ強い武器でも個人携行品の範疇である限り他国に持ち込んでいい事になっているのだそうだ。
なるほど納得。物騒だけど。
入間のカスも魔女集会の面々の信頼を稼いで油断させてから魔石借りパクしてクーデター起こしたって話だし。
そのせいでヒヨリが警戒心MAXになってて、魔石貸してって言ったら罵倒された記憶ある。
強力な武器は人に貸さない、預けない、というのが国際常識になっているのも分かる。
でも、それならなんでルーシ王国はいいんだよ。あーん?
その理屈だと俺がルーシ王国にオクタメテオライト持ち込むのも俺の勝手やろがい!
「女王は約束を破らん。女王の名の下に預けた物は必ず返ってくる。大利は命の恩人を信じられないか?」
「預けます……」
理論武装を貫通する口撃を喰らってしまった。流石に降参です。
それ言われたら大人しく預けるしかないじゃん。
女王陛下が蘇生魔法を教えてくれなかったら、俺はこうして預けるだの預けないだの口論する事すらできていない。反論できない理屈で殴るのやめろ。
「あと、女王は魔石アレルギーらしい。魔石を嫌ってる」
「そんな事ある???」
それはちょっとよく分かんないですね。
……いや違うな、普通にあるか。
魔獣使役のために埋め込むグレムリンにアレルギー出る体質の人がいるんだから、魔石アレルギーもあるのだろう。
魔女なのに魔石アレルギーとは難儀な話だ。
オクタメテオライトを拝んだだけで涙とクシャミが止まらなくなったりするんですかね?
かわいそう。人生の5%ぐらい損してるぜ。
かくして俺も守護神杖オクタメテオライトを預け、代わりにヒヨリとお揃いの代用杖をもらった。
シンプルな作りの短い杖で、地味にメビウス輪グレムリンがコアになっている。街中でヤバい魔法使うな、威力等倍で我慢しろって事ね。了解っす。
魔物を問答無用で塵にしてしまうクォデネンツの性質上、ルーシの領土に虎魔獣はいない。代わりに乗り物になっているのが馬や自転車、キックボードで、俺達は検問おじさんが呼んでくれた馬車に乗せられ迎賓館に向かった。
街並みはだいたい二階家で、煉瓦造りの家もあれば、ペンキ塗りの木造屋もある。時計塔や教会もあった。
そんな中、遠くからでも家々の屋根の上に影を落としそびえ立つクソデカい宮殿があり、絶対女王の宮殿だ……! と思ってポケーっと眺めていたのだが、馬車はその宮殿の前で車輪を止めた。
「え? これ迎賓館? スケールデカすぎだろ! 何この門? 高さ50mぐらいあるぞ」
「トゥルハンが来るからだろ」
「あ~」
少し前に会ったトルコ王の巨人を思い出して納得する。
なるほどね。それならこういう漫画みたいな意味わからんサイズの門にもなるだろう。
ふん、おもしれー門。
面白過ぎて門に刻まれた独特のレリーフを調べようとしたのだが、ヒヨリに襟首を掴まれ迎賓館の中に引っ張り込まれた。50mの両開き門が開く事はなく、通ったのは人間用のドアの下に取り付けられた猫用ドアみたいな普通の通用門だった。
まあルーシに滞在していればこの門が豪快に開くのを見るチャンスもあるだろう。今は女王との面通しが先だ。
玄関ホールの天井が異常に高く広かった事を除けば、内装のほとんどは普通サイズの人間向けだった。
ふかふかの高級カーペットが敷かれた廊下には肖像画や胸像が置かれていて、なんだか美術館に来たような気分にさせられる。足音どころか息遣いさえカーペットと壁に吸い込まれるようで、厳粛な静けさは否が応でも緊張を高めた。
ヒヨリに女王がどんな奴か聞いても「私が喋るから黙ってていい」「これ以上魔女を誑かすな」としか言わないから、どんな奴か分からないままなんだよな。
その謎の女王の足が何本生えていて、目が何個あるのか? ハッキリする時がやってきた。
テレビの中でしか見た事がないような豪華な調度品に囲まれた応接室に入って待つ事数分。
外で待機している使用人によって静かに扉が開かれ、ルーシの女王が静々と入ってきた。
女王は顔の良い女だった。
ヒヨリより年上だというから実年齢は百歳超え確定だが、外見的には二十歳ぐらいに見える。若く、穏やかな顔立ちで、人当たりの柔らかな微笑を浮かべているのに、ああ年上なんだな、と直感させられる深みがある。
雪のように白い髪は綺麗に結い上げられ、大粒の宝石を贅沢にあしらったティアラを乗せている。対して黒いドレスはレース編みが入っていなければ喪服かと思うぐらい質素だ。
装備としては王笏デザインのグレムリンコア魔法杖を持ち、右手にはアミュレットの指輪。
若き女王様を想像して下さいと言われたらこう、というような面白みに欠ける普通の美人だ。
残念ながら足は二本で、目は二個。
一般人と区別しやすい特徴的な白髪をしていなければ明日にはどんな顔だったか忘れていそうな、単なるツラの良い美人である。
そのはずだが……
ルーシの女王は俺に目を留め、ドレスの端を持って優雅にカーテシーをした。
「初めまして、大利賢師さん。お初にお目にかかります。遠路遥々ようこそお越しくださいました」
「あ、はい。ども」
「私は女王としてこのルーシ王国を治めております、イヴァニューク・リュボスラーヴァ・イリイーチと申します。お好きなようにお呼び下さい」
「…………。はい?」
長ったらしい名前が耳を右から左に通り抜け聞き返すと、ルーシの女王は如才なく補足した。
「民には女王様だとか、陛下と呼ばれる事が多いですね」
「あ、じゃあ陛下で」
女王が微笑んで手を差し出してきたので、普通に握手する。
手を握り潰される事もなければ、指が八本あったりもしなかった。
普通だ。
見た目も普通、言動も普通。
超越者あるあるのエキセントリックな部分が無い。
それになんか……う~ん……?
妙な感じを覚える俺を女王陛下の目から隠すようにしてヒヨリが前に出てきて、社交辞令を交わし始める。
そんなヒヨリの肩越しに女王を上から下までじっくり見ても、印象は変わらない。
なんだこれ?
首を捻って考えてもよく分からないので、二人の毒にも薬にもならんアイサツの応酬に口を挟んだ。
「あのー、陛下。なんか魔法使ってます?」
「はい? なんでしょう?」
「なんか魔法使ってます? 印象を良くする系の」
「いいえ、そのような魔法は使っていませんが。何か?」
「初対面なのに変な温かみ? スゲェ感? 魅力? みたいなの感じるんですけど。包容力があるというか。会った事ないはずなのになぁ~んか記憶にあるような、無いような……」
「…………」
喉に小骨がつっかえたような感覚は口に出してもつっかえたままだ。
黙って微笑んでいるルーシの女王の代わりに、ヒヨリが驚いて言った。
「それ超越者枠の記憶じゃないのか? 初対面の超越者に知らない感情が湧き出してくるなんてそれしかない。
やっぱり。やっぱり大利は魔法使いだったんだ! おかしいと思ったんだよ、お前の器用さは人間を超えてる。頼むからやめろよ大利と女王が無名叙事詩では恋人だったとか! 許さんぞ私は! 絶対嫌だ!」
「は? 何言ってんだお前」
勝手にヒートアップして取り乱すヒヨリに、黙っていた陛下は優しく声をかけた。
「いえ、そういう事ではないと思いますよ。私が保証します。彼は魔法文明とは全く無関係の、生粋の地球人です」
「ああ? じゃあなんで大利が、あの大利が、初対面の人間に、異形でもなんでもないお前を好きになる? クソッ、嫌な予感がしてたんだ。人間に見えても魔女は魔女、変にコミュ障特効が入ったらマズいんじゃないかって……!」
「落ち着いて下さい、青の魔女。彼は私が好きだとは一言も言っていませんよ。ただ、変な感じがすると言っているだけです。大利さん、そうですね?」
「はあ。別に陛下が好きとかはないです。普通。あっ! 蘇生魔法教えてくれたのはホントありがとうございます。大感謝」
「いえいえ、私も目的あっての事ですから。青の魔女、大丈夫ですから落ち着いて下さい。いつもの冷静な貴女はどこへ? 彼は静電気体質ではないし、魔力コントロールもできないのでしょう?」
「それはっ……! …………。それはそうだな」
陛下のとりなしで、興奮してギャンギャン吠えていたヒヨリは牙を納めた。
陛下に「本当に彼を愛しているのですね」と微笑ましそうに言われ、頬を赤くして魔女帽のツバで顔を隠すオマケつきだ。かわいい。
恋は盲目というが、ヒヨリは恋愛フィルターが強すぎて俺を女性に大人気だと誤解している。俺のコミュ力で女をたらせるなら、一般成人男性は瞬き一つで100万人ぐらい虜にできるぞ。バカげてる。
女王陛下は変人奇人揃いの魔女らしからぬ物腰の柔らかさで、醜態をさらし気まずそうにしている青の魔女と俺にソファを勧め、手ずから紅茶を淹れてくれた。
事前にヒヨリから話を聞いていたのだろう、俺となるべく目線を合わせないように気を付けてくれているし、お茶請けのジャムとクッキーに手を伸ばしても見向きもしない。
ヒヨリとの雑談に意識を割いているのか、そうしているように見えるよう取り繕っているのかは分からんが、どちらにせよ空気扱いはありがたい。
やっぱね、時代は空気ですよ。コンビニの品出ししてる店員さんの前の棚の商品取ろうと手を伸ばした時にちょっと体を避けてくれるのとかすっごい申し訳なくて胃が痛むんだよな。俺の事なんて気にせず空気扱いしてくれりゃあいいのにな。
青の魔女様と歓談なさっている女王陛下のお言葉を空気になって聞いている限り、内容は終始真っ当。全部ごもっともだった。
竜の魔女がルーシ上空を飛ぶのは普通に領空侵犯だから止めるよう言って欲しい、という話に至っては無関係のはずなのにこっちが恥ずかしかったぐらいだ。何やってんだアイツは。日本の恥め。
ルーシの女王は、想像に反して全てが普通だった。
蜘蛛さんを彷彿とさせるマトモさだ。マトモ過ぎて逆に異常に見えてきたぞ。
陛下はなんでそんなにちゃんとしてるんです? 異常性癖も異形外見も無いなんて本当に魔女? それは流石に偏見か。
そうしてしばらく黙って聞いている内に話が終わりそうもないと気付く。
国際情勢がどーの安全保障がどーのという堅苦しい話はだんだん他愛もない四方山話にスライドしていって、無限にペチャクチャ楽しそうに話し続けている。
絶滅危惧種の天然スズメ飼育園の話はちょっと面白かったけど。変異と生息ニッチ丸被りによってフクロスズメにすっかり置き換わってしまった天然スズメも、魔物が存在しないルーシ王国では普通に巣を作り繁殖している。郊外を見ていて虎の代わりに馬を使ってるなんて不便な国だな、と思ったが、悪い事ばかりではないようだ。
それはそれとして放っておくと一日中話していそうな勢いだったので、ヒヨリの脇腹を肘でつついて催促する。
クォデネンツは?
俺、クォデネンツ調査のためにここに来たんですけど?
彼女と彼女の友達のお茶会を横で聞くためじゃないぞ。
暇を持て余した俺に気付いたヒヨリはハッとして話を切り上げた。
女王陛下も頷き、ソファから立ち上がる。
「長々とお待たせして申し訳ありません。クォデネンツがある聖堂にご案内しますね。実物を見ながら説明しようと思うのですが、よろしいですか? それとも今日は旅の疲れを癒して、説明は明日になさいますか?」
「今からで」
魔王から採れた魔法文明の産物、魔王グレムリンは分解解析に随分手こずらされた。
未だに解析しきれていないけれど、調べて得られたデータは莫大だ。
魔王グレムリンと同じ魔法文明の産物、それも魔王グレムリンより高等なシロモノと思しきクォデネンツは異常を起こしているという。
俺に課された仕事はその調査だが、調査を通して得られる知見は計り知れない。
果たして伝え聞くルーシ王国の秘宝、クォデネンツとは如何なる物なのか?
いよいよこの目で見る時がやってきた。テンション上がってきたぜ。
この俺の器用さで、積み上げてきた知識と技術で、お前の秘密を全部バラして丸裸にしてやるからな!!





