176 冒険者たち
円谷銀士は天井の穴から差し込む陽光の温もりで目が覚めた。
急いで半身を起こすと眩暈がして視界がグラつき、悪態をつきながら大人しく瓦礫に背を預け空を見上げる。
溜息が出た。どうやらしばらく休まないと動けないらしい。仕事中に魔力切れで失神するとは冒険者の名折れである。
銀士がいるカビと蔦に覆われ崩れかけの劇場ホールは前時代のものだ。
天井に空いた大穴からは空が見え、その真下の瓦礫には青々とした草木が生い茂っている。
住居としては使い物にならない建物ではあるが音を遮る程度の機能は残っていて、森のざわめきも潮騒も魔物の鳴き声も何も聞こえない。在りし日にはきっとこの密やかな静寂の中で様々な催し物が行われていたに違いない。
そもそも、銀士がこうして対馬にやってきたのは山上技研から仕事を請けたからだ。
山上技研――――山上魔法技術研究所は新進気鋭のユニコーン企業で、創業から僅か一年半で小国の国家予算並の莫大な融資を集め急拡大を続けている。
前時代の科学文明は電気の喪失と同時に脆くも崩れ去ったが、青写真は残った。
現在、人類は高度通信網を持っていない。
だが高度通信網が極めて重要なインフラであり、想像を絶する巨大な利益を生む事を歴史的に知っている。
山上技研が研究と普及を進める魔力計算機と魔力通信機は世界的巨大産業に成長する事が確定している新技術であり、投資家が目の色を変え国が注目するのも至極当然と言える。
ロストテクノロジー「インターネット」の法外な能力は教科書やサブカルチャーを通し誰もが知る所で、長ずればそれが復活するかも知れないとなれば熱狂して当然だ。
現在、山上技研は国連と共同で通信網の敷設を進めている。
魔力通信機の通信限界距離である5kmおきに通信機を設置し、世界を一周する長大な通信網を作り上げようという長大にして壮大な計画は急ピッチで進められている。
政治的な問題から経済的な利権問題、地理的な問題まで複雑に絡み合う大事業であり、銀士が一口噛んだのは辺境での通信機設置場所安全確保に関する業務だ。
都市部や蒸気機関車が通っているような主要道沿いなら通信機設置に苦労はない。
だが世界一周通信網を実現するためには未開拓地にも中継機を置く必要がある。
福岡と韓国の間に横たわる海峡に浮かぶ対馬は中継機設置地点としてもってこいである一方、30年前の脱影病流行で壊滅して以来、人が消えている。
すっかり自然に侵食された対馬から魔物の脅威を一掃し、仮拠点を築き、山上技研の職員が安心して中継機を設置できる安全な環境を作る。それが冒険者に与えられた役割だ。
対馬作戦部隊は冒険者150名から成る。
150名にはそれぞれ制圧目標が設定されていて、銀士にも制圧すべき地域がある。
……のだが、効率重視で相棒と別れて行動したのが裏目に出た。殺人杉を根本から吹き飛ばしたところまでは良かったのだが、最後の悪足掻きが痛かった。太い枝で殴られ重傷を負ってしまったのだ。治癒魔法で回復したはいいものの、魔力切れで失神。
気絶中に別の魔物に襲われなかったのはひとえに運が良かったからだ。
これでは新人冒険者を笑えない。
開拓隊から冒険者に改名され、組織改編とプロパガンダが行われた影響で、近年若い(若すぎる)冒険者が増えている。
実力が無ければ思慮深さも無く、しかし熱量だけは十二分に持っている新人たちを銀士は生温かい目で見ていた。
アイツらどこかで大怪我して死んでしまうぞ、と思っていたのだが、危うく銀士自身がそうなるところだった。
やはり無茶はするものではない。
大企業がバックについた美味しい依頼だから、さっさと自分の担当地区を終わらせて他のサポートに回ればたっぷり報酬の上乗せが狙えると欲をかいたのが悪手だった。反省である。
あれこれ思い巡らし、安静にしている内に魔力が戻ってきた。
最新式の指輪アミュレットの回復促進は効果抜群だ。完全に魔力が尽きても、短時間で歩ける程度に回復してくれる。高い金を出した甲斐があった。
銀士は大きく伸びをし、勢いをつけ立ち上がった。
全く同時に、近くの倒木も立ち上がった。
銀士は凍り付いたように固まった。
瓦礫に紛れた倒木だと思っていたのは、倒木では無かった。
魔物だ。
対馬固有種だろうか? 名前は分からない。ただ、苔むした倒木に根っこの足が生えたようなその魔物の全長は優に5mある。
間違いなく乙類クラス。魔力切れで相手にできる敵ではない。
幹に開いた三つの不気味な瞳は明らかに薄ぼんやりとしていて、体の動きもノロい。眠気の残滓が目に見えるようだ。
待ち伏せをしていたわけではなく、寝ていたらしい。
銀士の心臓が口から飛び出しそうなぐらいバクバクと高鳴る。鼓動の音が魔物に聞こえてしまうのではないかというぐらいだ。
銀士は一瞬で無数の手段を考える。やはり相棒と別行動をとるべきではなかった。
自分の迂闊な判断が、今、自分を死線に引きずり込んでいる。
倒木の魔物が根っこと幹を震わせ、枯れた枝から新芽を芽吹かせつつ振り返る。
三つの瞳と、銀士の目が合った。
ぼんやり眠たげだった三つの瞳が驚愕に大きく見開かれる。そしてその目が凶悪に吊り上げられたのを見て、銀士も意を決し動いた。
首から下げていたホイッスルを吹き、懐から霊薬瓶を出し、封を噛み切って喉に流し込む。
空瓶を投げつけながらバックステップを踏めば、一瞬前までいた場所が太枝で叩き潰され瓦礫が飛び散った。判断が一拍遅れていたら瓦礫の代わりに肉体が飛び散っていたところだ。
魔力回復薬は危険な多幸感と全能感を帯びて速やかに全身に染みわたり、沸々と魔力が湧きあがる。
銀士は腰から魔法杖を抜き放ち、駆けだした。
倒木魔物を中心に弧を描くように走るも、植物系にしては機敏で、素早く位置を合わせてくる。背後はとれそうもない。
鞭のようにしなる太枝は伸縮し、走りながら身をかがめた銀士の髪をかすめる。一撃目から間髪入れず横なぎに振られた太枝をパルクール式に飛び越えた銀士は疾走しながら詠唱を始める。
「焔っていうのは知らないけど、メラメラボワボワなら知ってるよ!」
詠唱完成寸前で足を止めた銀士は魔法杖の照準をビタリと魔物に向け、身の丈ほどもある灼熱の焔の球を撃ち出した。
植物の魔物には焔魔法。常識だ。
炎魔法の方がコストが低く日常では使い勝手が良いのだが、一発の火力を求めるなら焔魔法の方が優れる。
大火球をモロに受けた倒木魔物は耳障りな悲鳴を上げた。焔に包まれた樹体から白煙が上がり、焦げ臭さが鼻をつく。
しかしすぐに火の手は消えた。
煙の中から現れた倒木魔物は、樹皮からドロリとした樹液を大量に分泌し、ネバついた膜で全身を覆っていた。
「野郎、消火しやがった……!」
怒りに燃える魔物のくすぶる枝攻撃を避けながら、悪態をつく。
焔魔法は確かに有効だった。だが対策を持っていた。
火が効くからこそ、火への対抗策を備えている魔物だったのだ。
こうなると分が悪い。
重傷を治したばかりだし、足場の悪い廃墟をいつまでも走り回り避け続けていてはスタミナがもたない。
廃墟となった劇場ホールで外と通じているのは天井の穴だけで、他の出入り口は瓦礫でふさがっていた。逃げようにも逃げられない。
倒すしかない。
薬物中毒覚悟で二本目の虎の子魔力回復薬を取り出した銀士は、封を噛み切ろうとして愕然とした。
霊薬瓶にはヒビが入り、中身が全て漏れて空になっていた。
殺人杉にもらった強烈な一撃の記憶がフラッシュバックする。
鼬の最後っ屁は銀士に重傷を与えるだけでなく、二本しかない回復薬のうちの一本を叩き割っていたのだ。
切り札の喪失は銀士に大きなショックを与えた。
頭が真っ白になり、足が鈍る。
その隙を倒木魔物は逃さなかった。
鋭い風切り音を立て、太枝がしたたかに銀士の胸を打ち据える。
銀士は吹き飛ばされ、劇場の朽ちかけた椅子を巻き込んで無様に地に落ちた。
息が詰まり声も出ない。
胸甲のおかげで骨が粉砕される事はなかったものの、呪文どころか呼吸すらままならない。
苦痛に体をまるめ喘ぐ銀士の足に枝が絡みつき、宙づりにされる。
抵抗できず逆さまに吊られた銀士は、倒木魔物の幹が裂け、サメのように凶悪な鋭い牙が並んだ口を大きく開かれるのを見た。
牙の間に何かの動物の骨が挟まっているのが見えてしまう。
ああ、俺はこんなところで死ぬんだ、と、銀士は痺れた頭でぼんやり思った。
銀士は二十歳で冒険者になり、相棒と共に八年死線を潜ってきたベテランだ。
遺言状は書いてあるし、いつだって死を覚悟してきた。
それでもなんとなく、死ぬとしたら強大な魔物と戦って敗れるんだろうな、と思っていた。
この倒木魔物は推定乙2類。魔力が万全なら、相棒とチームで戦えば、余裕をもって倒せる相手だ。
だが今戦うにはあまりに分が悪かった。
死ぬとしても、死力は尽くす。
銀士は魔法杖の柄を捻じり、仕込んでいた剣を抜いて思いっきり枝に突き立てた。
だが刃が刺さる事はなく、虚しく弾かれる。
このクラスの相手に魔術師の剣など通らない。
分かっていた事だ。ただの悪足掻きに過ぎない。
万策尽きた銀士に悪臭のする顎が迫り――――
――――そして、一発の銃声を聞いた。
突然、銀士は足の戒めが解けるのを感じた。
宙吊りから真っ逆さまに瓦礫の上に落ち、辛うじて受け身を取る。
何事かと銃声のした天井の大穴を見上げれば、そこには太陽を背に立つ二人の少女の姿があった。
拳銃を器用にくるくる回し、空中に投げてからキャッチした少女の片割れは、決めポーズを取りながらよく通る声で言った。
「君のハートにロックオン! 美少女ガンナー、天羽祈里参上ッ!」
銃手に続き、黒いオーラを纏う小柄な少女が声を張り上げる。
「小林刀月、参る!」
「刀月ちゃ~ん? 台詞言うって約束したよね?」
「…………可憐な魔剣に斬れぬ物なし! 美少女剣士、小林刀月見参!」
ヤケクソで叫び直した少女剣士は、大太刀を構え大穴から猛禽のように飛び降りてきた。
闖入者に枝を振り上げ威嚇していた倒木魔物が、落下中の剣士に太枝攻撃を仕掛ける。
しかしその枝は乾いた銃声と共に中ほどから弾け飛んだ。
「GO、刀月ちゃん!」
「私の魔剣の錆になれ!」
仲間の援護を受けて無事着地した剣士は凶悪に笑い、物凄い速さで一直線に疾駆し魔物に肉薄する。途中で繰り出された何本もの枝は、全て黒いオーラにズタズタに斬り捨てられ木片と化した。
「お返し願おう、剣聖の名を!」
疾走の勢いをそのままに自分の何倍もある魔物の懐に飛び込んだ少女剣士は、呪文と共に大太刀を横一文字に振り抜く。
いや、振り抜いたのだろう。
銀士の目には構えを取った次の瞬間に振り抜き終わっているようにしか見えなかった。
剣と共に魔物の背後まで駆け抜けた少女は残心をとり、大太刀を鞘に納める。
その納刀の軽やかな音と共に、見上げるように巨大な大木は自分が斬られた事を思い出したかのように地響きを立て倒れ伏した。
銀士は唖然として、満足気な少女剣士刀月と、ロープを伝って懸垂下降で天井の大穴から降りて来る少女銃手祈里を交互に見た。
なんと言うべきか、言葉が出てこない。
推定乙2類の強敵を鮮やかに倒してのけた腕前を讃えるべきか。
窮地を救ってもらった事に感謝すべきか。
ちょっとよく分からない前口上についてツッコむべきか。
口を開けたり閉じたりして悩んでいる銀士が何か言う前に、地面に下りた祈里が愛想よく話しかけてきた。
「やー、危なかったねおじさん。でももう大丈夫! 美少女冒険者コンビ『ガンブレード』が来たからね!」
「あ、ああ。助かった。ありがとう」
祈里のウインクに引き気味で答えると、魔物の前にしゃがみ込み死体を鞘でつついていた刀月が目を合わせず素っ気なく言う。
「礼は要らない。祈里、ベストタイミング見計らってたから。もっと早く助けられたのに」
「刀月ちゃん? 営業妨害やめよ?」
「……まあ、とにかく助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして。おじさん魔術師? 剣士?」
握りっぱなしの仕込み魔法杖を見ながら聞かれ、銀士は一応魔術師だと答える。
冒険者の半分以上は魔術師だ。次に多いのが魔獣使いで、三番手以降は大差ない。
剣士は何度か見た事があったが、現役銃手を生で見るのは初めてだった。駆けだしの頃に先輩がサブウェポンとして持っていたのを見た事があるだけだ。ここ数年は全く見ない。
物珍しさから銀士がホルスターに納められた奇妙な拳銃を見ていると、祈里はニヨニヨ嬉しそうに笑いながら銃を握らせてくれた。
「いいでしょコレ~! おじさん魔力切れでヤバかったんでしょ? そんな時はコレ、クリスタライザー! この銃はクリスタライザーっていうんだけど、特殊な弾丸で、なんと物理無効とか軽減系の魔物にも攻撃が通ります! エンチャント魔法を使えばああいうデカブツ相手でも威力充分! 今なら安く買える店紹介しますよ~!」
ペラペラと勢いよく喋る祈里は、どうやらクリスタライザーなる魔法銃を売り込みたいらしい。言葉には淀みが無く、この宣伝が何度も繰り返されてきたものだと分かる。
銀士は銃を返し、立ち上がりながら慎重に答えた。
「ありがたい話だ。俺は間に合ってるが、欲しがりそうな奴がいたらそういう物があると伝えておこう」
「お、ありがと~! でもさでもさ、おじさんも持った方がいいんじゃない? 一人じゃ魔力切れになった時カバーもしてもらえないでしょ? おじさん冒険者歴どれぐらい? 免許は?」
「八年。免許は鉄だ」
「…………え、ガチで?」
啜命鉄製の冒険者免許を見せると、二人の少女は顔を見合わせ目を丸くした。
最高位の真空銀免許が超越者専用、次点の深淵金免許が魔人専用である事を考えれば、円谷銀士は普通の人間が届き得る最高到達点にいると言える。
「鉄って甲類以外ブッ倒せるんじゃないんですか? ランク詐欺?」
「失礼だな。相棒がいるんだよ……ああ、ほら来た」
訝し気な祈里に応えたタイミングで、上空から相棒がやってくる音がする。ホイッスルはちゃんと聞こえていたらしい。
三人で上を見上げると、緑色のドラゴンが天井の穴から降りてきた。
何度か翼をはためかせ勢いを殺し着陸したドラゴンは、卵の頃から一緒に育ってきた幼馴染であり、相棒だ。
「この大きさ、竜変身魔法じゃない……」
「野生のドラゴンだ。ドラゴンライダー!?」
全長2mを超えるドラゴンを見て、刀月と祈里が揃って口をあんぐり開け面白い反応をする。
銀士は胸を張り、ゴツゴツした鱗に覆われた頭をスリ寄せてくる相棒を紹介した。
「コイツは俺の相棒の『ドラたや♡』だ」
「……ん?」
「……え? なんて?」
「ドラたや♡だ。メスだからな。ハートをつける感じで可愛く呼んでやってくれ」
相棒を紹介すると、何故か皆フリーズする。それは美少女冒険者コンビも同じだった。
「ド、ドラたや……?」
「ドラたや……」
「ガウ!」
恐る恐る名前を呼んだ二人を不満そうに鼻先でド突いて転ばせたドラたや♡を撫でてなだめ、銀士は翼を足場にして竜鞍にまたがる。
魔力は尽き、切り札も尽きた。胸甲も凹んでしまっていて息苦しく、打ち身であちこちズキズキ痛む。もう戦えない。一度本部に下がって休まなければならない。
騎乗した銀士が足で合図すると、ドラたや♡は力強く羽ばたいて離陸する。
風圧によろめき髪を抑え唖然として自分たちを見上げる二人に、銀士は微笑んだ。
「この借りは必ず返す。また会おう!」
滑るように空を飛ぶドラたや♡の背から、銀士は地上を見下ろす。
広い対馬の森のあちこちで、魔法の光や建設途中の建物が見える。
魔力通信機敷設計画は大事業だ。資金も人員も大量投入している。
事故は起こるだろう。銀士のように。
だが、カバーし合い、被害は最小限に留められるだろう。
せっかく自分が関わり死ぬ思いをしたのだから、この魔力通信網構築事業は上手くいって欲しい。
そう願いながら、銀士は本部併設の病院を目指した。





