174 山小屋
トルコ王国と旧ロシア領を隔てる雄大な山々は、東西に長々と横たわるカフカス山脈を形作っている。
5000m級の山がゴロゴロあり、起伏が激しく、魔物も多く、人が住むのに向いていない。
標高が高いため涼しく空気が薄く、森は無く、緑豊かな高山植物に覆われた山景が延々と続いている。
そんなカフカス山脈を虎魔獣に乗ってひたすら北へ北へ進んでいると、一軒の山小屋を見つけた。
鮮やかな赤い花をつけた巨大な鳳仙花(砲台鳳仙花)が軒先に植えられている事から何らかの防衛拠点と分かるが、砲台鳳仙花は明らかに萎れていて、種をぶっ放す砲塔部が下を向いてしまっている。
枯れかけだ。そもそも発育不良で丈も低い。
無理もない。砲台鳳仙花は低地で育つ。こんな高地ではマトモに育たない。
……いやもしかしてオクタメテオライトの魔物除けに引っかかったか? 根っこ張ってるから逃げるに逃げられなくて衰弱してしまったとか。微妙なとこだな。分からん。
「少し休んでいくか」
「名案。ついでに昼飯にしようぜ」
山小屋に吸い寄せられる目線に気付いたヒヨリが微笑み、俺はこれ幸いと提案に乗っかった。旅先でこういうの見ると寄っていきたくなる。人の気配が無いならなおさらだ。
切妻屋根の山小屋はコンビニぐらいのサイズで、暖炉と煙突が備えられていた。ベッドは剥き出しのマットレスが四組と、隅に畳んで重ねてある毛布。あまり掃除されていないのか、部屋全体にほんのり生乾きの犬のような臭いが漂っている。
井戸も水甕も置いていない代わりに、金属チェーンで壁に繋がれた粗末な杖があり、その杖の柄に魔法語と外国語(ロシア語か?)で集水魔法の詠唱文が刻まれていた。
水は魔法で勝手に用意しろって事ね。でも集水魔法って大体大気と土から水分を集めるから、埃とか土の味がしてイヤなんだよな。虎魔獣に飲ませるとマズそうに舌ベロをベーッてするし。
興味津々で山小屋の中を覗き込んでくる虎魔獣の鼻先をかいてやっていると、物置部屋を調べていたヒヨリが首を横に振りながら出てきた。
「乾燥キノコとピクルスしか無かった。饗宴魔法でいいか?」
「イタリアンの気分」
「OK。パスタにしようか」
俺の注文に頷いたヒヨリはポケットから深淵金を出して変形させ、二人分の食器を作り出した。
その食器を暖炉前のテーブルに並べ、キュアノスの先端を当て詠唱する。
「不思議な館主は安らぎを請け合い、温かな食事を勧めた」
するとたちまち皿の上に湯気を立てる美味しそうなボロネーゼが、コップの中によく冷えた芳しいワインが湧き出た。何度見てもすごい。
世の中には色々な魔法があるが、饗宴魔法は特に昔話の魔法みたいだ。
饗宴魔法は前提条件として深淵金製の食器を用意しないと発動すらしない。魔力消費も一人前で約3000Kと大魔法クラスで、超越者か魔人の上澄みクラスじゃないと魔力が足りない。
条件が厳しく消費も重い、ゴミ燃費魔法だ。
しかし一度でも食べた事がある料理ならなんでも出せるし、テーブルクロスとか燭台とか食事関係の物品もついでに出せる。この魔法一つだけで餓えとは無縁だ。
キュアノスに魔力貯蔵機能を追加してからはいざという時に魔力不足になる心配が無くなったため、ヒヨリはたびたびこうして饗宴魔法を使って思い出の料理を振る舞ってくれる。
入口に巨体をつっかえさせ、前脚を伸ばし哀れっぽく鳴いて催促する虎魔獣に山盛りのレアステーキを追加で出してやってから、ヒヨリは改めて席についた。
「美味しいか?」
「美味いけど。なんだよ、食えよ」
俺が箸でパスタをかっ食らうのを頬杖をつきニコニコ見ているヒヨリは満足そうだ。
いや人の食事ジロジロ見てないで自分も食えよ。冷めるだろうが。どういう感情なんだそれは。
案の定俺の方が先に食べ終わってしまったので、ヒヨリが優雅にフォークを使ってちまちまイタリアンディナーを嗜んでいる間に山小屋を見回す。
よくよく見てみると、ここ狩猟小屋っぽいんだよな。入口の上に鹿の骨飾ってあるし。
いや鹿の骨じゃないな? 角が一本しかない。一角獣の頭骨では?
でもその隣に飾ってある兎の頭骨と思しき骨も額のとこから一本角が生えてるし。なんなら暖炉の上に置いてある木彫り人形には二本角が生えている。どいつもこいつも角生えすぎだろ。
いや木彫り人形に関してはどことなく鬼っぽいから地獄の魔女かも分からんけど。杖っぽい棒きれ持ってるし。
「俺もやっと旅慣れてきた気がする。ああいうの見ると辺境に来た感あるよな」
「うん? ……ああ、ユイちゃんは都市部だと見ないからな」
木彫り人形を指しながら話を振ると、ヒヨリはナプキンで口元を拭いながら頷いた。
やっぱり地獄の魔女だったか。本当に辺境の守護者なんだな。人里離れた途端にひょっこり顔を出してくる。
地獄の魔女は世界中を放浪して人助けをして周り、こうして世界中でひっそり祀られている。同じく世界中を放浪していたはずの青の魔女を奉じている祠やらなにやらを全然見かけないあたり、二人の差が如実に出ている。
ヒヨリは知らん奴を助けたりしないもんな。代わりに身内を全身全霊で助けるから身内としては嬉しい。俺の彼女は良い女なのだ。ワハハハハ!
ヒヨリが食後に惜しみなく魔力を使いデザートのクッキーを出してくれたので、摘まみながらのんびり四方山話をする。山小屋の物置部屋に置いてあった古い黄ばんだ紙のノートには十数種類の魔物のスケッチが描かれていて、魔法語とロシア語で何やらごちゃごちゃ書き込まれている。
ヒヨリ曰く、魔物の生け捕りや調教の方法のメモらしい。
魔物は基本、人間に懐かない。人慣れしやすい虎魔獣でさえ、野生の個体は人間を警戒して近づいてこないほどだ。
魔物と交流するためには魔物のグレムリンを体に埋め込み、同族認定を受ける必要がある。
同族認定を受けた状態で人に慣れさせ充分に飼い慣らした魔物を魔獣と呼ぶ。
近年では人工繁殖も活発に行われ、虎魔獣は牧場生まれ牧場育ちが99%。マモノくんも幽霊魔物の人工繁殖を頑張っているし、魔獣といえば牧場で見るものだ。
しかし繁殖法が確立されている魔物ばかりではない。野生の魔物を捕まえ調教する事でしか魔獣化できない魔物も多い。
この山小屋は、そういう「野生の魔物を生け捕りにする狩人」が寝泊まりに使っている施設なのだ。
「旧ロシア領の田舎は迷信深い。人型の魔獣は森や川の守り神で、家に招けば富や幸運をもたらすと信じられているんだ」
「ほー……?」
スケッチノートを捲っていると、確かに人っぽい魔物ばかり描かれている。
ネズミ顔の出っ歯小人キキモラ。全身石炭人間ヴァンニク。二足歩行の鹿頭骸骨レーシィ。モヤモヤした人型のまっくろくろすけドマニャ。色々いる。
そしてページの端っこに相場価格が書き込まれている。捕まえた後に洗って毛並みを整えたりボロ布を着せたりすると売値が上がるらしい。生々しい。
「相場分からんけどさあ、高くね? これが普通?」
「高いな。実用性で考えれば。だがその値段でも欲しがる人は山ほどいる」
「なんで」
「富や幸運をくれると信じられているから」
「え、くれるのか?」
「くれないな。でもそう信じられている。まあ富と幸運は嘘でも番犬ぐらいにはなるし。レーシィは良い香りを出すし、ヴァンニクがいれば燃料代節約になる。ドマニャは家の地盤を崩したり畑を荒らしたりするワーム系の魔物を駆除してくれる」
「ほう。このキキモラってやつは?」
「そいつは何も無い。弱いし可愛くないしキモいし臭い」
「ボロクソ過ぎる」
散々なキキモラですら売ればけっこうな値段になるらしい。
魔獣市場はよく分からんな。
個人的には迷信なんてバカバカしいの一言なのだが、ヒヨリはルーシ王国周辺の寒村で愚にもつかない迷信の山に紛れた「ルーシの女王は人を生き返らせる」という噂を丹念に拾い上げ、紆余曲折の末に蘇生魔法に辿り着いている。
それと同じで、もしかしたら本当に富と幸運を生み出す魔物がいるのかも知れない。
日本じゃ迷信と本物の魔法の区別がちゃんとつけられているのに、旧ロシア領は迷信と本物が混在していてややこしい。でも韓国でもグレムリン占いが流行っていたし、迷信が下火な日本の方が少数派って説もあるな。
飯を食い終わり一休みして山小屋を出ると、虎魔獣は大人しく「伏せ」をして待っていた。俺達が出てきたのを見て出発を察し、立ち上がり大きく伸びと欠伸をする。顎の下を掻いてやるとゴロゴロ喉を鳴らした。よしよし、可愛い奴め。
ツバキもセキタンもモクタンも、虎魔獣も美食族も、愛嬌あるファンタジー生物ってけっこういるんだよな。何かが違えば、それこそオクタメテオライトを拾わなければ、俺はこの神の手で魔物を撫でまわし片っ端から懐柔する異端の魔獣使いとしての道を歩んでいた可能性も無くはない。
しかし俺は魔法杖職人。
誇りをもってこの道を邁進していきたい。





