169 沈黙のオクタメテオライト
日本からルーシ王国までの旅の間、ヒヨリはずっと安全ルートを選んでくれていた。
危険な魔法菌類が蔓延するモンゴルは回避したし、治安の悪いイラン高原もスルーした。
各地に点在する魔法地形の中には突っ切れば時間短縮になる場所も多いが、安全をとって迂回してきた。
安全に気を配ってきた割には初手ハトバト遭遇、成都租界お家騒動、未来視兄妹救出などアクシデントに見舞われてきたもののそれはそれ。
ハトバト氏との出会いは単なる意味分からん超低確率の衝突事故だったし、成都租界に関してはヒヨリが積極的にケリをつけに行ったし、未来視事件は回避不能だった。
ヒヨリの油断や失策で巻き込まれたアクシデントなんて一つもない。
この旅を通して一度も怪我なし、病気なし! そうなるようにヒヨリがあれこれ気を回し手を回してくれているからだ。
当然、僻地を歩いていたら甲類魔物にバッタリ遭いました~なんて事も起きない。ヤバい魔物が出没する地域は通らないから。
流石は80年間世界を旅した魔女である。旅行プランは丸投げ安定だ。全部上手くやってくれる。
ただ、それが問題だった。
オクタメテオライトの性能チェックをヒヨリがちゃんとやろうとしないのだ。
バグダッドからティグリス川沿いに北へ400km。渓谷の街ダフークの軽食屋で、ヒヨリはオクタメテオライトに手を伸ばす俺の額をキュアノスの石突で押し戻しながら、聞き分けのない子供に言い聞かせるように言った。
「もう充分だろう。見た目は戻っても性能は戻らなかったんだ。お前が禁足地に行く必要がどこにある?」
「だーからヒヨリが試すのと俺が試すのとじゃ違うかも知れないだろ! 比較検証、対照実験! 条件を揃えないと本当にデータが正しいのか分かんねぇだろ。小学校とか中学校で習わんかったのか?」
「んー……習ったかな……学生時代の話を持ち出されてもな。お前にとっては20年前の話でも、私にとっては90年前の話だ」
反応が鈍いヒヨリに、俺は懇切丁寧に実験の意義を繰り返し説明した。
今俺達が滞在している渓谷の街ダフークは、トルコとの国境近くにある。ダフークから北東へ50kmほどの場所にある「アマディヤ禁足地」は蛇系甲3類魔物の巣窟になっていて、オクタメテオライトの魔物除け機能が復活しているかどうか試すのにうってつけだった。
オクタメテオライトは弱い魔物を素通しして、強い魔物を弾く機能がある。入間に砕かれ失われた機能が復活していれば、守護神オクタメテオライトは見た目だけではなく中身まで真の復活を遂げたと断言できる。
昨日、ヒヨリは俺を宿に閉じ込め、十数種類の魔法でガチガチに守りを固め目玉の使い魔を置いて安全を確保した上で禁足地にオクタメテオライトの性能試験をしに行った。
俺も行きたかったが、危険な場所に近寄らせてくれなかったのだ。
彼氏を甲類魔物から護り抜く自信はある、あるが、危険地帯に連れて行くのは話が別とのこと。
で、戻ってきたヒヨリの報告によれば、オクタメテオライトは特に何の効果も発揮しなかったという。
甲類魔物が逃げ出したり、嫌がったり、苦しんだり、突然死したり、塵になったり、そういうのは何も無かった。
丙類や乙類の魔物にもオクタメテオライトを近づけたが、やはり何も無かった。
ヒヨリはこの結果を持ち帰り「残念ながらオクタメテオライトの見た目は戻っても機能までは戻らなかった」と判断したのだが、俺の意見は違う。
「オクタメテオライトは人を選んでる節あるし。入間はボコるけど蜘蛛の魔女とかお前の事はボコらなかったあたり、超越者だからボコったわけじゃなくて、ちゃんと個人を識別してると思うんだよな」
「そうか……?」
「そう。ヒヨリが持ってても『青の魔女は強い。護らなくても大丈夫だから魔物除け機能はオフにしておこう』ってなったのかも知れないだろ」
「大利はオクタメテオライトに意思が宿っているように話すがな。私は魔石に自我がある説に懐疑的だ。やっぱり誰かがオクタメテオライトを使って遠隔地から魔法を使ったんじゃないか? グレムリンをゴーレムに変える魔法も、グレムリンに魔物を封印する魔法もある。グレムリンと近しい物質である魔石越しに索敵したり、超遠隔魔法を使う魔法があってもおかしくない」
「そんな魔法あんの?」
「いや、私が知る限りは無いが……」
ヒヨリの主張は
①オクタメテオライトの見た目は戻ったが、機能までは戻らなかった
②オクタメテオライトそのものに特殊機能は元々ない。オクタメテオライトを通じて入間をボコッたり、魔物除けをしたりしていた誰かがいる
の二パターンだ。
まあ、分からんでも無い。
でもオクタメテオライトの効果ってクォデネンツに似てるし。オクタメテオライトが他の魔石と一味違う特殊機能を備えていて、自律行動してるって説の方が説得力感じるんだよな。
だって俺の工房のありがた~い守り神様だぜ? 敬虔な信徒を護るために、加護の一つや二つ授けてくれるだろ。
「ヒヨリの信仰心が足りなかったから護ってくれなかったのかも」
「信仰心なんてあやふやな物をどうやって識別するんだ」
「そりゃあ……磨き上げるとか、お祈りするとか、祀るとか」
ヒヨリはうさん臭そうに俺に渋い顔を向けた後、ローブの袖でたどたどしくオクタメテオライトを磨いた。
オクタメテオライトは軽食屋の窓ガラスから差し込む陽光を浴びて魅惑的にキラリと煌めく。
う、美しい。好きだーッ!
この珠玉のお宝は俺の物なの。誰にも渡さないの!
「……特に変わった感じはしないな」
「えー? おっかしいなぁ」
「コイツが入間に未知の魔法を使ったというその場に私が居ればな。大利には分からない事も分かったのかも知れないが」
「ああ、まあ、それはそう。俺目線だといきなり入間が苦しみだして、オクタメテオライトにボコられて、ブチ切れて叫びながら叩き割ったとしか分からんかったけど。たぶんなんか……魔力か魔法か何かがあーだこーだしてた気はするよな」
魔力コントロールができないと、魔法に関して得られる情報は著しく制限される。
俺、けっこう色々情報を取りこぼしてるんだろうな。
オクタメテオライトに意思がある派の俺の意見に従い、ヒヨリは魔法語でオクタメテオライトにあれこれ話しかけたが、返ってきたのは沈黙。神秘的な言語で魔法の石に話しかける美しい東洋の魔女に見惚れた店主のおっちゃんがカップに注ぐチャイティーをダバダバこぼす事故が起きただけだった。
「エロマンガ島に持ってってさあ。入間と同じ傀儡枠の二代目野郎の目の前に突き付けたらなんか反応あるんじゃないか」
「エ……こほん。あの島にマーキンの氷像はない。コンラッドが島から持ち出して、今は国連の監視下に置かれている。私も所在は知らない。コンラッドに聞けば教えてくれるだろうが」
ヒヨリの説得のためにアレコレ意見を出した俺は、最終的に禁足地近くまで行き、甲類魔物に過剰に接近しない事で同意を得た。
オクタメテオライトの魔物除け効果範囲は半径約10km。禁足地に足を踏み込まずとも、効果圏内の端っこに禁足地に生息する甲類魔物を捉える事はできる。
下位とはいえ甲類魔物にわざわざ接近する危険行為にヒヨリは難色を示したが、最終的には折れてくれた。「荒瀧組の時のように勝手に動かれるよりはマシ」という皮肉付きで。
ごめんって! この話、一生擦られそうだな……
ダフーク市からアマディヤ禁足地に続く山道はあまり整備されていなかった。尾根に挟まれた谷を歩くだけだから迷いようもないのだが、ポツポツ立っている看板のペンキがハゲて文字も読めないあたり、本当に人通りは無いのだろう。
レンタルした虎魔獣の背の上で感じる谷風は心地よく吹き抜け、山肌を覆う緑の絨毯にさざ波を立てる。ネオメソポタミアも北に行くにつれて風景が変わり、荒涼とした白茶けた土剥き出しの大地から随分草木が増えた。
花の香りに綺麗な空気。草地の間から顔を覗かせる可愛らしいリス。なかなかいいところじゃないか。人が全然いないのも高評価。
「ヒヨリヒヨリ、お前リス好きだろ。撫でてくか?」
「…………」
草の間から顔だけだしてつぶらな瞳をキラキラさせているリスを指さすと、ヒヨリは無言で小石を拾って投げた。
至近弾を受けたリスは驚いて跳び上がり、可愛らしい上半身から想像もできないほど凶悪な棘に覆われたサソリのような下半身をガサガサ動かし、慌てて逃げていった。
あの。見間違いじゃなければ、尻尾の針に何かの動物の頭蓋骨ブッ刺さってたんですが。
ヒヨリは恐れおののく俺に深いため息を吐いた。
「あんなモノを撫でる趣味はない」
「はい」
「私から離れるなよ」
「はい」
危機管理できてなくてごめんなさい。
俺一人でこのへんウロついたら、禁足地に近づく前に十回ぐらい死にそう。
二時間ほどで禁足地に近づいた俺達は、禁足地入口の監視塔の影さえ見えない内に目的を達成した。
10kmほど離れた尾根の向こうで天気が急変し、空から渦を巻いて降りてきた雲に蚊の群れのような影が吸い込まれていったのだ。
ヒヨリは虎魔獣を制し足を止めさせ、自分は魔女帽子のツバを押し上げ目を細めて遠望する。
「なんだ? なんかの魔法?」
「あれは……例の蛇魔物だ。慌てて逃げている。遠ざかろうとしているな」
流石に遠すぎて俺にはよく見えないが、ヒヨリにはしっかり見えたらしい。
更に数百メートル近づくと、更に一群の甲3類魔物たちが泡を食って雲を呼び寄せ、文字通りの雲隠れをして逃げ出した。
明らかに、接近するオクタメテオライトから強力な魔物たちが逃げている。
ワーオ! 効果抜群じゃねぇか。射程圏に入れた途端に追い払ってる!
すごいぞ、つよいぞ、オクタメテオライト!
やはり我が工房の守護神は完全復活なさっておられる!
「ほら! ほらやっぱり! オクタメテオライトの効果は失われていなかった!」
「これは……そう、だな。確かにオクタメテオライトは持ち主を認識している、のか?」
「クォデネンツと違って塵にするとかではないけどさあ、これは流石に守護神だろ! 神! ありがたや、ありがたや! やっぱりオクタメテオライトはずっと俺を見守ってくれてたんだ!」
「ずっと……そ、そうだな」
オクタメテオライトを捧げ持ち感謝の言葉を唱える俺と違い、ヒヨリは言葉の途中でハッと何かに気付き愕然とした。
俺とオクタメテオライトを見比べ、顔を赤くしたり青くしたり百面相をした後、咳払いをして弱気な声を出す。
「大利。そのー、相談なんだが。あの、これから寝る時に、ベッド脇にオクタメテオライトを置くのはやめないか」
「え。なんで」
「な、なんでって。オクタメテオライトに意識がある、少なくとも個人識別機能があるとなると、色々話が変わってくる……」
「そうか? 良い事だろ。見守ってくれてるんだぜ?」
「いや、ちが、いや、そう、そうなんだが。そうじゃなくて、私達は寝る時、寝る前、夜に、そのー、あまり他人には見られたくないような事をする場合があるだろ?」
「はあ? 何を言っ……あ」
要領を得ない言葉だったが、俺も遅ればせながら気付いた。
オクタメテオライトに見守り機能があるならば。ツバキが言うところの「私だけ仲間外れの夜の撫でっこ」まで見守られてしまっていたという事で。
ああ。
あああああああああああ……
うわあああああああああああああああッ!!!!!
動揺のあまり手がガタガタ震え、守護神を取り落としそうになる。
嘘だと言ってくれよ、オクタメテオライト! いやむしろ何も言うな!
ヒヨリは酷く気まずそうに頬を赤くしながら、俺が持つオクタメテオライトをキュアノスの先でつついた。
「おい、オクタメテオライト。聞こえているのか? お前に意思があるなら、今まで見聞きした事は全て忘れろ。さもないと叩き割るぞ」
「いや割るな割るな。ポカポカ糊も無限じゃねぇんだぞ。でも俺からもお願いします、あの、宿に戻ったら杖の柄と飾りと、外が見えない専用の収納ケースも用意するんで。すんませんホント気が回らなくて」
脅されたり平謝りされたりしても、オクタメテオライトは真昼の日差しを浴びてキラキラ光るばかり。
オクタメテオライトは何も語らない。沈黙したままだ。
オクタメテオライト完全復活が分かったのは大変めでたい。
でも意思持ってるならもうちょっと口数増やして意思表示してくれないですか?
お願いしますよ、ホント。





