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113 僕のことを「少年」と呼ぶウサ耳お姉さん

 小林(こばやし)剣斗(けんと)は、小林一刀流三代目師範小林(こばやし)一心斎(いっしんさい)の愛息子である。

 二人は開拓隊として佐渡島に渡り、現在絶体絶命の危機にあった。


 小林一刀流はグレムリン災害黎明期に興った剣術流派の中でも特に洗練された流派である。一子相伝の秘技が多いが、道場のお膝元・静岡を中心に関東圏に広まっている。

 開祖である小林寛太(かんた)は北辰一刀流の流れを汲む剣術家であり、魔剣の魔法使いと義理の兄弟関係にあった。


 魔剣の魔法使いは「荒川の魔法使い」とも呼ばれている。

 彼は地元静岡から東京へ出張した折にグレムリン災害に巻き込まれ、魔法使いとして覚醒した。交通機関が麻痺し、未曾有の大混乱に巻き込まれ、地元に戻るに戻れず。結局、帰還を果たしたのは悪名高い入間クーデターが終息した後になってからだった。

 魔剣の魔法使いは変異によって容姿が激変しており、故郷の家族に受け入れられるまでに紆余曲折があったが、最終的な家族仲は大変良いものであったと伝えられている。


 魔剣の魔法使いは変異によって魔剣を獲得していた。

 異形化した超越者が尻尾や触手、翼などを獲得するように、魔剣の魔法使いは魔剣を得たのだ。

 魔剣の魔法使いは基本的には普通の人間と同じ姿をしている。ただし、首から上が存在しない。首の断面から頭部の代わりに剣の柄がとび出していて、戦闘時は首から魔剣を抜刀する。「異形頭」とも呼ばれる、特異な種族である。

 口が無いのに呼吸できるし、目が無いのに見える。耳が無いのに聞こえる。摩訶不思議な生態の魔剣の魔法使いは、もちろん食事を必要とした。その食事法は、魔剣を通して血肉を啜る事だった。


「剣の魔法使い」ではなく「魔剣の魔法使い」と呼ばれる由縁がそこにある。


 魔剣は生きている。

 血に飢え、所有者を蝕む。

 そして呪いの如き枷の対価であるかのように、所有者に力を与える。


 魔剣は刃渡り100cmを超える肉厚の両刃大剣であり、長らく材質不明とされてきた魔法金属の常軌を逸した切れ味は、刃先に留まった蝿がひとりでに両断された逸話をもつほど。

 適切な歩法と体捌きによって繰り出される斬撃は空を飛び、魔法を切断し、一太刀で敵を八つ裂きにする。

 魔剣を振るえば振るうほど、所有者は身体的に研ぎ澄まされていく。感覚が鋭敏になり、体は頑健になり、身体能力が増強される。

 敵にとっては(いわお)のように重く、使い手にとっては羽のように軽い、正真正銘の魔法剣だ。

 剣の適切な振り方さえ知っていれば、誰でも性能を引き出せるのも魅力的だろう。超越者でも、魔人でも、一般人でも、誰でも扱う事ができる。事実、吸血の魔法使いは入間クーデターの際にこの魔剣を使い獅子奮迅の働きをした記録がある。


 一方で魔剣の反動は相応に重い。

 魔剣の餓えは徐々に所有者に馴染んでいき、血肉を求め獲物を斬りたくて仕方なくなる。

 魔剣は所有者の肉体を研ぎ澄ますが、代償として魔力を奪い、最後には塵へと変える。

 魔剣は所有者に絶大な力を与える代わりに、気を狂わせ最後には世界から消し去る魔性の剣なのである。


 魔剣の魔法使いは、己から抜刀した剣を自分で振るう限り、デメリット無しで扱える。だが、魔剣が真価を発揮するのは他者に振るわれる時である。

 ゆえに魔剣の魔法使いは静岡に帰省してから十数年の間相応しい使い手を探し、そして、当時焼津市自警団のリーダーであった小林寛太(かんた)に出会った。


 小林寛太は魔力成形不全体質だった。

 豊富な魔力を持ってはいるが、その魔力を魔法の形にする事ができない。

 つまり魔法が使えない。

 その魔法黎明期において致命的な欠陥体質こそが、魔剣の担い手となる資質だった。


 異常な性質の魔力は、魔剣による魔力の吸い上げや惨殺衝動を完全に無効化した。

 魔剣が使い手の心身を喰らおうとしても、体質ゆえに全く効かない。

 それでいて、魔剣の恩恵は十全に受けられる。

 禍を転じて福と為す、とは小林寛太のためにあるような言葉だった。魔法が使えないという生来の疾患は、同時に魔剣のデメリットを無視し、メリットだけを享受できる特異体質として機能した。


 小林寛太は魔剣の魔法使いの相棒となり、友となった。

 魔剣の魔法使いの妹と小林寛太が結婚すると、義理の兄弟となった。

 魔剣の魔法使いが死去した後は、小林寛太の体質を受け継ぐ一族が魔剣の担い手となった。

 小林一刀流の始まりである。


 小林一刀流は魔剣の真価を引き出す特別な歩法や呼吸法を根幹としているため、魔剣を持って初めて真の力が引き出される。

 しかし普通の剣にも応用が利く。魔剣特有の歩法や呼吸法を使いつつ通常の剣を振るっても、剣撃は空を飛ばないし、分裂しないし、魔法も裂けない。

 だが一方で、その特異な歩法と呼吸法は魔法的な健康体操になった。小林一刀流を修めた剣士は、魔法を使う時に調子が良いのだ。魔力欠乏時の無重力感や眩暈が軽減される他、魔力コントロールができる者が視ると魔力が淀みなく流麗に流れるのが分かる。

 魔力の流れが綺麗になったからといって、何がどうなるわけでも無い。お箸の持ち方が綺麗、という程度のもので、綺麗だと感じる以外に何も無い。


 それでも、小林一刀流は鍛錬によって一般人でも魔法的な洗練を得る事ができる稀有な流派として、静岡を中心に広く普及した。

 特に道場本会館がある静岡市では中学校の体育授業に組み込まれている事もあり、手習い程度の習得者を含めるならば人口の90%以上が小林一刀流の使い手であると言える。


 そんな歴史と伝統ある小林一刀流の当代継承者、つまり一子相伝の魔剣の担い手は小林(こばやし)一心斎(いっしんさい)

 歳は四十で、先代が加齢を理由に引退を決めた事により魔剣を継承してから五年になる。

 一心斎(いっしんさい)は剣士としての腕前は初代や二代目と比べ一段劣るものの、経営手腕に優れていた。魔術師としての腕前が重視される風潮が強い東京に道場を出し、魔力が少なく魔術師として身を立てるのが難しい人々をターゲット層に門下生を増やした。


 一心斎は小林一刀流に誇りを持っている。己が剣客として超一流になれないからこそ、門下生を増やして裾野を広げ、超一流の剣士を生む下地を作ろうとしているのだ。

 もちろん、魔法的な健康体操として暇な老人やご婦人が齧る程度に嗜むのも歓迎である。何も剣聖だけが小林一刀流ではない。剣術を通して心技体魔の四本柱を鍛えれば、誰でも小林一刀流足りえる。


 東京は流行の発信地である。東京で流行したものは、全国に広がる。

 ゆえに一心斎は地元静岡をたびたび離れては、東京道場で熱心に指南を行った。

 開拓隊への参加の話が持ち上がったのは、そんな道場指南の途中での事だった。

 防衛省勤めの門下生の一人が、佐渡島開拓隊募集のチラシを持ってきたのである。


 グレムリン災害によって人類が生存圏を縮小して久しい。自然に還ったかつての生存圏の奪還は状況を見ながら順次進められている。

 この生存圏奪還を行う開拓隊は、名誉と利権の塊だった。

 アルラウネ族と山上家などが開拓隊によく人を出し活躍する事で有名だ。彼ら彼女らは開拓を行ったその足でそのまま土地に根付き、全国の開拓地で名士として名を馳せている。


 佐渡島開拓隊募集のチラシを見た一心斎はこれだ! と膝を打った。

 開拓作業では必ず魔物との戦いが起こる。そこで活躍し、小林一刀流ここにありと世に知らしめる事ができれば、門下生集めは捗り、一門の名誉も増す。佐渡島に道場を開く事だってできるだろう。


 一心斎は早速高弟を連れて防衛省の門を叩いた。

 一心斎の長年の売り込みの甲斐あってか、防衛省の中でも小林一刀流の魔剣使いの名はそれなりに知られていて、高弟達を含めて開拓隊に歓迎された。


 佐渡島への第一次遠征は、問題無く終わった。

 超越者は不参加だったが、魔人が一名参加し、大魔法スクロールや魔石杖、マモノバサミの貸与もあった。

 島のヌシだった甲2類魔物を魔人と魔術師隊が相手取っている間に、一心斎は単独で甲3類魔物を一体、乙1類魔物を十体以上撃破。乙2類や乙3類を含めれば切り伏せた魔物の数は百を超える。

 高弟達も丙類魔物を中心に島の隅々を丁寧に掃除し、派手な活躍は無いながらも防衛省の監査役をおおいに感心させた。


 佐渡島の魔物を一掃した遠征隊は仮設宿営地を建て、数名を残し一度本土に戻る。

 そして、定住希望者を連れ、第二次遠征で再び島に渡った。

 一心斎も十二歳になる愛息子である小林剣斗を連れていった。未開地とはいえ魔物は一掃された事であるし、社会学習として見聞を広めるために必要な事だと考えたのだ。


 そして。

 第二次遠征隊は、十二歳の少年剣士と兎耳の魔人の二人を残し全滅した。


 全滅の原因は魔物の見逃しだった。

 佐渡島は金鉱山で有名だ。島は坑道だらけ。近代以降に掘られた坑道は比較的整備されているため、内部に魔物がいないかのチェックがしっかり行われたのだが、何しろ佐渡金山は歴史が古い。

 江戸時代に掘られた坑道は入口が崩落したり草木で隠れてしまったりしているし、地図も残っていない。佐渡島全ての坑道の内部を確認するのは到底不可能だった。

 それでも主だった坑道の確認が行われたのだが、不十分だった。


 真夜中に古い坑道の中から溢れ出してきたモグラ型甲類魔物の群れによって、開拓隊は全滅の憂き目に遭った。歩哨が警鐘を鳴らし、一心斎を筆頭とした戦闘者が束になってかかっても、群れに圧し潰されてしまった。

 戦闘部隊だけなら撤退の判断ができた。しかし、第二次遠征には非戦闘員が多くいた。非戦闘員を見捨てて撤退できなかったせいで、もろとも死に果てたのだ。


 宿営地から離れた山中の古い坑道の中で、小林剣斗は父の亡骸を前に呆然としていた。それを魔人子兎(ミミナガ)が痛ましそうに見守っている。入口から差し込む月明かりに照らされた死体は青白く、見間違えようもない死を突きつけてくる。

 子兎(ミミナガ)は若い長身痩躯の女性にフワフワした兎耳が生えた姿の魔人だ。三十歳前後に見えるが、実年齢は八十歳を超える。両親ともに超越者である子兎(ミミナガ)は、父の遺伝子が強く出て長命だった。


「……少年、そう気を落とすなよ。御父上の事は残念だったけど」

「僕が足を引っ張らなければ。お父さんと一緒に戦えるぐらい強かったら……!」


 剣斗が拳で地面を叩き、涙を零して悔やむ。まだ声変わりすらしていない幼い少年の悔恨に、子兎(ミミナガ)はあえて冷たく返した。


「そしたら、少年も一緒に死体になっていただろうね。あの群れの数を見ただろう? 生き残っただけで幸運さ。君は子供だ。戦えていたら、なんて考えるな」

「お姉さんには分からないよ。お父さんは僕を庇って死んだんだ!」

「そうだね、少年の辛さは私には分からない。でも忘れないで欲しいんだけど、御父上の亡骸を背負ってここまで連れて来たのは私だからね」

「…………。ありがとう」

「どういたしまして」


 血が出るほど強く唇を噛み、しかし剣斗は礼を言った。子兎(ミミナガ)は微笑んだ。ここで礼が言える子に躾けた一心斎は、さぞ良い父親だったに違いない。そんな親を失った子の衝撃と悲しみは想像に余る。


「第一次遠征で幽霊グレムリンを手に入れられたのは僥倖だった。御遺体を本土に連れ帰れば蘇生できるさ」

「……えっ?」

「え?」


 子兎(ミミナガ)の慰めに、剣斗はキョトンとした。

 剣斗が驚いた事に子兎(ミミナガ)は驚き、数拍置いて思い違いに気付く。

 少年は凄惨な死を目の当たりにして落ち込んでいるのだとばかり思っていたが、生き返らないと勘違いしていたようだ。


「蘇生魔法を知らないのかい? 青の魔女が発見したというニュースをやっていただろう。本土に戻れば開拓隊所有の幽霊グレムリンがある。これぐらいの損壊度合いなら充分蘇生できるよ」

「じゃあ……お父さんは、生き返る?」

「ああ」


 剣斗はホーッと息を吐き、父の分厚い胸板に額を置いた。

 子兎(ミミナガ)は苦笑した。十二歳の少年にしては年齢に不相応なぐらい落ち着いていると思ってはいたが、知識の方は年相応だったらしい。


「少年。君はもう少し新聞を読んだ方がいいね」

「新聞ぐらい読んでるよっ!」

「どうせ一番最後のページの四コマ漫画だけだろう?」


 剣斗が図星を突かれギクリとすると、子兎(ミミナガ)は快活に笑った。

 開拓隊の全滅は全く笑い事では無い。だが、笑う余裕が出て来たのは間違いなく吉兆だった。


「さあさあ少年。泣き止んだら、」

「泣いてないっ!」

「……心の整理がついたら、これからの話をしよう」


 剣斗は袖で乱暴に目元を拭い、真っ赤な目で頷いた。


 二人でヒソヒソと、主に子兎(ミミナガ)が主導する形で状況を整理したが、旗色は悪かった。

 宿営地から200mは距離をとっているが、鱗に覆われた成人男性サイズの巨大モグラたちはまだそこにいた。火の手が上がったログハウスが灯りとなり、様子がよく見える。

 襲撃時は津波のように思えたモグラの群れだったが、決死の迎撃は無駄ではなかった。

 十数体の巨大モグラの死体が転がっていたし、生きているが血を流し痙攣している個体もいる。

 元気なのは五体。その五体が、せっせと死体を集め、宿営地の中心にバランス良く高々と積み上げていた。


 明らかに知的な行動を見せている。しかし、使う魔法は口から吐き出す岩の砲弾だけだった。

 数が数だったため押し負けたが、一体一体では子兎(ミミナガ)の魔法や一心斎の魔剣で比較的簡単に倒せていたため、甲3類と考えて良いだろう。

 氷槍魔法(ドゥ・ヴァアラー)を鱗で弾いていたから、生半可な攻撃では通じない。それが無傷の個体だけでも五体。厄介だった。


「咄嗟の事とはいえ、ここに逃げ込んだのは悪手だったね。この坑道の外は開け過ぎている。出れば絶対に見つかってしまう」

「僕は小林一刀流二段だよ。お姉さんと協力すれば突破できるんじゃないかな」


 剣斗が魔剣を握り、頼もしい事を言う。しかしその瞳が不安に揺れている事を見て取った子兎(ミミナガ)はやんわりと窘めた。


「御父上ですら勝ち切れなかった相手だ。油断しない方がいい。

 手札を確認しよう。私はそれなりに魔力を残している。1800Kぐらいはあるかな。あのモグラどもが一体ずつ棒立ちでいてくれれば、三体は殺せる。杖を壊されたのが痛すぎるな。

 一応、帰還魔法で本土に戻って応援を呼べる。でも応援を連れてくるまでの間、少年だけで耐える事になる。危険過ぎる。

 私はこんなところだけど……その魔剣に何か状況を打開する秘密パワーがあったりしないのかい? それ、啜命鉄(ライフアイアン)製だろう」

「え。分かるの?」

「質感でね。実家のツテで啜命鉄(ライフアイアン)は見た事がある」


 かつては謎の塊であった神秘的魔剣だが、魔法学の発展と共に謎の輪郭が明らかになってきている。

 魔剣の素材である黒い金属は、近年発見された魔法金属、啜命鉄(ライフアイアン)であると目されている。啜命鉄(ライフアイアン)を剣の形に加工しても魔剣にはならないので、似通っている別素材か、特殊な加工が必要なのかどちらかであると考えられている。

 魔剣所有者に起こる身体強化も、先月の学術誌に掲載された論文によって説明できる。恐らくは魔剣の内部に魔法螺旋があるのだ。

 地脈に深く接続できるか、あるいは魔剣そのものが疑似的な小地脈となっているのか。

 どちらにせよ魔法螺旋と地脈に関係する機能によるものである事は間違いない。


 魔法金属製の魔剣の秘奥に期待した子兎(ミミナガ)だったが、剣斗は首を横に振った。


「あいつらを一気に倒せる技は無いと思う。お父さんなら知ってるかも知れないけど、僕はまだ三つしか技を使えないし……」

「その歳で三つも使えるなら上出来だよ。二人で一緒になって走り抜けて……いや、御父上の死体を置いてはいけないな。あのモグラ、死体を集めるようだから。かといって担いで逃げ切るのは厳しい。んー」

「そうだ! この坑道の奥ってさ、どこか別のところに通じてないかな」

「確かに。調べる価値はあるね」


 二人は小さな魔法火の灯りを頼りに坑道の奥を探索したが、五十歩もいかないうちに行き止まりになり引き返した。

 坑道の一番奥で息を潜め、モグラがどこか他のところへ行くのを待つ、という案も出たが、モグラは廃坑から溢れ出してきた魔物だ。坑道の中は安全とは言えないし、行き止まりの奥にいるところを襲われたら逃げ道も無い。


 話せば話すほど、考えれば考えるほど全てが詰んでいるように思えてきて不安に駆られる剣斗の頭を、子兎(ミミナガ)はくしゃりと撫でて胸を叩いた。


「お姉さんに任せなよ、少年。最悪でも君だけは無事にお家に返してあげるから。君はちょっと手伝ってくれるだけで大丈夫だ」


 そう言ってウインクする子兎(ミミナガ)の横顔は頼もしかったが、それ以上になんだかとても綺麗で、剣斗はドキドキした。クラスで一番可愛い女の子と隣の席になった時より、もっと大きなドキドキだった。


「……じゃあ、僕はお姉さんを家に帰してあげる」

「ははっ! 私が少年を帰して、少年が私を帰す。完璧な計画だねえ?」


 なぜだかカッコつけたくなった剣斗が大口を叩くと、子兎(ミミナガ)は愉快そうに笑った。

 剣斗も釣られて笑ったが、足元に横たわる父の亡骸を見ると笑みも萎んで消えた。

 少年とお姉さんは打ち解けたが、だからといって状況が好転したわけでもない。


 二人が改めて外の様子を窺うと、モグラたちは積み上げた死体の塔を中心に、円を描くように奇怪な踊りを踊っていた。人の死体もモグラの死体も一緒くたに混ぜ建てられた死体の塔は、まるで悍ましいトーテムポールのようだ。


 吐き気を堪えながらそれを見ていた剣斗だが、しばらく踊ったモグラたちが死体の塔にとりついて牙を剥きだし喰らい始めたのを見て悲鳴を上げてしまった。

 遊びで人を殺す魔物は非常に少ない。大抵の殺しは縄張りの維持か食肉目的だ。


 子兎(ミミナガ)の失策だった。

 剣斗がとても落ち着いた様子だったから、たった十二歳の少年にショッキングで悍ましい光景を見続けさせてしまったのだ。


 悲鳴は離れたモグラたちに届いてしまった。巨大モグラたちの目の無い顔が一斉に二人が隠れる坑道へ向く。そして、間髪入れずに驚くべき正確さで一斉に岩砲弾を放ってきた。

 坑道は一直線。逃げ道は無い――――


 死が過ぎった子兎(ミミナガ)の前に、ハッと我に返った剣斗が飛び出した。


「魔塵剣ッ!」


 剣斗は異常に低い居合の姿勢を取り、黒い軌跡を残す強烈な斬撃を放った。そのたった一太刀は渦を巻いて膨れ上がり、五発の岩砲弾を粉微塵に斬り散らした。


 魔剣技は範囲攻撃もあるため、味方を巻き込むのを避けるために警告も兼ねて技名を叫ぶのが慣例となっている。子兎(ミミナガ)は小林一刀流門下ではないから、技名を聞いても分からないだろう。だが、四歳の誕生日に初めて剣を握ってから体に染みつかせてきた技の癖は変えられない。


 生き残りに気付いたモグラたちは、口から岩砲弾を吐きながら坑道へ駆けて来る。

 小型戦車が突撃してきているかのようだ。


 必死に魔剣技を繰り出し続ける剣斗だが、防戦するのが精一杯で、背後に庇った子兎(ミミナガ)の無事を確かめる余裕も無い。迫りくる五体の巨大モグラに、剣斗は冷や汗を流した。

 魔塵剣ではモグラの鱗を裂けない。

 父がモグラを斬り殺した魔剣技を、まだ剣斗は覚えていなかった。


 それでも、小林一刀流次期継承者として、剣斗は一歩も引かなかった。

 足が震える。心が竦む。

 それでも、剣斗は技を繰り出すのを止めなかった。止めずに済んでいた。弛まぬ鍛錬と、背後に護っている人がいるお陰だった。

 

 その背後から、深い溜息と、落ち着いた声がした。


「少年。今から見る魔法は全部秘密だ。約束できるかな?」

「秘密!? 分かった、けど、魔法で殺せるのは三体までって、あいつら五体いる……!」

「私は大狼(オキャク)(イツワラ)の子。でも、狩人(ムラクモ)の弟子でもあるんだよ」


 子兎(ミミナガ)は一歩前に出て、剣斗の隣に立った。

 涎を垂らし、不快な鳴き声を上げながら迫る魔物たちに向け、虚空に弓を構え矢をつがえる姿勢を取った。


 誰にも見せてはいけない、と言われた魔法だけれど。

 師匠もこの状況なら許してくれると願いたい。


狩り(×××)には(キキ)三つ(レトェ)あれば良い(ウェス・ァィヤ)武器と(ガルガ)心構えと(×ヲ×)妻の見送りだ(ロロ・ラァ)


 魔力は十分とは言えない。発動に必要な最低量の魔力を注ぎ込み、虚空に柔らかな燐光を帯びる黄金の弓矢を形成する。


少年も(タルクェァ)いずれ(ミマミ)一矢で(ワォン)事足りる(××××)ように(ミグ・)なるさ(ネーオ)


 続く詠唱で黄金の弓矢を五回明滅させる。


 三つ目の、今まで一度も使った事のない魔法の詠唱も、子兎(ミミナガ)は躊躇わなかった。


狩るか(×××・)狩られるか(ボラ・××××)


 威力の爆発的向上と引き換えに、標的を外した場合、矢が自分を貫くようになった。


 子兎(ミミナガ)は師ほど眼が良いわけでも、狙いが鋭いわけでもない。

 だが二射目を撃てない以上、ここで確実に決めるしかない。

 矢を限界まで引き絞った子兎(ミミナガ)は、祈りを込め、心を鎮めそっと指を離した。


 放たれた黄金の矢は一瞬で彼我の距離をゼロにした。着弾寸前に獲物へ五指を広げるように分裂した必殺の矢は、驚き急ブレーキをかけようとした五体の巨大モグラを爆発四散せしめた。


 満月の夜、雲一つない夜空に盛大な血の雨が降る。


 ほんの十歩先で起きた殺戮に、剣斗は唖然とした。

 意識も目も奪われてもなお残身を怠らないのは一端の剣客と言えるが、完全に心ここにあらずだ。


「お、お姉さん……? これっ、これは? 何? こんな魔法見た事ない……!」

「近所のおじさんに習った魔法だよ。この魔法はなんなんだろうね?」


 子兎(ミミナガ)は無事全弾命中させられ、遅れてきた手の震えをポケットに突っ込んで隠しながら何でもない事であるかのように嘯いた。

 子供の頃、村雲おじさんに習った時は疑問に思わなかった。町一番の魔術師の秘密の魔法の伝授にワクワクして、無邪気にナイショの指切りげんまんをしたものだ。


 だが成長し、歳を重ねるにつれて習った魔法の異質さを理解できるようになった。

 常軌を逸した超射程。

 異常な威力。

 完全不可知化の魔法すら併用できる。

 何もかもがおかしい。


 そもそも発音不可音を含んでいる時点で、彼は超越者か魔人だった。

 しかし、魔力を視た限りではどう考えても一般人だった。超越者が魔力を抑えていたとは考えられない。いくらなんでも魔力を隠すのが上手すぎる。

 結局、彼が何者だったのかは最後まで分からなかった。老いた体に鞭打って山の中に消えていったあの日から十年以上経つというのに、ひょっこり帰ってくるのではないかとたびたび思ってしまう。


 しかし何にせよ、そんな彼に授けられた秘密の魔法のおかげで二人は助かったのだ。

 子兎(ミミナガ)は剣斗の肩を軽く叩き、警戒態勢を解かせた。


「とにかく。君が無事で良かったよ、少年」


 そう言って兎耳を揺らし微笑む子兎(ミミナガ)の淡い月光に照らされた立ち姿と優しい声は、剣斗の脳に強烈に焼き付いた。

 自分の言動が地殻変動級のディープインパクトを少年に与えた事に、月夜の兎は気付かない。


 そして、性癖を完全破壊された魔剣士の少年と兎耳の狩人は、亡骸を交代で背負いながら本土との連絡船を係留してある波止場へ向かった。

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