97.別れの挨拶
こうして、とても忙しい日々を過ごす事になりました。新しく召し使われる侍女も、日に二、三人参るようになり、大変に華やかなことです。少将はこの様子を見ても、左大臣の北の方はもちろん、左大臣自身にもありがたいことだと感謝していました。
播磨守は任国播磨の国にいたので、四の君と帥との結婚を知りませんでしたので、少将は播磨に人を遣わしました。
「左大臣の北の方が四の君に、太宰帥殿との結婚を勧められ、無事に婚儀を終える事が出来ました。帥殿は四の君を連れて今月の二十八日に、筑紫への船に乗られます。播磨の国にも寄られる事と思いますので、御接待の準備を儲けておいて下さい」
と伝えさせてきたので、播磨守はこの上なく喜びました。
「同腹の兄弟である自分でさえ、四の君に婿を取らせようなどと思い寄りもしなかったのに、左大臣の北の方は、なお、自分たちを助けようとして下さる。あの方は神仏が自分たちに使わして下さった方なのだろう」
播磨守はそう思って、大騒ぎしながら大弐(太宰帥)が着いた時のために、歓迎の準備をしました。播磨守は母親に似る事もなく、性格のよい方なのです。
左大臣の邸から四の君に従がうために帥の邸にやってきた侍女たちは、
「早く元の邸に、帰りたいわ」と申し上げたのですが、左大臣の北の方は、
「四の君が京においでの間は、最後までお仕えして差し上げなさい。また、四の君と共に筑紫へ下りたい人は、共に参ればよいでしょう」と使いの者に言わせます。
けれども侍女どころか、その下仕えの者までが、
「帥殿のもとも、とても苦しいようなことがある訳ではないが、しばらくの間こちらをお見受けするに、左大臣の北の方に似ていらっしゃる方はいらっしゃらないようだ。侍女の方が四の君について下向なさるなら、自分達もついて行かなければならない。でも同じように身分のよい方に仕えるのなら、誰だって、御心の良い方のもとで仕えたいと思うはず。ましてや、さらに比較もできないほどすべてにおいて、まるで極楽浄土かと思うような心地のする左大臣邸の北の方様のもとを打ち捨ててまで下向するような、馬鹿げた事など無いだろう」
などと考えているので、一人も下向しようと言う人はいませんでした。
帥は大人三十人、童四人、下仕え四人を連れて下向することを決めました。筑紫に下る日が近づくままに、四の君の兄弟、姉妹たちが皆、帥の邸に集まって今は別れを惜しみ、お別れの言葉をいい交わしています。侍女たちも集まっては、
「装束など華やかに着飾っている方々を見るようになりました。左大臣の北の方の次に、この四の君と言う方は幸せな方ですね」と噂しますが、
「あら、四の君はどなたの御蔭で幸せになられたと思いますか。左大臣の北の方のお幸せの御縁で、この方もお幸せになれたんじゃありませんか」と、口々に言い合っていました。
いよいよ下向の日が明後日になってしまいました。四の君は、
「左大臣の北の方と御対面できずに、どうして筑紫に下る事が出来ましょう」
そう言って三条の左大臣邸に参上する事にしました。車が多くては気軽ではないだろうと、帥は三輌ばかりの車で四の君を送り出します。
四の君が左大臣の北の方と御対面なさって、どのようにお礼やお別れを述べられたかは、わざわざ書く必要などないでしょう。御想像にお任せします。
四の君にお伴をして筑紫に下る人々には、左大臣の北の方は大変気を配られます。大変美しく作られた扇を二十本、螺鈿細工の櫛、おしろいの入った蒔絵の箱を誰もかれもに、
「これは四の君にお仕えして、皆さんと仲良くなったわたくしの侍女たちが、自分たちの形見にと思って贈るものです」と言ってお与えになりました。
この気配りの御蔭で三条邸の侍女たちはあちらに心配りがあるように思われるだろうと、とても面目が立って嬉しく思いましたし、四の君の侍女たちも、本当に素晴らしい事だと思って、各々が語り合い、別れを惜しみ、次の約束を誓い合って、帰っていきました。そして帥の邸に戻ると、
「帥殿の邸を良い勤め先だと思っていたけれど、三条の邸を見てしまうと作法をはじめとして、御様子が違っているので、見ていると心移りしてしまいそう。ああ、あちらにお仕えしたいわ」
と、コソコソと言い合っていました。
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急な結婚で知らせていなかった兄弟にも、四の君と帥との結婚の知らせが伝えられました。
特に播磨守には、帥がおそらく旅の途中でそちらに寄るだろうからと、歓迎の準備をするようにと連絡が行きました。播磨は今の兵庫県のあたりになるので、瀬戸内海を舟で九州の筑紫に向かう帥達には、確かに通り道です。結婚の挨拶と、舟泊まりの旅の休みも兼ねて、間違いなく寄る事になるでしょう。
突然の事とはいえ、四の君の名誉が挽回された結婚です。播磨守も素直に喜んで、歓迎の準備も心をこめて行うつもりのようです。胴腹の兄弟の自分でさえ、目先の自分の事でいっぱいで、妹の事にまで気を回せずにいたのに、昔散々な目に遭った女君が見せた優しさと心遣いに、神仏が使わして下さった方と、まるで女神のように感謝しています。きっとこの人も自分の妹に何もしてやれずにいることを、心の奥では悔やんでいたのでしょうね。
そんな女君なので仕えている侍女たちも、数日離れただけで女君のいる三条の邸を恋しがって、すぐにも帰りたいと訴えますが、女君は出来る事なら四の君と共に筑紫に下って欲しいと思っていました。けれど侍女はおろかその下に仕える下女や、下仕えたちまでが「そんなことはあり得ない」と思っている始末です。よほど皆、普段女君に良くしてもらっているのでしょう。女君を褒める噂話も絶えずにいるようです。
そんな女君の召し使う人々への心づかいのエピソードが、ここでは語られています。
以前に「今日明日」を、日が迫ってきた、たとえの言葉だと説明しましたが、今度は本当に日にちが迫って、明後日には帥は旅立っていかなくてはなりません。四の君は今度の事を全て整え、心をこめて世話をしてくれた女君のもとに、何としてでもとお礼とお別れを告げなくてはと三条邸に行く事になりました。
行ってみると女君は四の君と共に下る侍女たちのために、美しい餞別の品々を用意していてくれていました。
しかもそれを自分からではなく、帥の邸で共に過ごした自分の侍女たちからの記念の贈り物として四の君の侍女たちに手渡したのです。
女君が骨を折ってもらった侍女に、禄として品物を与えるのは簡単なことです。それにこれから遠くに離れる四の君の侍女達より、毎日自分の世話をしてくれる自分の侍女を大切にしたいと思うのが、ごく普通の感覚でしょう。
けれど女君は自分の侍女だけでなく、これから遠い所に自分の姉妹が下向するのに付き添ってくれる人達に感謝の品を贈る事にしました。しかも本来なら自分の権威を考えれば、自分から禄として与えれば良い品々を、自分の侍女たちが四の君の侍女たちと友情を結べるように気を使い、侍女たちからの記念品として贈ったのです。
召し使う人にここまでの気配りをする女君。貴族としての「たしなみ」としてだけではなく、周りの人々のことをよく観察し、考えて気を配る事ができる人なのが分かります。
こういう所があるからこそ、侍女や下仕えの人たちも、この女君から離れたくないと思うのでしょう。彼女はこの時代の貴族には珍しく、召し使う人々を自分と同等か、それ以上に考えて行動するんですね。これは使われる人々にとっては、理解の深い主人の心に感激することでしょう。
そんな女主人のいる邸は、やはり雰囲気などがずっと良く目に映るもののようです。四の君の侍女達までもがコソコソと、「あっちの邸の方がいいみたい」と、噂するほどなんですね。
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翌朝、左大臣の北の方から四の君にお文が届けられました。
「昨夜はこれから経ってしまう年月の分を埋めてしまうほどの気持ちでお話しようと思ったのですが、そうするためには、夜はあまりにも短かったようです。はかなき世に再びあなたとお会いできる身であるか、知らずにいる事がかなしく思われます。
遥々と峰の白雲立ち退きて
また帰り会はむほどの遥けさ
(峰の白雲が立つように、あなたがはるばると旅立って行かれて、果してまた会う事が出来るだろうかと、思ってしまうほどに遥かな時間を感じます)
わたくしの本心は、旅路にてお気付き下さい」
と書かれていて、蒔絵の御衣櫃一対に、片方に被け物として、女の装束が一襲ごとに袴を加え、もう一方には四の君の御装束三揃いに、色々な色の袿が重ねられています。御衣櫃の上には唐櫃の大きさほどもある幣袋があり、中には扇を百本入れて、覆いがかけられています。その他に衣箱が一対あって、四の君の御娘に贈られた物のようです。
片方には姫君の御装束一揃い、もう片方には箱が、その箱の中には、お白い入りの金の箱、小さい櫛が入っています。詳しく書くべきところでしょうけれども、わずらわしくなりそうなので止めておきましょう。
そして四の君の娘の姫君へのお文には、
「今日でお別れと聞きましたので、古歌の『何心地せむ』の心境です。
惜しめどもしひて行くだに憂きものを
わが心さへ何と後れぬ
(別れを惜しんでいるのに、強いて行ってしまわれることも辛いのに、何故私の心はあなたの後を追ってしまうのでしょうか。もぬけの殻になった気がします)」
と書かれています。これらの品やお文を帥が見ると、
「とてもたくさんの物を下されたものだ。これほど下さらなくても良かったのに」
と言って、使いの者に被け物を与えられます。四の君はお返事に、
「とてもお礼の申し上げようもございません。
白雲の立つ空もなく悲しくて
別れ行くべき方もおぼえず
(白雲が立つように私は旅立つとおっしゃいますが、私は悲しみに空さえも見えず、別れの今となっても自分がどこに向かえばいいのかもわからずにいます)
いただいたさまざまな品を侍女たちと見ているだけでも、嬉しく思います。簡素な挨拶で申しわけございません。大変、慌ただしいもので」と書かれました。
四の君の娘の姫君も、
「わたくしも、近くにいらっしゃるのだからお文を差し上げようと思っているうちに、こうしてお文をいただいてしまって申し訳なく思っております。『後れぬもの』なのはわたくしも同じです。
身を分けて君にし添ふるものならば
行くもとまるも思はざらまし
(我が身を二つに分けて、一方をあなたの傍に寄り添わせる事が出来るなら、行く身も、とどまる身も、悲しむ事は無くて済むのに)」とお返事を書かれていました。
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女君は四の君との対面だけでは気持ちが足りなかったらしく、さらにお別れの文を四の君と娘の姫君に贈りました。それには餞別の品々も添えられています。
女君はまた、悪い癖が出てしまいましたね。以前に衛門が夫の任地について行く旅に出る時も、とても短い旅のためとは思えないような贈り物をたくさん与えてしまい、衛門は困ったんじゃないかと思うくらいでしたが、今回も女君は大量の贈物をしてしまったようです。自分の勝手の分かる邸暮らしの事には細やかに気が回る女君ですが、自分に経験のない旅じたくとなると、ちょっと見当違いのことをしてしまうようです。
自分に経験がないだけに、心配ばかりが先に募ってしまうのでしょう。旅先で何かあったら困りそうだから、あれも持たせてあげたい、これも贈って差し上げたいと、荷物が多くなってしまったのでしょう。
まあ、扇百本や、大量の袿は、さすがに帥も困ってしまったことでしょう。持って行くには大変そうです。別便の用意でもしたんでしょうか? 御苦労なことです。
でも、その誠意は四の君には十分伝わりました。『さらに(とても)聞こえさせむ方(お礼をお聞かせする方法も)なくて(ありません)』と、お礼のいいようもないほど感謝しています。
女君の人柄を知った今では、この品々の一つ一つに、女君の真心がこもっている事を知っているので、心から感謝しているのでしょう。
娘の姫君も良くしてもらっている事が分かるらしく、自分も我が身を分けてしまいたいほど、悲しい思いをしていると答えています。
『身を分けて』は比較的別れの歌に使われやすい言葉ではあるのですが、まだ十歳を過ぎたくらいの姫君がこの言葉を使うのは、自分の母に良い縁談をもたらした人への感謝と言うより、先に女君が贈った姫君を心から心配している歌に優しさを感じて、自分も離れ難い思いをしていると素直に答えている歌に思えます。少女らしい素直な心が伝わりますね。




