88.譲らぬ心
越前守は女君が御帰りになると聞いて、故大納言殿の「大将の北の方に差し上げよ」と、女君のためにお分けになり、集めておいた品々や、いくつかの荘園の地券を持って大将と女君の所へ参上しました。
「粗末な物ばかりではありますが、故人が言い残し置いたものでありますので」
と言って越前守は女君に財産や地券を差し上げます。大将がご覧になると、帯が三つ、その中の一つは大将が大納言に贈ったものでした。他の帯は、故大納言にとっては大切な財産だったのでしょうが、誰よりも豪華な品々をそろえている大将にとっては、さすがに粗末な品物です。
他には荘園の地券と、この邸の図面がありました。それを見て大将は、
「そう悪くもない所を、いくつか領有なさっていたのですね。ですが、なぜ、この邸は娘方や北の方などに差し上げないのですか。他に邸があるのでしょうか」
と、お聞きになりますが、女君が、
「そのような邸はございませんわ。この邸は皆さまが長年親しみ、住み続けたところです。わたくしがいただくわけにはいきません。母上に差し上げたいと思います」
とおっしゃいました。大将も、
「それはとてもよいことです。あなたにはこの邸をいただかずとも、この私がいるのですから。あなたの手に渡っては皆様から要らぬ恨みを持たれますから」
と、女君にこっそりお話になると、越前守を近くに呼び寄せて、
「そなたはこの遺産分けの事情を知っておられるはず。どうもこちらの女君にばかり多く分けられているように見えるぞ。こちらが権威ある家だからと、気がねなさっておいでなのか」
そう言って薄く笑われます。
****
さて、大将夫妻が邸に帰ろうとすると、女君だけではどうにも大納言の言葉を断り切れなかった分け与えられた財産を、越前守は故人の遺志どおりに女君のもとに持ってきました。大将はそれを初めて見たようです。
口には出しませんが、遺された財産は大将が所有している物と比べると、決してはかばかしい物ではありません。それに一番立派な帯は大将自身が大納言に差し上げたもので、残った帯は普通の公達になら財産でも、特別力があって、持っている物すべてが名品ばかりの大将にとっては必要のないものでした。
荘園の地券も、権勢のある家の長男で帝に目をかけてもらっている大将には、わざわざ増やす必要のあるものではないようです。しかし荘園は貴族が収入を得るための大切な物。故大納言一家にとっては貴重な収入源です。これを手放すのはこの一家にとっては身を削るようなもの。
さらには今住んでいる邸の権利や図面まで渡され、大将は心配になったようです。他にこの方々が暮らせるような邸はあるのかと尋ねます。
ところが女君が言うにはそんな邸は無いとの事。しかもこの邸はここの一家が長年暮らし続けた、思い入れのある邸のはずです。三条の豪邸に住み、その気になれば素晴らしい邸を自分で立てる事も出来る大将の身の上では、ここは数ある邸の一つでしかありませんが、この一家にとっては大切なすみかであり、よりどころのはずです。これは受取れぬと思い、詳しい事情を聞こうと、越前守を近くに呼び寄せました。
****
しかし越前守は、
「決してそんな事は御座いません。もともと父上が生きている時に言い残されて、皆、取り置いて私に預けられたのです」と申し上げます。
「それは御賢明な事であった。だが、ここにいる私の妻は『この邸は誰もかれもが長く住み続けていらした場所。それをどうしてわたくしがいただけるでしょう』と言っているのです。この邸は北の方が領有なさるべきだ。この二つの帯は衛門佐(三郎君)とそなたで、一つづつ分けられると良い。私は美濃と言う所を領有する地券と、故大納言殿がいずれ返したいとおっしゃっていたこの帯だけをいただくとします。むげにお断りするのもこちらに分けて下さろうとした故人の遺志に反するでしょうから」
大将はそうおっしゃいます。けれど越前守はなおも、
「それでは私にとって大変不都合です。たとえ父自らが取り置いたものでなかったとしても、大将殿に差し上げるべきものなのですから。受取られて御領有なさって下さい。ましてやさらに、父が『私が取り分けて置く』と言って遺した遺言を違えてしまうのは具合の悪いことです。これとは別に私達は誰もかれもが少しずつ財産を分けていただいておりますので」
と言って受取ろうとはしません。大将は、
「分からない事を言う物だ」とおっしゃいますが、越前守も、
「父の心は間違ってはいないのですから」と譲りません。
「御父上の御心はこの品々を見せていただいたのですから、もう、いただいたも同然です。我が妻は私が生きている限り、不自由な思いをする事は無いでしょう。次々子供も生まれたことですから、先の事も頼もしい。このままでは四の君(四の姫)などは親身にお世話下さる人も少ないようですし、私が一途にお世話しようと思っています。ですから三の君(三の姫)、四の君が相続する物に、我が妻の物を添えられよ。大君(長女)と中の君(二女)には、婿君たちの官途をお世話しよう」
大将はそうおっしゃいましたので、越前守もこれには恐縮しながらも喜びました。
「ではまずは、この事をお伝えしてきましょう」
越前守はそう言って席を立ちます。
「もし、返そうとなさっても受け取ったりしないでください。同じ事を繰り返すのはわずらわしいですから」
大将はそう言って念を押しました。すると越前守は、
「帯はやはり大将殿が御手もとにおいて、人に差し上げるなり、御自分でお使いになるなりなさってください」と言うので、大将は、
「いつか、用のある折にはお借りするとしよう。あなた方は私の身内なのですから」
そうおっしゃって、強いてお与えになりました。
****
内心不満を持っていたはずの越前守。それでも父親の遺言は絶対なのでしょう。大将が受取れないと言っても親の遺言を破る訳にはいかない。しかも彼らはすでに大将の世話を受けている身です。亡き父親がそう言う相手に誠意を見せるために用意した遺産を、たとえ遺言がなかったとしても渡さない訳にはいかないと思っているようです。『(父)みづからの心僻ざまにし置かばあらめ』(父自身の心に間違いがあるのではない)と言って、頑として譲りません。
この言葉を聞いたからでしょうか? 大将は「これはこの家族が意地を張って断っているだけではなく、亡き大納言に敬意を表しての事なのだろう」と思い当たったようです。そこで越前守の気持ちに配慮して、大納言殿の心は受け取った。御家族の面倒は故人に代わって自分が見るのだから、その家族が邸を使うのは当然の事。邸の権利など、これで受け取ったも同然だと言って、遺された品々を三の姫、四の姫の受け取る遺産に添えるように言います。差し上げるのではなく、この『添へられよ』という言葉に大将の心づかいが感じられますね。
さらに大将は婿君たちの官位昇進の道を用意する事も約束しました。これには越前守も喜んで、家族にさっそく知らせに行く事にしました。
でも、向こうにはあの、北の方がいます。ひょっとしたらすんなりとこの申し入れを受け取らないのではないかと大将は思ったようです。返すと言われても受取るな。同じ事の繰り返しになると言いましたが、越前守も不安があるのでしょう。せめて帯くらいはと思ったのか、帯だけは手元に持っていて欲しいと言うと、大将は用があれば借りると言いました。
受取る気がないという意思表示と共に、自分は故大納言の家族を、自分の家族だと思っていると伝えたかったのでしょう。強引に帯を渡してしまいました。
大将の思いやりと、家族の面倒を見ようという覚悟のほどがうかがえますね。




