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26. 想像の強敵

26. 想像の強敵




 そしてその日の夜。リビングのソファーに深く腰掛け、一人静かにしている。部屋には、浴室から聞こえるシャワーの音だけが響いている。その音は、まるで心臓の鼓動のように、オレの緊張をジワジワと加速させていく。


 そうだ、オレは今、聖菜さんの家に泊まることになっているんだ。まさかこんな展開になるとは。


 いかんいかん。意識すればするほど、どんどんドツボにはまっていく。落ち着け、これは千載一遇のチャンスなんだ。姉貴こと西城さんも言っていた。「聖菜さんが誰かとする前に、お前がしろ」と。ここで何もしなければ、男が廃る。今日で、オレの臆病な自分とは、卒業式を迎えるんだ。大丈夫。アレは一つ、ちゃんと財布の中に忍ばせてきた。


「ふぅー」


 大きく息を吐き出し、張り詰めた心を、なんとか落ち着かせようと努める。大丈夫、大丈夫、大丈夫。何度も心の中で唱える。


 ガチャッ。


 オレが、まるで呪文のように自分に言い聞かせていると、浴室のドアが開く、小さな音が聞こえた。反射的にオレはギュッと目を瞑る。


 きっと、扉の向こうには聖菜さんが……おそらく、湯気を纏いながら、バスタオルを一枚だけ羽織って立っている。髪はまだ濡れていて、雫が首筋を伝い、湯上りの肌はほんのりとピンク色に染まっているだろう。その姿は、きっと息をのむほど艶めかしくて、綺麗で、思わず見惚れてしまうはず……


「優斗君?どうしたのかな?」


 あの時と同じ、すぐ目の前で、聖菜さんの優しい声が聞こえる。オレは慌てて目を開け返事をする。


「おっ、おう!」


「何回も呼んだんだけどな?また瞑想かな?」


 目の前に立っていた聖菜さんは、残念ながら可愛らしいデザインの寝間着を着ていた。でも、そのリラックスした姿はとても可愛らしい。


「いや。少し集中して、シミュレーションしてたんだ。強敵と戦うための」


「ふーん、強敵ねぇ。想像の強敵は、どんなだったのかな?」


「……エロ可愛い」


「素直だね、優斗君は」


「自分に正直に生きてるから」


「どこが?いつも我慢してるように見えますけど?」


「あれは我慢じゃなくて、修行なんだ」


 あーもうダメだ!こんなやりとりをしていると、余計に緊張してきた。そのあと、オレは聖菜さんの家のお風呂を借りることにした。さっきまで、ここに聖菜さんが入っていたんだ……と考えるだけで、心臓がドキドキする。湯船に浸かる前から、すでに汗ばんでいるような気がする。


 落ち着けオレ。深呼吸だ。この前はホームだったけど、今はアウェイなだけだ。スポーツ選手なら、良くあることだ。環境の違いに戸惑うな。そんなことを、ブツブツと心の中で唱えながら、熱い湯船にゆっくりと身体を沈める。身体にじんわりと温かいお湯が染み渡っていく。


「あったかい……」


 思わず、声が出てしまった。心地よくて、このまま眠ってしまいそうになる。そういえばオレ、聖菜さんの家に来たんだよな。まさか、こんなことになるとは夢にも思わなかった。


「やべぇ。超幸せじゃん」


「何が幸せなのかな」


 背後から、聖菜さんの声が聞こえて、心臓が飛び跳ねそうになった。


「え!?聖菜さん!?」


 独り言を聞かれるとは思っていなかったので、完全に油断していた。慌てて振り返ると、聖菜さんは、浴室のドアに寄りかかりニコニコしながらこちらを見ていた。


「なんで中にいるんだ!?それ、セクハラだぞ!」


「え?優斗君のは、何度も見たことあるけど?」


「何度もって……今のオレは、見せたことないだろ!」


「じゃあ、私のも見る?」


「今見たら、たぶん死ぬから、遠慮しとく」


「なるほど。一生独身は困るから、出ていくとしますか」


 聖菜さんは、クスクスと笑いながらそう言って浴室から出て行った。


 ……絶対。わざとだ。聖菜さんは、やっぱりS気質がある気がする。オレを困らせてその反応を楽しんでいるみたいだし。オレは熱いお湯の中で、小さくため息をついた。さっきからずっとこの調子で、心が落ち着くことがない。


 でも……不思議と、嫌な気持ちは全くなくて、むしろ、楽しいと思う自分もいた。このドキドキするような、落ち着かない夜が、いつまでも続けばいいのにと、心のどこかで思っているのかもしれない。

『面白い!』

『続きが気になるな』


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