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38話:気分転換に行こう

彩音視点のお話です


『無事に『年下スウェット』の連載を再開する事ができましたが、どうにもしっくり来ません。なかなか上手くいかないものです』


 彩音はそんな短文をしたためて、投稿ボタンをタップ。軽く背伸びをする。そしてソファから離れてバスルームへ向かった。


「あ~くっそ~。上手くいかない」


 毒づきながら脱衣所でルームウェアとショーツを脱ぎ捨てて、乱暴に洗濯機へ放り込む。スマホを洗面台に置いて、シャワーを浴びた。

 苛立つ頭に暖かなお湯をかぶせる。たちまちの内に自慢の黒髪が水分を吸ってずっしりと重くなった。

 今朝は風呂を沸かそうと思っていたのに。一日が終わってみると、そんな気分でもなくなっていた。

 理由は簡単。連載が再開できたweb小説の執筆が難航しているからだ。


「せっかく今日は律と夜ゴロゴロするの我慢したのに」


 自分の選択に恨み言が込み上げる。

 今日は『年下スウェット』の執筆に集中する為、夕食を食べた後、早々に自分の部屋に引き上げたのだ。

 だが、結果はよろしくない。一話分くらいは書けたものの──。


「指チュパなんて初期中の初期にやったじゃない。フックを効かせたから丸かぶりって訳じゃないけど」


 才色兼備の自堕落OL『木村愛衣』と、そんな彼女の表と裏の顔を熟知しつつも付き添う九歳年下の幼馴染『高津リオ』の、砂糖袋そのもののイチャラブ・ストーリー。

 いや、ストーリーと言いつつも話の筋なんて無いも同じだ。共同生活で発生するちょっとしたラブコメシチュエーションをひたすら書き綴ってゆくだけ。

 だからこそ、そのシチュエーションのネタが切れてしまうと途端に書けなくなってしまうのだ。


「違う。同じシチュエーションでも書こうと思えば書ける……!」


 指チュパなら、する側とされる側を変えるだけで二回書ける。その二回を尊い内容にする自信もある。

 事実、彩音は今日二回目の指チュパシチュエーションを書き終えた。

 だが、新鮮味が無い。特に読者にはそう思われてしまっている。寄せられる感想も日に日に減っているし、読者の声には『一度見た展開』と遠回しに告げるものもあった。


「う~……なんでよ~……どうして~……」


 あの二人のイチャラブ・ストーリーは、彩音にとって自己投影だ。

 主人公の『木村愛衣』のモチーフは自分で。

 幼馴染の『高津リオ』は高浪律で。

 自分が律としたい事ややりたい事をそのまま小説にしているだけだ。

 だからシチュエーションなんていくらでも浮かぶはずだった。だからブラック企業に勤めていた頃はどれだけ疲れていても書く事ができた。妄想の出力という行為はメチャクチャ楽しかったし、ストレス解消になった。


「……冷静になったら自分のやってる事の気持ち悪さが実感できてきた。ホントどうかしてる……」


 そんな気持ちの悪い妄想の産物を、モチーフになった男の子が眼をキラキラさせながら読んでいるというのがもう完全にホラーだ。

 しかも一度作者ではないかと疑われている。何とか疑惑は晴らせたが──。


「あの子にバレたら、今度こそ電車に飛び込むしかない……!」


 ぜっっっっっっっったいに! 失望される! 少なくとも二度と会ってくれなくなると彩音は確信していた。

 自分を彼の立場に置き換えれば分かる。もしこれが性別逆だったら事案なんてレベルじゃない。

 ネット上に拡散されたらSNSでバズって、どこぞの大手まとめサイトに取り上げられて下手をすればネットミーム化待ったなしレベルの気持ちの悪さだ。

 彩音は、今まさに絶賛黒歴史を生産中と言える。しかも止められないときている。


「やば。しにたくなった」


 本当にそう思った時、スマホの着信音が鳴った。

 一瞬で身体が竦んだ。ブラック企業の記憶が彼女の身体を雁字搦めにしてくる。

 あの着信音は理不尽な罵声と怒号とセットだった。

 あの音が聞こえる度に、彩音の心は滅多刺しにされたのだ。

 でも──。


「あいつらは……もう、かけてこない、はず……」


 今、彩音のスマホを鳴らす人は本当に限られている。

 シャワールームの扉を開けて、おそるおそる洗面台の上のスマホを覗き込む。

 ディスプレイに表示されているのは着信のお知らせ。そしてそこに表示されていたのは、秋山楓の名前。


「楓ちゃん?」


 慌ててスマホを掴んでシャワールームに戻る。

 通話をタップ。シャワーを浴びながら耳に添える。完全防水性機種で良かった。


『あ。彩音さん?』

「ごめんね。出るの遅くて」

『いえいえ、こちらこそいきなりかけてすいません……って、今どこです? なんか水の音が』

「シャワー中だった」

『すいません! かけ直します!』

「あぁ、気にしないで。丁度人と話したい気分だったから。それでなに?」

『あ、えっと。では遠慮無く。この前ゴハン食べる話をしてたじゃないですか。今週の土曜が空いたので、どうかなと思いまして』

「ホント? 行こ行こ! 私も気分転換したいところだったの!」

『やったぁ♪ ゴハンだけじゃなくて、色々とブラつきませんか? デートですデート』

「デ──!? き、気持ちは嬉しいけど、私は、その!」

『あ、すいません。今のはものの例えです、例え。一緒にお買い物して散策しましょ~とか、そういうの』

「あ、あぁ、そういう事か。ごめんね、早とちりした。え、ええ、そういう事なら、うん。ゴハンの約束も、あるし」

『では決まりで! 金曜に詳しい場所とか予定とかラインしますね!』

「うん。ありがと、楓ちゃん。楽しみにしとく」

『はい! あたしもです!』


 画面をタップして、通話を終える。

 しばらくの間、彩音はシャワーの熱に身を委ねて──。


「ヤバいヤバいヤバい! 服買いに行かないと服! あああぁぁぁ靴も──鞄もか!?」


 伊達に二年間社畜をやっていた訳ではない。人と遊びに行くなんて大学の卒業旅行以来だった。


「美容院! 美容院予約して──って電話番号知らないし!? あばぁ! あばばばばばばばばばば!!!」


 気持ち悪い妄想web小説のシチュエーションどころではなくなった。


お読みいただきありがとうございます。

しばらくニヤニヤな話からは離れてしまうのですが、彩音の今後の為に必要な話でして。何卒宜しくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここまでなってて、お互い(?)に手を出していないのがある意味凄いな。 何かの拍子にコロっととかありそうなのに。 あったっていいじゃない。人間だもの。 み◯を
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