異変のはじまり
授業を終え、エルクは寄り道せずに寮へ戻った。
寮に戻ると、ソフィアが談話室のソファで静かに眠っている。テーブルの上にはたくさんの本があり、どうやら勉強をしているようだった。
エルクは、静かに談話室を横切る……が、ソフィアは起きてしまった。
「ん……ああ、寝ていたようです。お帰りなさい、エルクくん」
「ただいまです。すみません、起こしちゃって」
「いえ。ん~~~……っ」
大きく伸びをするソフィア。
眼鏡をくいっと上げ、いつものように微笑んだ。
「さて、勉強はここまでにしますか」
「あの、ソフィア先生は何の勉強を?」
「いろいろです。正規教員になるには、難しい試験を突破しないといけませんから」
「大変ですね……」
「ええ。でも、やりがいがありますから。ところでエルクくん、早い帰宅ですね」
「はい。今日、新しく寮に入る子がいまして。授業が終わったらすぐに来るって言ってたんで、出迎えをしようかと」
「なるほど。ソアラさん、でしたね?」
「はい」
エルクは自室へ戻り、荷物を置いて私服に着替えた。
すると、エルクが一階に戻ると同時に、ソアラが荷物を抱えて寮へ来た。
「やっほー」
「エルク、やっほー!」
ソアラと、ソアラの頭に座るシルフィディだ。
シルフィディは、寮内を飛び回り、ソファにダイブして転がった。
ソフィアは、ソアラに挨拶する。
「初めまして。この寮の監督教師、ソフィアです」
「はじめまして。ソアラです。よろしくです」
ペコっと頭を下げると、シルフィディがソファから飛んでソフィアの目の前へ。
「あたし、シルフィディ! よろしくねっ!」
「はい。よろしくね」
ソフィアは、シルフィディの小さな頭を優しく撫でた。
「女子寮ですので、私が案内します。部屋はこちらです」
「はーい」
「はーいっ!」
「それと、ささやかですが、今夜は入寮パーティーを開きますから、期待しててくださいね」
ソアラとシルフィディ、カヤの入寮パーティーだ。
その後、ソフィアと一緒に寮内を案内し、マーマを紹介した。
そして、エマやニッケス、ヤトとカヤ、ガンボにフィーネが帰宅。ソアラと、改めてカヤを紹介。マーマが腕を振るい、歓迎パーティーを開いた。
エルクたちは、大いにパーティーを楽しんだ。
パーティーの翌日、学園が大惨事になるとも知らずに。
◇◇◇◇◇◇
ガラティン王国郊外。
正門へ続く街道を、百名以上の人間が規則正しく歩いていた。
それは、女神聖教の部隊。
一隊二十名、計五部隊。二十名の隊を率いる、五人の『女神聖教』の聖使徒。
使徒の中でもワンランク上の使徒。それが聖使徒。
聖使徒の一人にして『聖典泰星』部隊隊長のサリッサは、女神ピピーナの紋章が刻まれたローブを着て、笑顔を浮かべていた。
「フフッ……ついに、ついに初陣ですわ」
サリッサの浮かれっぷりが気になったのか、兄にして『飛天皇武』部隊隊長のロシュオは言う。
「おい、真面目にやれよ。これは、女神聖教にとって重要な任務だ」
「知っていますわ。それに、ダンジョンで無様な姿を見せたお兄様に、『真面目にやれ』と言われましてもねぇ……?」
「何ぃ?」
「ふふ、フフフ……エルクお兄様は、私が屠ってみせましょう。『念動力』対策はバッチリですから」
「へっ、生爪剥がされて泣いてたお前が、兄貴を屠るだと?」
「ええ。まぁ、楽しみにしててくださいませ。ピアソラ様の『チートスキル』で進化した、私のスキルを」
「けっ」
ロシュオは吐き捨てるように舌打ちする。
すると、『虚無』部隊の隊長である少年カイムが言う。
「貴様ら、少しは黙って歩けないのか? この、裏切り者の血筋が」
「「あ?」」
裏切り者の血筋。
それは、女神ピピーナの愛を受け取りながら、女神聖教に属さない『八人目』にして、チートスキルで同胞を屠る悪しき『死烏』エルクの弟、妹であるロシュオとサリッサを侮蔑する言葉。
ロシュオとサリッサが殺さんばかりに睨むが、カイムは鼻を鳴らす。
すると、『聖女』部隊隊長である少女アマリリスが仲裁に入った。
「もう、いい加減にしなさい!! これから大事な任務なのに、喧嘩しちゃダメでしょ? メッ!!」
「「「…………」」」
ロシュオ、サリッサ、カイムは「メッ」と子供を叱るように笑みを浮かべるアマリリスを見て呆れていた。今時、誰も「メッ」なんてやらない。
それを見ていた『愛教徒』部隊隊長の少年ミゲルは「クックック」と薄暗く笑う。
「くっだらねぇ。クヒヒ……お前らみんな、死んじまえばいいのに」
「おいミゲル、お前今なんつった?」
「別に……」
ロシュオがキレるが、すぐにアマリリスが割って入り「メッ」をする。
それがウザったいのか、頭をボリボリ掻いてアマリリスから離れた。
そして───……目的地に到着。
「指示があるまで待機。始まったら……暴れていいんだよな」
ロシュオが確認するが、誰も返事はしない。
総勢約百名の『女神聖教』の使徒たちは、静かに待ち続ける。
◇◇◇◇◇◇
ガラティン王国の宿屋で、ロロファルドとエレナは串焼きを食べていた。
「あーんっ……ん、いい塩味だねぇ」
「あなた、緊張感ないわねぇ」
エレナが苦笑するが、ロロファルドは串焼きを掴み口の中へ。
「腹が減っては戦が出来ぬ……だっけ?」
「ヤマト国の『コトワザ』だったかしら。何事も準備が大事……そんな意味だったかな」
「うん。これから楽しくなるんだ。いっぱい食べておかないとね」
「ふふ、そうね」
「エレナ。ラピュセルの試練だけど……」
「知らないわよ。というか、何が試練よ……ラピュセル、ほんと頭おかしいわ」
「あ、やっぱりそう思ってた?」
「ええ。でも、信者を増やすにはちょうどいいわね。ラピュセルの『チートスキル』は、こういう『お遊び』にはピッタリだから」
「ん、そーだね。っと……はぁ、お腹いっぱい」
「食べたら行くわよ。夜明けと同時に、始まるわ」
「ん……ふふ、エルクさん、楽しみに待っててね」
ロロファルドは、串焼きの串をポキッとへし折り、ニヤリと笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇◇
夜明け。
太陽がゆっくり登り、エルクの部屋のカーテンの隙間から日が差した。
ちょうど隙間からの光が、エルクの目を照らしエルクは、ゆっくり目を開けた。
「ん、ふぁぁぁぁぁ……う~、昨日騒ぎ過ぎた」
昨日は、歓迎会だった。
たくさんのご馳走、ミニゲームで大いに盛り上がった。
ソアラは楽しんでいたし、カヤも……笑っていたと思う。
新しい仲間。エルクは、学園生活がまた楽しくなった。
ベッドから起きると、足下からシルフィディがコロンと落ちた。
「ぅぅ~……いっぱい寝すぎたぁ」
「そりゃよかった。ほら、起きろ」
「はぁ~い」
シルフィディは目を擦り、フワフワ枯葉のように舞う。まだ眠いのだろう。
エルク苦笑し、顔を洗うため洗面所へ向かおうとドアを開けた───……。
「───……え?」
「…………え」
ドアを開けると、そこにいたのは……全裸のヤトだった。
全裸、全裸だった。
上も下も何も付けていない。濡れた髪を拭くため、両手を使いタオルで拭いている。
腕を上げているため、身体がばっちり見えていた。
「…………」
「…………」
「……………………っひ」
エルクは無言でドアを閉めた。
「…………ああ、夢か」
エルクは静かに頷き───……その場にしゃがみ込む。
顔が真っ赤になっていた。
初めて見た、異性の肌。
上も下も、ばっちり見てしまった。
「な、なまなま、なまなま、しい……っう」
鼻血が出そうになった。
おかしい。夢にしては生々しすぎる。
「…………も、もう一回だけ。うん、やましい気持ちはない。夢だと確認するため。うん」
エルクはもう一度、静かにドアを開けた。
「うおっ!?」
「…………」
ドアの先にいたのは、全裸で今まさにパンツを履こうとしているニッケスだった。
どうやら着替え中……エルクは静かに笑い、ドアを閉めた。
恐ろしいくらい、頭が冷えた。
「……おかしい」
「ね~エルク、ね~ね~」
「ちょっと待った。おかしい……なんだこれ? 夢なのか? 部屋のドアがおかしい」
「エルクってばぁ~」
「あ~もう、なんだよシルフィディ」
シルフィディは、眠そうに眼を擦りながら───……言った。
「なんか、ダンジョンの中にいる感じがするー」
「……は?」
「あのね、あたしがいたダンジョンと同じなの。このへん全部、ダンジョンみたい」
「ダンジョンって……ここが?」
「このへんぜ~んぶ」
「この辺って……学園が?」
「うん。そのドア、へんなところに繋がってるよ」
「…………」
エルクはようやく、これが夢ではないと自覚した。
そして、思いつくのは一つ。
「女神聖教……ああもう、こんな大規模な力、他にないだろうが」
エルクは、戦闘服を引っ張り出す。
机の上に置いておいた、歓迎会の残りのクッキーを口に入れ、残り物のジュースをがぶ飲みした。
シルフィディにも食べさせる。
「ん~おいしい!」
「シルフィディ。たぶん敵が来た。俺から離れるなよ」
戦闘服を着て、眼帯マスクを付けてフードを被る。
籠手を装備し、手首を何度か反らしてブレードを確認し、コートの内側に収納している短矢を確認する。そして、首をコキコキ鳴らし、肩をグルグル回した。
「ったく、朝っぱらから学園を巻き込んでの襲撃か……誰だか知らないけど、やってやろうじゃねぇか」
「エルクエルク、あたしもお手伝いするっ!」
ダンジョン化したガラティーン王立学園。
エルクはドアノブに手をかけ、深呼吸をして勢いよく開けた。





