体育という名の拷問
午後の授業は、『体育』だった。
スキルを使わない身体作りがメインの運動で、どんな強力なスキルを持っていても、体育の授業だけは全員が平等だ。
エルクたちは、戦闘服ではない学園共通の『運動着』に着替え、訓練場に集まっていた。
体育の授業を監督するのは、体育教師のジャコブだ。
筋肉のせいでパッツパツのランニングシャツ、迷彩柄のズボンに鉄板入りブーツ。右腕から背中にかけてファイアパターンの刺青が入り、刈り上げた頭には火傷の跡、そして右目に眼帯を付けていた。
日焼けなのか、全身が浅黒い……はっきり言って、滅茶苦茶怖い教師だ。
ジャコブは、整列した生徒をジロリと見て言う。
「ダンジョン実習、ご苦労だった」
声が低い。渋い声だった。
ジャコブは口を歪めつつ言う。
「ダンジョン実習で学んだはずだ。お前たちに足りないのは何だ?……そこのお前」
「あ、はい」
ジャコブはエルクを見て人差し指を差す。
エルクは少し考え、思ったことを言った。
「迷子になった時の心得ですかね?」
「違う!!」
「じゃあ……ダンジョンの地図?」
「違う!! お前らに必要なのは、体力だ!!」
「体力……」
「そうだ!! どんなに強力なスキルを持っていようが、それを使うのは人間だ!! 特に、身体強化系、武装系のスキルは肉体の強さに依存する。いくら強力な『剣術』スキルでも、使う人間の体力が尽きればそこまでだ!! つまり、お前らに足りないのは体力だ!!」
「なるほど」
エルクは「尤もだ」と言わんばかりに頷いた。
ジャコブは片足を上げ地面を踏む。それだけで振動が起き、地面に亀裂が入った。
「体育の授業では、お前らの身体を徹底的に苛め抜く!! 息切れの起こさない心肺機能、鋼の筋肉、そして技を使う技術を、1年で叩きこんでやる!! 覚悟しておけ!!」
ジャコブの覇気に、半数以上の生徒が青くなっていた。
ちなみに、エルク以外の者も知らない。ジャコブの『体育の授業』についていけず、毎年何人もの生徒が学園を去っていることなど。
ジャコブは叫んだ。
「まずは、訓練場の周囲を全力疾走で100周!! できなかったモンにはペナルティを課す!! さぁ行け!!」
ピシャアン!! と、ジャコブが地面を踏むと亀裂が入った。
生徒たちは、慌てて全力疾走で訓練場の外へ走り出した。
◇◇◇◇◇
エルクは、本気のダッシュで訓練場の外周を走っていた。
最初は全員が全力だった。だが、数分もしないうちに、半数以上がダウン……ジョギングと同じような速度になっている。
エルクに付いてくるのは、数人。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはッ!!」
「ひっひっひっひ、ひぃぃっひっひぃぃっ!!」
「ふっふっふっふっふっふっふっふっふっふ!!」
「はっはっはっはっはっはっはっは、っふぅぅぅ!!」
「はーっ、っはーっ!! っはーっ!!っはーっ!!」
ガンボ、フィーネ、エルウッド、ヤト、カヤの5人だ。全員、呼吸が荒く大汗を搔いている。エルクが振り返ると、信じられないという顔でエルクを見た。
エルクは、呼吸がほとんど乱れていない。
(ちょろいな)
そもそも、エルクに体力を求めること自体、間違っている。
年数にして数百年以上、エルクはマラソンやダッシュに人生を注いで生きた。魂だけの経験でも、その経験は肉体に反映される。たった数十分程度の全力疾走など、エルクにとって歩くのと変わらない。
ちなみに、二千年分の鍛錬が全て肉体に反映してしまうと、恐ろしい生物に変貌してしまうため、得た体力などはそのままで、普通の体型にしたのはピピーナであった。
「ほう……なかなか見どころのある新入生だ。スキルの使用もない、純粋な体力だな。それと……ペースは落ちているが、喰らい付く連中もなかなかだ」
ジャコブがニヤリと笑い、顎を撫でる。
それから、エルクだけが全力疾走となり、他の生徒は全員グロッキー状態となり、外周ダッシュは終わった。
エルクは、大した汗も流さず訓練場へ。
すると、大汗をかき肩で息をしているガンボが言った。
「おま、マジで、どうなって、んだ……はぁ、はぁ……体力、おか、しい、ぞ」
「いや、昔からマラソンは得意でな」
「そういう、次元、じゃ、ねぇ、だろ……」
そんなことを言っても、エルクは疲れていない。
他の生徒を見ると、エルクを見る目が「信じられない……」という感じだった。
訓練場でグロッキーな生徒たちを見てジャコブが言う。
「だらしのない連中だ。上級生など、この程度準備運動にもならないぞ。おい、そこのお前……エルクだったな?」
「あ、はい」
「お前は見所がある。では、さっそく次だ。次は組み手を行う!! 二人一組になり、スキル、武器なしで格闘戦だ!! いいか、喧嘩ではない、あくまで格闘戦、武術だ!! 冒険者を目指す者なら、ある程度の武術の心得はあるだろう。それを使え!!」
生徒たちは、フラフラになりながら構えを取る。
すると、ジャコブが言う。
「エルク。お前はオレとだ」
「え」
「お前、武術の心得もあるな?」
「はい、いちおう……」
「ふ、面白い……いいか、スキルなしでの武術だ。全力で来い!!」
「……わかりました」
エルクは構えを取る。
「では行くぞ!!」
ジャコブが両腕を顔の前で構え、エルクに向かって走りだす。
エルクは左手を前に、右手を胸の前で構え迎えうつ。
「ッシ!!」
ジャコブの左ジャブを、左手で叩き落とす。
「む……ッシ!! っしっシッシ!!」
「───ッふ」
エルクの左手がジャコブのジャブを叩き落す。
三発目のジャブを叩き落すと同時に、エルクはジャコブの懐に潜り込み、身体を反転させて右の肘撃ちでジャコブの胸を叩き、そのまま右手を上げて顔をパシッと叩く。ジャコブは目をつぶってしまう。
エルクは態勢を低くし、左ハイキックをジャコブの側頭部へ叩きこむ。
ジャコブの身体が揺れた瞬間、連続で拳をジャコブに叩きつけた。
「っぐ、っが……ぬぅぅっ!?」
ジャコブはバックステップ。顔を振り、痛みに顔をしかめる。
エルクは構え、ジャコブを迎え撃つ態勢を作った。
「……ここまでだ」
「あ、はい」
エルクはあっさり構えを解く。
気が付くと、生徒たちはエルクとジャコブの演武に釘付けだった。
ジャコブは、汗をたらりと流す。
「お前、師は?」
「えーっと……神様です」
「はははっ! まぁ、そう簡単に聞けるとは思っていない。まさか、このオレをあっさり返り討ちにするとはな……本気を出したいが、授業の域を超えてしまう」
「は、はい」
「お前たち!! 見ていないで戦え!! 自分を追い込め!!」
ジャコブの喝で、生徒たちは戦い始めた。
◇◇◇◇◇
エルクとジャコブの戦いを見ていたヤト、カヤは。
「ヤト……今の」
「ええ。あの動き……ヤマト国の『永宗拳』ね」
「エルクはヤマト国に行ったことが?」
「……ないはず。というか、あの若さで『左方いなし』を完璧に使っている。才能……だけじゃないわ」
「師が優れていた、ということでは?」
「……わからない。カヤ、エルクは要注意。ヤマト国政府に報告すべきかもしれないわよ」
「……同じことを考えていました」
エルクは、ピピーナと「スキル未使用での殴り合い」を百年以上やっている。その間、世界中のありとあらゆる格闘技を習得していた。もちろん、ヤマト国の武術も学んでいる。
ジャコブが生徒たちの指導へ行ったので、エルクは一人でいた。
すると、エルウッドが寄ってきた。
「やぁ、相手がいないならオレが相手をするよ」
「ああ、よろしく」
二人は構え、軽い組み手を始めた。
エルウッドの拳を軽く躱すエルク。エルウッドは言う。
「ところで、キネーシス公爵家からの手紙は読んだかい?」
「あ」
拳を躱し、蹴りを放つ。
エルウッドは防御した。
エルクは、キネーシス公爵家の手紙を読んでいないことに気付く。
「ちゃんと読んだ方がいいよ」
「わかってる。帰ったら読むよ」
エルウッドの蹴りを受け止め、エルクはカウンターパンチを放った。





