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24・帰り道にて


 結局、部長には「はい、やらせていただきます」としか返事をすることができなかった。あの場で首を横に振ることが、どうしてもできなかったのだ。会社にとって大きな契約、これを自分の返事一つで潰してしまうことを考えたら、あの場ではどうしても首を縦にしか振れないだろう。


「気が重いよ……」


 会社からの帰り道、肩を落として大きな溜息を何度も吐く。不思議と、夕日に照らされた私の影すらも、どこか落ち込んでいるように見えてくる。このキリキリと痛む胃も、明日には穴が空いて血を吐くんだわ。なんて考えていたら、余計気が重くなってしまった。まもちゃんの家に帰るまでに、どうにか自分の暗い表情をなんとかしなくてはと思い、楽しいことを色々考えてみたけれど、何を思い出してもこの気分が晴れることはなかったのだ。

 最寄り駅につき、まもちゃんの家までの道をとぼとぼと歩く。辺りは帰宅途中の会社員や学生、犬の散歩をしている人、楽しそうな子供の笑い声に包まれていて、どうして自分だけがこんなに暗い気持ちになっているのだろう、と考えてしまう。子供の無邪気な笑い声を聞いたら、自分もあんなふうに無邪気に笑えるのだろうか? と心配になってしまった。それはまもちゃんの前でも、今度の接待の場でも。失敗は許されない、というプレッシャーと、藤野さんが私にどんなことを言ってくるのだろうかという不安が入り混じっていて、何とも表現しづらい気持ちばかりが私を覆ってくる。ごちゃごちゃと色々考えすぎて、どうやら頭はパンク寸前のようだ。そんな時、後ろからぽんっと軽快に肩を叩かれて、私は吃驚しすぎて飛び跳ねてしまった。


「あら、そんなに吃驚しなくてもいいじゃない。元気? 香澄ちゃん」

「え、あ! 誠吾さん、お久しぶりです!」


 にっこりと優しい笑みを浮かべながら私の頭を撫でてくれるのは、まもちゃんの実父である誠吾さんだ。あのケーキバイキング以来会っていなかったけれど、誠吾さんの笑顔は相変わらず素敵だ。

 それにしても、誠吾さんがこの辺にいるってことは、やっぱりまもちゃんに会いに来たのだろうか? 私は誠吾さんを見上げて、訊いてみることにした。


「誠吾さん、もしかしてまもちゃんに会いに来たんですか?」

「うん。ちょっと守に確認したいことがあってね。守、家にいるかな」

「たぶんいると思います。実は今、私、まもちゃんの家に住んでるんです。だから一緒に行きませんか?」


 すると誠吾さんは私を見つめて、嬉しそうに笑みを浮かべる。それはいつもの笑顔とは少し違う、子供の成長を喜ぶ「父親」の表情のように思えた。まもちゃんと私を、あたたかく見守ってくれている人がここにいること、それは私にとって、とても嬉しく、心強いものだ。不安に揺らぐ私の気持ちが、ふいに和らぐ瞬間だった。

 誠吾さんと話をしながら歩いていると、あっという間にまもちゃんの家に着いていた。中に入ろうと門を開けると、そこで誠吾さんの足はピタリと止まる。私は誠吾さんを見つめ、首を傾げた。どうして入らないのかな? そんな思いが伝わったのか、誠吾さんは少々躊躇いながらも口を開く。


「実は、守の家に入るのは、初めてなの。緊張してるみたい」

「誠吾さん。せっかくここまで来たのに、帰るなんて言いませんよね?」

「そう……だね。せっかく来たし」


 躊躇っている誠吾さんの腕を引き、私はゆっくり中に誘う。すると、誠吾さんの表情が緊張でいっぱいになっていることに気付き、私はわざと大きな声で誠吾さんに声をかけた。


「大丈夫ですってば! 私と一緒なら、少しは緊張も解れませんか?」


 大袈裟なほど大きな声で、呆れるほどの笑顔を浮かべると、誠吾さんの緊張が少しずつ解けてきたのか、本来の笑顔を取り戻しつつあった。

 実の父と息子といえど、誠吾さんはまもちゃんとまもちゃんのお母さんを捨てた人だ。誠吾さん達の間に何があったのかはわからないけれど、まもちゃんはお母さんの苦しむ姿を見て育ってきた。だからこそ、誠吾さんと距離をとっていたのだろう。それは誠吾さんも同じで、過去を振り返るたびに、その胸を痛めていたのかもしれない。だからこそ、まもちゃんの様子が気になっていたのに会いもせず、こっそりと様子を見るだけに留めていたのだろう。お互い少しずつ歩み寄ったとはいえ、どこか壁を作っているのはわかっている。だからこんなに誠吾さんは緊張しているのだろう。だったら私は、その邪魔っけな壁を取っ払ってあげたい。そう思ったら、誠吾さんの腕を引いて、玄関の扉を開けていた。


「ただいま……て、うわっ!」


 玄関の扉を開けてすぐ、目の前にはなんだか複雑な格好をしたまもちゃんの姿があった。まもちゃんの頭には長毛のウィッグが乗っかっており、顔には以前のような瓶底眼鏡が掛けられている。格好はいつも通り、長袖のシャツにジーンズという姿だが異様な頭部を見て、私と誠吾さんは訝しげにまもちゃんを見つめていた。

 一体まもちゃんに、何があったというの?

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