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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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009 〜延徳3年(1491年)1月 本丸御殿〜

挿絵(By みてみん)


〜登場人物〜

菅沼貞行…父定忠の弟で、竹千代の叔父(武節城主)

菅沼家定…叔父貞行の嫡男で、竹千代の従兄弟(武節城)

菅沼定行…祖父定信の弟で、竹千代の大叔父(菅沼城主)

菅沼元成…父定忠の庶子兄で、竹千代の伯父(長篠城主)


〜菅沼氏家譜〜

土岐氏…菅沼─定信(祖父)─元成(長篠城)  ┌新九郎

      │     ├定忠(父)─────竹千代

      │     └貞行(武節城)─家定

      └定行(菅沼城)

    〜延徳3年(1491年)1月 本丸御殿〜


山の端に薄く初日が差しはじめた。


 峰を渡る風が、まだ凍てつく鳳来の谷を吹き抜ける。田峰城下の屋根には霜がびっしりと白く、桶の水面は氷が張っている。それでも人々は、明るい顔をしていた。

 正月――豊かな鳳来の恵みが結わえられた多くの門松や榊、しめ縄が街を彩り子供達の声が澄んだ空に響き、山鳥が飛び立った。


 そのころ、まだ火の気も弱い刻限にも拘らず田峯城本丸御殿の広間には続々と登城してきた家中の者達が並んでいた。


 年末からキヌ達が仕込んでいた膳には餅や勝栗干し鱒、塩をふった大根、そして山の根菜の煮付け。山国らしい、心づくしの正月料理が配膳されている。


 私や父定忠、祖父定信も、新しい直垂に袖を通し、真新しい脇差を腰に差して上段の間にある上々段に坐している。

 背には陣幕が張られ、清和源氏に連なる家門であることを示す幕紋『六つ並び釘抜紋』がその矜持「九城(くき)を抜く」の武威を大きく(たなび)かせている。


 家老の渡辺与右衛門が父定忠へ屠蘇盃を差し出した。父は小さく頷き、盃の屠蘇を受け取って飲み干した。

 父が盃を空けると小姓がそれを下げ、屠蘇を注ぎ足して左手に座り直した文官筆頭渡辺与右衛門に盃を回す。


 宮中作法を起源とする武家の酒食饗応儀礼、主従の固めの杯として、一つの盃を三度巡らせて廻し飲む「式三献」の始まりであり、そして田峰菅沼家の一年の始まりである。


 皆思い思いの場所に座っているようで、席次は細々決められているのは、真新しい着物に身を包み緊張の面持ちで客の着座を促していた小姓たちが手に持つ書付で伺える。


 左上手から昨年も政務を恙無くこなした渡辺与右衛門、そして長年祖父定信と菅沼家の礎を槍で築いてきた武官筆頭の本多作左衛門へと順に盃が渡る。その後に一門衆へ盃が回される。


 まず私の叔父である武節城主、現在の武節(古)城の隣に新たに武節城を築城し、西の鈴木氏、北の遠山家と構える菅沼貞行に盃が渡された。


 次に盃が注がれたのは一門譜代で最年長の菅沼定行、菅沼城主であり祖父菅沼定信の弟だ。菅沼城の南を接する奥平家は私の兄新九郎の母、南の方の実家で縁故関係にあるので当面余程のことは無いと思うが、菅沼家発祥の地であり、この田峰城の喉元にあたる要衝である。


 次に盃を手に取ったのは長篠城主菅沼元成。田峰の東面で井伊家など遠江の国人衆と対峙している。


 その後新九郎兄が盃を開け、譜代の臣達が盃を廻し始めた。


(これが菅沼の序列か…。)


 貞行をはじめ、幾人かが明らかに席次に納得していない様子だ。


 普段は国境の砦に出払っている一門衆や譜代の面々にも席順に従って盃が巡り渡ると、父定忠から昨年の慰労と今年の菅沼家の施政方針が言い渡された。


 人事では、まだ爺と呼ぶには若い様に思うが本多作左衛門が一線を退きながら私の傅役(もりやく)に任じられた。

 さらに国策として、足助(愛知県豊田市)に武節城を築く事が発表された。これは今後外交軍事両面で菅沼家が北西部の国境を押し上げていく意思を内外に示したものだった。

 父定忠の言葉が終わった丁度その時、城下のどこかで爆竹が爆ぜる音がした。

 その音が切っ掛けで緊張が解け、話声と笑いが広間にひろがった。


 屠蘇が下がり、次の酒が回った。広間の障子の隙間からは、白い光が差している。年始の空は澄み、山の雪がきらめいていた。


 キヌ達女房衆が酒を注ぎ、四郎や三郎ら小姓たちが炭を運ぶ。酒が進むにつれ無礼講となり三味線の音が交じってくると宴席のそこかしこで会話に花が咲いていた。


 与右衛門の右隣には、一門筆頭の貞行が座している。その刀傷のある顔には笑みもなく、ただ盃の中をじっと見つめていた。


 貞行はかつて作左衛門と共に田峰菅沼の礎を築いた最古参であり、今も西の紛争最前線の武節城に詰めている田峰菅沼最大の武力である。


 一方の与右衛門は、父定忠の引きで近年台頭した才覚者。政に長け領内を整えた功で定忠の信を得ていた。


 ――それが、面白くない。


「戦もせぬのに偉そうに」

「筆ばかりで槍を知らぬ」

 近頃、特に貞行の周囲の者たちは、そう囁いているそうだ。


 「渡辺殿、年貢の方はよろしいか」

 貞行が口を開いた。

 「去年は天候も良く、作柄もよかったと聞く」


 「はい。されど蓄えに回す余裕はございませぬ」与右衛門が答えると


 「うむぅ…どこも厳しいのう…」

貞行が呟く。


 「まことに…悩ましい事でございます。」

 互いの視線は交わらぬまま、言葉を交わす。


 宴席の隅で勝栗、昆布と共に供された打ち(あわび)の形状で女房衆をからかう定番の掛け合いが聞こえてくる。

 そんな会話も含めて皆の話に聴き耳を立てるのにも飽きた頃、私は広間を抜け縁側に出ると、欄干の雪を手で払った。


――ザッ、ザッ。砂利を踏む足音が聞こえる。


 粉雪が舞い出した庭に視線をやると、彦兵衛、与五郎、孫右衛門らが膝をついていた。作左衛門の傅役就任で正式に彼らは私付きとなるようだ。


 私を見上げる内匠の何やら誇らしげな目を見ると…


 私の近習が武に偏り過ぎな様に思えるのは…気のせいだろうか。


 縁側に家老渡辺与右衛門を見かけたので声を掛けようとすると、背後から足音がする。貞行の嫡男(菅沼)家定である。

 「渡辺殿、殿の覚えめでたきこと、まこと羨ましゅうございます。」


 「……家定様はじめ足助の皆様の働きあってこそでございます。」

 与右衛門が目礼で返すと、家定は鼻で笑う。

 「筆先ばかりで城を守れるものか」

 そう言い捨てて、踵を返して去ろうとしたその時ー


――ドゴッ!


 本多作左衛門の拳が家定の顎を捉え、家定は盛大に縁側から転がり落ちた。


 作左衛門は拳を拭いながら家定を一瞥して言い放った。

 「口を慎め…若造。」


そして私の方へ向き直る。

 「ご挨拶が遅れ申した。竹千代様の傅役を仰せ付かりました本多作左衛門でございます。以後お見知り置きを。」


…偏り過ぎどころか、武しかおらぬではないか…。

〜参考記事〜

地方別武将家一覧「菅沼家」/田中 豊茂(家紋World)

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suganuma.htm


〜参考文献〜

戦国期島津氏における酒食饗応儀礼「式三献」と「かわらけ」/楠瀬慶太(九州大学)

https://share.google/TQjcyoipqPiLAQkYh


〜舞台設定〜

9話では、お正月の描写で〝華麗なる一族″菅沼家を紹介しました。親戚筋の一門衆には惣領家の徴税権が及んでおらず戦国毛利家の様な国人連合、古い組織体制であることを一門衆の会話で匂わせました。また、登場人物紹介文だけでは退屈かなと思い、後半に転生物語でよく見かける雰囲気の脳筋シーンを挿入しました。

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