031 ~延徳3年(1491年)12月 飯盛山~
~延徳3年(1491年)12月 飯盛山~
雪はなお細やかに舞っていたが、風だけは確かに緋い旗を選び、戦場へと押し出していた、夕暮れの空に太鼓の音が高らかに響いていた。
六つ釘抜紋が白く抜かれた緋い軍旗が、夕映えを受けて山肌に焔のように揺れていた。
孫右衛門と内匠に率いられた赤備えは、太鼓二短一長、法螺ひとつ長く、合図はそれだけ。
槍の穂先は揃って低く、駆ける速さは一定、隙のない壁のように谷の浅い側から斜めに迫り降り、退き口を探してほどけはじめた松平勢の腹へ次々と刺さってゆく。
紅い列は波ではない、歯車だ。速すぎず、槍先が同じ高さで、同じ角度で、同じ節で進む。
遠い異国の人々がファランクスと名を付けた、あの古の陣法そのものだった。
――――ファランクス
紀元前7世紀、古代ギリシャでは商工業の発展で、武器が安価となり、都市国家の市民の間で急速に普及した。
武器の普及は、限られた武器を持つ騎士が乱戦で戦う個人戦闘から、量産された武器を備えた歩兵による組織的な集団戦闘への戦術上の変化、いわゆる重装歩兵革命を起こした。
この革命は戦術の変化だけに留まらず、アテナイ(アテネ)などの都市国家群の政治体制をも変化させてゆく。
歩兵が組織的な戦術をとるためには、平民の団結心と日頃からの集団訓練が必要となる。
その事が、戦士共同体としての都市国家市民社会を醸成し、国防の主体として自ら任じた貴族の政権独占の口実を失わせた。
騎士が一騎打ちで戦う貴族専制政治に代わり、平民が国防の主役となる民主市民政治の時代の変化要因となった。
そんな集団戦術の中核となるのが長槍を持つ歩兵を密集させる陣法「ファランクス」である。
長槍を攻撃武器とし、密集隊をなして整然と行動し、集団の圧力によって敵を打ち破るファランクスは騎兵と弓による昔ながらの機動戦法に対しては非常に効果的な戦術だ。
ファランクスが人類史上最初の世界帝国ペルシア帝国を撃ち破ったペルシア戦争(紀元前479年)は歴史家ヘロドトスによってオリエント的貴族専制政治に対する都市国家平民民主政治の勝利と記される事となる。
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「押し通れっ!」
先頭を駆ける馬上から孫右衛門の声が響く。
紅い菅沼軍がこれまでの沈黙を破って鬨の声をあげながら敵へ全力でぶつかっていく。
倒れた者があっても列は止まらない。後続が空白に滑り込み、前列の足並みにぴたりと合わせる。
まず丘の麓の松平勢が崩れた。先ほどまで「押せ」「押せ」と煽った声が、いまは乱れ、各隊の合図が食い違う。
松平勢の将たちは「列を保て」と怒鳴るが、兵たちは一歩、二歩と無意識に後ろへと地を探る。
「今だ!」
馬上で督戦していた内匠の軍扇が大きく振られた。赤備えの菅沼軍の右列が半身だけ沈み、槍先が楯の縁の下から一斉に突き上がった。
松平勢の金具がはぜ、革紐が切れ、楯は握る者の手からすべり落ち、抗う者は胸を、逃げる者は背を、その突き上がった長槍に突き立てられていった。
赫い菅沼軍は「足を止めるな」の号令通り、止まらず前へ。退き口を目指す松平勢の兵の黒い帯は、帯の真ん中で結び目を切られ、たちまち左右に分かれて流れを失った。
「列を保て。首は捨てよ、足を止めるな!。」
孫右衛門の声はそこで切れ、次の段へ移った。
赤備えの菅沼軍は、とにかく進む。倒れた敵の喉元が見えようと、首級に刃物を入れない。
足が止まれば列が死ぬ。列が死ねば、戦が死ぬ。恩賞は勝ちの後ろに付いてくるものだ、先に取りに行くものではない。
右の小尾根では、退き際の松平勢が薄い林の影へ逃げようと赤備の菅沼軍に背を向けた。
そこで長槍を突き出した猩の軍団が列のままで次から次へとと突く。背を取られた多くの松平兵が、声もなく次々と雪へ沈んでゆく。
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作左衛門の合図に呼応して、街道の反対側——菅沼本陣側の内柵が開いた。そこから、黒漆の甲と色とりどりの旗差物をなびかせた菅沼の兵がばらばらと溢れ出す。
こちらは古の戦——首を獲れば名が立つ、名が立てば知行が増える、銭が貰える。
皆、眼の色が違う。最前列の老練の侍は「止まるな」と怒鳴り続けるが、若い者は目の端に転がる首と刀傷をもう数えはじめている。
「名、申せやァ!」
菅沼勢の若い侍が吠えて飛び込み、馬上で受けた松平の将の隙に槍を滑らせる。喉元から熱が噴き、将はがくりと馬から崩れ落ちる。
若い侍は素早く髷を掴み、腰から太刀を抜く。ためらいもなく刃を入れ、一息で首を切り離すと、腰の紐に通してぶら下げる。
重みが勝ちの手応えだ。ぶら下げたまま次の男に躍りかかり、また刃を走らせる。
旧来の戦法は、土臭く、泥臭い。だがこの瞬間の勢いは、群狼のそれに似ている。
上からの矢がぱらぱらと降り、菅沼勢の足軽が楯を斜めに立てる。足軽は笑っていた。ここまで押され続けた鬱憤を、今こそ晴らせるとでも言いたげに。
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その頃、飯森城の空は黒煙を吸い込み、重く垂れていた。貞行・家行の武節衆は、午前中からの攻め手を一気に強め、城の木戸に火が回りきるのを待ち構えていた。
松平の援軍が菅沼本陣へ逸れたと知るや、攻城の太鼓は激しくなり、杭を打ち、はしごをかけ、楯を前へ前へと押した。鈴木重勝はよく守った。だが、糧は尽き、井戸は凍り、兵の頬はこけている。
火は木戸の鉄を歪ませ、蝶番は悲鳴を上げ、楔が飛んだ。
「今だ、開け!」
貞行の怒号と同時に、楯の前から斧が振り下ろされ、槌が打ち込まれ、木戸の板が内へ倒れた。
押し波が城内へ雪崩れ込む。城の曲輪に積まれていた樽が転がり、縄が切れて矢が散る。矢はもうまばらだ。
城兵の一人が槍を横にして突きかかり、武節の兵が楯で受けて押し返す。
「鈴木はどこだ!」
誰かが叫ぶ。答えはない。混乱の中、貞行は高張りの下で馬を下り、足で土を感じながら進む。足が土を離れた瞬間、人は地を忘れるからだ。
貞行の付きの兵が曲尺手の戸口に楯を立て、二人がかりで突き棒を押す。棒の先の鉄が、戸の内側で乾いた音を立てた。
「押せ!」
武節衆の声が、城内で響を返す。門の裏木が外れ、蝶番が千切れ、門が内へ仰け反った。
雪と煙の風が城へ吹き込み、火の粉が舞う。門口から黒い影が飛び出し、太刀が交錯し、二つ、三つと影が転がった。
城の天辺近く、鈴木の旗が大きく揺れ、ふっと沈む。貞行はそれを見上げ、短く息を吐いた。
彼の眼は笑いもしない。戦とは、こうして終わるものだと知っている眼だ。旗が降りると同時に、城内の怒号は次第に「投降」と「助命」の悲鳴と変わっていく。
「曲輪、押さえよ。蔵、押さえよ。火を消せ。」
命が飛ぶ。水が飛ぶ。雪が桶に放り込まれ、火に投げられる。煙の向こうで、武節の兵が古い旗を引きずり下ろし、代わりに菅沼の旗を立てた。白く抜かれた菅沼の六つ釘抜紋が、煙の灰を吸ってなおくっきりと見えた。
城外では、赧い兵と黒い兵がまだ動いている。だが動きは、もう掃き残しを拾う動きだ。赤備えは列を保ったまま、のこぎりで木を引くように谷を掃く。
菅沼の黒は、首を拾いながら輪を狭める。どちらの動きにも、昼までの苛立ちはもうない。
あるのは、仕上げの慎重さと、勝ちのあとの静けさの予感だ。
〜参考記事〜
徳川家康の祖父である英傑「松平清康」の悲劇と受難が続く松平氏/歴史人
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戦国その21 三河国(西条・東条)吉良家の家臣団
https://share.google/Yiv9mDI8mLkxNY2iD
戦国時代 尾張守護:斯波義達の家臣団と軍団、上・下四郡守護代、守護又代:織田家の系譜
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/鳥見勝成(なろう「織田信忠ー奇妙丸道中記ー」作者様)
※三河の土豪国人について物凄い情報量です。
※note記事2つ購入させて頂きました。
あいちを巡る生活って/成瀬晃
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「十八松平」長沢松平家/レコの館
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〜舞台背景〜
「十八松平」と呼ばれるのは「松」という字を解体すると「十八公」になるためで、徳川家康のご先祖、松平信光(家康の6代前)から派生した松平家の庶子家は18家どころか、体感50以上。沢山の家が増えたり消えたり。文献によって名前や時期、当主名が違うので、…こりゃあれだな…正解が無いパターンw




