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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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30/35

030 ~延徳3年(1491年)12月 飯盛山~

挿絵(By みてみん)

    ~延徳3年(1491年)12月 飯盛山~



【菅沼家 足軽 権七の視点】


 足の指がもう自分のものじゃないみたいに冷たい。草鞋の縄は朝から凍ったままで、ひもを噛んでほどこうとしたら唇が切れた。


 卯の刻、法螺貝が鳴って、俺は土塁の影から顔を上げた。雪に黒い波が二つ、三つ。松平勢の旗は銀杏の葉に似て、寒そうに揺れている。


 松平勢弓の一斉射。空気を裂く音が耳の中で跳ね返って、心臓の裏側を指でつつかれたみたいにビクついた。


 作左衛門さまの声が飛ぶ。「今ぞ!」脚が勝手に動いた。槍を突き出す。手応えは柔らかく、次いで硬い。人ってこういう手応えなのかと、頭のどこかが冷めた。


 刺したら引け、と教わった通り引いた。前に出すぎるな、段差で息が切れる、とも。

 本当に切れた。胸が熱くて、吐く息が白いのか見えない。上から矢が降ってきて、楯に刺さる音と人に刺さる音は違うって、昼に弓兵の弥市が言っていた。

 なるほど。肉に刺さる音は、聞きたくない音だ。


 外の柵が割れたと聞いたのは、何度目かの矢束を運んだ帰り道だった。荷駄の男が肩で息をしながら俺の背から矢束をもぎ取って前へ消えた。

 俺は唇を噛んだ。血の味は意外と温かい。作左衛門さまの声はあまり揺れない。「刺しては引け。右は持て。左は出るな」。俺の足は揺れた。恐いから、走る。


 内の柵へ下がれ、太鼓が三度鳴った。俺たちは段々に組んだ丸太の陰へ散っていく。高張り台の上で弥市が手を乾かしている。指がかじかんで、弦が上手く掛からないのか、彼は歯で糸を引いた。

 俺は矢束を差し出す。彼は頷いて、すぐに俺を忘れた顔で的を探す。人は偉い。すぐに忘れられる。


 一進一退。短槍で迎え、押されれば柵の陰に潜る。上から矢。怯めばまた駆け下りる。雪は泥へ、泥は血へ。俺の草鞋はもう泥と血で同じ色だ。


 ふと、土塁の影に座り込んで震えている若いのがいた。俺より若い。目が俺を見た。俺はうなずいて、彼の肩を叩いた。言葉は出てこない。言えば崩れる。叩けば立つ。立てば生きる。


「矢、あとどれほどだ」


 どこからか源八さまの声。弥助さまが答える。「高張り台、残り三把!」俺はまた走る。

 荷駄へ、雪を蹴って。背中が軽くなるたびに、どこかが温かくなる。戻ると、右の谷筋で叫び声。松平が外を破ってきた。楯を捨て、槍を前に。短槍が迎え、押し合って、木が裂けた。嫌な音だった。木なのに、人の骨みたいな音がした。


「我らには仏の加護がある!城が落ちるまで耐えよ!」


 誰の声か分からない。自分の声かもしれない。内の柵はまだ持つ。俺は弓兵の弥市に矢束を投げ、柵の継ぎ目から槍を出す。腕は痺れているけど、痺れていることを忘れる。忘れられる。


 そのとき、新しい沢山の太鼓が聴こえてきた。山の北の方から、新しい低い()が、段々と近づいてくる。法螺貝の響きが北風の背中を滑って、谷が震えた。

 俺は顔を上げた。目に入る山や道や夕空何もかもが赤かった。白い旗の紋は六つ釘抜紋、お城で見た殿様の御紋だ。赤が来た。

 周りから大歓声があがった。沢山の数のお味方が来た。もしかしたら松平の奴らより多いかもしれない。

 朱槍の穂が星みたいに光る。俺は口が開いているのに気づいて、慌てて閉じた。


(あか)だ……」


 誰かが言った。俺も言った。みんなが言った気がする。

 作左衛門さまの声が飛ぶ。「高張り台、矢は全て放て、合図ひとつ!」使番が走り、太鼓の打ち方が変わった。俺は手の中の槍を握り直した。縄が命に見えた。


 今日、俺は何度も下がった。刺して引いた。引いては刺した。でも今、赤が来て風の向きが変わった気がする。


 怯み出した松平の奴らに弥市がどんどん矢を放ち出した。火矢の火花が雪に弾ける準備をしている。


 俺は笑っていることに気づいた。歯が鳴っているのは寒さのせいじゃない。身体が勝手に前へ出た。


 槍を握る手が軽かった。



ーーーーー



【岩津松平家 侍大将 天野清助の視点】



 卯の刻、雪は薄く凍り、獣道は獣の骨のように硬かった。

 今年の飢饉は我が松平にも襲いかかり兵の腹は鳴り、昨夜の炊き出しは粥というより湯だった。

 数か月続く鈴木と菅沼の戦で、双方相当に疲弊していると聞いた。


だからこそ好機――

 弱った二匹を同じ罠穴で仕留め、両方から食い物も銭も女も根こそぎ頂く。此度(このたび)の戦はそんな算段らしい。


「弓、一斉射、放て。」


 黒い線が白気を裂く。前段が上がる間、私は昨夜の光景を反芻する。


 足助の山裾の村に入った物見達が空腹に耐えかね、空屋の戸を蹴破り、梁から吊るしてあった干し菜を(むし)り、炉端の灰を掘って芋を拾った。

 老いも子も押し出して糧を出させ、隠し蔵を暴き、抵抗する男の肩を槍で押し伏せ、逃げる女の腕から包みをもぎ取る。

 喰う者が勝つ。足りぬ。足りぬのだ。


 飯森城は後回しだそうだが、当り前だ。飢えた城は噛まずとも崩れる。まずは森の丘の上に載る菅沼の後詰めをさっさと叩き、大将首を挙げて士気を固める。


 そして根羽や津具の町で、近ごろ潤っているという蔵を開けさせ、銭や食い物、そして女子供も荷に括って引く。そうすれば、この冬は越えられる。


ところが、だ。


 茂みの陰が裂け、「今ぞ!」と菅沼勢の声が跳ねる。見えない槍先が土塁の影からいっせいに伸び、先頭の列が膝から落ちた。私は舌打ちを飲み込み、腕を低く振る。


「引くな、楯を高くして押し上げろ。」


数は力だ。押し重ねれば、どんな柵も傾く。


 確かに奴らは素早い。刺しては引き、追わせて段差で息を奪い、左右の柵頭から矢の雨を垂らす。楯に当たる乾いた打音、肉に沈む湿った音も聞こえる。


 しかし、いちいち止まってられぬ。次々と後続を押し当てる。そのうち外の横柵が一本、二本と裂けた。右の谷筋、口が開く。


 よし、この調子だ。私の胸に熱が戻る。「右は重ねて進め。左は持て。」弓はなおも降り、こちらの死人は雪を汚し、泥は黒く光る。押し重ねるほどに損耗は嵩む。


 苛立ちが、舌の裏で歯ぎしりによる血の味になる。菅沼は思ったより骨がある。だが骨のある獲物の方が、美味いのは世の常だ。


 ようやく外の柵を倒し、内側の丸太と土塁が目に入った。三重の輪。高張り台から矢が絶えず、土塁の陰に短槍と太刀が潜む。

 こちらの列はすでに擦り切れて、前段の半数が血と泥に埋もれた。


 連れてきた兵を随分失った。これだけ死なせたのだ。割を合わせるには、それ相応の取り分が要る。樽ごと、蔵ごと、女子供もまとめて攫わねば釣りが合わぬ。――そんな算段が、矢の唸りの隙に頭をよぎる。


 苛立ちは怒りに変わる。腕が熱い。「右軍、押し詰めよ! 内柵に張り付け!」鼻先まで敵の息がかかる距離。楯越しに罵声が交わり、短槍が隙間を狙って刺さる。


 私は歯を剥き、勝ちの匂いを嗅ごうとした。嗅げるはずだ。嗅がねばこの(いくさ)に意味がない。



 突如、北側の谷が鳴った。街道の北向こうから、太鼓の音が響く。低い波が腹を打ち、法螺が山の木々を震わせる。


 兵達の横顔が一斉にそちらを向く。私も、ほんの一瞬、視線を引かれた。そして暫く視線が外れなかった。外れそうなのは(あご)だ。


 朱色の菅沼の大軍が、雪の白を焼いて北の街道から流れ溢れてきた。


 緋色の布地を白く抜かれた六つ釘抜紋の旗が風に躍り、軍勢の終わりが見えない。街道沿いの山を埋め尽くす揃いの赤漆の鎧、数百の朱槍、私は背筋ががすうっと冷えた。


「根羽筋より新手! 菅沼の援軍、数……」


「見えておる。」


 声が乾く。私は腕を半ば下げ、半ば上げ、狼狽を殺す手つきで命じる。


「右、攻め止め。列を詰めるな。」


口では「退くな」と言うが頭は別の算盤を弾き始めていた。

 略奪はいったん諦めよう。欲を飲み込むのも生きる術だ。今までもそうして生き延びてきた。

 あの赤い大軍が此方(こちら)に向かって来たら略奪どころか、骨まで雪土に埋められる。


 私は目を細め、自陣の位置を見やる。背後の尾根筋は狭いが、退き口は二つ。一つは急で足を取るが、もう一つは林の影になって視線が通らぬ。


(よし。林の影へ兵を寄せよう。)


 私は低い声で指示を出す。「良い楯と槍を持つ者を中央に残し、疲れた者は後ろの林へ。列を薄く——いや、薄く見せぬように薄く。」


 丘の上の菅沼勢も、援兵を見て勢い()き内柵からの矢が一段と厚くなる。前に貼り付いた兵の肩が上下し、楯の縁から指が震え出した。


 (菅沼は弱っているはずだった。楽に勝てるはずだった。食い物の香りが鼻先にあったはずだった。)


 私は背中に視線の熱を感じる。将が背を向ければ、軍は走る。だから私は前を向いたまま、退くための段取りだけを積む。狡いか? 狡いとも。


「丘は捨てよ。声を上げるな、静かに下げろ。」


(女子供を攫う算段は捨てろ。兵の命、私の命。生きていれば、また次の機会に奪えばよい。)


「どちらへ」


使番が問う。儂は短く答えた。「一旦、麓まで下り、菅沼の援兵に備える。」


儂は退くのではない。「赤い菅沼勢に備える」のだ。

 使番は儂の言い訳の匂いに顔をしかめ、しかし足を動かした。


 雪を蹴るたび、泥が跳ね、草鞋が沈む。兵たちが私の背中を見る。背中が崩れぬように、肩甲骨に力を込める。


 「退く! 列を保て、崩れるな! 後ろの道は生きている、慌てるな!」


 兵の眼が一瞬こちらを向き、また戦場へ戻る。いま必要なのは、勝ちではない。全滅を避けることだ。

 私は唇の内側を噛み、鉄の味をもう一度確かめた。次の機会まで、生き延びろ。

 略奪の算段は、命を持ち帰ってから幾らでもやり直せる。

〜参考記事〜

松平家を急拡大させた「松平信光」と18松平家の三河侵攻作戦/歴史人

https://share.google/cr9YktXALpvsoPyRb


松平家/刀剣ワールド

https://share.google/PatnXRZXun9UjOG1c

※複雑怪奇な家譜が分かり易く整理されてます。


【家康の謎・番外編】十八松平と十四松平、あるいは徳川家康のルーツとは/攻城団

https://share.google/VUTkrl3N379eL1eUb

※視覚的に勢力図&地図が分かり易いです。


〜舞台背景〜

 合戦を菅沼兵の目線と松平の敵将の目線で書いてみました。

 やはり三人称視点は感情移入しにくて難しかったです。

 また、鈴木領を占領すれば、菅沼家は松平家と国境が接する様になります。

 ただ、松平家はすごい複雑で…。

 松平家11代松平信光(家康の6代前)が精力絶倫過ぎて子供48人作り松平7家分立。世代を重ね(ねずみ)算式に増え、18松平と呼ばれる様に。勢力図がいまいち解読できてません。

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