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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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003 〜延徳2年(1490年)9月 本丸御殿〜

挿絵(By みてみん)


〜登場人物〜

山中忠兵衛⋯勘定方筆頭与力

高力源八⋯勘定方与力

植田弥助⋯勘定方与力

三輪小十郎⋯勘定方与力

矢作久兵衛⋯勘定方与力

幸田兵庫⋯勘定方与力

藤兵衛⋯島田村名主

    〜延徳2年(1490年)9月 本丸御殿〜



 田峰城の本丸御殿の部屋を仕切る障子がすべて開け放たれ、御殿の外の棧敷に、ずらりと呼び出しの順番を並ぶ書付けを抱えた村々の名主達


 恩原村、河路村、黒沢村、田口村、月村⋯どの村の名主達も自ら鍬を振るうのであろう日に焼けた顔は黒く、拳は割れ、爪の間には泥がこびりついていた。


 本丸御殿上段の間の最奥の上々段に黙々と紙束を捌く父定忠や渡辺の姿が見える。


 障子を取り払った御殿内では勘定方の高力源八、植田弥助、三輪小十郎、矢作久兵衛、幸田兵庫⋯事務方総出で汗だくになりながら算木を弾き、帳面を繰り、免除や減税の証文を突き合わせている。


 高力、植田らが、村々の名主は汗をぬぐい御殿の床の間に膝をすりつけている間に次々と年貢の明細を読み上げる。


 「黒沢村は炭千俵にススキ五千束」


 「田口村は檜千本とヤマノイモ十樽。」


 「柿野村は串柿千串、漆百杯、蝋十杯」


 それぞれの村の暮らしが、数字の形で並んでいく。時折、合器や椀が「これは立派だ」と褒められもするが、それら帳簿の「一」として消えていく。


「年貢を免除とお約束頂いて、春に木を納めております」


「そこに記した様に橋を架けるのに十名出しております」

次々と申し立てられる名主達の年貢減免要求に


「夏、お主たちの水路を直してやったであろうが!増やしても良いのだぞ!」


 修繕の労役を捲し立て反論しているのは勘定方筆頭与力の山中忠兵衛。


 そんな様子を、私は棧敷の外に積み上げられた年貢の品の影からマツの腕に抱かれて覗いていた。


 墨の臭いと木や油の臭いが混じった香りが(こう)ばしい。


 米俵が転がされ、樽には漆や蝋が満たされている。

 屋根材などに使われる束ねたススキが壁に立てかけられ、薪や炭は縄でくくられて黒々と艶めいている。

 串柿は(だいだい)に輝き、高級甘味のヤマノイモは泥のままずっしりと俵に詰められていた。


 木材は既に(いかだ)で下流に搬出されているのであろう見当たらないが、流石(さすが)は吉野(奈良県)と並び全国屈指の木材産地の奥三河だと圧巻の迫力なのが整然と積み上がっている大量の木地類である。


 蓋付き容器の合器、轆轤(ろくろ)成形した椀などの挽物(ひきもの)、薄い板を曲げて樹皮で綴じ底板を嵌めた曲物(まげもの)、桶や樽など結物(ゆいもの)、照明器具である灯蓋、(きぬ)(うす)、鋤等の農機具など木製品の山が発する削りたての香りと漆器の(うるし)の香りに(むせ)返る。


 傾斜が急な奥三河は多様な気候と環境が共存しており、標高の低い渓流沿いには、薪や炭などの燃材、木地類などの加工品に適したブナやケヤキ等の広大な広葉樹の林が覆っている。

 そして標高の高い山間部などでは豊かな広葉樹林を遥かに凌駕する広さで、建材に適した杉や檜等の針葉樹林が繁茂(はんも)している。


 伊勢神宮の第三十五回式年遷宮(1340年)の内宮用建材として、ここ設楽郡から大量の檜が奉納された実績は伊達ではない。


 そのため稲作に適した平野の少さを補って余りある豊富な森林資源のある奥三河の主な年貢は木材及びその加工品である。


 水田が少ないからこそ山国は飢饉に強いと聞くが、寒冷期にあってこうして二公一民での年貢交渉の喧噪を覗けるのは恵まれているのだろう。


 総石高3万石、設楽郡267箇村で領民2万を抱えている田峰菅沼家、2万俵(貫)の収穫を見込みたいところだ。


 このような規模の菅沼家は、いざ有事の際には500名程の雑兵を徴集出来る。


 少し心許ないように思うのだが、奥三河は似たような国人が割拠している事で絶妙なパワーバランスが保たれており、今年は戦も無さそうなので、まずまずの年越になりそうだ。


 奥三河は北側から三河山地とも美濃三河高原とも呼ばれる茶臼山1,416mを筆頭に1,000mを越す山々が幾重にも連なっている。


 険峻な山巒が美濃、信州、遠州との緩衝地帯を形成し菅沼家の天然の盾となっている。

 改めてこの地の豊かさの源泉である山々に感謝の念を覚え見上げてみた。


 すると視線を動かした際に、ふと視界の端に入ってきたのは、御殿の隅で明らかに苛立っている名主たちと、勘定方与力の幸田兵庫であった。


 他の与力たちが、算木を弾きながら次々に書付を裁き、筆を走らせ硯の音が絶えない中、兵庫だけは違った。

 筆を持つ手が緩やかで、まるで仏師が木を刻むように、ひと筆ひと筆を彫り込んでいる。そして一字ごとに墨を含ませては、額に眉をひそめる。


「島田村、合器五百杯、挽物五百杯、曲物……」


 読み上げる声は低く通り、帳簿の墨がまだ乾かぬうちに名主・藤兵衛が膝をつく。


「はい、間違いございませぬ。」


 小十郎、久兵衛ら他の与力たちは筆を立て、印を押し、紙を飛ばすように次々と別の村に移っている中で兵庫だけが筆先を止め、墨壺を覗き込み、わずかに眉をひそめた。


「……妙だな。少ない。少なすぎる。」


 その一言で、場の空気がぴたりと止まる。


 硯の音も、算木の音も消えた。藤兵衛が息を呑み慌てて頭を下げた。


「滅相もございませぬ。何度も確認しております。」

その顔は紅潮し、額には汗が滲んでいる。

 

 兵庫は意に介さずに、筆洗の水をわざわざ「優雅に」ひとなでして筆を洗う。その仕草には、兵庫特有の「自分の世界に浸る時間」が色濃く滲んでいた。


「いや、さよういう事にはあらぬ。なんと申すべきか……」


 言葉の切れ目に、皆は何か同じ思いを浮かべているようだ。

(…ああ、また始まる。)


 兵庫は静かに顔を上げ、わずかに顎を引いた。

「『斜に構えて量る』という言葉を、知っておるか?」


 兵庫は筆をとりあげ、空をなぞるようにして言葉を区切った。

「韓非子の一節にある。曰く……」


 兵庫の長い講釈の間、皆互いに目を合わせることもせず、与力衆は忙しなく筆を紙面に走らせ、藤兵衛達はただ床を見つめる。


 “己の都合で傾き量れば、己もまた傾いて量られる”


 そして、得意の間を置いて、低く結んだ。

「すなわち…ごまかせば、いずれその傾きは己に返る、ということだ。」


 非常に長い古典の講釈を要約すると『嘘をつくな』という説教のようだ。


 横で筆を走らせる小十郎から「左様で」と言う全く気のない呟きが聴こえてくる。しかし、その声音には“まぁ兵庫がそう言うならそうだろう”という諦観があった。確かに兵庫は面倒な男だが、帳面を洗い直せば数斗の違いが出るのは事実であり、兵庫にはその「違い」を埋める感性があった。


 だが、暑気の残る昼下がり、皆が汗を拭いながら筆を走らせているときに、故事の講釈はないだろう。


 ――空気を読め、兵庫。


 それは声にならぬ声として、座敷の隅々にまで漂っていた。

〜参考記事〜


■東海>参河国>3.郷村表>3.8設楽郡

ムラの戸籍簿データベース/「ムラの戸籍簿」研究会

https://www.drfh.jp/mura/


とよはしアーカイブ/豊橋市

第三章 もののふたちの世界

一武士の登場と支配三河の守護と応仁の乱

https://adeac.jp/toyohashi-city/


愛知学泉大学紀要 森林資源の活用と山村の暮らし/筒井正

https://share.google/bKk0Nh9O64CfIwv3Y


〜参考書籍〜

戦国日本の生態系/高木久史 講談社


国立公文書館デジタルアーカイブ

重要文化財「天保国絵図」

https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000274


「集落の歴史地理」歴史地理学紀要第9巻/歴史地理学会

http://hist-geo.jp/img/archive/bulletin09.html


「集落の歴史地理」歴史地理学紀要第10巻/歴史地理学会

http://hist-geo.jp/img/archive/bulletin10.html


「村落の歴史地理」歴史地理学紀要第20巻/歴史地理学会

http://hist-geo.jp/img/archive/bulletin20.html


〜舞台設定〜


 第3話の前半では年貢を納める場面を書いて、山国である田峰領の暮らしを表現してみました。

 また舞台背景の説明文だけでは面白くないかなと思い、話の最後で仕事は出来るけど空気が読めない、なごみ系ピエロキャラを登場させてみました&この会話が今後の椎茸栽培の伏線になってます。仕事は出来る描写を直接的な表現は避けて会話内容の描写で表現したつもりです。

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