027 ~延徳3年(1491年)11月 田峰城~
〜三河国(1491年)政治情勢〜
[西三河]
西条吉良氏(権威はあるが弱体)
東条吉良氏(権威はあるが弱体)
├ 本多氏が協力
└ 形原松平家(蒲郡市)が従属
└ 深溝松平家(幸田町)が従属
└ 五井松平家(蒲郡市)が従属
[中央三河]
松平八家が内輪で抗争中
├ 岩津家(豊田市)が最大勢力
└ 安祥家(安城市)は勢力拡大期
└ 大草家(岡崎市)松平光重
└ 能見家(岡崎市)松平光親
└ 竹谷家(蒲郡市)松平守家
└ 丸根家(岡崎市)松平家勝
└ 長沢家(豊川市)松平親則
[東三河]
西郷氏(吉田)交易要衝東海道宿
牧野氏(牛久保)東海道宿小坂井
戸田氏(渥美)三河湾湾岸制海権
菅沼氏(田峯・足助など複数の家)
奥平氏(新城)鳳来寺山間部豪族
鈴木氏(挙母)足助陥落で弱体化
[外部勢力]
細川氏(守護)…ほぼ無関係
今川氏(駿河)…静観しつつ圧力増加
織田氏(尾張)…積極的に圧力増加
遠山氏・小笠原氏(信濃)…ほぼ無関係
~延徳3年(1491年)11月 田峰城~
実りの乏しかった秋が、ようやく名残を惜しむように終わった。とはいえ、その先に待つのは容赦のない冬である。
昨年から持ち越していた蓄えを、このたびついに吐き出し終え、城中の蔵は底を見せはじめていた。そんな田峰城の本丸御殿では、火鉢の炭がぱちぱちと鳴る音を背に、きな臭い話が行き交っている。すなわち軍評定である。
最上段には父・定忠と祖父・定信が並び座し、左手には叔父・貞行の名代として家行、叔父・元成そして新九郎ら一門衆がずらりと並んでいる。
右手には傅役の作左衛門、勘定方の与右衛門らが控えている。皆、裃の裾を正し、言葉の一つひとつに重みをのせているのだが、漂うのは米俵の臭いではなく、血と鉄と飢えの匂いだ。
刈り入れが終わった途端、足助の宿へ向けた足助鈴木氏の反攻が本格化した。これに対し、足助の武節城に詰める叔父・貞行から父へ、後詰めの要請が届いたというわけだ。
そして私はといえば、父・定忠と祖父・定信に挟まれて最上段中央に据えられ、まるで置物になっていた。
なぜ誰も私に話を振らないのに、そこに座っているのかと言うと、今回の戦で私が総大将として初陣を飾ることになっているからだ。
相手は、飯田街道最大の宿場である足助を失い、日増しに弱り続ける鈴木。しかも我らは後詰めである。危なげなく勝てよう――と、皆の見立ては一致している。
「我等だけで鈴木を返り討ちにし、すでに飯森城へ追い詰めておる。飯森城には兵糧も乏しく、落城は時間の問題よ。」
鼻息荒い家行の言葉を耳にしながら、私は胸のどこかで嫌な旗が翻る音を聞いた気がした。この手の大言壮語は、フラグと言う。
私は家行の武働きを実見したこと無く、正月に作左衛門に殴られ庭に転がり落ちた姿しか見たことがない。
だが、西の国境で鈴木と殺し合いを重ね、返り血の臭いを纏って戻ってきた家行が「不要」というなら、後詰めなど確かに不要なのかもしれない。
とはいえ、勝ち筋が明白だからこそ、東の守りを担う叔父・元成や譜代衆にとってこの戦は見逃せぬ、是非ともお手伝いして差し上げたい案件となっている。
ことに今年は飢饉がひどく、領民は皆腹を鳴らしているのだ。略奪の口実を、誰もが喉の奥から欲している。
誰も私の相手をせぬまま評定は粛々と進む。そのため、私は思索に逃げ込んだ。
―――なぜ、みんな戦をするのだろう?
おそらくそれは「天下取りの野望」などという立派な旗印ではない。
もっと即物的で、もっと切実な理由――他国を侵略することで、略奪が行え、それに参加した人たちが飢えからのそして死の恐怖から脱せられるという現実だ。
鈴木領は足助の宿のみならず、飯田街道沿いに豊かな土地が連なる。いま、この場でアドレナリンが溢れている家行の顔つきを見るにつけ、今もまさに鈴木領で菅沼兵による相当に無秩序な略奪行為が行われているのだろう。
だが、こちらの菅沼が飢えを凌げば、向こうの鈴木が飢える。収奪された鈴木は飢餓を逃れるため、やがて菅沼の先兵として別の国へ略奪に向かう。飢えは連鎖し、矢のように行き交う。
史実に於いての『甲陽軍鑑』に「占領地で乱取りができ、甲斐は豊かになった」との記述がある。富士の火山灰に覆われ、痩せた甲斐の地で、武田信玄が父・信虎を逐ってなお領民に喝采されたのは、「信玄堤」などの中長期策ゆえではなく、飢餓克服の手段としての拡大路線なんだろう。善悪の秤は、飢えの前では軽い。
はっと我に返ると、相変わらず家行の意気軒高な演説が続いていた。
「後詰めなど足手まといに他ならぬ。まあ来るというなら来ても構わぬ。だが、来る頃には戦は片付いておるわ。」
確かに着いたころには終わっているような気もする。何しろこの時代の戦は、陣触れから出陣、開戦まで時がかかる。
また父・定忠は独断で出陣を決められる専制の君主ではない。菅沼家も他国と同じく合議制で、開戦の是非のような重大事は、この軍評定で一門・譜代の意見を織り込んで決する。
勝ち筋が見えるとあって、一門衆や譜代衆たちは先陣を争っているため、父定忠が一門衆や譜代衆に配慮した結果、兄の新九郎が荷駄隊に回されたのも、合議の産物であろう。だが、新九郎は露骨に不満顔だ。
なんか新九郎が私を睨んだ気がしたのは気のせいだろうか。とはいえ兄新九郎にも、取り巻きに稼がせねばならぬ立場がある。こういう小骨が積もると厄介だ。色々な意味で危険な香りがするので父には、別の機会で相応の埋め合わせをお願いしたい。
そして今ようやく陣触れを行うことが決まったようだ。
多忙感を醸してさっさと退席した現在進行形で合戦中の家行とは違い、残った叔父達や譜代衆たちでは「誰が何人を出すか」の詰めが始まる。ここからが本番だ。
軍評定での開戦決定に従い、与右衛門や、源八、弥助、小十郎、久兵衛の文官たちが筆を執って着到状をしたため始める。
開戦が定まった以上、元成らは規定の兵力と武器を整え、猶予なく参集せねばならない。たとえば私の傅役である作左衛門なら、旗持ち六人、弓兵六人、槍三十人、騎馬十騎、徒武者八人、合わせて五十――と、手際よく割り振りが決まっていく。紙の上の数字が、当然の事だが満たしていなければ処罰される軍役となる。
もし後に信長が創設した常備軍であれば、城下への居住が義務付けられているので、法螺貝や鐘太鼓で呼び集めれば事足りた。だが、我が菅沼はまだ半農半兵。兵は各在郷に散らばっている。ゆえに源八や弥助らの文官が領内を駆け、土豪・国人に陣触れを早馬で告げて回ることになる。
特に今回は菅沼惣領家の大事な嫡男である私が直々に出陣するのである。決して万が一があってはいけないので、是非とも総力を挙げて全員参加でお願いしたいところだ。
~延徳3年(1491年)12月 田峰城~
雪が薄く舞い落ちる。例年なら山々に祭囃子が響く頃合いだが、今年は飢饉と戦の陰が濃く、山は風の音しか鳴らない。
陰陽道の専門的な知識を持つ軍配者が方角や日時から導き出した吉日、出陣の日である。
陣触れどおり、各村から兵が次々と着到し、田峰城は五百余の熱気でむせ返る。吐く息は白く、しかし眼光は炎の色だ。
私はというと、甲冑“もどき”を着せられ、これから出陣式へ臨む。叔父・元成をはじめ一門衆、譜代衆、その取り巻きらが打鮑や勝栗、昆布を摘まみ、三献の儀で杯を重ねる。
もちろん総大将の私抜きでは形にならない。水で誤魔化そうと盃に口をつけた瞬間、作左衛門がすっと酒を差し替えた。強い。喉が焼ける。危うく、戦前に討ち死にするところであった。
だが、無理やり流し込まれた一口二口で、身体の芯が温まり、足元の震えが引く。五百余りの略奪を前に高鳴る視線に呑まれず、前に進み出て、堂々と鬨の声を上げられたのは、その酒気のおかげかもしれない。
「えい、えい――」
菅沼の兵、五百余りが一斉に応じる。
「おう!」と地鳴りのように。
その声に胸の底から一体感が湧き上がる。目的が乱取りであれ、家族や国を守るため命を賭す事には変わりがない。
ならば、いざ参らん――
……と思いきや…
作左衛門が一歩進み出て、恭しく言う。
「竹千代様、これから田峰観音へ向かいましょう。御仏のご加護篤き竹千代様が祈れば百人力。何卒、お願いいたします。」
次は戦勝祈願の寺社詣でだそうだ。上杉謙信が春日山城内に毘沙門堂を建立したように、田峰城内に寺を勧請してない菅沼の場合は、城外の田峰観音に勝利した暁には荘園や馬を奉納させて頂くという願文を差し入れに行くらしい。
史実でも、宗教に距離を置いていたあの信長でさえ今川義元を打ち取った桶狭間の戦いにおける織田軍の集合場所は日本三大神宮の一つ熱田神宮であった事は有名である。確かに神仏に対する崇敬の篤いこの時代どんなに大軍を擁していたとはいえ、士気高く結束していなければ戦いに勝つことはできない。ありとあらゆる方法で神仏が味方であることを家臣団に知らしめ、結束を高めていくことは大切な事であろう。
雪は相変わらず静かに降り、私の肩に淡く積もった。
……で、戦場に行くのはいつになるんだ。
〜参考記事〜
合戦の流れ/刀剣ワールド
https://share.google/22E6IQa7aXda0cGbe
〜参考文献〜
合戦で読む戦国史 歴史を変えた野戦十二番勝負
/伊東潤㈱コルク
戦国合戦の全て/遠藤和宏編集㈱サンエイムック
~舞台背景~
読者として、面白い小説とつまらない小説の違いって何だろって考えると、私は描写が丁寧な小説が面白いんだと思います。「勝った、負けた」だけだとなんだかなぁ…と思います。
で、丁寧に書くためには結構調べなきゃいけないのですが、小説1冊書くためトラック1杯分読んだという司馬遼太郎の時代と違って、今はググれば何でも載ってるので調べるのも楽しめたらなって思います。
と、筋書が面白くなるかは書きはじめてからの運次第ですが、そんな丁寧さはいつも心掛けていきたいと思います。
って、評定だけで1話3,000字も使った言い訳ですw




