026 ~延徳3年(1491年)9月 根羽宿~
〜 番外編:戦国農婦およね成長譚 〜
~延徳3年(1491年)9月 根羽宿~
【農婦およね視点】
夏なのに冷えびえとしていた空は秋となり、早くも冬のような宙色だった。頬を撫でる風は相変わらず冷たい。
でもその肌寒さとは裏腹に、根羽の宿だけは今、春が来たかのような活気に包まれていた。
多くの家を組む槌の音が、山々に騒がしく谺している。山々に反響するトントンという槌の音が連なるたび、胸の奥にも少しずつ灯がともるようだった。
飢饉で村中の者が肩を落としていた夏とはまるで別世界だ。
村では飢饉で人が倒れていた、こんな音を聞くのは本当に久しぶりだった。
「およね殿、こちらへ」
菅沼家の兵が、私たち機織りの仕事に名乗り出た女衆を新しい家々へ案内してくれた。
板の香りのする家だった。四歳の幸次は口を開けたまま天井を見上げ、まだよちよちの娘・おりんは庇の影が珍しいのか、きょろきょろと首を振った。
「夢みたい……」
誰かが漏らした吐息に、私も心の底から頷いた。足助村で草の根を噛んでいたあの日々を思うと、竈も、雨風をしのげる屋根も、家族四人で眠れる場所も、すべてがあまりに眩しかった。
ーーーーー
翌日、広場はさらに活気づいていた。大きな藁袋が運ばれ、その中には雪のように白い塊がぎっしり詰まっていた。
「綿……?」
津具の宿の商人と言う油屋さんや、根羽の宿の商人の伊丹屋さんが袋を開いた瞬間、甘い土の匂いがふわりと広がった。
はじけた蒴果から取り出されたばかりの実綿が、次々と運ばれてくる。
「これが、あんたらの暮らしを支えることになる」
伊丹屋さんの年配の男衆が、笑みを浮かべて言った。
私は手を伸ばし、そっと綿に触れた。
ふわふわとしているのに、指の腹の奥までしみ込むような温もり――それは、足助村で草の根を噛んでいた頃には想像もできなかった。
商人さんたちは、棒の先に分銅をつけた道具「さおばかり」で重さを量り、私たち女衆に小分けしていく。
「種を取るまでがひと仕事だよ」
「覚えれば簡単だ」
そんな声が飛び交った。
ーーーーー
その日の午後、私たちは大きな作業小屋に集められた。作業場はまるでお城のように柱が太く、天井も高い。
そこには丸太を組んだ台の上に、二本の木の棒を並べた奇妙な道具が置かれていた。
「これが綿繰り機だ。」
説明役の職人さんの声が響いた。
「実綿をここへ差し込み、棒を回す。すると――」
説明役の職人さんが示した通りに実綿を挟み、ハンドルを回す。
すると、ぎゅる、と音を立てて白い繊維が引き寄せられ、反対側へコロンと種がはじき出された。
「ひゃあ……!」
女衆たちから驚きの声が上がった。
「慣れりゃ一刻で何十文の働きにもなる。綿は金だ。命綱だ。覚えて損はねえ」
説明役の職人さんが胸を張った。
私は見よう見まねで綿繰り機に触れた。
ぎこちない手つきで回すと、木の棒が手のひらを震わせた。
それでも、ほんの少しの力で白い繊維と硬い種が別れた。
――あぁ、これなら私にも、できるかもしれない。
胸の奥に、久しく忘れていた暖かい灯がともった。
ーーーーー
翌朝。新しい家の中は、木の香りがまだ濃く漂っていた。幸次が背後から覗き込み、首をかしげた。
「母ちゃん、それなにしてるの?」
「綿から種を取ってるのさ。ほら、触ってごらん」
幸次は恐る恐る手を伸ばし、ふわふわの繊維に触れた。
「雪みたい……」
「そうだね。でもこれが糸になって、お前の着物にもなるんだよ」
そう言うと、幸次はぱぁっと顔を輝かせた。
種を絞って油(綿実油)をとるらしく、油屋さんが「種も買い取るから捨てては駄目だよ。」といっていた。散らばった種を集めよう。
綿繰りが終わると、次は綿打ち。
綿弓と呼ばれる大きな弓のような道具で、繰綿をはじいてほぐす。
びよん――ぱふっ。
弦を弾くたびに、真っ白な綿が空気を含んで膨らむ。その度、おりんがぱちぱちと手を叩いて笑った。
「おりん、こりゃあお前の布団にもなるかもしれんよ」
そう囁くと、おりんはさらに笑った。
綿がほぐれる音は、なぜか心を落ち着かせた。弓弦の響きは、飢饉の恐怖を洗い流すようだった。
綿を細長く丸め「わたづつ」にしたあとは、糸車へ。私は昨日生まれて初めて糸車を回したとき、手が震えて仕方なかった。
(細すぎても切れる、太すぎても織れない……)
「最初はみんなそうだよ。糸なんざ気持ちだ。焦ると切れるし、欲張ると太る。人間と同じさ」
田峰から来た年上の女に笑われ、私も釣られて笑った。
糸車はキィ、と小さく鳴き、″わたづつ″がするすると糸になっていく。
その糸は、はじめは歪で、太さもまちまちだった。最初の糸は歪で太さも不揃いだったが、それでも紛れもなく“私の糸”だった。
糸が紡げた瞬間――胸の奥にぽうっと火が灯った。
(私、まだ……生きていける)
あの絶望の足助村から逃げ出した時とは違う。今は家も、食べ物も、そして働ける場もある。
ーーーーー
昼すぎ、作業小屋で織りの手順を学ぶ時間が来た。
紡いだ糸は、一晩煮沸して油分を落とし、天日に干すそうだ。
昨日紡いだ風に揺れる糸は、まるで細い命が並んでいるようで、見ているだけで胸があたたかくなった。
「およね、そろそろ布を織る練習に入るか?」
昨日大笑いされた女の人が声をかけてきてくれた。
「うん……うん、やってみたい」
織機は思った以上に複雑だった。
経糸を枠に移し、筬に一本一本通し、綜絖にまた通し、千切に巻く。
何十という手順を一つでも間違えれば布にはならない。
「こんな難しいもの、私に……」
弱気になりかけた時、隣で糸を巻いていた女の人が言った。
「大丈夫だよ。田峰の女は皆これを覚えて、子を育てて飯を食ってる。およねさんだって、きっとできる」
その言葉に救われ、私は一本の糸を筬に通した。通すたび、不思議と胸が軽くなる。
踏木を踏む。経糸が上下に開く。、刀杼を走らせる。す、と音がした。布が、布になっていく。
「見て……織れた」
年上の女は目を細め、静かに頷いた。
「あぁ……ようやったねぇ、およねさん」
その優しい声を聞いた瞬間、涙があふれた。
過酷な冬の前に、私は布を織れるようになった。生き延びる術を手に入れたのだ。
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その夜、囲炉裏の火のそばで、私は織りかけの布を膝にのせた。幸次がその布をそっと撫で、おりんが笑った。
惣兵衛が言った。
「およね……よく頑張ったな」
私は首を振った。
「頑張ったんじゃないよ。生きたかっただけ。この子らに……腹いっぱい食べさせたかっただけだよ」
外では、根羽の山風が唸っていた。しかし私はもう怖くなかった。
綿の温もりと、機織りの響きが――私たち家族の、新しい人生の始まりだった。
〜参考記事〜
河内木綿の部屋/八尾市立歴史民俗資料館
https://share.google/V3xM6Xrscq4c9oEiM
戦国時代の農民の食事とは?/戦国BANASHI
https://share.google/mQbfuvATCjQlW68BN
戦国時代の庶民の食事とは?/戦国時代探訪
https://share.google/2HRRXl1HDJUIBmREU
〜舞台背景〜
前話で好評だった農婦およねさんの外伝です。初めて書いた閑話というかスピンオフです。およねさんが機織りを学ぶ事を通して成長していく物語です。人生初の女性主人公を情緒的、抒情的に描きました…いたつもりですw。でも私は男なので女性の心理描写は全く自信ありませんww。
今回、機織りの工程説明を結構頑張りました。
(もちろん、機織り機触ったことありませんwww)
あと、ググっててビックリしたのが、機織機って、今でもAmazonや楽天など通販で普通に売ってるんですね。




