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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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024 ~延徳3年(1491年)8月 菅沼城~

挿絵(By みてみん)

    ~延徳3年(1491年)8月 菅沼城~



 鳳来寺山の緑はいよいよ深まり、蝉の声が一層濃く響き渡る夏の昼下がり。山風がわずかに吹き抜ける菅沼城中の一間で、私は菅沼定行たちと車座になっていた。


 いつものように頼れる馬廻り衆の彦兵衛、与五郎、右近が私の左右を固めている。


 だが、これまで共にいた孫右衛門と内匠の姿はない。兵庫と共に、菅沼領に取り込まれて間もない根羽宿に詰めている。

 なんだかんだとこれまでずっと行動を共にしてきた仲間がいないのは、やはりどこか寂しい。

 とはいえ、その代わりに新しい面々が加わり、場の空気にはこれまでにない張りが生まれている。


 一月前、根羽宿を後にして田峰城に帰省した際に、私は勘定方を取りまとめる山中忠兵衛に、菅沼家嫡男の権威を遺憾なんく発揮し、強引に掛け合って、勘定方から引き抜いてきた者たちだ。

 忠兵衛は「秋の収穫までの期限付きでございます。」と散々渋ったが、もちろんそんな約束は踏み倒させて貰う予定だ。


 高力源八、植田弥助、三輪小十郎、岩作久兵衛の面々は、兵庫と同じ勘定方でありながら、どこか人を小馬鹿にした感じのある兵庫とは違い、落ち着いた物腰の紳士な方たちである。

 槍ばかり振るう連中に囲まれがちな私にとっては、この四名の加入は実に心強い。彼らにはいずれ銭で頬を(はた)き、腰を落ち着けて働いてもらうつもりである。


 その源八が、先日の足助鈴木家との戦い後の事情を静かな調子で報告していた。


「⋯利兵衛殿の話では、貞行様が足助へ攻め寄せられたとのこと。しかし足助親忠を失ったとはいえ、足助の宿は鈴木家の屋台骨。鈴木重勝も、領地を易々と手放すわけにはまいらず、ついに大戦に発展したそうにございます。

 もっとも最終的には貞行様が宿を押さえられたのですが、その直後に定貞様が足助の宿に千貫の矢銭の取り立てを触れたところ、商人衆の激しい抵抗を招き、足助の宿場は今や荒れに荒れていると。」


「(鈴木)重勝はどうしたのじゃ。」


 定行が顎に手を当てて問うと、源八が続けた。


「真弓山城を放棄し、飯盛城へ退いたそうにございます。今は捲土重来を期しているとか。」


「秋の刈入れも近いというのに……こりゃあ長引くぞ。鈴木とて長年、松平や織田と渡り合ってきた家。決して侮れる相手ではない。今年は特にあちらは米の作柄も悪いと聞くし、なおさら厄介なことじゃ。」


 そこで弥助が遠慮がちに口を挟んだ。


「鈴木だけではござりませぬ。三河国全体、奥平も菅沼も今年は収穫がほとんど望めませぬ。

 竹千代様の──あっ、失礼。定行様の根羽宿や津具宿の蓄えを回していただかねば、菅沼とて持ちこたえられぬかと……」


 定行は微笑んで軽く首を振った。


「ふっ、そこは竹千代殿の物でよい。儂は算盤勘定は苦手じゃ。だが話を聞いて合点がいった。

 そういえば凌雲寺の専如が嘆いておったわ。炊き出しを始めたら、近隣どころか他国からも老若男女が押し寄せて、読経する暇がないとな。」


 三輪小十郎が目を細めて付け加えた。


「拙者は専如殿にはお会いしたことはござらぬが、兵庫の話では念仏よりも金貸しで忙しい御仁だとか。

 炊き出しのせいか、あるいはあの兵庫に絡まれているからかは判りませぬが、随分お痩せになられたとも聞きまする。丁度よいのでは。」


 専如のあの読経とは無縁そうな、清貧の欠片もない腹の肉を知る根羽宿帰り馬廻衆が肩を揺らせた。


 岩作久兵衛が半笑いのまま呟いた。


「まぁ…あの兵庫のこと。そろそろ専如殿の弱みの一つや二つは握っている頃合いでしょう。」


(老若男女……流民が大量に……そうだ、木綿だ!)


 私はそこでひらりと一つの考えが結びつくのを感じた。


 史実では、この頃から三河国では綿作と白木綿(白無地の綿布)の生産が始まった。その後急速な勢いで木綿業は、農家の副業として岡崎、安城、西尾、蒲郡などで展開されるようになった。

 三河を平定した家康が、家臣に対して「妻を迎えるにあたり、よく木綿を織る者を求めよ」と命じていたとの逸話も残る程、三河国の木綿業を保護奨励していた事で三河木綿や三白木綿といったブランドが確立した。


 綿花は暖かく乾燥した環境を好み、水が多すぎると腐りやすい。そして粘り気のある土壌でないと育たない植物だ。つまり残念ながら稲作にあまり向かない奥三河の様な土地にこそ適した商品作物である。

 もちろん綿花を育てただけでは木綿ではない。その後糸紡ぎや織りといった工程を経てようやく木綿となる訳だが、この時代全ての工程が人手を要する手作業だった。

 まさに流民、特に農業の働き手になり得ない「老」「女」を活かせる産業だ。


 この時代の衣服素材の(あさ)を生産するための家内性手工業が確立している北陸では綿花が育たない。

 綿花が好む温暖な地域は稲作と競合するため、綿花より米が優先されている。

 もうすぐ訪れる麻から綿への衣服素材の大転換に対して、綿花から木綿までの一連の供給体制を備える国は、まだどこにも存在しない。


「兵庫に伝えておいてくれ。根羽の宿へ来る者は、男に限らず老人でも女子供でも、決して追い返すなとな。

 宗伯と利兵衛には綿花を買い集め根羽宿へ運ばせる。女子供には織物をやって貰う。」


 私がそう言うと、源八、弥助、小十郎、久兵衛の四人はすぐに意図を悟ったようにまなじりを引き締め、次々とうなずいた。



    ~延徳3年(1491年)8月 凌雲寺~



 境内から仰ぐ夏空には一片の雲もなく、蒼が果てしなく広がっていた。その清澄さとは裏腹に、凌雲寺本堂では雷鳴のような下品極まりない怒号が響いていた。


「なんじゃ!なんじゃ!なんじゃ!次から次へと、あの餓鬼どもは!」


 経机を蹴り飛ばし、顔を真っ赤にして激高しているのは凌雲寺住職・専如である。


「菅沼も、いい加減にせんか!送りつけてくるのは鍋や薪ばかりではないか!肝心の中身はどこじゃ、中身は!」


 僧の物とは思えぬ煌びやかな部屋に置かれた派手な香炉や、銘のありそうな茶器、金色に輝くの(リン)などの仏具に当たり散らし、息切れがしたところでようやく投げる物が無くなったものの、怒りは全く収まらない。


「これではほとんど寺の持出しではないか!毎日毎日⋯きりがない!」


 一月ほど前、約束させられた粥の炊き出しを始めてから、凌雲時の境内はもとより、長い石段から門前の参道に至るまで、今年東海地方を襲った飢饉に飢えた流民であふれ返っている。村境どころか他国からも押し寄せ、もはや手が付けられない状態だ。


「御仏のお慈悲を何だと思っとるんじゃ!食ったらさっさと帰らんか!あいつらはいつまでおるのじゃ!」


 そばで破れた書付を(うやうや)しく拾う若い僧侶が、おずおずと口を開いた。


「しかし、本證寺の空誓上人様からも、宗主様より直々(じきじき)にお褒めを頂いたと……」


「そんなもの要らんわ!おかげでこっちは引っ込みがつかんではないか!」


 昨日、専如の手元に超巨大宗教団体である一向宗の総本山、本願寺の畏れ多くも第十一世宗主顕如の花押が押された、炊き出しへのお褒めの感状が三河本願寺派を統括する本證寺を経由して届いたのだった。


 遡ること半月前、兵庫は本證寺へ、少しでも役立てて欲しいと専如と約束した百五十貫の寄進と共に、根羽宿の代官着任の挨拶状を送っていた。


『──飢饉に苦しむ数多(あまた)の衆生を見かねて、凌雲寺の専如師が無償で炊き出しを振舞っているので、菅沼家としても是非、今後全面的に協力させてほしい。

 この(たび)は、そんな専如師のおわす根羽宿の代官を務めることになり光栄の極みであり大変身の引き締まる思いである。

 ついては本願寺としても専如師に特段のご配慮賜りたい云々…』


「幸田もふざけるな!あ奴は阿呆なのか!いや馬鹿じゃ!寄進は儂のところへ持ってこんか!そんな事は言わんでも当たり前じゃろ!稀に見る呆者(うつけもの)じゃ!!」


 そこへ、少年とも少女ともつかぬ整った顔立ちの稚児が障子を開け、震える声で恐る恐る告げた。


「専如様、本堂に幸田様がおみえです。」


 これまでなら稚児の胸元の襟から手を差し入れ、その瑞瑞(みずみず)しい滑らかな(わか)い体を好きなだけ(まさぐ)ってから勤めに向かっていたが、最近みるみる減ってゆき底が見えそうな専如の蓄えに、ここのところは全くそんな気分ではない。


「何が『おみえ』じゃ……幸田など、いつも勝手に寺の中をうろついとるではないか!」


 怒声に怯え、稚児はおずおずと言葉を継ぐ。


「……改めて、大事なお話があるとのことです。」

~参考記事~

布と社会/八郷の日々

https://share.google/OuOYeng3inVnkVaPp


ルーツは家康の「三河木綿の保護」、愛知の繊維産業のこれまでとこれから/日刊工業新聞社

https://share.google/Ex5sYfJNHtjkaga75


2025 全国コットンサミット in 天理

https://share.google/UFTNMlM7WXOruT3ps


~舞台背景~

せっかく悪役キャラを作ったのに前話で消化不良だったので、少し変則的な形でざまぁ~をしてみました。

 また三河国が巨大産地だったのが有名な木綿についてですが、文献によると戦国期に麻から木綿に替わる衣服素材の大転換があった事が、相変わらす米所ではあれど麻の産地である北陸地方の経済力を失わせ、綿花の大産地であった東海地方で三英傑を誕生させた原動力になったという説がありました。「へぇ~。」でした。

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