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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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002 〜延徳2年(1490年)9月 田峰城〜

挿絵(By みてみん)


〜登場人物〜


本多作左衛門⋯菅沼家家老、軍務取り纏め

渡辺与右衛門⋯菅沼家家老、政務取り纏め

安藤彦兵衛⋯菅沼家馬廻り衆

山路与五郎⋯菅沼家馬廻り衆

加藤孫右衛門⋯菅沼家馬廻り衆

永原内匠⋯菅沼家馬廻り衆

神谷右近将監⋯菅沼家馬廻り衆

    〜延徳2年(1490年)9月 田峰城〜



 最近私はマツの介添えが必要ではあるものので粥であれば朝餉は皆と同じように取れるようになった。


 菅沼家の麦飯と味噌だけの朝餉は私から見ると相変わらず粗食の極みに思えるのだが、小姓や侍女達には美味いらしく、特にマツは朝餉が理由なのか、私の成長速度が理由なのか口の中が空になる度に大興奮で私の賢さを称えるエピソードを祖父母と父母に報告して、祖父母達がそんなマツの話に目を細めるのが最近の食事風景になっている。


 まだ転生して半年、ようやく首の座りはじめたところで、現在「あ〜」「だ〜」の喃語(なんご)で発声器官をトレーニング中の赤子とはいえ、知能だけににフォーカスするのであれば、私は転生者なので…現時点でもこの世界線に於いては人知を超越した異次元のレベルである。


 しばらくすると毎朝欠かす事のない鍛錬を終え体から湯気の出ている四郎、三郎、次郎達が土間に戻ってきた。


 水瓶の水を茶碗に汲んで飲み干したあと、今度は大きめの木桶にたっぷりと水を汲み、庭に出て行水を始め、行水を終えるとみな 手ぬぐいで体を拭いてから褌を締め直し、再び小袖を(まと)っていた。


 朝餉の片付けを終わらせ、髪を結い直し化粧など身支度を終えたマツ、キヌ始め侍女達が合流する頃には空は赤く染まり、外では鳥の声がかまびすしくなってきた。


 今日も私達はこれから祖母に従って田峰観音への参詣だが田峯城はそろそろ仕事の時間である。辰の刻(午前八時前後)ころ、御台屋敷のある曲輪から見下ろすと足軽たちが重々しく大手門を開け始めた。


 田峰菅沼家の本城である田峯城は愛知県下有数の高山である段戸連峰を間近に控え、寒狭川の渓流を本丸からはるかに見下ろす標高387mの独立丘陵にある奥三河から南信濃で最大の山城である。


 本丸から見下ろした寒狭川の蛇行と城を頂く山並がまさに大蛇のようであることから、田峯城は別称「蛇頭城じゃずがじょう」、「龍の城」とも呼ばれている。


 城の縄張りについては、未だ鉄砲が存在しないので防衛上特筆すべき仕掛けのない単に急峻な山城で、蛇だとか竜だとかの名前負け感はある。


 しかし、政庁機能のある館と防衛拠点である城を別けて築られる事が多い山城にあって田峰城は館と砦が一体となっており、それぞれが菅沼家の家運の隆盛を示す豪華なものとなっている。


 本丸内に庁舎として唐破風(からはふ)付き柿葺(こけらぶき)屋根の入母屋書院造の御殿が(そび)え、城の中腹の曲輪(くるわ)間に、館としての御台屋敷や側室の屋敷、家老屋敷や蔵屋敷が建てられていた。


 丁度年貢を納める季節であることもあるが、開門と同時に登城してくる人だかりからも菅沼家の隆盛が伺える。


 まず出仕一番乗りで大手門を潜ったのは本多作左衛門。武闘派の祖父定信に従って菅沼家の創業の為に連戦をくぐり抜けてきた武官筆頭だ。大手門の麓の空堀を一瞥後、下段にある表から裏の曲輪を見回り、城の中腹の帯曲輪、畷曲輪(あぜくるわ)を丁寧に確認している。


 特に井戸曲輪と呼ばれる水源のある曲輪は念入りにのぞき込んでいる。城内の堀や曲輪の状態が攻城目線から気になるのであろう。


 決してこれからの年貢の算盤勘定が億劫で寄り道しているのではないと⋯思いたい。


 本多の見回る曲輪の中にある家老屋敷から、急ぎ足で勘定方を引き連れ御殿に登城しているのが家老の渡辺与右衛門、文官筆頭で算盤勘定を見込まれての父定忠の抜擢だそうだ。1年で最も多忙な時期なのでやつれ具合が酷い。


 そして丁度今大手門を潜って入場したのが、渡辺与右衛門の心労の根源である名主達。連れ立っている時点で色々と戦う気満々のようだ。続いて商家の連中も連れ立って登城してきたが、目つき迫力からして、目が死んでいた勘定方では年貢徴収交渉は長丁場になりそうだ。


 厩に集まって来た馬廻りの連中は本多から言い含められているのであろうか丹念に馬の体調を確認している。馬の世話だけなら厩番で十分だが、体調管理は乗り手の目利きが不可欠なのであろう。


 また厩に併設されている仕置場(しおきば)の見回りを終えた安藤彦兵衛、山路与五郎、加藤孫右衛門、永原内匠、神谷右近将監といった菅沼家の剣であり弓である馬廻り衆が馬を引き出し領内の見回りに向かう。


 なお取調室というか拷問兼処刑場である仕置場は中に人の気配はあるものの、私がどれだけぐずろうがマツが入ろうとしないので、未だ覗いた事の無いポイントの1つである。



    〜延徳2年(1490年)9月 田峰観音〜



 私は乳母のマツの腕に抱かれながら、城門から目を移してキヌや侍女達の手際の良い支度の様子を眺めていた。


 籠の蓋を留める紐の音、草履を擦る音、腰に下げた鈴のかすかな響きが、秋の早朝の湿り気を帯びた空気に混ざり合う。


 祖母は、いつも通り白い小袖に浅葱の袈裟を重ね、静かに数珠を繰っている。母上と南の方は、形の上では並んで支度を整えていたが、その背筋の角度が、ほんのわずかに違って見えた。


 母は淡い藤色の単衣をまとい、髪を高く結い上げている。対して南の方は薄紅の衣に、額のあたりで軽く結った若々しい髪型。


 どちらも上品で美しいが、その美しさの方向が違う。母上は凛として涼しげで南の方は柔らかく艶めいている。


 祖母が静かに立ち上がった。

「さあ、参りましょう。」


 その声が合図となり、侍女たちが列を整える。先頭に祖母、次いで母、南の方、そして侍女たちと小姓たち。私はマツの胸の中からその行列の末尾に揺られていた。


 田峰城の大手門から城下の田峰観音までは、既に秋の色を帯びている山を右手にゆるやかな坂を下りながら半刻ほど。山の稜線を渡って木立の間を抜けてくる秋風が肌に心地よい。蜻蛉が遠くに揺れている。


 祖母は小柄な体をまっすぐに保ち、一歩一歩を確かめるように歩いていた。その後ろで、母と南の方が並ぶ。キヌが母の背後を歩きながら、二人の間の距離をさりげなく保っているのがわかる。


「お方様、昨夜はお休みになれましたか。」

 南の方が声をかける。


「ええ、おかげさまで。そちらも。」


「はい。新九郎が稽古で疲れたのか、すぐに寝入りました。」


「それは結構なこと。」


 互いに礼を欠かさぬ物腰でありながら、その丁寧さの奥にうっすらとした氷が張っているように感じた。


 参詣の度に思うのだが⋯この雰囲気が非常に苦手である。他にもやりようはいくらでもあると思うのだが。


 街に入ると、町人達が歩みを止め頭を下げて行列を見送った。母はそのたびに軽く会釈を返し、南の方も穏やかに微笑んでいた。


 町と呼ばれてはいるが、広さはわずか十町(2km)四方。入り組んだ道沿いに板葺き石置き屋根が百ばかり、間に掘立小屋が並ぶ。収穫の秋だからなのか、市の日だからかなのか、軒先はどこも賑やかだ。


 町で唯一の宿屋、客が泊まり賃の代わりに穀物や炭を置いていくという「鈴屋」の横で、吊るした棒を渡し古着屋が店を拡げている。大勢の女衆が袖を広げては値踏みしている。布の端は擦り切れているが、縫い直せばまだ使える。その隣では油売りが「灯火の油だ、良く灯る」と声を張り、竹の杓で瓶に注いでいた。


 通りを進むと味噌の匂いが漂う。木樽を並べた店では、味噌を量り売りしている。また小間物屋が荷車を辻に据えて鍋や鉄瓶を積んでいる。髪飾りや針山、硝子玉も売っているためかここも人集(だか)りだ。その隣で人を集めていた吉良(愛知県西尾市)からの行商の塩売りも最近見慣れた顔だ。


 やがて行商で賑わう参道の先に、山号は谷高山(やたかさん)、寺号は高勝寺(こうしょうじ)田峰観音(だみねかんのん)の板葺きの屋根が見えてきた。


 境内から僧侶達の朝課諷経(ちょうかふぎん)の声が響いてくる。境内に足を踏み入れると、土と杉の香りが混じり合った涼しい風が吹いてきた。


 本堂に上がり、祖母達が本尊である松芽観世音菩薩、十一面観世音菩薩仏の前に進み出て静かに並ぶ。侍女たちもそれに倣い並んで座た。私はキヌの腕から降りて、いつも侍女たちがざわめく最前列正面での結跏趺坐(けっかふざ)を行う。


 曹洞宗の行持規範(ぎょうじきはん)の手順に則り摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんきょう)などかなりの量の読経を四半刻(三十分)程こなすのが祖母の朝課である。


 僧たちの読経が始まったので小さな掌を合わせ、呼吸を整え、僧の声に合わせて頭を垂れる。筋力の関係で身体のバランスをとるのが難しくこの時間はいつも汗だくである。


 さすがに釈迦の様に、生誕直後に七歩歩み「天上天下唯我独尊」と唱える事は出来なかったが、今は筋肉痛と引き換えに修行僧の雰囲気の私は、形だけ拝んでいる侍女たちの視線を背中に感じながら経を口ずさんでいた。


 ――信仰の力は道具であり政治だ。まずは“神仏に守られた子”として、権威を得る。――


 やがて僧の読経が止み本堂が静まり返る。立ち上がりマツの胸に戻る際、視線の端に南の方の姿が見えた。唇が僅かに歪んだ様な気がしたのは気のせいだろうか。


 煽るつもりは全くないが……これでまた、余計な感情を買うか⋯胸の奥で小さな息を吐いた。


 自然に掌を合わせ、澄んだ声で言った。

「みな、和して、国を豊かに」


 僧達が感嘆の吐息を漏らし「仏の御心が」と呟いた。だが南の方の眼差しだけは冷たかった。


 ……仕方ない。信仰の光は、時に影をも作る。だがこの一歩で、家の中も動く……


 マツの腕の中で竹千代は小さく目を閉じた。幼子の顔の奥に、冷静な計算とわずかな苦味が沈んでいた。


 参拝を終えると、門前の茶屋で一息つくのが恒例だ。侍女たちは待ちかねたように五平餅を買い求め、香ばしい味噌の匂いがあたりに広がった。祖母と母は控えめに湯をすすり、南の方は侍女と笑いながら五平餅を分け合っていた。その笑顔の中に、わずかな挑発の色が見えたような気がしたのは、気のせいだろうか。


「新九郎にも、これを持ち帰ってあげましょうか。」

 南の方が侍女に包みを渡しながら言った。


 母上は一瞬だけ視線を動かした。

「ええ。稽古の後には、甘いものがよいでしょう。」

 言葉は柔らかく、しかしその裏に淡い棘があった。

 

 祖母はそんな二人を見て、静かに笑った。

「女がこうして共に歩む姿を、観音様もお喜びじゃ。」

 その言葉に、母上も南の方も一斉に頭を下げた。

〜参考記事〜


田峰城周辺マップ/(一社)設楽町公共施設管理協会

http://www.shitara-trail.jp/history/daminejo/


歴史の里田峰城/(一社)設楽町公共施設管理協会

http://www.shitara-trail.jp/whatsnew/264.html


戦国武将と食〜徳川家康/刀剣ワールド

https://www.touken-world.jp/tips/90453/


〜参考書籍〜


大浦氏の城下町建設の流れ

新編弘前市史/弘前市企画部企画課

https://adeac.jp/hirosaki-lib/text-list/d100010/ht030630


「都市の歴史地理」歴史地理学紀要第19巻/歴史地理学会

http://hist-geo.jp/img/archive/bulletin19.html


〜舞台設定〜


 第2話の前半では田峰城と城下町をダラダラ説明文で紹介するのでは芸が無いかなと思い、参詣という形で()りげ無く挿し込みました。

 中盤で今後、幼児が内政無双をするにあたっての後ろ盾を仏様で確保させました。

 後半では、今後の家督相続争いの伏線である女性陣の緊張を出来るだけ自然に書いたつもりです。登場女性は遺伝的に美女なのですが、美辞麗句は避けて衣装だとか仕草の描写で表現したつもりです。※史実でも西郷家の娘が、目の肥えた徳川家康に嫁して、二代将軍徳川秀忠の母となってます。

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― 新着の感想 ―
【通りを進むと味噌の匂いが漂う。木樽を並べた店では、醤油と味噌を量り売りしている。】この時代、たまりはあれど、まだ醤油は無かったはず。 物語上の影響は無いと思いますが、気になったので。
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