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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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18/35

018 ~延徳3年(1491年)7月 島田村~

挿絵(By みてみん)


〜三河国(延徳3年(1491年))の寺社勢力〜

【西三河の巨大勢力】

 ■ 本證寺(安城)→ 三ヶ寺の筆頭。自治軍事化直前。

 ■ 上宮寺(岡崎)→ 既に松平家に匹敵する門徒勢力

【東三河の浄土真宗】

 ■ 勝鬘寺(豊川)→ 寺侍が警備する多数の門徒村保有

【奥三河の宗教中心】

 ■ 鳳来寺(北設楽)→ 情報・山林・参詣で強力。

【地域ごとの神社勢力】

 ■ 吉良八幡宮、竹谷八幡宮、挙母八幡宮 など。

【勢力拡大期】

 ■ 大樹寺(岡崎)→ 松平家の台頭と共に成長。

    ~延徳3年(1491年)7月 島田村~



 夜が深まり、山を叩く雨脚は次第に強さを増していった。島田村名主屋敷では、藤兵衛の号令で避難してきた女衆が総出となり、土間に据えた大鍋へ火を入れ、蔵から大事にしまっていた米までも引き出して温かな汁を煮はじめた。


 具は少ないが、湯気とともに立ち上る味噌の香りはどこか甘く、腹に落ちれば胸の奥に溜まっていた硬い緊張が、音もなくほどけていくようだった。


 男や子供達たちは雨で濡れた武具や籠手を油で磨き、濡れ布を焚き火のそばで干しながら、時に肩を揺らして笑い合った。笑いとは、生き残った者だけが持ち得るささやかな権利であり、生きている証でもある。


 私はといえば、膝の上で指を折りながら数を数えていた。五、十、十五……。眠気が波のように押し寄せるたびに数え、瞼が閉じれば、また無理やりこじ開けた。身体は一歳児。眠ることが仕事だ。


 本来なら乳母のマツに抱かれ気持ちよく眠りに落ちている刻限のはずなのに、勝利に酔う雰囲気の中で、三百を超える村人や兵たちからの信仰の様な熱い視線に取り囲まれている。


 もはや狂信的とも感じる視線を前にして、「眠たくなったので寝かせてほしい。」とは言い出せずに、絶え間なく押し寄せる眠気との合戦を続けていた。


「竹千代様。」


 誰か気を利かせて、私を布団に運んでくれないかと視線を彷徨わせた時、兵庫がそっと声をかけてくれた。


(……でかした兵庫。今にも口が半開きのだらしない顔で寝落ちするところだったぞ…)


「感状を。」


(・・・・・・・・・・。)


 私は仕方なく鷹揚に頷き、兵庫が几帳面(きちょうめん)に事細かく記してくれた感状の束に、一枚一枚小さな手で印を押し始めた。


 読みはじめると、当然ながら亡くなって渡せぬ者たちの名が目に飛び込んでくる。木地師たち、そして多くの孤児たち──戻らぬ者達の顔が次々に浮かび、胸が締め付けられ、涙がとめどなく溢れ出てきた。


 勝利の余韻も、誇らしい歓声も、その瞬間だけは遠のいた。



ーーーーー



 翌朝、雨は細い糸のようになり、谷には白い霧が静かに歩いていた。獣たちも匂いを嗅ぎながら遠巻きに見ている。


 孤児たちは山中に散らばり、戦場に転がる死者たちの体を集めに向かった。死体は重い。だがその重さこそ命の重さだと、彼らは誰に教わるでもなく理解しているようだった。肩に担ぎ、次々と火葬の場へ運ぶ。


 湿った薪でも、供養の火は時間をかけて赤々と育ち、やがて高く燃え上がった。白い煙が上がり、骨の焼ける辛い匂いが霧の中に消えていく。


 敵味方を問わず、すべての死者に経が読まれた。名を知らぬ鈴木家の兵には、山の名を与えて弔った。

 鈴木家百名を相手にし、目算で数えられるほどの死者で済んだのなら、これは完勝だろう。だがそんな理屈で心が救われるはずもない。


 当然ながら孤児達の遺体を見るのが堪える。特に昨日まで一緒に汗を流し、共に笑い合い、一方的に泣かせ、一緒に成長を喜びあった馬廻衆は特に胸を(えぐ)ったようで、炎の前に立つ彼らの背は重く沈んでいた。



ーーーーー



 だが、私がまだ感傷の渦に囚われていたのとは対照的に、踏んできた場数が違う家行と、どうもその辺の感性が欠落していると思われる兵庫の動きは驚くほど速く、徹底していた。


 まず二百名の完全武装した孤児兵が、その日のうちに街道沿いの鈴木の関所を押さえるための準備を開始した。


 自分以外をすべて己より愚かだと見下しているその内心を隠そうともしない性格には難があるが、兵庫の経済感覚や戦略眼は確かなものがある。


 このまま時が流れれば、四十三年後──天文三年五月(1534年)には、日本史上不世出の大天才、織田信長が誕生するはずだ。


 天才の天才たる所以は、まず関所を押さえ、商業都市を押さえ、楽市楽座の新経済政策を基盤として、唯一無二の完全に兵農分離がなされた常備軍の創設にある。


 幸い今の菅沼家にも、農地を持たぬがゆえに農閑期に行軍が縛られず、銭払いゆえに敵地で乱取りの必要が無く規律の遵守(じゅんしゅ)が可能な、殺人だけに特化された二百名を超える軍団が存在する。


 兵庫の、天才信長とは逆順を辿りながらも、まず街道を抑えようとする戦略は、理にかなっていると言わざるを得ない。


 勿論(もちろん)、兵農分離は椎茸の齎す莫大な黄金が無ければ成立し得なかった。

 (しか)し、同じく稲作に依らない金銀山を有しながら武田、上杉、今川、北条、尼子、毛利…(いず)れも常備軍を持ち得なかったのは、信長や兵庫のように関所を押さえ、商圏を掌握するという経済感性を持ち合わせていなかったからである。


 ただし非常に厄介で難しい問題はそこに宗教団体が立ちはだかる事だ。関所の設置や商取引組合「座」の許認可権は寺社勢力が握っている。

 これを押さえようとするなら、遅かれ早かれ信長のように半生を賭けた宗教戦争を覚悟しなければならない。


 今の兵庫がそこまで腹を括っているとは思えない。だがこの機会に街道と街を押さえようとする経済感性だけでも、率直に嗟嘆(きたん)すべきものがある。


 もっとも、宗教側からすれば──

「今はこれで上手くやってんだよ。空気読めよ……」

 という罵詈(ばり)が聞こえてきそうだが、空気の読めなさに関して言えば、兵庫もある意味…天才なのである。



    ~延徳3年(1491年)7月 三州街道~



 鳳来寺山の朝は冷たく湿っていた。

昨夜の雨が落ち葉を貼りつけ、山肌には薄い霧がたなびいている。


 私は、名主屋敷の前に整列した孤児兵たち、いやもう菅沼軍と呼んでも差し支えないであろう――二百の少年兵の顔を一つひとつ見回した。

 皆、血に染まった衣のままだが、しかし足助鈴木氏を討ち破った余韻が、彼らの瞳を静かに満たしていた。


「伊那街道を押さえる。津具に向かう。」


 号令を発すると、木々の間を抜ける山道へ、菅沼軍は一糸乱れぬ足取りで動き出した。


 谷間には川音が響き、山鳥の影がちらりと横切る。


 「三州街道」とも「吉田街道」とも呼ばれる伊那街道の起点は小坂井にあるが、実際には東海道によって吉田と結ばれ、吉田から豊川、新城、海老、田口、そして山深い津具を経て信州飯田へと通じる大動脈である。

 物資を運ぶ商人たちだけでなく、豊川稲荷や鳳来寺、さらにははるか信州善光寺へ参詣する旅人も往来する、東三河における最も重要な道の一つだ。


 目的地である津具までは、およそ五里(約二十キロ)。歩き慣れた者であれば半日もあれば十分に辿り着ける距離である。経済的な重みのある街道ではあるが、列を組んでゆっくり歩くのであれば、道すがらの景色は実に変化に富み、歩みそのものを豊かにしてくれる。


 鳳来寺山を出て間もなく、田峰の家並みが山影に寄り添うように続き、その先で寒狭川の流れに寄り添う道へ出る。鮎滝では清流を遡る鮎が白い飛沫を上げて跳ね上がるさまが見られ、季節の絵巻物のようだ。

 村人たちが網を構え、ひらりと鮎を掬い上げる笠網漁の光景は、古くからこの地に息づく風流そのものである。

 ──なので、先の足助鈴木との戦で、藤兵衛の屋敷にあった網を使い、罠のように敵兵を絡め取った彦兵衛の謀は、本来の網の使い道ではない。


 川沿いの道から小高い丘に目を向ければ、海老の集落に近づいたことを知らせるように、菅沼家累代の墓石が整然と並ぶ東泉寺の屋根が見えてくる。

 この周辺には、川売の梅林や、鞍懸山の裾野に広がる四谷の千枚田など、特に風光明媚な景勝が立て続けに現れ、行軍の足を自然と緩ませる。


 さらに伊那街道を北へ進むと、商人たちが荷を替え、山中にしては賑わいを見せる田口の宿場町に入る。山の中腹には宝雲山福田寺がひっそりと構え、史実では甲斐国への帰途、病が癒えなかった武田信玄が元亀四年(1573年)、己の死を三年間秘匿せよと遺言して、ついに息絶えた場所として知られる。


 そうして山峡の道を抜けていくうちに、やがて目的地──利兵衛の屋敷のある津具の家並みが、霧の向こうからゆっくりと姿を現し始めた。

〜参考文献〜

英傑の日本史 戦国編【5冊 合本版】2017年2月

(角川文庫) [電子書籍版] 井沢 元彦

『英傑の日本史 信長・秀吉・家康編』

『英傑の日本史 風林火山編』

『英傑の日本史 上杉越後死闘編』

『英傑の日本史 激闘織田軍団編』

『英傑の日本史 智謀真田軍団編』

※丁度BlackFridayだったので高級品買っちゃった♪


〜舞台背景〜

しばらく山奥で気分良く、椎茸無双「ざまぁ〜」をしてようと思ってたのですがどうも文献によると、関所一つ手を付けただけでも宗教系の怖い人達が出てくるらしく、まだ主人公は力不足です。既得権益の利権集団って恐ろしいと思ったのと同時に、そんな寺社マフィア総元締め比叡山延暦寺を燃やした織田信長がいかに改革者だったのかを痛感しました。

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― 新着の感想 ―
そろそろ当主に報告しないと駄目なのでは?
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