016 ~延徳3年(1491年)7月 島田村~
~延徳3年(1491年)7月 島田村~
足助忠親が率いる二十名は渓から山腹に抜け、岩が地衣が覆う場所を選びながら足跡を消しつつ地を這う探る鼬のように進んだ。
鈴木の者らとて、名岳真弓山に本城を構え、景勝香嵐渓の枇杷や柿に心躍った幼き頃の思い出を持つ山育ち。
木地師達を撒く術は体が覚えている。山の陰に紛れ、獣道に潜み、木地師達の視界の闇に紛れながら、徐々に島田村名主屋敷へ近づいていった。
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島田村の藤兵衛の名主屋敷で、彦兵衛は絵図面の上の線が震えるのを見た。伝令が遅れた。
絵図面の彼方此方にいくつも起立する木片の中に、鈴木の駒から本陣に至る間にわずかな平らが混じった。
鳥の声が一つ途絶えた場所だ。平らは静かで、恐ろしい。静けさは刃の前触れだ。
「孫右衛門。」
彦兵衛が低く呼んだ。
加藤孫右衛門は、槍を拭いて戻ったばかりだった。彼は疲れを隠さない男だった。隠さないから、疲れが邪魔をしない。孫右衛門は壁に立てかけた槍を思わず確かめた。
「来る。」彦兵衛は言った。
「屋敷へ来る。」
「何人だ。」
「二十。いや、二十が一つだ。」
(山路)与五郎、(永原)内匠、(神谷)右近将監、そして孤児兵の殆どが皆それぞれが鳳来寺山中奥深くで与えられた役を果しておりこの場にはいない。
今この時、菅沼の旗印たる竹千代の座す本陣を護るのは、鳳来寺山を駆回って戻って来た(加藤)孫右衛門率いる疲れが頂点に達している孤児兵五十。
「藤兵衛殿。」
彦兵衛は屋敷の奥へ声をかけた。
「女と子供らは、裏の土蔵へ。蔵の裏の土に籠り口がある。そこから出て、榎の根の下へ。決して声を出すな。」
「承知。」
藤兵衛の声は太くぶれなかった。名主は名主だ。彼は人を預かる者であり、土を預かる者であり、いまは命を預かる者だった。
彦兵衛は懐に手を差し入れた。そこには笛が一本。勢いよく息を注ぎ込む。静けさが一瞬、厚みを持った。
次の瞬間、山の方々で笛が鳴った。鷹。急げ。
だが近くで獣の雄叫びも鳴った。低く、太く。彦兵衛は舌打ちした。笛の音は読まれている。お互い相手が見えているのならば、もう刃を切り返すしかない。
孫右衛門は頷き、立て掛けてあった槍を掴むと庭へ出た。庭の石は濡れている。苔は滑る。雨の後の土の感触が足裏に戻る。足は目だ。定行の言った言葉が、耳の後ろで微笑む。
「孫右衛門!」
屋敷の門を閉めようと動いた孫右衛門を止めたのは、これまで若い馬廻り衆を教導しようかのごとく絵図面の前で腕を組んで黙して動かなかった(菅沼)定行である。
「孫右衛門、捨て身で来る者に、門は閉めても役には立たぬ。開けて見せ道を作れ。覚えておけ。」
定行は皆に声をかけながら手際よく庭に麻縄を走らせ、膝の高さに麻縄を張って行った。敵が飛び込めば膝下を絡めるつもりのようだ。
「彦兵衛!」
定行は眉も上げずに続ける。
「この子らに土間の灰を集めさせよ。併せて水桶も用意せよ。奴らは火を奪ってくるぞ!」
残っている幼い孤児兵に諭すように言う。
「灰は目に入れば敵だけが苦い。味方は風上に回れ。風の向きは三度は変わるぞ。動き続けるのじゃ。」
彦兵衛は「承知」と短く応え、まだ体は小さいものの、兵の顔をした孤児達に縁先に灰や水桶、さらに炭入れと濡れ莚を担ぎ出させた。
彼らの動きに迷いはない。
「当てずともよい、あの大きな門のなかに放り込むだけじゃ。」
定行の掛け声に、使い慣れた短弓を持つ孤児たちが門に向かって弓を番える。
今も門前に抜き身の刀を何本も刺して、何人も斬り棄てる気に充ちている彦兵衛や孫右衛門は勿論、定行や孤児たちの手際を見ていると不思議と私に怖れは無い。
襲ってくるのはたった二十。
迎え撃つのは、皆息は上がっているものの、出来ることはは全て整えた意気軒昂な彦兵衛、孫右衛門に率いられた孤児達五十。
それも与五郎、内匠、右近達が連れる百五十が帰ってくる僅かな間を耐えるだけだ。
そんな想いを馳せて、私なりにそれでも震える指を押し殺し、自分自身を鼓舞していると、孤児たちの中で最も幼げな子の腕を引く、定行と目が合った。
まだ幼さの抜けきらない孤児兵、同時に定行が叩頭する。
「竹千代様、急ぎお着物のお召替えをお願いいたしまするっ。」
(んっ…いや、このタイミングでそれはないわ定行。
こんな形で、もしその幼気な子に何かあったら、さすがに私でも吐いてしまう自信がある。)
私は座ったまま全身全霊で入れ替わりを拒絶した。
「その必要は無い。菅沼は背は見せぬっ!」
定行は暫く私の目を見詰め、納得してくれたのであろう。
子供の腕を引いていた手で槍を番えなおし、勢いよく外に飛び出していった。
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孤児兵の弓の弦の響きが開戦の合図だった。
外からの闇が膨らむ。闇の手前、定行の声が低く落ちた。
「孫右衛門。半身・半眼・半歩。全部を出すな。出せば取られる。半分だけ置いて相手に欠けを見せろ。」
影が三つ、庭板に流れ込む。注ぐ矢を気にしてか視線を上げたまま、先頭が縄の道に踏み込み、膝がわずかに沈む。
孫右衛門、彦兵衛、定行らは沈んだ体に槍を突く。三本の押し出された槍が影を穴もないのに落ちるように沈ませる。三体の骸を越えてまた影が三つ飛び込む。
孤児達が投げた灰が散る。子供達が番え直し放った矢が足が止まった三人に降り注ぐ。三人の声が潰れ、息が止まる。
六体の遺骸が積み上がり流石に門からの侵入は止まった。
「孫右衛門、壁じゃ!」
彦兵衛が叫ぶ。右の壁から六、左の壁から六、
六体の影が二つは子供達の矢を避けて庭に降り立つ。身のこなしが軽い。彦兵衛は片足を半歩ずらし、槍の突きを振るった。突きが肩を打ち、腕がわずかに浮く。
そこへ定行が自ら半身で滑り込み、剣で手首を払った。一つの手首が転がり、血が庭を支配する。
「孫右衛門、後ろっ!」
鈴木の兵六人が、息を合せて孫右衛門めがけて突進した。喉を狙う真っ直ぐな槍が六本。
その時、実は子煩悩な孫右衛門が、厳しくとも暖かく育ててきた武力が、兄とも慕う孫右衛門の危機に覚醒した。
二十以上の孤児達が放った矢は綺麗な放物線を描いて鈴木兵六人を一斉に貫いた。孫右衛門を狙った六人は、その場で息をしない六体となった。
孫右衛門は逸れた矢を一本薙ぐのみだった。
鈴木の兵六人が彦兵衛を囲む。前後も左右も塞がれ、六つの穂先が土を踏み一斉に伸びて肉に沈み骨を砕いく。
————はずだった。
崩れ落ちたのは、彦兵衛を囲んだつもりの六体の影。
「よくやった、稽古どおりだ」彦五郎が笑った。
鈴木の兵六人の背には、さらに外側の輪になった孤児たちに、背を奪われ孤児達の槍が突き立っている。
囲んだつもりの六人が悲鳴を上げて崩れ、輪は裏返った。
細い腕に背を奪われた鈴木の兵は振り向く間もなく脇や腹を射抜かれ、一拍遅れて逆さまに転がっていた。
(十八が片付いた。あと二つ。)
彦兵衛は孤児達が息を整えるのを見ながら、数を弾いていた。
〜舞台背景〜
今回も前回に引き続き隣国鈴木氏との合戦の、戦闘シーンです。前回15話の描写は自分でも納得出来なかったので、今回擬音的な表現を減らして会話を増やしました。特に最後の2段落、やられたと思ったらやっつけてたの部分は結構工夫しました。って自画自賛ww




